4-22 幕間 パトリックは彼女を見上げる
◆4-22 幕間 パトリックは彼女を見上げる
パトリックは砦から一人飛び出して駆ける。
「ユミエラ……無事でいてくれ……」
ライナスより入った封印魔道具の情報を聞き、想像よりも危険な状況であると判明した。
もしもレムレストの秘密兵器である封印魔道具が、魔王に対する物と同じ効力を発揮したならば……。ユミエラは数百年もの間、封印されてしまう。彼女自身は長い眠りに就くような感覚かもしれないが、その睡眠はあまりにも長すぎる。
パトリックは寿命を迎えるまでユミエラに会えないし、ユミエラが目覚めれば彼女の知る人物は誰一人としていない世界が待ち受けている。
残酷な未来予想を置き去りにするように、パトリックは駆ける。
そのまま地面に倒れてしまいそうなほど前傾姿勢を取り、一歩ごとに大地を削り取りながら移動する。
そして小高い丘を越えると、レムレスト軍の陣が見えた。全体を見渡すことが出来る。
目を走らせて……見つけた。軍の後方、大きな天幕の前、パトリックが彼女を見つけたとき……ユミエラは今まさに封印された瞬間であった。
「ユミエラ!」
届かないと分かりつつも、思わず叫ぶ。
四本の支柱に囲まれた彼女は、抵抗する様子もなく光の中に消えていく。
すぐに光が消え、謎の支柱も消え、そしてユミエラも消えていた。代わりに現れたのは大きな白い箱。人が入れるほどの大きさがある立方体は、宙に浮き、ゆっくりと横回転している。
「……間に合わなかった」
パトリックは愕然と頭を下げ、地べたを見下ろす。
彼女が死んでしまったわけではない。魔王と同じように、いつかは復活するのだ。魔王のように数百年か、数年か、はたまた数日か。外部から干渉して、封印を解除することも可能かもしれない。
ユミエラが出てくるまで待とう。いつもの無表情を少しほころばせながら「ただいま、月には行けなかったよ」と出てくるまで……。
数日会っていないだけなのに恋しくてしょうがない彼女の顔を思い浮かべつつ、パトリックは顔を上げた。
「……ん?」
彼が視線を下げていたのは数秒だ。その僅かな時間に変化が起きていた。
純白であったはずのキューブに黒いまだら模様ができている。黒のまだらは、白い箇所を侵食するかのように範囲を広げていった。
数秒で白黒半分ずつの縞模様が出来上がり、数秒でほとんど黒い箱になってしまった。
最後は真っ黒、彼女と同じ髪色になった瞬間、キューブがサラサラと崩れ去る。
箱が塵も残らず消えた跡には、ユミエラが封印前と変わらぬ様子で立っていた。
「…………あ」
永遠に会えないことすら憂慮していたパトリックはがっくりと肩を落とす。
「俺の心配を返してくれ」
無事を確認してしまえば、これは当然の結末のように思えた。ユミエラは昔から、彼の心配を無駄にし続けてきた実績がある。
しかし、一時的でも封印されたのは事実だ。
「……良かったと言うべきだな」
彼女が無事で良かったという感情と、無駄に心配して損したという感情、二つがパトリックの中でせめぎ合う。
癖になってしまったため息をついて、パトリックは彼女の元へ向かおうと足を動かした。
「待て、行くなパトリック」
「……兄上」
後ろから声を掛けてパトリックを止めたのはギルバートであった。好青年な弟に比べて神経質そうな顔をしている兄は、険しい顔でレムレスト軍を見つめている。
危険視していた封印魔道具は無くなった。急ぐ意味も薄いだろうと、パトリックは兄の言葉に従い足を止めた。
「レムレストに行っていたそうですね。そこでユミエラと行動していたとか」
「ライナスに聞いたのか?」
「封印魔道具についても彼から聞きました」
「ああ、あれは封印だったのか。レムレストの連中が進軍を早めたのにも納得だ」
「知らずにユミエラを向かわせたのですか!? 奴らが予定を前倒しした理由も分からずに? 兄上なら、何かがあると理解していたはずです」
「理由はあるだろうと思っていたが……いいじゃないか。アレくらいでお前の婚約者がどうにかなるはずがない」
「……まあ」
婚約者を危険な場所に向かわせた兄に抗議するが、確かにユミエラをどうにかできる物をレムレストが用意できるとは考えづらい。パトリックの中で拮抗していた二つの感情、片方が優勢になる。心配して損した。
ユミエラを案じる弟を見て、ギルバートは不機嫌そうな顔をする。
「封印はあの女にとって有利に働く。僕の課題も、これでは簡単すぎる」
「課題……負けた演技をするという?」
「あの女の脅威論はレムレストを席巻している。現地の空気を感じて確信した」
「兄上、ユミエラをあの女呼ばわりするのは……」
「あの女で何が悪い。パトリックは、僕よりあの女が大事だとでも言うのか」
兄と恋人、どちらも大事で比べるようなものではない。そう言っても納得はしないだろうと、パトリックは経験則から悟っていた。
前々から自分の兄は変わった人だと感じていたが、まさかここまでとは。同種の面倒な質問をしてくる人物がもう一人、パトリックの脳裏に浮かんだ。
ギルバートに対しユミエラに似ているなどと言えば余計に面倒になるのは目に見えているので、もちろん口には出さなかった。
兄弟が会話している間にも事態は変化する。白衣の二人組はいなくなり、ユミエラは別な男と向かい合っていた。
それを指差してギルバートが言う。
「レムレストの第一王子だな。騙すのが容易い手合いだ。加えてあの封印。パトリックの婚約者でも、簡単に理由を付けて撤退できる」
「普通に名前を呼ぶ気はないのですか? ……まあ、封印の影響で魔力を消費した、くらいの理由はユミエラもすぐに思いつくでしょう。何度も手紙に書いたように彼女、頭は回ります」
「そうだな。僕もしばらく騙されていた。ドルクネス伯爵は猫を被るのが上手いらしい」
ギルバートはレムレスト軍の陣を俯瞰しつつ目を細めた。
ユミエラとギルバートが初めて会うとき、パトリックは絶対に同席しようと考えていた。誤解されやすい両名が、二人きりで対話を図るなんて冗談で済まない。
だが、二人は会ってしまった。遠く離れたレムレストの王都で。
第一印象が最悪であろう彼らは、どんなやり取りをしたのか。ギルバートが騙されていたと語ったことから、コミュニケーションは失敗したものと思われる。
パトリックは恐る恐る口を開いた。
「騙された……というのは?」
「彼女は自分の正体を隠していた。騙されたとは言ったが……異国にいることを考えれば賢明な判断だ」
「なるほど。しかし、すぐに分かったでしょう?」
「猫を被るのが上手いと言っただろう? 分かったのは先ほどだ。エレノーラという偽名を使っていた。……いま思えば、公爵家の娘の名前か」
月へと飛び立ったユミエラが隣国に墜落したと仮定すると、丸一日以上の時間、彼らは行動を共にしたことになる。それだけの時間があって、ユミエラの正体が判明したのが先ほど。
ユミエラは礼儀正しく振る舞うことも出来る。そして、礼儀正しくおかしな言動をする。いくら彼女が名を偽り、己の特徴を隠したところで、多少の会話をすれば常軌を逸した人物であることは分かるはずだ。
頭が切れると尊敬していた兄がユミエラ並みに鈍感だったと、パトリックは認めることができなかった。
「互いに偽名を名乗って、互いに赤の他人だと思いこんでいたのですか……」
「いや、僕は偽名を使っていない。考えてもみろ、ギルバートという名前を聞いて辺境伯の跡取りを思い出す人間が何人いる? 該当する人物はどうせ僕の顔も知っている」
「ユミエラはギルバートという名前を聞いても、兄上だと分からなかったと?」
「分かっていない様子だったが……まさか、僕の正体を理解した上で泳がせていたとでも――」
「いえ、それは無いです。そういった腹芸はできません」
ユミエラはユミエラで鈍すぎた。名前が分かってもギルバートがギルバートだと分からなかったユミエラの方が鈍感だ。自分の兄はそこまでポンコツじゃない、パトリックはそう自分に言い聞かせる。
ギルバートは弟からの信頼が崩壊しかけているとも知らず、遠くにいるユミエラと王子を眺めて言う。
「あの女とは幾らか会話をした。彼女の正体が分かっていれば、あのような平静な対話はできなかったと思う。思い込みや先入観を抜きにして話してみて……その、なんだ……変わっているところもあるが……あー……ユミエラは、いい子だったな」
「……兄上!」
ギルバートが初めてユミエラの名を口にしたと気が付き、パトリックは兄の顔を見る。もともと神経質に見える顔をさらに不機嫌そうに歪めていたが、小さい頃から兄の姿を追っていたパトリックには、兄の照れ隠しであることが分かった。
一時はどうなるかと思ったが、結婚を認めてもらえそうだ。パトリックはホッと胸を撫で下ろす。
「お前たちの結婚を認めたわけじゃないからな! あの女が課題を達成できなければ、僕は最後まで反対するし、意地でも結婚式には出ない」
「もしもユミエラが上手く負けられたら?」
「そのときは……まあ……パトリックとユミエラの結婚を祝福するしか……パトリック、なぜ笑う?」
「いえ、兄上らしいなと」
「そうだ。思ったんだが、兄上というのは堅苦しいから昔のように、にーさまと――」
捻くれ者の兄と、素直な弟の会話は、そこで打ち切られた。
初めに感じたのは膨大な魔力の奔流。その発生源はレムレスト軍のいる方向だ。
二人が見た先にはソレがいた。パトリックはすぐにソレが誰か分かったが、ギルバートは分かるまでにしばしの刻を要した。思わず呟く。
「……なんだアレは?」
4-23 終末時計のシンデレラ
4-24 世界を救う言葉
4-25 新たな誤解
4-26 エピローグ
残り4話です。エピローグが4/6火曜日 書籍4巻発売が4/9金曜日
すごく、ギリギリ