4-19 逃げろ! ユミエラだ!
◆4-19 逃げろ! ユミエラだ!
さてさて、レムレスト軍の本陣に到着です。
兵士たちは数人で固まって、火を起こしたりと野営の準備を始めている。
明日からは本格的な軍事行動が始まる。どこか落ち着かないピリピリとした空気感だ。しかし、焚き火に掛けられた鍋からは美味しそうな香りが漂っていて、リラックスした雰囲気も流れていた。
緊張と弛緩が共存する中を、私はゆっくり堂々と歩く。
数人は誰だろうかと私を見るが、誰も話しかけてはこない。敵軍のど真ん中でのんびり歩く人物がいるとは、誰も思いはしない。あれって誰だろう? と隣りにいる仲間に尋ねているうちに、声を掛けるには遠い所まで行ってしまう。
黒髪を露わにしたら、こうはいかなかっただろう。この近辺に現れる黒髪の女は間違いなくユミエラだ。気が付かないのは、どこぞのギルバート氏だけである。
軍勢の横側から、その後方まで侵入できてしまった。
歩く先にある円形の立派な天幕は、偉い人がいますよと大声で主張しているような代物だった。豪華なテントの前、流石に見張りの騎士が二人立っている。
静かに彼らを眠らせて、天幕に押し入れば、油断したレムレストの第一王子を……違う違う。敵将を暗殺しちゃ駄目だった。闇討ちは止めて、誉れある戦いを……でもなかった。
私は今から、レムレスト軍に負けなければいけない。それも、上手く負けなければいけない。しかし、どうしよう。パトリック兄に大見得を切って出てきた手前、仕切り直しを申し出ることも出来ない。
棒読みで「やーらーれーたー」とか言ってから逃げ出しても、演技だとバレてしまっては失敗だ。
あまりに迫真の演技をして、醜態を晒して逃げ惑ったユミエラの噂が広がるのも困る。ユミエラ容易しとレムレストを勢いづかせてしまう結果になるからだ。
理想はそうだな……今回は天運に恵まれて強敵ユミエラを退けることができたぞ! 流石にアッシュバトン軍との連戦は難しいので、凱旋に帰ろう。これで第一王子派も勢いづいて、跡継ぎ争いで有利だね! ……となるくらいのバランスが望ましい。
初めから戦意を見せずに撤退するのは論外。彼らにやり切った感を味わわせなければ駄目だ。
面倒な……辺境伯はいつもこんなことをしていたのか。ギルバートさんは、前線の砦から兵を出して、小競り合いを挟んでから引かせるだけと言っていた。言うのは簡単だけれど、実行するとなると、困難極まることが想像できる。
味方の被害を出さず、敵が拍子抜けしない程度に戦ってみせる。いくら相手の目的が喧伝しやすい戦果とはいえ、無理が過ぎるぞ。
それにレムレストの方々、前回は私を見ただけで遁走したんだよね。両軍が睨み合う緊張した場面に突然出ていったのも大きいと思うけれど、あのとき私は何もしていない。
前はリュー君の可愛さで、私の怖さが緩和できていたと思う。しかし今回、癒やされマスコットは不在だ。状況は一層厳しい。
あれこれ考えているうちに、一番立派な天幕に到着した。
素通りできたからなんとなくで来ちゃったけれど、陣の端っこで見つかった方が良くないかな? 遠くから脅威がやって来るのと、気づいたら隣に脅威が出現するのとでは、向こうの王子様も心持ちが変わってくるはずだ。
ぼけーっとテントを眺めていると、見張りの騎士が近付いてくる。あー、立ち止まると不審さ倍増だよね。王子の護衛なら私が部外者であることはすぐ分かるだろうし。
帽子を脱ぐように言われて、ユミエラだと即バレして、レムレスト軍は大混乱に陥って……上手く負けられるビジョンが全く浮かんでこない。
最早これまでか。ついに、近付いてきた騎士が私に話しかける。
「そんなところで、どうしたのかな? ここはこれから戦場になる。君のような可憐な乙女がいていい場所ではないよ」
「……えぇ?」
警護担当の人にしてはフレンドリーすぎる。どういう意図だろう?
二人組の片割れである彼は、キラキラすぎる笑顔を振りまきながらウザったい前髪をかき上げる。もう一方、天幕の前から動かなかった騎士を確認すれば、ウンザリした様子で厳つい顔を歪めていた。
「でも、不安に思うことはない。この僕……そう! 絶剣乱舞のエマニュエルがいるからねっ!」
「……どうも」
誰だよ。二つ名みたいなの言われても分からねえよ。
でも分かったこともある。この人、さてはポンコツだな。
こういうタイプの人は、場の恐怖指数を下げる効果がある。ホラー映画みたいなことになっても、最初に死ぬのはコイツだろうな、と周囲が思うことで心に余裕が出来るのだ。
ではでは、彼を利用させて貰うことにしよう。まず手始めに、石鹸ナントカのエマ何とかさんに一騎打ちを申し込む。一番に犠牲になるのは彼だと周囲が思えば、集団パニックを抑制できるかも。
私は鈍い反応しか返せなかったが、彼は変わらぬ様子でハンサムっぽさ全開だ。いいぞ、そんなノリで私の一騎打ちに応じてくれ。自分の力を過信しすぎるタイプっぽいし、イケるでしょ。
「どうしたんだい? そんな仏頂面じゃ、可憐な顔が台無しだよ?」
「一騎打ちを申し込みます。あと、この顔は元々です」
「い、一騎打ち!? それは……デートということだね!」
違います。
私は白い帽子を脱ぎ捨てて、空に放り投げる。服の中に隠していた後ろ髪も露わにした。変なクセが付いていそうな長い黒髪を手で梳きながら、名乗りを上げる。
「申し遅れました。ドルクネス伯爵家当主、ユミエラ・ドルクネス。いざ尋常に……」
エマ何とかさんは間の抜けた顔で、宙を舞う帽子を目で追っていた。そして、私の頭部に視線を戻して、私の名を聞く。
彼の次の動作は速かった。謎の二つ名があるくらいあって、そこそこ強い人なのだろう。機敏な動きで、自分のお腹を押さえる。
「お腹が痛くなったから帰るね」
そこからも速い。回れ右した彼は一目散に走り出し、警護対象がいるはずの天幕の横を抜け、レムレストの方向へ。みるみる小さくなっていく。
「えー」
ホラー映画理論でいくと、抜け駆けして逃げ出そうとしたお調子者は死ぬ。でも私は追いかけたりしないから、普通に長生きするタイプなんだろうなあ。
一騎打ちは無くなったけれど、私の名乗りは無かったことにならない。
逃げた騎士の相方、厳つい顔をした彼は、私の言葉をバッチリ聞いていた。
「ユミエラ! ユミエラだ! バルシャインの魔王が司令部に急襲!」
発された警告は、波紋のように軍の中を伝播していく。
上がる悲鳴。狼狽えて立ち上がり、転倒する人。ひっくり返る鍋。
あーあ。ここまでパニックが広がると、収拾をつけるのは難しい。私がアクションを起こしても逆効果だろうし、どうしたものか……。
何も出来ずに棒立ちでいると、何者かの声が大音声で響き渡る。
「落ち着けい! 秘密兵器の存在を忘れおったか!」





