4-18 幕間 パトリックは戦場に向かう
◆4-18 幕間 パトリックは戦場に向かう
アッシュバトン辺境伯領は、土地そのものが防衛に特化している。
元々は地理的に守りづらい立地であったらしい。しかし、王国より長い数百年の歴史が、脈々と続く歴代の辺境伯たちが、その地に住まう血族たちが、少しずつ開発を進めた結果として今の辺境伯領が存在する。
大軍を素早く移動させるために整備された街道は、各所に仕掛けが施してあり、攻め入られた際は敵を妨害するようになっている。立派な石橋も、とある箇所に手を加えれば立ちどころに崩れ去る。普段は安全に通行できる谷も、人為的な土砂崩れをいつでも起こせるようになっている。
それらの防衛設備はレムレスト王国のある西側のみならず、バルシャイン王国が位置する東側にも存在していた。表向き、目立つ砦などは放棄してあるが、いつでも運用が可能だ。
何人たりとも侵略させず。アッシュバトン家の行動原理を理解しているからこそ、王家も彼らを無碍に扱うことはできない。
それほどの力を有している辺境伯家であるが、大貴族であるという印象は極めて薄い。中央の政治に関わらず、領内に引きこもっている気風が原因だ。
バルシャイン王国の西の端にあるアッシュバトン領、その更に西の端。領内に幾つも存在する軍事拠点の中の一つ。精鋭が集められた砦は、対レムレストの最前線。
敵国側には開けた草原が広がり、平野部にポツンと点在するそれは、一見すると攻めやすそうに見える。
見えるだけでなく、実際に攻めやすい。地形的な障害は無いので簡単に包囲できるし、迂回して領内に入ることも容易い。
しかし、その後が問題だ。
砦の包囲はすぐに出来ても、砦自体の攻略には時間がかかる。その間に、アッシュバトン本隊から騎兵が駆けつけて、円を作るために伸び切った戦線を食い破られるだろう。
砦を無視した場合は、前の本軍の相手をしつつ、後ろの砦からの奇襲を警戒しなければいけない。
包囲と迂回、両方が並行して実行されたこともある。レムレストの前身国家であるタリオン帝国は、例の砦を別部隊に包囲させ、本隊をアッシュバトン領内に進めた。
包囲に別働隊を割いてもなお、戦力ではタリオン帝国が優勢。
両軍が激突する数時間前、砦で動きがあった。タリオン帝国の方角からアッシュバトンの騎兵隊が現れたのだ。自分たちと同じように迂回してきたのだと察した帝国別働隊の指揮官は、騎兵と砦とでの挟撃を避けるため、すぐさま包囲網のうちアッシュバトン方面に展開していた兵を逆側に移動させた。
しかし、騎兵隊は接敵直前で反転。不思議に思っていると砦から兵が出撃しているではないか……守備を薄くしたアッシュバトン方面に。
高レベルで揃えられた精鋭たちは、難なく薄くなった包囲網を突破し、帝国本隊の背後に向かう。
場所を戻し本軍同士の決戦場。アッシュバトン軍は劣勢を強いられていた。両翼は奮戦しているが、中央はジリジリと後退を余儀なくされている……ように帝国の指揮官の目に映っていた。
そこに突如現れた砦の精兵、そして合流した騎兵たち、彼らはタリオン軍の背後を急襲する。合わせてアッシュバトン本隊は両翼で左右に蓋をする。
前と横には半円状に展開して、半包囲を敷いた本隊。背後には奇襲をしかけた精鋭と騎兵たち。退路の一切を絶たれたタリオン帝国軍はパニック状態に陥る。
その後の趨勢は語るまでもないだろう。タリオン帝国が崩壊、分裂し、今に至るのは、この戦争を原因とするところが大きい。
全ての軍事教練書に書かれるべき完璧な包囲殲滅戦は、アッシュバトン家の記録に残っているのみであり、今の時代に知っている者は少ない。タリオン側の資料は帝国崩壊の混乱で紛失したのか、そもそも記録を残せる人物が残らなかったのかもしれない。
この華々しき大勝利を知ってなお、歴代の辺境伯たちは「内戦戦略に特化した我々は完全な勝利を経験していない。今の領を維持するだけで限界だ」などと言ってのける。それは謙遜なのか、あれくらいの包囲殲滅戦法は自分にも出来るという自信の現れなのか。
◆ ◆ ◆
辺境伯領、西端の砦。パトリック・アッシュバトンは、学園入学前に教わった先祖の偉業を思い出していた。
今の自分にあの見事な作戦を実行できるとは思わない。ただ、対処の難しい大軍が来たのなら、国境線沿いに高い土壁を出現させ、単身で敵司令官を討ちに行ったなら、比較的簡単に……と考えかけて頭を振った。
「俺もだいぶ、ユミエラに毒されてきたな」
「どうされました?」
パトリックの独り言に反応したのは、砦を担当する前線指揮官だった。四十を越えたばかりの彼の几帳面そうな所作は、アッシュバトンの軍人にしては珍しい。
まだまだ子供扱いされることの多いパトリックは、彼の畏まった対応に僅かばかりの居心地の悪さを覚えた。
「……俺は小さい頃、どれだけの英傑がいようと戦況に大きな変化は無いと教わった」
「そう言われていますね、一般的には」
国と国との戦争として見た場合。どれだけ個人技に優れた一騎当千の強者がいたとしても、戦況を大幅に覆すことはないと言われている。一定の水準を越えた兵士を多く揃え、堅実な用兵をした方が勝つことは歴史が証明していた。
「一人が百人を斬り伏せても、万を超える軍勢の戦いに与える影響は少ない」
「パトリック様は千人くらい相手にできませんか?」
「できたとしても、千と一人目にやられる。疲労も溜まれば、小さな傷も増える」
百人を斬り伏せた伝説のある某国の英傑も、部下が全滅し、敵軍を一人で足止め、百人を倒しつつも討ち死にしたと言われている。
砦の指揮官は、少し前まで子供だと思っていたパトリックが逞しく成長したことを感慨深く思いながら言う。
「パトリック様でそれならば、言説はあながち間違っていませんね。ですが奇襲と撤退を繰り返せば、もう少し戦力差を覆せそうでもあります。敵の上層部のみを狙うのも有効です」
「まあ、俺がやれそうな小細工はいいんだ。だがもしも、一瞬で千人を消滅させて、どれだけの怪我を負ってもすぐさま回復し、魔力が無尽蔵にある人間がいたならば……」
「いたならば……って、現にいるじゃないですか。私たちの間でも議論になってますよ、もし伯爵様を相手にすることになったらどうするか」
「……どうするんだ?」
パトリックは素直に気になった。尊敬するアッシュバトンのベテランは、ユミエラ相手にどんな戦法を取るのか。
問われた彼は、人の良さそうな笑みをパトリックに向ける。
「パトリック様を人質に取るのが一番だという結論になりました」
「ちなみに、その議論はどこで?」
「もしもの話で盛り上がるのは、酒飲みの場に決まってるじゃないですか」
いい歳をした大人が集まり、領主の次男の婚約者を倒す方法をワイワイ盛り上がりながら、ああでもないこうでもないと言い合う姿を想像して、パトリックは顔をしかめる。
「そんな顔しないでください。酔った私たちでも思いつくくらいだ、誰でも人質を取ることは考える。気をつけてください、坊っちゃんは大丈夫にしても……失礼、つい昔の癖で」
あまりに自然な坊っちゃん呼びであったので、パトリックは何に謝られたのかを少し遅れて理解する。
男がパトリックを、辺境伯や兄と同じように扱い出したのは十八になって成人してからだ。彼なりの線引きがあるのだろうと、勝手に納得して会話を進める。
「忠告ありがとう。気をつけよう、彼女は人を見捨てられずに無理をするから」
「……あーあ、若様も坊っちゃんくらい素直ならなぁ」
昔の癖が出たままで男は嘆く。彼の言う若様とは、辺境伯家の跡継ぎであるギルバート・アッシュバトンのことだ。
「兄上は……まあ、昔からああいう人だったな。中央との折衝で活躍していると聞くし……」
「あの手腕は政治向きですよね。中央から来た役人との交渉を、今ではほとんど任されていますし」
「その兄上の件だ」
「行方をくらましたと思ったら、こんなことを企んでたとは。らしいと言えばらしいのですがね」
二人が見つめる先にあるのは一通の手紙だった。それはユミエラとパトリック宛てに、ギルバートから届けられた物だ。
届け人であるギルバートの部下は、ドラゴンに乗り空を飛んだショックにより、部屋の隅で座り込んでいる。
「私は反対しましたからね……うぇ……また吐き気が……」
フラフラとした足取りで外に出ていく彼を引き止める者はいなかった。
慣れない頃は自分もああだったと思いつつ、パトリックは手紙をもう一度初めから読む。
レムレストの進軍に際し、ユミエラに負けた演技をさせる。
彼の国のユミエラに対する恐怖心を軽減する。第一王子派を優勢にしてレムレストの政治を安定させる。などの作戦実施理由が書かれているが、本当のところは最後の一文に集約されている。
「首尾よく計画を実行できれば二人の結婚式への出席も考える……か」
「ギルバート様も祝福したいんですよ。若様って素直じゃありませんから。それで、ユミエラ様は上手いことできそうですか? 話を聞く限り、わざと負けられる御仁じゃありませんよね?」
「ユミエラには無理だろうな。それに、今は彼女も行方をくらましている」
月へと飛び立ったユミエラの行方を思案していると、部屋に若い兵士が飛び込んでくる。伝令役の彼に耳打ちされると、指揮官の男は真剣な表情に変わる。
「分かった。第二体制に移行、本部にも伝令を送れ……パトリック様、まずいことになりましたよ。レムレストの連中、予定より早く動いているみたいだ」
それから、砦の内部は慌ただしくなる。あちこちに指示を飛ばし忙しそうにする指揮官を気遣って、パトリックは大人しく窓際に待機していた。
近いうちに軍が来るであろうレムレストの方角を眺めていると、部屋の扉が乱暴に開けられる。また緊急の伝令だろうかと扉を見やれば、ギルバートの部下がいた。空中移動のダメージから回復した彼は、男を一人連れている。
その男は、この砦にいてはいけない人物。隣国レムレストの諜報員であるライナスであった。
「なぜ君が――」
「申し訳ありません。緊急時につき、用件を端的に述べさせていただきます」
パトリックの言葉を遮ってライナスが言う。ライナスと会話したのは前にユミエラがレムレスト軍を追い払ったときだけだが、彼が常識を弁えた人間であることはパトリックも理解していた。
そんな彼がそこまで言うとは、どれだけの緊急事態なのだろうか。
「私はレムレストの王都に潜伏していたギルバート様との連絡役をしておりました。ユミエラ様に負けたふりをしていただく計画については――」
「こちらも理解している。続けてくれ」
「はい。我が国の軍が出陣を早めた理由が分かりましたので報告いたします! レムレスト第一魔道具工廠が、封印魔道具の再現に成功しました。バルシャイン王国の魔王を封印していたのと同様の性質を持つ物です!」
魔王を数百年にわたり封じ込めた魔道具。光魔法の使い手であったバルシャインの初代王妃が使用したことから、闇属性に対して効力を発揮することは想像に容易い。
まさに対ユミエラ・ドルクネスの特効兵器。一番の脅威に効く武器を手に入れたとなれば、出陣を予定より早めたことにも納得がいく。
「本気でユミエラを討ち取りに来たか」
幾度も繰り返されたアッシュバトンとレムレストの小競り合いは、ユミエラの参戦で更に茶番と化すはずだった。
しかし、封印魔道具の登場で前提が崩れた。ライナスも焦って当然だろう。
ユミエラが危険だ。
しかし、ピンチではあるが切迫した状況ではない。当のユミエラ本人がここにはいないのだから。
パトリックは危機感を募らせていたが、そこまで慌てることはなかった。ライナスを落ち着かせるため、穏やかな口調で続ける。
「大丈夫だ。ユミエラはここにいない。ユミエラがいなければ、封印魔道具も無用の長物だろう。いつものように通常の兵力で相手をすれば問題ない」
「……え? ユミエラ様、レムレストにいましたよ?」
家出中の婚約者の行方が判明し、パトリックは頭の中が真っ白になった。
なぜユミエラがレムレストにいるのか。
あの目立つ髪色と奇抜な言動の彼女だ。こちらに来る前にレムレスト軍に見つかってしまうことも考えられる。軍もユミエラも、アッシュバトン方面を目指して進むだろう。彼らが相まみえる可能性は高い。
もし封印魔道具を使われてしまったら、ユミエラは無事でいられるのか。数百年封じ込められた魔王に比べて彼女は格段に強い。しかし、光属性に対する脆弱さに変わりはない。闇の魔力を多く内包している分、より強く影響を受ける可能性だってある。
悪い想像を巡らせてパトリックは悲観したが、気を持ち直した。状況は決して最悪ではない。
ユミエラがアッシュバトンに向かっているとは限らない。マイペースな彼女のことであるから、呑気に観光を楽しんでいる可能性だってある。その間に魔道具を無効化してしまえば万事解決だ。
「……………………こちらに帰ってくる前に、魔道具だけでも片付けよう」
「もうこちらまで来ています! ギルバート様と一緒に、こちらに到着する頃かと……」
「最悪の状況だったな」
封印魔道具という秘密兵器を持ったレムレスト軍と、ユミエラとが鉢合わせする確率は非常に高い。
考えうる限り最悪の状況に、パトリックは慌てて走りだした。