4-16 敗戦至上主義
◆4-16 敗戦至上主義
馬を諦めた我々一行は、レムレストの王都を出てひたすら街道を進む。
日が完全に昇って明るくなった道を、買って貰ったパンを食べながら歩く。ペースは完全にギルバートさん任せ。彼のスピードに合わせている。
「よくそんなことが出来るな」
「え?」
ペースを落とした彼は私を見ている。視線は私の手元、苺のジャムが挟まっているパンに向けられていた。
「そんなこと……というのは行儀が悪いって話ですか? 食べながら歩けと仰ったのはギルバートさんですよ」
「そうではなく、よく食べながらで僕について来られるなと」
「別に、そんなに速くもないですよね」
「体力を知りたくてペースを速めたりしてみたのだが、君は僕にピタリとついてくる。まだ余裕があるのか?」
加減速が激しいと思ったらそういうことか。足を速めたタイミングでも変わらず食べ続けるのは一般人ぽくないのね。ユミエラを隠すのも大変だ。
「辛いです。食べながら小走りになったせいで、お腹の横が痛くなってきました」
「……試すような真似をしてすまない」
「大丈夫です。ゆっくり歩いていたら収まりますよ」
「すまない、君は表情が変わらないから……ん? いや、まさかな?」
私を気遣ってゆっくりと歩くギルバートさんは、無表情情報からユミエラを連想したようだ。ユミエラを隠そうとしたらユミエラが出てきた。私はやっぱりユミエラだったか。
身分偽装は継続中。それとなく別な話題を出してみる。
「道中で聞かせていただけるというお話がありましたよね?」
「ああ、それか。僕がバルシャイン側の人間で、レムレストが勝てるように手引しているというだけだ」
「……バルシャイン王国を裏切っているという認識で間違いないですか?」
「まあ、そうなるだろう」
国家反逆罪ですね。よしっ、逆賊ギルバートを討ち取れば一件落着ってことか。
ユミエラパンチの準備をしていると、彼は悪びれる様子もなく言ってのける。
「ライナスとの話を聞いていたのなら、想像がつくだろう? ライナスは味方が出陣している。彼はああ見えて、愛国者というやつだからな。国に忠義立てして、引き抜きに応じなかった」
「ライナスさんを引き抜き? そんなことができる立場ですか? 国を鞍替えしないといけないのはギルバートさんですよね?」
ほんの少しだが、自身が怒っていることに驚いた。私はバルシャイン王国に対する忠誠など欠片も持ち合わせていないのに。
少し前、ヒルローズ公爵に言われたように、王国に愛着を持つようになってしまったのだろうか。だって、私の領地と関係の無い所で争いが発生しても……あ、戦場はアッシュバトン領だ。パトリックの実家だ。
そりゃあイラッとするよね。今も私は愛国心ゼロでーす。
ギルバートさんは歩みを速める。普通の人は走らないと追いつけないくらいの速度を、軽快に歩く。唸りつつも、悩ましげに前髪を弄る。
「どこから説明したものか……。まず僕は、アッシュバトン辺境伯家の者だ。戦闘が激化するのは本意ではない」
「じゃあ、わざと負ける意味なんて無いじゃないですか。辺境伯家の方ならば、徹底的にレムレストを撃退してこそでしょう? 辺境伯夫人を見習ってください」
「……あの人に見習うべきところは無い」
ともあれレムレスト滅ぶべし。で有名なパトリック母について話した途端、彼は恨めしげな表情で振り返って吐き捨てる。
彼は辺境伯家の家臣みたいな人だと思うのだけれど、主人の奥さんを「あの人」呼ばわりはマズくないかい?
「それは言いすぎですよ。レムレストが絡まなければお優しい方……と聞いたことがあります」
「それが致命的だ。思考や行動が読めない人物は好ましくない」
まあね、特定の事柄が絡むとおかしくなっちゃう人を苦手になるのも分かる。最近もそういうのは苦手って人がいると聞いた気がする。
ギルバートさんは前に向き直り、淡々とした口調で続ける。
「戦争……バルシャインからすれば地方の小競り合いだが、レムレストからすれば立派な戦争だ。戦争は、勝てば良いものではない」
「ええっと……戦争を未然に防ぐのが一番ってことですか?」
戦争やら紛争やら、武力衝突なんて起きない方が良いに決まっている。
しかし、あくまで理想論。前の世界の歴史も、この世界の歴史も、人類は戦争を繰り返している。
だからと言って「人間って戦争する生き物だから」と開き直るのも違う気がする。理想を追い求める人がいるからこそ、この程度の戦争に収まっているとも考えられるから……。
答えの出ない禅問答に付き合わされるのかと思ったが、どうも違うようだ。ギルバート氏の静かな語り口が続く。
「それが理想だが、今は違う。戦端の幕が切って落とされた後の話だ」
「負けた方が良いと?」
「場合によっては」
勝つか負けるかなら、絶対に勝つ方が良い。特に今回、バルシャイン王国もアッシュバトン辺境伯にも非は無いのだから、勝利が最善であるはずだ。
謀反人ギルバートを一発殴ってグルグル巻きにして、辺境伯家に裏切り者ですよと献上すれば、パトリックのお兄さんも私を見直してくれるかもしれない。
彼の後頭部を見つめながら拳を握りしめていると、後頭部が喋った。
「アッシュバトン家の歴史はバルシャイン王国よりずっと長い。戦乱の時代、一帯の支配者であった辺境伯家は、初代バルシャイン国王と友誼を結び、以来西の守りを任され続けてきた」
急に歴史の講義が始まった。
戦乱の世の中に突如現れた初代国王が、連戦連勝の快進撃で王国を建国! という部分ばかりが歴史書で取り沙汰されているので、アッシュバトン家の歴史が長いことはパトリックに聞いて初めて知ったくらいだ。
アッシュバトン家は領地拡大の野心がなく戦いを避けたい、王家はアッシュバトンと剣を交えずに傘下に加わらせたい。双方の思惑が合致した結果が、辺境伯という爵位なのだろう。同盟と主従の中間のような関係だ。
「そして建国以来、レムレストのある場所に別の国があったときも、領地の境目が変わったことは一度としてない」
「それって辺境伯家が強かったから、負けなかったからですよね? わざと負ける意味がありません」
「君が自分の口で言っているじゃないか。負けなかった、と」
どういう意味? 負けなかったから領地を維持できていて境目も変わらなくて……あ、取られてもなければ取ってもいないのか。
「負けてもいなければ、勝ってもいないんですね」
「その通り。戦争は勝敗が白黒はっきり付くものではない。アッシュバトンは恣意的に、適度に勝ち、適度に負けている」
「攻めに出ていかないですもんね」
「侵攻して都市を占領したところで旨味は無いからだ。レムレストは都市奪還を目指し、戦いは更に苛烈になる。領主を引き入れても、趨勢次第ですぐに寝返るだろう」
確かに辺境伯領は防衛戦に専念している。
パトリックが学園で実践していたアッシュバトン軍でやるという魔物狩りも、陣地を構えて向かってくる魔物を迎撃する方式だった。訓練や装備なども防衛に特化しているのかもしれない。
「防衛でも、完全に叩きのめして追っ払えば勝利と言えませんか?」
「彼らが逃げ出したところを追撃すれば、さらなる戦果を得られるだろう。だが、それで何になる? レムレストの兵士にも家族はいる」
「……へ?」
思わず間抜けな声を出してしまった。軍略とかそういう側面での話をしていたのに、急に感情に訴えかけるような言葉が出てきたからだ。いや、故郷に家族がいると思えば戦うのも辛くなるけれど。
ギルバートさんは一瞬だけ私の顔を確認すると、馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「僕が、可哀相だから追撃はしないとでも言うと思うか? 彼らには家族がいる。大事な人が帰ってこないとなれば、アッシュバトンを憎むだろう。勝ちすぎても、不要な恨みを買うだけだ」
「……そういうことですか」
仕事だから仕方ない、できれば戦わずに帰りたい。そう考えている人を相手にするのと、親の仇を取るために軍に志願したような人を相手にするのとでは後者がずっと大変だ。
ギルバートさんの言う「戦争は勝てば良いものではない」の意図するところが分かってきた。負けても駄目だし、勝ちすぎるのもよろしくない。何とも面倒な。
「勝つときは、それこそ完全に勝たねばならない。どこまでも無慈悲に、徹底的にやらねばならない」
「レムレストの人を皆殺しにして、土地に塩を撒くくらいしないと駄目なんですね」
「……そこまでは言ってない。君は、母みたいなことを言うんだな」
振り返ったギルバートさんに、恐ろしいものを見る目で凝視される。
違うって、そんなこと出来るわけ無いですよねって意味で言ったんだって。戦争反対ですよ。
それと彼の母親が怖い。パトリックのお母君といい、アッシュバトンってレムレスト嫌いな人が多い。
憎しみを産み出すのは良くないみたいなことを言っていたけれど、既に憎しみの連鎖が危険水域に迫っている気がする。
それにしても彼がプライベートを明かすとは思わなかった。もう所属を知られたから気にしないのかな?
少しばかり驚いていると、彼は私から視線を逸らしてわざとらしく咳払いした。
「分かったか? アッシュバトンは完全勝利を避けている。最善は双方が勝利した状態だな」
「両方勝ちは難しくないですか?」
「面倒だが可能だ。砦に籠もらずに打って出て、すぐに退却してみせる。こちらの被害はゼロ。レムレスト側は、敵は砦に逃げ帰った我々の勝利だと声高らかに叫ぶ」
それはレムレスト側が酷くない?
辺境伯が砦から兵を出して、すぐに戻しただけじゃん。
「それって上手くいきます? レムレストは何も得をしていないじゃないですか。それで勝利宣言はいいとして、そのあと大人しく引き下がりますか?」
「高い金を払って軍隊を動かすからには、それ相応の目的がある。レムレストの目的は分かるか?」
レムレストの目的はバルシャイン王国を征服して……違うな。国力差を考えるに、全面戦争をして勝つなんて無理が過ぎる。
じゃあ、辺境伯領の一部を我が物にして……そこまでメリットが無いかな。あそこら辺に目ぼしい資源があるならまだしも。
レムレストが何度も攻めてくる理由が分からない。前回、私が追っ払ったときの装備を考えても、長期の戦いは難しそうに見えた。
じゃあ今回はどうだろうか。ライナスは自国の技術を守りたくて、第一王子派の味方をしていて、跡継ぎ争いで有利になるために目に見えた武功が必要で……。
「国内向けのパフォーマンス?」
「理解したか。彼らが欲しているのは物質的なモノではなく、名誉や武功のような形の無いものだ。兵を動かすだけでいいなら、幾らでもくれてやる」
なるほど、勝ちっぽい雰囲気を作れさえすればレムレストは良いのか。
パトリックの実家は戦いの絶えない修羅の国なんだなぁと思っていたけれど、やっているのはヤラセのプロレス?
予想外の事実に呆然としていると、ギルバートさんから補足説明が入る。
「レムレストは大国に囲まれている。定期的に兵を挙げられるほどの余裕があると、周囲の国々に印象づける意味合いもあるはずだ」
更にヤラセっぽさが増してきた。
まあ、ギルバートさんの目的も分かった。向こうにライナスがいる分、円滑に負けることが可能だろう。逆賊とか思ってごめんなさいだな。
「やりたいことは理解しました。まあ、何というか、均衡を保つのって大事だと思いますよ」
ヤラセを頑張って言い換えた結果が「均衡を保つ」だった。
これで今回の謎は大体解けた。ライナスが私に計画を伝えるべきだと主張したのは、私の乱入を避けるためだろう。
「均衡……か。維持し続けてきたバランスが崩れつつある。それを見定めるための計画だ」
「いつものように戦果を譲って終わりではないのですか?」
「僕の弟に婚約者がいるというのは憶えているだろう?」
「あー、頭のおかしい乱暴者の」
ギルバート氏の弟さんは女性の趣味が悪いらしい。異常なエピソードを取り揃えた彼女について、私の記憶に残っていた。
彼女はわざと負けるとか出来なさそうだな。無意味に力を誇示して、要らぬ恨みを買って、人間関係がギスギスしそうなイメージだ。
「そうだ、あの頭のおかしい女だ。今回の負け戦、全てをアレにやらせる」
「……やりすぎじゃないですか?」
嫌いなのは分かるけれどさ……。話を聞く限りでは男勝りな御仁なのだが、一般女性にそんな大役を押し付けるのはどうかと思う。
アッシュバトン領の命運が、ギルバートさんの私怨で危うくなってしまうのはやりすぎじゃないかな?
「個人的な恨みも……あるにはあるが、それだけではない。彼女がやることに意味がある。アレが負ければ、崩れかけたバランスも元に戻る」
どうにも後半部分が言い訳に聞こえてしまう。恨みが九割くらいでしょ。
私情を挟みすぎだと苦言を呈そうとしたが、彼の言葉には続きがあった。
「アレは勝ちすぎる。誰が相手であろうと絶対的な勝利を手にしている。しかし、連勝はいつの日か破綻するだろう。だからこそ、上手く負けられるかを試したい。及第点なら……弟と彼女の結婚を認めてもいいかもしれない」
「ああ、それが目的ですか」
ギルバート氏の私情であることは間違いなかったが、嫌がらせなどではなかった。弟の結婚を素直に祝福するきっかけが欲しかったんだね。
前を歩く彼を生暖かい眼差しで見る。すると彼は振り返り、冷たく鋭い目で返された。
「あの女を認めたいわけではない。弟の選択を尊重したいんだ。これくらいの試験、軽く乗り越えられるようでなければ弟に相応しくない」
「どちらも似たようなものですよ。私の恋人のお兄様も、そういう試練を出してくれればいいんですけれどね。私の義理の兄が、ギルバートさんだったら良かったのに」
「弟の婚約者が君だったならば、元より反対しない。…………一度、僕の弟と会ってみないか?」
本気で交換しようとしてない?
私はパトリック一筋だ。それにギルバート弟は女性の趣味がいささか悪いので、私を気に入ることはないだろう。
「嫌ですよ」
「無理を言った。君とあの女は、外見だけなら似ているのでつい」
似てるのか。例の女性のトンデモエピソードを聞いているので、あまり良い気分ではない。
「ちゃんとした理由があるにせよやりすぎですよ。普通の女性に軍の指揮は荷が重いです」
「指揮? アッシュバトンの大事な兵を、アイツに使い潰されてなるものか」
「レムレストに負けたと思わせなきゃいけないんですよね? 軍隊なしでやるのは無理では?」
端から成功させる気がないとしか思えない。弟さんの選択を尊重したいという言葉が嘘とも思えないし……。
ギルバートさんの考えを読めずにいると、彼は振り返らずに言った。
「そうだな、普通の人間ならそうだろうな。……いまさら君を疑っているわけではない。しかし、その質問は作戦の核心部分だ。現地に着いてから説明しよう」
大事なところがお預けになったまま、私たちは街道を進む。
会話が無くなり、ギルバート氏は歩くペースを上げたので私も合わせる。
周囲の代わり映えしない景色に飽き始めた頃、彼はピタリと立ち止まった。
「そろそろ休憩しよう。君も疲れただろう」
「分かりました」
「それにしても、よくついてこられたな。途中で音を上げると思っていた」
全く疲れていないです。普通の人の小走りくらいの速度だったけれど、ある程度レベルを上げた人間なら息も切らさずに歩けるくらいだと思う。
ユミエラバレを回避するためにも、これ以降はちょっと疲れた雰囲気を出しておくか。





