実力
「来たか」
唐突に渋い声が聞こえた。上階からマスターが下りてきたみたいだ。戦場じゃないんだから気配を消さないでほしい。ただでさえ死角が広いのに急にこられると身構えてしまう。俺の若干強張った体を見てマスターが微かに笑う。そのまま俺を通り過ぎて男のもとへ向かった。二三言葉を交わした後、こっちに近づいてきた。
「こいつらがお前の指導に当たる。カインとキールだ」
それぞれ俺たちを指して紹介される。
「カインですーよろしくー」
「よろしく」
俺はにっこりと、キールは態度をやや軟化させて言った。
「さっきはありがとうございました。アベルです。こちらこそよろしくお願いします」
アベルと名乗った男は頭を下げる。右巻きのつむじが無防備に晒されている。今なら簡単に手をかけることができる、そう考えが浮かんだがマスターに探るような目つきで見られていた。すぐに考えを振り払う。
いくらなんでも観衆の目前でそんなことはしないけれども少しでもマスターに気取られると動きにくくなる。俺がアベルをどう思っていようと害意がないことだけは示さなければならない。
「頭上げてよー。印持ちに頭下げられる人間でもないからさー」
眉尻を下げて困った顔で言う。アベルは素直に顔を上げると喜色をたたえていた。
「冒険者の人って怖そうな人が多いから俺の先生になってくれる人もそうだろうなって思ってたんですけど、カインさんが優しそうな人で良かったです」
人当たりよく対応しただけで優しそうだって!ちょろすぎでしょ。特に初対面の人なんて何も知らないのにすぐに判断してちゃこの先の人生苦労しそう。ほら、きみの背後見てみな。マスターが微妙な顔してるから。
「俺、怖い人だよ?キールのほうが優しいと思うよー」
忠告ともわからない忠告をして、ちらっとキールをうかがうとアベルも釣られてそちらを見た。視線を集めたキールはそっぽを向いてしまった。マスターもいるんだからもうちょっと愛想よくしときなさいって。
「ごめんねー。今日機嫌悪いみたいでさー悪気はないからね?」
機嫌が悪い原因はまさにアベルなのだけど。そんなこと知らないから納得してくれたみたいで一度頷くと俺に向き直った。
キールは会話に加わる気がないので仕方なく話題を切り替えて話を進める。
「そうだ。ちなみに印ってどこのー?目…じゃないよねぇ」
印が出現する箇所は左右の目、手の甲、足の甲。金の神と銀の神の体が闘争の果てに砕け散り、二柱の両目両手両足がそれぞれの眷属に降り注ぎ人々に宿ったそうな。体の一部を宿した者には、自身の持つ神の一部と同じ個所に神を表す文字――印として死ぬまで刻まれる。肉体が滅びた印は眷属の中から再び宿主を選び移ろう。
今代で発見されている金の神の印持ちは右目と左足の二人。アベルの印は左目には見受けられない。それ以外だ。
「はい、右手にあります」
言いながら俺に右手の甲を差し出してくる。そこには薄くもなければ濃くもない一つの字が金色で刻まれていた。金の神を表す神代文字。それを認識した瞬間、周囲の音が消えた。
『コロス…』
……?何?今の。誰か喋った?
気づかれないように見回す。右手を見せるアベル、後ろにマスター、どこか違う場所を見ているキール、ロビー、ギルドの入り口。変わった様子はない。だったらはっきり聞こえた声はどこから…?
もう一度印を見る。声はしない。なんだったんだ。気になるが、黙ったままでは訝しまれる。
「うおーほんとに印だー」
「初めはしみだと思ってたんですけどだんだん字が見えるようになって、これです」
「しみと勘違いって笑えるー」
「ですよね。自分でも笑いますよ」
適当に会話しながら頭の中はさっきの声のことについてだ。おそらく声を聞いたのは俺一人。あんな物騒なセリフ、全員に聞こえてたらこうして和やかに話すどころではないだろう。では、どうして俺だけ聞こえたのか。わからない。けど、謎の声もこいつのこと嫌いなのかな?コロスって言ってたし。じゃあ俺にとって悪いものじゃないな。
「偽物って疑われたりもして結構大変でした」
「いっぱいいるからねーばれるのに嘘つくやつー」
『ニセモノ…ニセモノダ…』
また聞こえた。そして沈黙。偽物って言葉に反応したようだ。
こいつの印が偽物?でもきちんと祝占師に視てもらったから確かだとか。ちょうど今話している。
「おいお前ら、くっちゃべるのもいいがやることあんだろ」
会話の切れ目を狙ってマスターが割って入ってきた。謎の声のことは一旦忘れよう。
「っす。じゃあどれくらい戦えるか見せてもらおっかー。鍛錬所って誰も使ってないっすよね?」
「ああ」
初日にすることと言えばこれだろう。表向きはちゃんと指導するつもりだから、腕前がどの程度なのか見ておかないと今後の予定も立てられない。
立ち上がってアベルに問いかける。
「剣でいいかな?」
「はい」
「練習用の木剣あるからそれでキールと模擬戦してもらうねー」
武器として一般的な剣で剣術や身体能力を測り、そのあと魔法の素質を見させてもらう。印持ちとて初めから人外というわけでもない。もとは普通の人の体。強くなる上限が人より高く成長が速いというだけで結局経験がなければ強くならない。また、得手不得手も個人のよるものなので印の持つ箇所によって違ってくる、というものでもない。
さあ移動しようとギルドの裏にある鍛錬所に足を向けたら、アベルが待ったをかけてきた。それからギルドの入り口に行くと、誰かを呼んで連れ戻ってきた。女だった。女を迎えに行くついでに散れと言ったのか、観衆が帰路につき始める。
「妹も一緒にいいですか?」
「すみません。待ってるって言ったんですが…」
妹と言われた女は確かにアベルと似ている。背中まである銀髪に深い藍色の瞳。アベルも整った顔をしているが妹も負けず劣らず美人である。きれいな顔と鈴を転がすような声音はなかなか俺の嗜虐心をくすぐるものだ。
「俺はいいけどー」
犯したいなどと思っていることを露ともさとらせず、この場の最高決定者であるマスターを仰ぎ見る。
「いいぞ」
「ということでいいよー」
「ありがとうございます!」
「兄がわがままを言ってすみません、ありがとうございます」
そうして、イネスと名乗った女を加えてロビーを後にする。受付横のドアを抜けて、廊下を跨いだ正面が鍛錬所だ。裏庭に作られた場所は四方を建物に囲まれているものの広々としている。脇には木剣が立てかけてある。それをキールとアベルが手に馴染ませるように振っている間に俺は裏庭をぐるりと歩いて行く。出発点と到着点を繋いで止まる。不思議そうにする銀髪兄妹が俺を見ていた。キールはすでに中央付近にいて、いつでも開始できそうだ。
「カインさんは何をしたんですか?」
「すぐにわかるよー」
首を傾げるアベルを俺が歩いた線より内側に入れて、自分は始終点の外側へ。右足を始終点で踏みつければ、俺が歩いたところを逆に辿るようにに終点から出発点に向けて結界が展開されていく。念のための結界で魔法戦ではないから上部は閉じずに建物の高さまで伸ばしただけのもの。結界自体は透明でも景色がぶれて見えるからどこにあるかわかりやすい。
「キール、手加減してやれよ」
「わかってます」
「ええ!なんですか!この魔法!」
俺が使った魔法を見知っているマスターとキールが結界を気にせず明らかに侮っているやりとりをしているのに、アベルはこの結界に驚いて聞いてない。
「跡魔法」
キールが騒ぐアベルに簡潔に答えた。アベルがまた不思議そうな顔になる。
「跡魔法…?」
「そうだ。肝心な時に使えない魔法」
おおう。使えないとはなんだ。今現在使っているのだから使えないってことはないと思うんだ。
「跡魔法なんて初めて聞きました」
「そりゃこいつしか使ってねーからな。原理はわからん」
「頭の中まで筋肉のマスターが理解するのは一生無理っすよー。いって!」
失礼なことを言われた鬱憤をイネスと話していたマスターで晴らすと拳骨をもらった。
「結界を張っただけだ。気にすることはない」
「そんなこと言われても気になるけど、今はこっちに集中します!」
無駄話は終わりだとばかりにキールが構えて、アベルもそれにならう。
「兄さんは村で一番強かったんです!だから勝てなくてもいいところいくと思います!」
いよいよ始まるということでイネスに力が入っている。
「じゃあ合図するよー」
始まる雰囲気になってしまったので拳骨をもらった涙目のまま声を張り上げる。
「はじめー」
我がことながら緊張感がまったくない伸びた声で二人は動き出した。
先に駆け出したのはアベル。馬鹿正直に真正面からキールに突っ込んで行く。迎えるキールは半身を引いて、アベルを見据えて待ち構える。上段から振り下ろされる剣をキールは片手で簡単に受け止めた。そのまま横薙ぎにしてアベルをいなす。
「こんなもんか?」
「まさか!」
体勢を立て直したアベルがもう一度、さっきより速くキールに突撃する。剣を振りぬく速さも増しており、さまざまな角度からキールを攻めていた。
「強化、使えるんだな」
「それくらい使えなきゃ話になんないっすよ」
魔力を腕に通わせて徐々に加速していく剣戟。しかしことごとくをキールに弾かれている。何度打っても涼しい顔のキール見て、焦ったアベルがここ一番の速さで背後に回り込む。
「あーあ。もう終わりっすねー」
俺の呟きが言い終わると同時に決着する。キールの右から背後に回ったアベルを、キールは左に体を回して回転力とアベルが飛び込んでくる力を利用してその胴を木剣でしたたか打ちつけた。あまりの衝撃に声もなくアベルが地面に転がる。
「やめー」
「兄さん!!」
イネスが兄のもとへ行こうと終了の合図を告げる俺を通り過ぎる。その体が結界に触れる前にそれを解いた。物理結界だから人も弾くというのに危ないな。
俺とマスターもイネスを追い、ついて行く。
「ありゃー基礎からやらんと駄目だぞ」
「っすねー。筋はいいんすけどね、他は全然っしたから」
思案気なマスターに同意し返す。一言で言うと弱い。それだけ。冒険者としてなら駆け出しに毛が生えた程度だ。せめてキールを開始位置から動かしてもらわねば話にならない。見た感じ、近接戦が苦手なケルルにすら勝てなさそうに思えた。