邂逅
数日後。いつものようにギルドのソファでごろごろしているとマスターに呼ばれた。キールは俺のお使いに出ているから俺一人で対面する。
「頼みがある」
「すんません。依頼が溜まってて無理っすー」
「お前に新人冒険者の面倒を見てほしい」
「無視っすかー」
嘘をついて拒否する俺が見えないかのように、神妙な面持ちで机に肘をついてマスターは続ける。
「ただの新人じゃねぇ…印持ちだ」
一拍置いて勿体ぶったところ申し訳ないが知ってた。マスターが領主に呼ばれた日に盗み聞きしていたしコロナからも同じことを聞いた。でもこの情報は極秘。知らなかったふりをしなければ。
「へぇー。見つかったんすねぇ。平民?名乗り出たんすか?」
「らしいぞ」
「そりゃ勇敢なことで」
今時貴族や士族でもない限り印が現れても名乗り出る者は少ない。領主に担がれて魔獣駆除やら戦やらに行かされる。そんなの誰が好き好んでやるんだっての。ちなみに貴族や士族で印持ちがいた場合はそれはそれは大々的に宣布される。印持ちがいるだけで家の社会的地位が上がるのだ。だから今回の印持ちは貴族や士族ではないと言える。ここ最近印持ちが現れたなんて耳にしてないから。であれば、件の新人は平民の出身だろうと見当がつく。冒険者志望でもないなら怖いもの知らずにも程がある。
「で、なんで俺が面倒見なきゃなんないんすかー」
できれば関わりたくない。コロナの情報によると絶対に俺とは相容れない人物なんだもの。マスターも少しは俺の性格わかってるからその辺考えてくれると思ってたのに。
「新人指導もギルド付きの仕事の内だろ」
「えーえーやだー。んなもんやんなくても適当にやってけるっしょー」
「うるせー。ぶっちゃけると領主から言われたんだよ。だからやれ。わかったか」
ギロリと睨まれて押し黙る。街最強のおっさんに本気で睨まれたらさすがに怖い。
「いいか。俺だってお前にやらせたくねぇ」
「だったら…」
「ギルド付きはこの領にこの街にしかいねぇ。さらに領主のお膝元だ。領主の役に立つようしっかり育てろとお達しだ」
なら領主の私兵にでもなんでもしろと言いたいが、平民から印持ち手駒にすると外野がうるさい。なので、表向き冒険者所属にして有事の際に助力を乞うという形で扱き使う。
「野放しにして死なれちゃあ困るんだよ」
冒険者ギルドは領の承認なくして運営できない。その性質からあまり逆らえない現状がある。自由を謳うギルドがそれでいいのかと思うけど権力ってのは如何ともし難いものである。世知辛い。
「…拒否権ないんすね?」
「諦めろ」
「はぁー…わかりましたよー。どうなっても責任は持たないっすよー」
「責任は持て」
わかってたけどいざ面倒見なければならないと突きつけられると気が重くなる。そもそも指導とか性に合わない。キールに任せよう。そうしよう。しょうがないからいつもの雑用は俺がやる。これなら文句は出まい。
今後の方針を決めているとマスターが一枚の紙を取り出す。その紙を見て一瞬思考が止まる。
「信用ないっすねー、俺」
「信用はしている。信頼はしてない」
えらく真面目な表情で言われて思わず笑ってしまった。マスターが嫌そうな顔になる。
契紙。古くからある簡単にできる契約魔法。契約の神に誓う魔法。特殊な製法で作られた紙にこれまた特殊なインクで契約内容を書くだけで完成する。あとは契約者の署名を特殊なインクで書き込めば契約はなる。破った時の罰則は契約内容に記されている。
漏れそうになる笑い声を殺してマスターを見据えた。まだ会ったこともない人間を守りたいか。俺が今は大人しくしてるからってぼけずに先手を打ってきたんだ。いいだろう、乗ってやる。
「いいっすよ。俺が信じられない人間なんて自分自身が一番よくわかってる」
「あのなぁ、俺だって信じてやりたいんだよ」
マスターのいる机に近づいて契紙を確認する。紙自体の質はごわごわしていてあまりよろしくない。紙にうっすらと大きく契約の神を意味する一字の神代文字。肝心の中身は要約するとマスターに嘘をつくな。破れば右目の視力を奪う。契約期間は新人がここを去るまで。罰則がなかなか厳しいけど内容は緩くない?
「嘘をつかないだけでいいんすか?」
「俺が見張っていれば大丈夫だろ。これはあくまで念のためだ」
「そっすか」
ためらいがちに差し出されたペンを受け取り、サインした。何も変化は起きない。しかしサインしたからには契約は成った。目に見えて変化がないから軽く見られるかもしれないが、これからはマスターに嘘をつこうものなら俺の視界は閉ざされることになる。
「じゃ、早速聞くが依頼が溜まってるのか?」
「あいつらにやらせてるんでそんなにないっすよー」
最初についた嘘を暴かれる。見え見えの嘘だったけど。こんなつまらないことさえ嘘をつけないとは早まったかもしれない。マスターは素直に真実を口にした俺に鷹揚に頷いた。
「よし。明日、領主から正式に発現者が発表される。そのあとここに来る予定だ」
「俺、今日聞かされたばっかなのにずいぶん急なんすね。なんも準備できないっすよ」
「領主サマにもいろいろあんだよ。必要なものがあればギルドである程度用立てしてやるから気にするな」
深追いするなと。まあ十中八九権力絡みだ。どうでもいい話といえばどうでもいい。こちらに被害がなければ好きにしてくださいという感じだ。
「話は終わったから戻っていいぞ。あ、キールにも今の話しとけよ」
マスターが疲れたように椅子に深くもたれる。領主は領主、俺は俺でマスターの心労が絶えないね。
「どんなやつが来るか楽しみっすねー」
あくどい笑みを作るとマスターの顔が歪む。頼むから問題は起こすなよ…という呟きを背に俺は部屋から出た。
さて、やってまいりました運命の日。
先ほど領主から印持ちが現れたと広場で発表され、街が浮ついた空気になっている。こたびの印持ちが平民出身ということで人々は親しみを覚えて大いに盛り上がっている。上流階級相手じゃ話しかけるどころか、見ることもそうそうないから冒険者になり身近にいてくれるっていうのはやっぱり嬉しいものらしい。
人を作りたまいし神の一部をその身に宿す人間。信心深いというわけでもないけれど、神の存在を信じて疑わない人々は印持ちに畏敬の念を持つ。仇敵スリアニアンと最前線で戦い、ときに強大な魔獣を討ってきたかつての印持ちはまさに英雄と呼ばれるにふさわしい。
今でこそスリアニアンと休戦し、印持ちの主な役割は魔獣狩りとなっているが未だに英雄視されている。
「この気持ちに名をつけるとしたら恋かなー」
「いきなりなんだよ気持ち悪い」
英雄殿の到着を寝転がらずにちゃんと座って待っている。キールは左側のひじ掛けに浅く座っているようだ。浮ついた空気に当てられてか、心の声がうっかり外に出てしまい、見えない左から痛い視線を感じる。
「いやー心待ちにしていた相手にやっと会えると思うと、ね?」
「ね?じゃねぇよ。うぜー」
「キール君嫉妬してるー?私がいながら目移りしてー的なー?」
「早急に死ね」
キールがイライラしている。いつも口が悪いけど今日は輪をかけてひどい。死ねまで言われるとは。
「…そろそろ来るね」
喧騒が近づいてくる。すっころんで死んでくれないかな、という浅はかな願いも空しくとうとう到着した。銀髪の男だった。やつはギルドに足を踏み入れた。入ってくる直前、一緒に入ろうとするついてきた住民を止めたのは評価してやる。
「こんにちわー」
馬鹿なの?ギルドに入っただけで挨拶ってなんなの?
昼前の時間にギルドにいるのなんて職員かいい依頼が見つからなかった冒険者くらいなので閑散としている。そんなギルドロビーで人の少ない上に入り口正面という好立地にいる俺と目が合うのは必然だろう。ばっちり標的にされた。
様々な人の視線を受けながら煌めく銀髪を風に遊ばせて近づいてくる。人好きのする笑みを湛え話しかけてきた。
「こんにちわ」
「こんにちわー」
「……」
「えーっと、冒険者ギルドに登録しにきたんですけど…」
挨拶を返さないキールに戸惑いつつ用件を伝えてくる。イライラしているとはいえ愛想よくできないかね、キールは。我関せずなキールが役に立たないから仕方なく左を向いて、受付を指さす。見えた受付の職員が肝を冷やしながら見ている。俺が何かしないか心配してるんだろうけど魔獣ではないんだから突然襲ったりしないぞ。
「あそこでするんだよー」
「あっ…すみません…」
教えてあげたのになんで謝る。意味わからんと藍色の瞳を見上げる。きらきらと光を放っているのかと錯覚するほど澄んだ目をしていた。きれいなものしか知らない瞳。これからの人生が光あふれるものになると確信している瞳。
直感した――嫌いだこいつ。
前情報でどんな人物か大まかに知っていた。だから心構えもしっかりしていた。でも実際対面すると、くるものがある。
「あの…」
俺が黙ったものだから不安そうになる男。気づかれないようにふっと息を吐き出して、笑顔の仮面をはりつける。
「どうしたのー?いきなり謝ってくるからびっくりしたー」
「あ、左、見にくいですよね…なのに俺、見ればわかるのに…」
しどろもどろ言う姿に唾を吐きかけたくなる。とりあえず一旦離れてほしい。そうしたら落ち着くから。今は行動のいちいちが鼻につく。
「怒ってねーからさっさと行け」
怒ってる。怒ってるよ、キール。でもありがとう。他人が怒っているのを見ると冷静になるよ。
「早く行ってきなー。受付が待ってるよー」
「あ、はい。すみません。行ってきます」
そそくさと去っていく銀髪男。見送るついでにキールに目を向けると鋭い目つきで男を見ていた。
「俺は無理だぞ、あんなの」
「まあまあそう言わずにー。まだ初対面だしね?」
「そうは言うがな」
そこまで言って、視線をこちらに移した。
「お前は我慢できるのかって話だ」
「んー…今のとこ保留、かなー」
チッと舌打ちされた。煮え切らない俺にいら立っているな。でもさ、今回ばかりは後ろに領主とマスターがいるんだよ?短絡的に動くとこっちが危ない。その辺の烏合の衆を仕留めるのとはわけが違う。
殺気立つキールを宥めるように一段と声を潜めて言う。
「一応、仕込みはしてる。焦ることはないよ」
改めて受付にいる男を見る。マスターを先手を打って俺を牽制したように俺も手を打っている。第一印象でだいぶ腹の内は決まったけど、まだ見逃してあげる。
自然と口角が上がっていくのを自覚しながら受付の男を見る。手が出せなくてじれったい。しかし抑えなければならないこの感情。
「やっぱり恋だよ」
「悪い顔して言うことじゃないな」
その悪い顔を見て嬉しそうにするほうもどうかと思う。
「キールは俺の恋、応援してくれるよねー?」
「ああ。精一杯応援してやるよ」
冗談めかして笑う俺たちの視線の先で、恋の相手は無事に登録が終わったようだった。