寝覚め
初投稿です。よろしくお願いします。
誰にでも嫌いなもののひとつやふたつはあると思う。それを自分の周囲から排除したいと考えるのも普通であろう。例えば虫。あるいは魔獣。目の届かぬところにいればそれ程気にしないが一度視界に入ると躍起になって消してしまいたくなる存在。なぜ嫌悪するのか問えば気持ち悪いから人間を襲うから、と当然の如く返ってくる。
虫や魔獣のように負の感情を抱かせ、害なす存在を人間は許せない。
だから自分もまた許せなくても仕方ないのだろう。誰からも理解されないとしても、自分の近くにいるというだけで消したくなる。めちゃくちゃに壊したくなる。
でもそれは仕方のないことだろう。人間の性なのだから―
近くてしていた話し声がとまったので、遠いところの喧騒を子守歌に少しの時間まどろんでいるとドンと全身が揺さぶられた。今寝そべっているソファに誰かがぶつかりでもしたんだ。そう思って再び睡魔に身を委ねた…ところで今度は頭に衝撃を受けた。こめかみをぐりぐりとこぶしで抉られるのに耐えきれず、閉じていた目を開ける。
筋肉ムッキムキのおっさんがいた。となるとさっきのソファへの一撃はこの人か。半眼で俺を見下ろす姿は刈り上げた頭髪と鋭い目付きと相まってなかなか凶悪である。
知り合いであるからびびったりしない。
「いってぇ…」
起き上がるまでやめてくれないと判断して小さく呟きながら身を起こす。ついでにさり気なく手も退けさせた。寝ていたせいで視界が少し霞んでいたので二、三回まばたきをする。同時にずれていた左目の眼帯を正して、うんオッケーだ。
「――――!!!」
「うん?」
おっさんが何やら喚いているがこんなに近くにいるのにはっきり言葉として聞こえない。まだ若いつもりだが難聴になってしまったのか。昔住んでいた家の近所のじいさんが難聴だったな。難聴の本人は聞こえ辛いわ周囲の人は大声出さなきゃならんわで大変そうだった。他人事なので笑って見ていたが。
もし自分がじいさんの仲間入りをしたならば早急に手を打とう。聴覚に働きかける魔道具なんてあったっけ。なにぶん今まで必要ではなかったものだ、そんな道具のことなぞ気にしたこともない。そうだ、あいつに聞いてみよう。あいつの家は確か魔道具店だったはずだ。
と、ぶっちゃけおっさんの怒声を聞きたくないからしょうもないことを考えていたけど一息にいろいろ喚いたおかげか、おっさんは肩をいからせながらも一旦口が閉じた。その様子を確認してから両手でそれぞれの耳に指をつっこみ栓を抜く。柔らかい綿詰の耳栓であるが中に遮音効果を施した魔石が入っており、完全とはいかないが結構音を遮ってくれる優れものだ。事実おっさんの言うことは一言もわからなかった。
「どうしたんすかー?」
胡坐をかいてゆったり問う。しかしおっさんは問いには答えず耳栓を見ながら頬を引きつらせていた。
「てめぇ…」
語気弱く脱力したおっさんを眺める。この人は短気だ。けれどわりとすぐに怒りが収まる。職業柄気性の荒い輩が多いが、そいつらをまとめているだけあって同業の中では冷静と言っていい部類だと思う。もちろん、実力あってのまとめ役。腕っぷしもこの街に太刀打ちできる奴なんかいない。
「マスター。疲れてるなら休んだらどっすかー?戻ったばっかでしょ?」
「誰のせいで疲れてると思ってるんだ」
領主のせいだな。だってこの時間に俺がここの留守番してるっていうのもおっさんもといマスターが領主に呼び出されたからである。領主とは直接会ったことないからわからんが、お偉いさんに会うのは面倒と相場が決まっている。気疲れもするさ。
「違うからな。お前のせいだからな」
違ったらしい。そして俺の心を読んだな。侮れん。
「俺?」
「そうだ!俺は言ったよなぁ!留守を頼むと!」
俺の態度に怒りが再来したのか声を荒げた。それにしたって何をそんなに怒るのか。たまにマスターが所用で夜に出かけなければならない時に留守番を頼まれるのだが、寝て過ごして文句など言われたことはない。することといえば、緊急時にマスターに連絡することくらいだ。
さて、となると緊急事態なのに眠りこけていた俺に怒っているというわけでもない。だってそんなことになっていたら悠長に俺を怒鳴りつけているわけがない。辺りも静かだし何も起きてな……あれ?静か?
夢との境界をさまよっていた時はそれなりに騒がしかったはずだ。それが今や静寂に包まれている。おかしい、と思い起きてから初めてマスターの背後――酒場になっている方へ右目を向ける。惨状があった。
「あちゃー。ひどいっすねー」
立ち食い形式なので椅子こそないが丸テーブルがあっちこっちに転がり、乗っかっていただろう料理や食器も床にぶちまけられていた。食器が木製だから割れなくてよかったね。
また、床に転がっていたのはそれらだけじゃなくて人間も二十数名、青年から壮年、男も女も仲良く伏していたのだった。
「そうだろそうだろひどいだろ。てめぇが起きてればここまでにならなかったはずだがな」
「いやぁ照れるっすー」
「褒めてねぇよ!」
マスターは、はあぁと盛大な溜息を吐いて仕切り直すように言った。
「理由は知らんが帰って来たら大乱闘してんじゃねぇか。止めるのがお前の役目だろ」
「俺にこんな野蛮人どもを止めるなんて無理っすよー」
「ほざけ!」
なるほど。誰かわからないがしょうもない理由で喧嘩し殴り合いに発展、そして関係ない奴らも酒が入ってることもあり面白がって乱闘に参加しだんだろう。そこに帰ってきたマスターがブチ切れて全員のしたに違いない。彼らが自重とか自制心とかいうものを持ち合わせていればシメられることもなかったろうに。
軽口を叩きながら馬鹿だなぁ、という面持ちで見ていればバシンと思いっきり頭頂部をはたかれる。まじで痛い。俺の素晴らしい形の頭蓋骨が変形してくれたらどうしてくれんだ。
抗議の視線をマスターに送ると無言で酒場へ顎をしゃくられた。後始末をしろというのか、嫌だ。めんどくさい。首を横に振る。ビキッと青筋が浮かぶのがありありとわかる。
これはダメかもしれない。普段なら少しごねれば多少の用件は別の人間に頼むんだけど。どうやら腑に落ちないが現状は俺のせいらしいから逃がす気がないようだ。それに沸点が低くなっていてすぐに鉄拳が飛んできそうで鬱陶しい。
仕方ない。マスターが戻ってきたらさっさと家に帰って寝なおすつもりだった。予定は少し先に延びそう。
組んだ足を床に下ろして立ち上がる前にぐっと体を伸ばす。ついでにあくびも出た。どっこいしょと重い腰を上げていざ行かん、兵どもが夢のあとへ。
マスターはさっきまで俺が寝ていたソファに陣取り、隙を見計らってばっくれる気だった俺に釘をさしてくる。
「カイン。きれいになるまで帰さんからな」
「…へーい」
気のない返事をしてから、なぜか伸びていた酒場の主であるおやっさんを叩き起こして夜深くまで掃除するはめになったのだった。
面倒なことも多いけれどなんだかんだここの生活が気に入っていた。自分の性分からすれば穏やかな毎日だったと思う。そんなぬるくさい生活に飽き始めていたころにやつらは現れたのだった。