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Cerberus  作者:
2/3

錆びた歯車1

 周りは火の海、熱い空気が肺に入る。


 体中、汗が出るほど熱い。なのに、何故か頭だけは冷たい。思考が吹っ飛んで、血の気が引いていっているようだ。真っ白な頭の中で、ただ一つ。今朝学校に行く途中、交友関係があまり広くない自分にとっての貴重な親友との、他愛無い会話の内容だけが頭を巡っていた。


「―――サーベラスって、知ってるか?」

 ごうごうと燃え盛る炎に包まれながらも、目の前の人間は余裕の笑みで俺を見下ろしている。


 大学生ぐらいだろうか。自分より格段に大人びたその人間は、一見は駅などに屯っていそうな、ガラの悪い男であった。が、決定的に違うところがある。

 目の前の男の目には、狂気が見え隠れしていた。

 まるで、人をうっかり殺してしまいそうな。


 こんな人間には、会ったことがない。


そして、もう一つ。

もし、見間違いではないのなら、この男は―――ここら一帯を呑み込んでいる炎を"操っていた"。



数時間前。


「え、何あれ」

高校に行く途中、珍しく遅刻せずに余裕をもって歩いていた玲哉は、ある人だかりを見つけた。人だかりだけではない。もう一つ、見慣れない集団が見えた。真っ黒なローブを纏った人間が、数人見える。

真っ黒なローブは全身を覆っていて、なんだか気味が悪い。


「え、もしかしてあれ…」

隣で、こちらも珍しく遅刻せずに玲哉と合流した、幼馴染の優樹が声を上げた。


「”サーベラス”…じゃないの?」

「は?”サーベラス”って、あの?」

サーベラス、噂ではよく聞く名前である。


国が認め、今や警察と同様の、治安を守る正義の組織となりつつある。

新聞やニュースでも、今や有名な組織ではある。だが実際は、噂ばかりが広がり、実体はよく知られていない。


実体がわからない、謎のヒーローの存在を知らされた大衆は、口々に噂をする。

何やら普通ではない力を持つ、化け物集団。

怪しい教えを吹き込む、宗教団体。

国を乗っ取ろうと企む、犯罪組織、など。


何度も言うが、実体は知られていない。


「なんか、怪しい雰囲気あるじゃん」

「た、確かに…」

「ちょっと行ってみようよ」

「あ、ちょ、待て…!」

人だかりに吸い込まれるように駈け出した幼馴染、好奇心に負けて玲哉も後に続く。


人だかりは既に百人ほどに及び、何かのイベント状態だった。人だかりは、取り壊しが確定していた廃ビルの出入り口を囲んでいた。


「あの」

「ん」

「ここ、何かあったんですか」

優樹が、野次馬の一人に声をかける。


野次馬の男は、話しかけてきた優樹と隣の玲哉を見ると、声をひそめた。

「ああ…なんでも、大量に人が死んだらしい」

「え」

玲哉が、驚きを隠せずに声を漏らす。


「君ら、サーベラスって知っているか?今回の事件、どうやらその組織が絡んでいるらしくてさ。真っ黒なローブ被っている奴ら、見えるかい?あれが、サーベラスの人間だ。今回の事件の死体を回収しに来たんだと。皆、物珍しくて集まったってわけよ」

「なるほどねぇ」

優樹は頷くと、玲哉の顔を見た。

笑顔のところを見ると、満足のいく答えを得られて嬉しいらしい。


優樹は昔から、そうだった。

好奇心旺盛で、何でもかんでも気になるらしく、あっちへ行ったりこっちへ行ったりする。そこが玲哉としては、羨ましくもあった。


けれど、後になって思い返してみれば、無理矢理にでも優樹のこの好奇心をへし折ればよかった。そんなことが、頭を過ってたまらない。


ざわっと野次馬たちがざわめき、何事かと周囲を見回す。

すると、人だかりが一斉に動き出した。

「え、なに、なに…」

玲哉も、流されるように人だかりと共に動いた。


廃ビルの出入り口から、人が出てきたのである。大きな袋をそれぞれ俵担ぎした、真っ黒なローブの人間が、五人。

そして、人だかりを端へ寄せて道を作る真っ黒なローブが、二人。

計七人が、人だかりが避けた道を悠々と抜ける。


途中で、携帯電話のシャッター音が何度か聞こえた。

「うわ、勇気あるな」

隣で優樹が呟いた。

確かに、話題としては一級品であるが、写真を撮ってサーベラスの人間に目をつけられでもしたら、と思うととてもそんな気分にはなれない。


去っていく七人。その内五人は、灰色の大きな袋を持っている。”あれ”にはきっと、死体が入っているのだろう。そう思うと、気分が悪くなる。

野次馬たちは、去っていくローブの集団を目で追っている。

優樹も、同様に。


しかし、玲哉だけは目を離した。

得体の知れない存在の、気味の悪さ。

まさにそれが、好奇心に勝ったのだった。そして、その慎重とも言える性格が、玲哉自身を巻き込んでいくとも知らずに。


目を離した玲哉は、廃ビルの出入り口に視線を移した。

「あ、れ」

七人ではなかった。


「…ッ」

もう一人、いたのだ。

野次馬たちは、相変わらずローブの集団を見ている。

視線は、廃ビルの出入り口とは逆方向。


しかし、玲哉だけは”その人”を見てしまった。


真っ黒な服、であるが、ローブではない。

袖のない真っ黒なパーカーを着た、青年。線が細いからか、サイズが合ってないからか、パーカーが大きく見える。

深く被ったフードからは、真っ白な髪が見えた。その真っ白な髪の下から覗く金色の瞳が、玲哉の目を見た。


「!?」

目が、合った。がっつり合ってしまった。


玲哉は、反射的に目をそらす。暴れた心臓が、なかなか落ち着かない。

金色の、瞳。

一瞬見ただけだったのに、深く印象に残った。吸い込まれそうなほど綺麗で、しかしどこか冷たさを感じる瞳だった。


「え…」

もう一度見ようと、再び視線を向けた。

しかし、そこにその青年はいなかった。


「あ」

玲哉は、はっと我に返る。

「おい、ユキ」

「え、何?」

未だに視線を外せない優樹の肩を掴んだ玲哉に、優樹は渋々玲哉に視線を戻す。玲哉は、携帯電話の画面を優樹の目の前に出すと、顔をひきつらせた。


「ち、こ、く」

玲哉と優樹は顔を見合わせ、一斉に悲鳴を上げた。



「―――で、放課後、裏庭掃除を任されたってわけ?」

くすっと笑ったのは、玲哉の数少ない友人の知里であった。


裏庭の隅で、玲哉と優樹を楽しそうに眺めている。

「見てないで手伝えよな」と優樹は不貞腐れるが、知里は笑って誤魔化すだけだった。


黒縁眼鏡に黒髪の知里(ちさと)は、優等生であった。物腰柔らかでありながら、知的な雰囲気を纏う知里は、入学してから学年一位の成績を保っている。

ちなみに、玲哉も優樹も下の中(たまに下の下)である。


「今日は、余裕だったんだよ。なあ、レイ」

「そうそう、ちゃーんと余裕をもって学校に向かったんだよ」

優樹の言葉に頷いた玲哉は、口を尖らせた。


「ちっくしょ、ユキがつられてなきゃ…」

「レイだって興味津々だったじゃんッ」

玲哉と優樹を交互に見た知里は、二人を宥める。


「ふうん、何かあったの?」

「サーベラスって知ってるか?」

「サーベラスって、あの?最近、有名になりつつあるよね。この前なんか、立て篭もっていた銀行強盗をたった五分で片づけた…って、ニュースで言ってた。警察より、有能なんじゃないかって皆騒いでるよね。僕は、その分得体が知れなくて気味が悪いと思うけど」

知里の言葉に、玲哉は頷いた。

「今朝、そいつらを見たんだよ」

「へえ、珍しい」

知里は、目を丸くする。


「サーベラスって、実在したんだ?新聞では写真も載らないし、テレビにも映らないよね。ネット上での目撃証言では、真っ黒のローブを被ってるって聞くけど、それだって定かじゃあないし」

「いや、実際そうだったし…」

優樹が、顎に手を当てる。

「なーんか、気になるんだよなぁ」

「何が?」

知里が首を傾げる。

優樹は知里に訊かれ、考え込んでしまう。やがて、顔を上げると言った。


「あ、そうだ。サーベラスって、正義の味方だって認識だったんだよ、俺。けど、ちょっと違うのかもしれないな。雰囲気が怖かったし…人を、殺すみたいだしさ」

その言葉に、思い返した玲哉も賛同した。


実際に、ニュースで聞くサーベラスは正義の味方そのものだった。

人助けをする組織、警察官と同等の組織。

謎に包まれながらも、功績を積んだサーベラスは、確実に人々の心を掴んでいた。


しかし、今朝見たサーベラスは、ニュースなどで得る印象とは少し違った。

もしかしたら、相手は犯罪者であったかもしれない。

サーベラスの人間に担がれていた袋の中の死体は、超がつくほどの凶悪殺人者だったのかもしれない。

けれど、ヒーローであるはずの真っ黒なローブの集団に、少なからず玲哉は、息を呑むほど冷たい印象を受けた。


そして、最後に出てきた八人目の人間も―――”普通”の人間ではないような、そんな気がしてならないのだ。


はっと我に返った玲哉は、あることに気付いた。

いつも穏やかで、柔らかい笑顔を絶やさない知里の雰囲気が、少しだけ変わったことに。


「―――そうだよ」

「サト?」

目を細めた知里。けれど、笑っているようには見えない。


「サーベラスは、正義の味方なんかじゃないよ」

玲哉は、息を呑んだ。けれど、知里の雰囲気の変化は、一瞬で消えた。

その後は、いつもとなんら変わらない知里だった。


だから、玲哉は気にも留めなかった。


「レイ、ユキ」

知里から声がかかり、玲哉と優樹は一緒に振り返る。


「今日は、早く帰りなよ」


もし、知里の変化がもうちょっと確実なものだったなら、自分は知里の”忠告”をもっと真面目に聞いていたのかもしれない。

もし、優樹の好奇心を無理やりにでもへし折っていたら、人生で一度もサーベラスと出会うことはなかったのかもしれない。

もし、今日もいつもと同じように遅刻していたのなら、”始まり”は訪れなかったのかもしれない。


もっとも、こんなことを考えたところで、もう意味はないけれど。



せっかく早めに掃除が終わったのに、と玲哉は嘆く。


もう自宅に近いというのに、忘れ物に気付いた玲哉は、頭を抱えて学校に戻った。

明日提出の課題である。

これを出さなかったら、今度はトイレ掃除をさせられてしまうかもしれない。

面倒くさいとは思ったが、二日続けての放課後掃除だけは避けたい、という思いが勝った玲哉は、渋々学校に取りに行ったのである。


おかげで、夕焼け空はすっかり暗くなってしまった。


そうして玲哉は、見事に、すっかり、知里の言葉を忘れてしまっていたのである。



「あ…」

今朝人だかりができていた廃ビルの前で、ふと足を止める。

日が落ちて辺りが暗くなると、より一層気味の悪さが増していた。


「ああ、もう、怖い、早く帰ろ…」

玲哉は身震いした。


今朝の、サーベラスの集団が脳裏を過った。

何とも言えない恐怖、一刻も早くここから離れたくなる。


「あ、あれ…」


離れたかったのに、それは許されなかった。

ビルの中、無人のはずなのに光が見える。


「いや、ただの光じゃない…!」

闇の中で蠢く光、ゆらゆらと影を揺らしていく。あれは、炎だ。


「火事!?」

玲哉は携帯電話を取り出してから、首を垂れる。

そういえば、電池切れてたんだった。

消防車も呼べない、とりあえず誰かいないかだけでも確かめなければ。


中途半端な正義感が沸いた玲哉は、恐怖や気味の悪さを心の隅に追いやった。

勢いのまま、ビルの中へと走りこむ。


そのとき、玲哉は気付くべきだった。

廃ビルの外は、決して人通りの少ないところではない。にもかかわらず、通行人が玲哉の他に誰もいなかったことに。



「誰か、いませんか!!」

大声を張りながら走って、階段を一気に上がる。

火は二階から見えた、この先が燃えているんだ。そう思うと、足が震える。

けれど、止まらなかった。玲哉は勢いよく階段を上がると、扉を開けた。


「誰か―――」

「あ?」

「え、あれ」


人はいた。

けれど、状況が自分の予想とは全く異なっていたため、玲哉は呆然とした。


焦げ臭さはあるが、そこには炎なんてどこにもなかった。

どういうことだろう。


薄暗いビルの一室に月明かりが窓から差し込んでいるため、辛うじて部屋の中が視認できた。

部屋の中には、男が一人いた。

男は突然入ってきた玲哉に驚いていたが、特に気にも留めていないように、視線を床に戻す―――否、床に横たわる”何か”に視線を戻した。


目が慣れ、状況が見えてきた。

「人…?」

男の視線の先には、人が倒れていた。

「だ、大丈夫ですか…!!」

玲哉は反射的に近づき、足を止めた。


だんだんと、焦げ臭さの正体がわかった。

焦げ臭さは、この人から発せられていた。しかも、床に横たわった”人”は、既に黒焦げになっていた。もう、顔の原型さえわからない。


それに気づいた途端、吐き気が込み上げた。


「おい」

背後から、声がかかる。


まずい。

この人が燃えた原因が、後ろの男だとしたら。

この現場が、殺人現場だとしたら。


発見した自分は、口封じに殺される。


「…あ」

そうとわかると、足から力が抜けた。

薄汚れた床に座り込むと、震える手を握りしめる。


殺される。

ああ、こんなところ来なければよかった。

今更ながらに、後悔する。



「てめェ、新手か?」

ゆっくりと振り返ると、男が玲哉を冷たく見下ろしていた。

新手、という言葉は身に覚えがなかったが、弁解するほど余裕もなかった。

震える体は、一向に逃げようとしない。恐怖で、涙すら出ない。

それでも、と玲哉は無理矢理体を動かした。芋虫のように床を這いつくばり、手だけでも必死に動かす。


「よォ、ガキ」

背後の声と同時に、辺りが一気に明るくなる。

ぶわっと熱い空気が押し寄せ、軽く咳き込んだ玲哉は、目を見張った。

炎に、囲まれた。

あの古臭かった廃ビルが、一面火の海と化していた。

逃げ場なんて、もうどこにもない。


背後にいた男はいつの間にか玲哉の前に立ち、笑っていた。


「サーベラスって、知ってるか?」

男の問いに、玲哉の頭の中は真っ白になった。


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