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死者に会い、そこから認識する

今回は横浜へ行く話を考えていましたが、少し予定を変えて別の話を書くことにしました。


よろしくお願いします。

 治はかなでの家族と食事をした日から、学校に登校しなくなった。なぜか、行く気がなくなってしまったからだ。人と顔を合わすことが煩わしくなってしまったのだった。治は毎晩、深夜までいつまでもラジオを聴たり、ゲームして時間を潰していた。

 そして、朝は日が高くなるまで寝ていた。それから、自分の部屋の居て、音楽ばっかり聴いていた。どかで良いなと思って持っていた、オールディーズのラブソングの歌詞の中には、三角関係を歌ったものもあり、それは治の心に鋭いピックを突き刺すことがあった。治は思えば歌とはそういうものだったのだとその時、気がついたのだ。よく歌手が歌詞がどうのこうのという意味がそのときはじめてなんとなくわかったのだった。

 そんな生活が一週間も続くと、しまいにはそういう生活を嫌う純一郎に呆れられて、強い口調で注意された。


 五日目にはかなでと遥がやってきた。幼馴染二人は治が玄関に出るなり、強い調子で治に学校に来なさいだとか、言いはじめ、治を叱ってきた。たぶん純一郎に電話で何か言われたのだろう。二人は家に上げろと言い、終には追い返せなくなって、家に入れてしまった。

 家に上げるとかなでは始終心配そうに、治を気遣ってくれたが、治にはそれがどこかうっとうしく感じられ、額にデコピンをしてやった。

 遥はなぜかケンタッキーフライドチキンのセットを買って持って来て治にわたした。容器を開けるとチキンを揚げた匂いが居間に広がる。三人でそれを食べたが、胸肉だらけのチキンはバサバサで美味くも何ともなかった。それとよく分らないレゲエの音楽データをくれる。治は女ってどうしてこういうときにこう優位に立ったような感じで嬉々として接してくるのだろうと思った。遥は聴くと、元気が出るよといったが、治はそれを机の引き出しに放り込んだ。はっきり言って何もかにもが煩わしかった。


 その後、三人でいつものようにトランプで遊んだが、何も心が躍らない。

 外は雨が降り始め、本降りになり鬱陶しく感じられた。治は横目で庭の芝の上で雨粒が跳ねる様子を見た、雨は窪んだ所に集まり、そこから低い出口を見つけて、水流となって側溝から溢れおどり、崖の下へと流れていくのが見えた。

 夕方の鐘がどこから聴こえてくると、早々に治は二人を追い出したのだった。治はとにかく独りになりたかったのだ。二人はまた迎えに来ると言い出し、治は背中を押して外へと二人を放逐したのだった。

 そして、自分は子供だなと治は思った。


 ***


 その夜、治は立ち上がって、机に向かった。そして、一晩中、短い小説、物語を、詩、様々なものを書いた。治ははじめて物語を書いた、後ろからの暗い力に押されて、治ははじめて物語を紡ぐ事ができたのだ。

 それはこんな話だった。銀器を一生磨き続けた召使の話、主人の飼っている猛獣のおりに落ちて死んでしまう。どうしてか、守り神として彗星を拝む博徒の話、この男は最後、勝ちすぎて恨まれて、両目を潰される最期だった。どれも短くて、唐突な終わりで、掌編の物語だった。治はこれで、こういう感じでいいのだろうかと疑問を持った。自分の書いたものをどう評価していいのか分らない。そういう感想を自分の物語に持った。


 治は敬愛する三島由紀夫に似た文体で、歴史的仮名遣いを用いたものを書いた。これで、いささかなりとも三島由紀夫に近づいたかと、自分の書いたものを音読してみたが、それは遠く及ばないものだった。まあ、こんなものかと治は思い。それらの文章を目で追って、確認してから、プリントアウトした。

 そして、それを持って、三島由紀夫の家を訪ねることを決心した。物語を彼に見せるつもりはなかったが、それを持って彼に会ってみたくなったのだ。いや、彼は会わなければならないと思った。なぜなら、そこにこの世界の関節があるのだと治は直感で思ったのだった。それを治はこの目で確かめにいかなければならない。その異様さ、いや自分がこの世界からは異様なのだということを。


 ノートパソコンで調べてみると、三島由紀夫が今住んでいる場所は意外に近くにあることが分った。三島由紀夫は鎌倉から江ノ電で少し行った由比ガ浜の近く、鎌倉文学館の傍の邸宅に住んでいるという事だった。治はそのことに少なからず驚く。

 鎌倉文学館は戦前にさる華族が建てたスパニッシュの洋館を活用して、鎌倉ゆかりの文士たちの原稿が展示されている。その周囲は、閑静な、という言葉がぴったりとはまるような住宅街になっている。そこに三島由紀夫は住んでいる。鎌倉文学館はある作品のモデルの一つだと言われている。なんだか彼が住むにはふさわしい場所じゃないかと治は思った。

 治はそれから五時間ほど熟睡して、トーストにバターを塗ってインスタントコーヒーで流し込むと、バックにプリントアウトした原稿、タブレット、財布を詰め込み、ブルーのシャツに着替え、チノパンを履き、純一郎に一声かけ。スニーカーを履き、いつもの道を歩いて、横須賀駅へ向かい電車へと乗った。


 そして、鎌倉の駅で降りて、マクドナルドでコーヒーを飲んで休み、意を決めて、江ノ電の駅へ向かった。

 こぢんまりとした江ノ電の乗り場に着くと十時前で、主婦やら平日の観光客らでそれなりの人たちがいた。みんな思い思いの格好で陽気もよく、楽しそうにしている。

 定刻になると、二両編成の小さな電車がゆっくりとやってきた。きわめてのんびりと、身をよじるように。治はそれに乗り、二つ目の由比ガ浜で降りた。浜風が微かに潮の香を運んできていた。駅からの道には、黒松が所々にあって、それらは強い陽射しを受けてどれもよく育っていた。


 タブレットで地図を確認しながら、進み、一五分と経たないうちに三島由紀夫の邸宅に到着した。午前十時二十二分をタブレットの時刻表示が示していた。

 筆名の三島由紀夫ではなく、本名の平岡公威と書かれた白い陶器の表札を前にして、治は勢いでここに来てしまったが、どうしたものかとその場にただポツンと立って、動くことも出来ずにいた。

 三島邸はよく刈り込まれた柘植の生垣に囲まれ、その奥に、それほど大きくもないモダニズムの四角四面のシンプルな白タイル張りの建物と黒い和館が併設されたものが見えていた。中々に引き締まったデザインで古い屋敷をリノベーションしたものかもしれない。前庭はよく手入れをされた芝生に覆われ、その上にはホテルの中庭にあるような傘つきのテーブルと白い鉄製の椅子が置かれていた。

 想像したものと違うと治は思う。治は三島由紀夫の小説を愛読し、常々その物語と文体に接してきた。それにある雑誌の別冊に、彼の住まいが紹介されている写真付きの記事を読んでいる。そうしたものとはかけ離れたものだった。


 この邸宅からは清潔感と自制が感じられ、彼が何か、負っていたもの、観念的な事柄がすっかりと消えている事に気がついた。また、かといって、俗物的な脂臭や近代的なものに対するコミットメントは感じられなかった。この風景には不思議な品の良さが漂っていたのだ。しかし、彼の作品に通底していたあの強烈な感覚がそこからは感じられなかった。治はここに住んでいるのは別人なのではないかと感じた。

 治が立ち尽くしていると、玄関が開き庭の向こうから誰かが歩いてくるのが見えた。しっかりとした歩みで、一人の老人が姿勢良くこちらに歩いてくるのが見えた。白髪頭を短く刈り込んだ老人だった。顔には深いしわが刻み込まれ、眉も白くなり、体つきはがっしりとしてあの写真の中の人だということを感じさせた。眼光は鋭かったが、反して穏やかなものも感じられ、この老人が長い精神的な思索と思考を繰り返してきた人物である事を治は認めた。その人は三島由紀夫だった。彼は手に手提げ袋のようなものを持っていた。


 治はどう認識していいのか分らず、その人を見据えてしまった。そこで三島由紀夫と治は目が合わせたのだった。

「うん、君は?」と三島由紀夫が立ち尽くす治に気がついて言った。

「ぼ、僕は野口治と言います。み、三島由紀夫さんですか、いや失礼しました平岡さんですか?」

「そうだけど」

「あの、その、お見かけしまして、僕はあなたのファンです」

「ああ、そう。君は若いな、ああ、私の本のね」

「はい、そうです。先生の事を尊敬しています。それで一度、お宅を外からでも拝見したいと思いまして、そこに偶然、先生がいらして」


 治は半ば動転しながら、手を差し出した。三島由紀夫は治の手をぐっと力強い握力で握ってくれた。

「そうか、君のような若い人が、私の作品を読んでくれているんだ。それはありがたい、まあ、あがっていってもらって君と話したいところだが、これから買い物に行ってくるんだ。それに帰ったら、出かけてしまう。残念だけど、また、気が向いたらたずねてきて欲しいと思う。それでは」と言った。

「ありがとうございました。お気をつけて」

 三島由紀夫はそう言うとゆっくりとした足取りで、鎌倉の方向へ去っていった。

 治は膝が震えていたが、その心の中には不思議な高揚感があった。それは表しがたいものだった。


 ***


 治は一時的にかなでと遥のことを忘れた。治は考えがまとまらないまま、どうにかこうにか、再び江ノ電の由比ガ浜駅へと向かい。鎌倉行きの切符を買い、電車に乗って帰った。

 鎌倉駅で降り、治はまだ何となく横須賀に戻りたくなかったので、小町通を歩いた。小町通は平日にもかかわらず、たくさんの人たちが歩いていた。初老の夫婦、遠足や修学旅行の学生たち、たくさんの黄色の帽子や黒い学生服の人波を分けながら進んだ。

 途中で右に折れて、若宮大路の桜並木に上がり、鶴岡八幡宮の朱色の大鳥居を目指して歩く。土の参道は治の足にアスファルトとは全く違った感触を伝えてきた。参道を行き着くと、交差点を渡り、正面の太鼓橋の横を抜けて、境内に入った。治はここに来るのはとても久しぶりだと思った。


 しばらく進んで、左手に折れ手水場で手を洗い、口をすすいだ。

 倒れた大公孫樹を右目で視認して、ゆっくりと階段を上がった。斜度のきつい、階段を踏みしめながら本殿へと上がってゆく、この先に神がおわすというのかと治は社殿をみあげながら思った。階段の途中で三島由紀夫を愛読しているわりには自分は神道について何も知らないじゃないかと思う。

 上りきり、さして息が上っていないことで、自分がそう疲れていないのだと自覚した。そうして振り返ると、直線の先、材木座の洋上に日の照り返しで海がたゆたい、とても先の世界が広がっていることを感じた。


 さて、参拝していくかと治は思い。神殿の中に入った。鈴を打ち鳴らし、賽銭を入れ、二拝する。治はそこまで何を願うのか何も考えていなかった。そこに浮かんだのはかなでと遥だった。治はふためきたじろぎ、どちらもの幸せや、一切を願って良い物なのだろうかと、頬が緊張し肉がせりあがるのを感じる。

 治はすぐに意を決めこう願った、自分はどうなったところで構わない。しかし、この二人だけは幸せになってほしいとそう祈った。そして、今後、誰一人として欠ける事のないように祈った。もう、遥が居なくなっても、その逆も絶対に起こらないように治は一心に祈った。自分はなぜこんなにもありもしないかもしれないものに、必死になっているのだろうかと治は思った。


 それは治が自然の象徴的な存在としての神を信じざるを得ないと思っていたが、実体としての神を信じていなかったからだ。しかし、治は一生懸命に祈っていた。なんだか滑稽でみっともなく感じたが、そうしなくてはならないと思ったのだどうしても。そして、二拍手して、一礼すると、虫の良い考えだと治は自分を笑った。

 神殿を後にする。そこで一瞬、今度は材木座の海上に虹のようなものをみた。鮮やかで、ありえないほどの大きさで、稲村ガ崎の方へかかっていた。治はなぜ雨も降っていないのにと、目を凝らすとその虹はもう見えなかった。治はまさに狐につままれた感じがした。錯覚なのかもしれない。


 治はそのままもと来た道を足早に戻り、鎌倉駅から横須賀線に乗った。すぐにやってきた久里浜行きの電車は乗客も少なく空いていた。電車はすぐに出発して鉄橋を渡り、逗子に向かって走り始める。列車は遅れているのか、珍しくモーターの唸りをあげて速度を上げ、激しく蛇行しながら疾走した。

 治は激しく揺れ、居心地の悪く固いボックスシートにもたれ、一人考えていた。それは三島由紀夫のことだった。その人に会うことそれは、全てを超えた事だと治は思った。たぶんこれは自分の一生にとってきわめて大きなことなのだと治は思った。


 しかし、治はそう思いながらも、さっき会ったあの人は三島由紀夫ではないと思った。それはそうだ、死んだ人間が生き続けているのだ、治の知る彼はあの市ヶ谷の大講堂で1970/11/25日に死んだのだ。その後、生き続けたこの世界の彼はミシマユキヲであって、三島由紀夫ではないのだ。


 それから、改めて自分は全く違った世界に居るのだと言うことを強く思った。亡くなった、人が生きていて、その人に直に会い言葉を自分は交わしたのだ。それはもう疑いようのないどうしようもない現だろう。治はそう思うと動転して強い恐怖を感じた。自分のいた現実とは違う現実に自分はいるのだと、そして、この現実はもといた現実とはことなったものであり、ことなった未来へと向かっているのだと思ったのだった。

 横須賀の駅を降りると、ウェルニー公園から見える逸見の波止場に見慣れない巨大な船が泊まっていた。それは艦載機を甲板に並べた自衛隊の航空母艦だった。

 そう、自分は今異なる現実を生きているのだ。それは遥とかなでがそろって生きている世界である。それはリアリズムを超えた世界だが、紛れも無く現実だと治は思うのだった。


お読みくださいましてありがとうございました。



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