昔話:山の神と最初の生贄
昔々、ある山間の小さな村
そこには、12年に一度、村で最も美しい娘を神様に嫁入りさせるという風習があった
生贄である
だが、この生贄に選ばれることは大変名誉なこととされていた
山の神はなによりも強く、美しく、慈悲深い。豊作豊穣を約束するのは12年だが、花嫁を愛し続けるのは永遠だ
山の神に嫁ぎ、一体となる
山間の小さな村で細々と生きていくことに比べれば、なんと幸福なことか。そう思われていた
一人を除き、村人はそう思っていた
否、その一人もまた、そうは思っていたのだ
ただ、そうだとしても、花嫁にもう会えないということがたまらなくさびしいことのようにも思えた
その一人は、花嫁の双子の弟だった
花嫁の弟は双子なので、花嫁同様美しい顔立ちをしていたが
その左目は常に閉じられていた
生まれて間もなく掛かった熱病で左目の視力を失ったのだ
焦点の合わない目を隠すため、左目を閉じ続けていたせいで
今となっては、左目を開ける気にならなければ、瞼は開かない
花嫁の弟にとって姉は誇りだった
美しく、気立てが良く、働き者で、姉がそこにいるだけで場が華やいだ
姉が、花嫁に選ばれた、と聞いても、驚きはなく、ああやっぱりか、と静かに納得した
複雑な思いが無いわけでもない
名で呼ばれることより、姉の弟と呼ばれることの方が多い
同じ双子なのに、なぜこうまで違うのか、と思わないでもない
何故、姉の左目は見えるのだろうか、という思いは確かにある
だが、それはそれだけのものだ。それ以上に、花嫁の弟は姉のことが好きだった
姉の嫁入りを祝う祭りは進む
村のみんなから、祝いの言葉と贈り物を受け取る姉
贈る方も、受け取る方も、それを見る方も、皆笑顔だ
良い祭りなのだろうとは思う
この祭りが終われば、姉は居なくなる
どうにかできないだろうか、と思う
思いながらも、弟は姉に木造りの髪飾りを送る
幾重にも春の花をあしらった漆塗りの逸品である
手作り故に荒も多いが、不思議と味がある。野趣溢れる髪飾り
生贄の花嫁に贈るには色々とふさわしくない
弟らしい、と姉は花が咲くように微笑んだ
弟は、どうにかしようと、そう思った
祭りが終わり、村人全員で花嫁を禁足地の入口まで送り届けた帰り道
花嫁の弟は、周囲の人間に気付かれないようにそっと道を外れ
禁足地へと足を向けた
神様に直談判してみようと思った
山の神は慈悲深いと聞く、もしかしたら、姉を奪わず済ませてくれるかもしれない
それがだめでも、自分が代わりに生贄になれば、姉は助けてくれるかもしれない
甘い考えかもしれないが、何もしないよりはましだ
禁足地にも道はある
あるがその道は姉が使っている
気づかれれば、最悪、村のみんなを呼ばれ取り押さえられる
道から外れ、姉に気付かれないように、禁足地の中心部に先回りする
少々きついが、姉は歩きだ。走れば何とかなるだろう
走り、走り、走った
禁足地である以上、土地勘はない
今夜は月明かりが細い
何時迷ってもおかしくない
禁足地には狼が出るという
迷わずとも、鉢合わせたらどうしようもない
それは姉も同じことか
気ばかり焦る
どのくらい走っただろうか
月の位置は変わりないように思える
だが、もう延々同じところ走り続けているような気もする
姉に見つかる危険を冒してでも一度道に戻ろうか
そんな考えに取り付かれたところで
花嫁衣裳の姉の背中を見つけた
色とりどりの飾り布がひらひらと揺れている
安堵の息を吐きかけ、止める
姉の向こうには、小さくはあるが立派なつくりの社が広がっていた
禁足地の中心部にたどり着いてしまったのだ
先回りできなかった
姉の足が止まった
社の前に、平べったい岩がある
岩を中心に4方に細い川が流れている
その上に誰かが胡坐をかいて座っていた
子供、なのだろうか
花嫁の姉弟より、2つは下に見える
男か女かわからない
髪は短く中性的な容貌だ。強いて言うなら髪が短いから男の子に見える
なんとなく着ているものが、姉の花嫁衣裳に似ている気がする
この子が神様?
姉が祝詞を捧げる
村が今日まで平穏無事であったことと、五穀豊穣の感謝
自分がどこのだれであり、今日は嫁入りに来たこと
そんな内容だ
子供は姉の祝詞を無感動に聞き流し
ああ、もうそんな時期か。時が経つのは早いもんだな、とつぶやいた
姉は柏手を7つ打ち、祝詞の締めを奉じて、平伏する
子供が姉に声をかける
私はあまり足が丈夫じゃない。表を上げてこっちにきてくれないか
何度も何度も繰り返した事を今日また繰り返す
そんな声のかけ方だ
姉は顔を上げ――
そこで、弟が飛び出した
ちょっと待ってくれ
そう弟は叫んだ
姉が驚いて振り返った
子供もきょとんとした顔で弟を見る
子供の左目が白く濁り、視力を残していないことに弟は気づいた
弟の左目が瞑られたままであることに子供が気付いたことにも気づいた
妙な親近感。いや、今はそれはどうでもいい
待ってほしい、と繰り返す
息を整え
姉を連れて行かないでほしい
とそう言った
まず姉が土下座した
平伏した姿勢から、地に頭をこすり付ける
謝罪と後ろの男が自身の弟であること、きちんと言い含めてこなかった自身の落ち度であること
罰はすべて自分が受けるので弟を許してやってほしいということ
ついで弟が懇願した
生贄が必要なら自分がなるから姉は開放してほしいこと
2つの懇願を受け、子供が浮かべた表情を姉は見ず、弟は見た
喜んでいた
妬んでいた
悲しんでいた
怒っていた
それらの内面が綯交ぜになった表情は乾いた笑みのようにも見えた
弟はそこで初めて目の前に居るものが、山の神であることを理解した
山の神は言った
いいさ
ふらりと立ち上がり、ゆらりと歩き出す
その歩みは危なっかしく、足が丈夫じゃない、というのは本当のことだったのだろう
山の神は数歩進み
姉の前に立った
姉は顔を上げていた
山の神は続ける
時にはこういうのもいい
優しく、母が子にそうするように姉の頭に手を置いた
姉は弟が許された、と思ったのだろう
笑った
するりと山の神の影がうごめく
笑顔のまま姉の首が落ちた
山の神は姉の首を拾い、優しい仕草で目を閉じさせ、頬に飛んだ血をぬぐう
姉の体は山の神の影から生まれた狼の群れに――
弟は叫んだ
叫びながら走った
何を言っているのか自分でもわからない
何の為に走っているのか自分でもわからない
わからないまま、叫び、走り、寸鉄帯びぬまま、山の神に殴りかかった
引き倒された
足をかまれ、脚をかまれ、腕をかまれ、肩をかまれ、抑え込まれた
身動き一つできない
唯一自由の残る、頭を上げ、山の神を両の目でにらみげる
見える目で、見えない目で、山の神の姿を脳裏に焼き付ける
山の神は姉の首を抱えて笑っていた
返さないよ。もとからそういうものだろう
歯をかみしめた。牙がなる。全身の筋肉が膨れ上がる
身体をいましめる狼の牙がより深く刺さり、血が流れる
誰か、誰でもいい。今すぐ、こいつを殺す手段をくれ。命だろうが魂だろうがなんでもくれてやる
山の神は嗤う
怒っているのか。筋違いじゃないか? 生贄を捧げ繁栄を得る、という法を作ったのはお前らだろうよ
山の神は、花嫁の弟の左目を覗き込む
身勝手な法だが、法は法だ。破ろうとしたものには罰が必要だ
そこには当然、山の神が映り、笑っている。笑みを深める
12年後の今日この日に死ね。それまでは生かしてやる
ふと、花嫁の髪飾りに気付き、触れる
殺してやる
花嫁の弟は言った
絶対に殺してやる。何を失っても貴様だけは殺してやるぞ
山の神は髪飾りを愛おしげに撫でる
無理だ
断言する
私は神だ。生贄の神だ
髪飾りを引き抜き自分の髪に刺す
山の神はなによりも強く、美しく、慈悲深い。そう信仰しているのはお前ら自身じゃないか
髪飾りは誂えたように似合った
ならば、お前が何を失おうと私には勝てない
花嫁の弟は、山の神を、自身が作った姉の髪飾りをにらむ
しかし、まあ、いい髪飾りじゃないか。なあ?
花嫁の弟が激昂する
狼が背後から花嫁の弟の首をかむ
山の神は嗤う
12年後にまた会おう
その言葉を最後に、花嫁の弟の意識は途絶えた
目覚めると、禁足地の真ん中だった
社もなく、岩もなく、姉の遺体も無ければ、山の神も居ない
全身の傷が残らず消えていた
狼の牙痕は勿論、それ以前の古傷もだ
12年間は生かす、というのはあの場で殺さない、という意味だけではなく
何らかの加護か、呪いを付与した、ということなのだろう
ただ、左目だけが見えないままだった
これには必ず意味がある
12年で、あの神を殺す方法を探さなければならない
その大きな手掛かりだ
まずは村を出よう
金を稼ぎ、知識を増やし、戦う力をつけよう
姉の仇を討ち、あの神を殺し、髪飾りを取り戻す
その為ならば、なんだってやってやる
10年後
村に年若い宣教師が訪れる
ごつい眼帯をつけた体格のいい、その宣教師を当初は警戒していた村人たちも
温和な人柄に豊富な医療知識を前に徐々に心を開いていく
宣教師とは名ばかりで、あまり宣教に熱心ではないこともその理由の一つだった
何しろ、改宗者は零である
山の神の祭りにも、むしろ積極的に参加し、村の古老の話も聞きたがった
宣教師というよりもやっていることは学者に近い
気づくと宣教師は、村の相談役のようなものになっていた
宣教師には、公私を問わず様々な相談事が持ち込まれ、その悉くを解決した
一年もすると影響が出てきた
宣教師は宣教をしない。だが、村人側が宣教師に依存しはじめる
あの宣教師が言うのなら間違いはない
信頼と呼ぶには、宣教師は相談役として完璧に過ぎた
本来どんな問題であれ、その解決には損をするものと得をする者が現れる
だが、宣教師は損をするものに損を感じさせず、得をするものにより以上の欲を抱かせなかった
何処かに軽度の洗脳があった
それに気づくには村人たちは純朴すぎたし
それに気づかせない程、宣教師は巧妙だった
やがて、本来の信仰にひびが入る
山の神様は正しい
だが、生贄を捧げるのはやり過ぎではないだろうか
小さなひびだ
だが、そのヒビは核心に達している
山の神は、生贄の神だ
その強さも、美しさも、慈悲深さも、生贄に捧げる罪悪感を消すための道具に過ぎない
強くなくとも、美しくなくとも、慈悲深くなくとも、信仰の対象にはなろう
しかし、それはもはや決して人間に殺せない生き物ではない
宣教師が村に住み2年が経った
生贄を捧げる時期である
宣教師は全霊を込め村人を説得した
村の古老たちや古い文献を読みあさり、私は村の誰よりも山の神様に通じています
私が山の神様と交渉し、生贄を取るのをやめてもらいましょう
2年前なら、一笑に付された説得だが、今は村人の全幅の信頼がある
その結果、宣教師が死に、山の神の怒りが村に向く、という意見すら出ず
全員一致で、宣教師にことを任せようということになった
禁足地の中心へと続く道を宣教師はひとり歩く
村人には村で待ってもらった
山の神様を刺激するかもしれない、そんな安い嘘で
あれがそんなことを気にするたまか
自嘲に頬がゆがむ
宣教師は、武装していた
弓を1、矢を40、槍を1、剣を2、短剣を2
装備重量は、宣教師の体重の半分よりは幾分か軽い
どれも、山に属するもの、狼、神を討つ伝承を持った武器か、その模造品である
12年は長い
まずは傭兵になって戦場をかけずり回った
何度も致命傷を受けたが死ななかった
殺し方、生き残り方を学び、得た金の全てで神の伝承を調べた
何度も騙され、何度か本物に遭遇し、ある国の国教に行き着いた
神は唯一であり、絶対である
故に我らがあがめる以外の神は滅ぼさなければならない
百年近くそんなことを繰り返していた、その宗教を知った時は
柄にもなく、運命だか、神だかに感謝したくなった
接触した
神は伝承により強化され、伝承により死ぬ
故に信仰を以って伝承を汚し、弱点となる伝承を帯びた武器を用意しろ
学び、培い、神を殺して回った。今日この日の為に
あの神はそれを予測できたのだろうか
道が終わり、社が見えた
岩の上には、山の神が座っていた
その頭には、花嫁の弟の髪飾りが刺されていた
かつて、この村に大きな災害が起こった
と宣教師は言った
山の形が変わるような大規模ながけ崩れか、流行病か
村にとっての死活問題だ
山の神は笑っている。もはや山の神にとってどうでもいいことなんだろう
宣教師は続ける
その時、誰かが言い出した
山の神の怒りを鎮めるため生贄を捧げよう、と
幸い生贄の目星はついていた
足が悪く、片目の見えない少女
つまりあんただ。山の神
あんたは、最初の生贄だったんだ
当然、この頃には山の神なんて居やしない
あんたは狼に食われて死んだ
このままならなんてことのない
何処にでもあるただの不幸な話だ
だが、この話には先がある
あんたが生贄に捧げられて12年後、また村を災厄が襲った
村は災厄を何とか乗り切り
何をとち狂ったか、また生贄を捧げることを決めた
どころか、年に一度、あんたと二番目の生贄を捧げた日に祭りを開き、12年に一度生贄を捧げることまでしてみせた
信仰の始まりだ
信仰はその完成度を高めるために、後付けの設定を増やしていく
いわく、生贄ではなく花嫁。いわく、山の神は何より強く、美しく、慈悲深い
かくて信仰は確立し、伝承へと昇華した
それで?
長広舌ぶって、お前は何がしたいんだ
あんたを殺す
村人の信仰は俺が奪った
あんたはもう、生贄の神なんかじゃない
ただの最初の生贄だ
あんたを殺し、姉の仇を討ち、髪飾りを取り戻す
望むところだ
山の神は影を広げ、狼の群れを召喚する
宣教師を弓を引き矢をつがえ、一射
先頭の一匹を射ぬき、勢いを失わず後ろの一匹へ、さらにもう一匹屠り、地面に刺さる
ついで二射、三射、四射。7匹の狼を影に戻し、弓矢を捨てる
右に槍、左に剣を構え、走る
目に見えて動きが鋭くなる
代わりに全身から血が噴き出す
ただし、その傷は山の神の呪いのおかげですぐに塞がれる
山の神が定めたその瞬間まで花嫁の弟が死ぬことはないのだ
血煙とともに、花嫁の弟は進む
槍を奪われ、剣を奪われ、脚を奪われ、腕を奪われ、剣を奪われた
短剣は半ばからへし折れ、山の神にたどり着くころには無事な手足は一本ずつ、残る武器も一つだけ
山の神はあれから一歩も動かず、影の中にはまだ狼の気配がある
で、どうするんだ?
まさか、私がお前ほど死にやすい、とは思っていないだろう
正直な話、お前が持っていた武器をすべて突き刺したところで私は殺しきれない
花嫁の弟は短剣を引き抜いた
白い錐のような短剣だった
生贄を殺すのは狼だ
だから、山の神は影から狼を生み出し、生贄を殺す
少なくともあんたは狼に殺された
これは狼の骨を削らせただけのものだ
人を殺せるかどうかもわからない
だが、あんたは死ぬ
一度は死んだんだ。二度は死ねない道理はない
影がうごめき、骨が走った
山とそのふもとの村は、山の神を中心とした異界になりかけていた
12年に一度生贄が捧げられることで繁栄が約束された世界
妨げようとするもの自体が現れない
ただ、山の神の母体となった最初の生贄が、その世界の完成を何より嫌悪した
だから、最初の生贄と片目が見えないという共通点を持った花嫁の弟にその嫌悪のかけらが伝染した
村人は山の神と生贄の法則にしたがって生きてきたが、花嫁の弟は山の神の意思に従って、その復讐をなした、と言えるのかもしれない
狼の骨は、白濁した右目を貫き、眼底を破り、脳に達した
再生は起こらない
傷口を中心に、生贄の神にひびが入る
致命傷だ
羨ましかった
最初の生贄がぽつりと零した
貴方のお姉さんが羨ましかった。私も誰かに止めてほしかった。止められなくともそれだけで満足したのに
貴方が羨ましかった。私と同じように片目なのに、私と違って生贄を止めようとしてたから。自分の時でさえ、私は諦め、何もできなかったのに
花嫁の弟は、狼の骨から手を放し、山の神の髪飾りを引き抜いた
もう誰も生贄にはならない
最初の生贄は微笑んだ
それはいいな
微笑み、静かに消えて行った
からりと狼の骨が落ちる
空がゆがむ
山がゆがむ
生贄の神が死に、神の住まう社が崩れていく
花嫁の弟は一つ息を吐く
復讐は果たした
生き抜こうという気力がもうない
このままどうなろうと、それも悪くない、と思える
どかりと尻もちをつき、大の字に寝転がる
疲労に任せ目を閉じた
起きると、朝だった
社はなく、岩はなく、最初の生贄は居ない
あの日と同じだ
身を起こそうとすると、肩と脚が傷む
だが、痛みが思っていたよりもずっと小さい
どちらも折れ砕けていたはずだ
見ればどちらも治っている
神は死んでも、その加護はしばらく残っていたのかもしれない
この程度なら山を下りられる
伝承武具を拾い集め、禁足地の道を下りていく
復讐は終わった
死んでも構わないとは思っていたが、生き残ってしまったなら生き続けなければならない
そうだろ、姉さん
手で包んだ髪飾りは答えを返さない
ただほんの少しだけ暖かかった
中二ワードとアクションが書きたくなって書いた。5話編成くらいの連作短編の頭と尻のみを一話にぶち込んだ感じ