九十二話・永遠のトーラ
出発に際し、ムセイオンのキサンから緊急電話があった。
「ワーストニュースとグッドニュースだ!どっちから話す?」
「バッドな方から」
「オルマヤのアトラス市が消滅した!」
「消滅だって!」
「神人の浮き船が、戒厳令下にあるアトラスのネプトン公園に強行着陸してオルマヤ政府と直に交渉を求めたらしい。ところが、オルマヤは神人の使いをそのまま拘禁し、何と生物学研究所送りにしたと言うんだ。挙句、偶発に着陸している浮き船を攻撃するはめになった」
「馬鹿な!信じられない!」
「アトラス市は全てが灰となった。首の皮一枚で繋がっていると言うか、正に人類存続のピンチと言える。我等のムーヴメントは人類救済のラストチャンスだ」
暫しの沈黙。
一平は徐に「グッドな方を」と、尋ねた。
「エウラシア連邦構想が持ち上がってる」
「エウラシア連邦?」
「世界統一連邦の前段階として、チャガタイ、インディラスタン、キョウドフン、パネローマ、ヨミシャセ、ヤンゴルモア、キハン等、そして、我がトーラを加えて友愛と慈しみで構成する奇跡の国境無き共栄圏。首都がラッサとなり、運営は実績を鑑み、ムセイオンが主導する」
「凄い展開ですね」
「それが、さらにビックリなんだが、モア・キン・シェキとプーシロフを補佐に、初代の女王と言うかトップにヒロコを指名してきたのよ」
「ヒロコって、ヒロコさん?」
「戴くならヒロコしかないと」
「本気っすか?」
「具体的に動き始めている。やがて世界はヒロコの下、国境無き一つの国となってテラを建て直す」
「ヒロコさんは承知なの?」
「勝手に話を進めている。イッペイの意向を知りたい?」
「モチロンっす!ヒロコさんが良ければだけど」
… … … …
晩秋の枯葉色に染まったキョウドフン租借地を横切り、トーラまで後二十キロと迫った時点で、キョウドフンとパネローマの志願者が加わり、巡礼集団は三十五万を超えていた。
そして遥か彼方、待ちに待ったラッサのリンポー宮殿が蜃気楼のようにその威容を現した。
期せずして湧き起こるトーラ行進曲、誰とも無く苦難と希望の歩みを口ずさむ。
愛しのトーラ。
聖なる山々に包まれ、泉水が迸る。
花々が咲き乱れ、薬草が風に吹かれる。
乳と蜜が流れ、穀物と果物が溢れるトーラ。
人も鳥も動物も慈しみ、豊かで愛が満ちる国。
ダルマ・ラーマは永遠なれ。
国境を越え、ラッサに到着するや、ファンファーレと大太鼓を皮切りに、その歓迎ぶりは一大御祭りと化した。
間断なく花火が打ち上げられ、紙吹雪は尽きることなく降りかかる。
宮殿前広場で、ダルマラーマとの謁見式。
牧野は、一平の発する強力なオーラの輝きと逞しい変容振りに目を見張った。
「神が遍く在るのを実感しています」と、一平は告げた。
一平に牧野が歩み寄り、祓いと祝福を与えた時、歓迎式典は最高潮に達する。
一平とヒロコが図書館大学院の特別宿舎で眠りについたのは夜半を回っていた。
一平は夢の中に彷徨う。
セピア色にくすんだ景色がゆったりと流れ行く。
一平とヒロコは手を繋いで光の道を歩む。
道は二手に分岐し、抗し難い力に二人は引き裂かれた。
黄金のティアラを戴いたヒロコは愛の結晶を抱き、それは二人を繋ぐ永遠の灯火。
止め処ない滂沱の涙に、一平は運命を呪った。
そして再び巡り会う時、それは遥かに望む幸せのニライカナイ。
花々が咲き乱れ、蝶と蜜蜂が飛び交い、それは豊饒の果物に溢れる秘密の園。
… … … …
ムセイオン最高会議、ダルマラーマが口を切った。
「凱旋したゴンガラーマ・ラモン・イッペイに敬意を表したい。そこで、今日ここに集うのは、ムーヴメントの予想を超える展開と、其れに伴うトラブルについてです」
「トラブルとは?」
枢機卿のヤンカルが尋ねる。
牧野に代わってキサンが答えた。
「ゴンガラーマ・イッペイからダルマラーマへの巡礼のリーダー交代に関する諸事情と、収容限界を超えたウンダバーキャンプ地、管理、衛生、そして治安の問題で、地上の天国として平和この上無かったトーラに戒厳令を敷かざるを得なくなったこと等」
「どう対処されるのか?」
「速やかなダルマラーマ主導の大巡礼発表。そして、早々にウンダバーから出発せねばなりません」
ダルマラーマは宣言した。
「三日後、エルサレムへの大巡礼を開始する」