八話
「ホント、参っちゃった。精神が肉体に付属している事実を思い知らされたわ。親と子の関係を保とうとする矜持があの夜、息子のような少年に脆くも魂ごとぶち抜かれたって感じ」後に恵子はそう語った。
まさに其の夜は二人にとって特別の時となったのだ。
ともあれ、二人の関係は急速に進展し、一平は少なくとも週の内、半分は恵子のアトリエで過ごすようになる。
時間や規則に囚われない自由奔放な生活スタイル、触れ合う人脈の多彩さ、一平にとって恵子は驚きの連続だった。
そして、恵子の日常話す種々雑多な話しと内容は、一つ一つが素敵な夢物語のように思え、取り分け、恵子が話す寝物語は千一夜のシュラヘザードのように飽くこと無く魅了するのだった。
恵子は恵子で、ベッドの中ではエネルギッシュに、目くるめく愛技で屈服させるかと思えば、瞳を輝かして話を聞き、紛れない純粋さで慕ってくる一平が堪らなく愛しい。
・・・ ・・・ ・・・
それから三年。
少年は逞しく精悍な青年に変貌していた。
恵子は一平に相応しい恋人が出来たなら、何時でもきっぱりと区切りをつける覚悟を決めていた。
しかし一向にそうなる気配もなく、親子のような愛人のような関係が微妙なバランスの上に続いている。
「最近ふっと、君の児を産めたらなって思うの。可笑しいでしょ、年甲斐も無くベベ(赤ちゃん)だなんて」
一平は恵子の中に深い哀しみを見た。
「赤い糸があるなら、僕は恵子ママこそ、結ばれている其の人だと思ってます」
恵子は首を振った。
「情愛は陽炎なの。熱病のように、それは意思とは関係なく生まれ、そして滅びるのよ」
日本は空前の好景気に沸いていた。
しかしバブルが騒がれ始め、その反動で消費税導入、増税、土地法の規制等々。
宗教党の組織拡大やマドンナ旋風の社会党の伸張と共に、徐々にではあるがデフレ政策が国民支持の元に施行され始めていた。
清貧、平等、地価物価値下げ、働き過ぎ批判、そして自粛。
恵子は自粛なる言葉をゾッとするほど嫌っており、海外移住を真剣に模索し始める。
「世間は豊かさの反動でケチケチした安っぽい社会平等主義みたいな物を求め始めている。
夢も希望もない社会が良いのか悪いのか、それは問題じゃないの。全てに自粛を求める窒息するような世界では、リブラ(天秤座)生まれの優雅さを命にする私は生きられないわ。
私は誰が何と言おうと、しみったれた、互いのチクリを主とするような貧乏社会主義思想より、豊かで自由なバブルが好き」
恵子は付け加える。
「何時も明るく笑っていたいわあ。笑うのは甘くて愉快なこと。誰もが甘いものや愉快なことが好き。何時も甘やかしたり、甘やかされたり、楽しませてもらったりして、笑って過ごしたい。
だから、笑いのない、お互いに見張り合うような世界には住みたくないの。
当てにならない明日のために耐えるなんて真っ平。そんなのは忍耐マニアの独裁国家かカルトな宗教団体に任せておけば良いのよ。
……ね、そうなったら、北アフリカに行っちゃおう!」
これにて竹原恵子との回想編は終了。
次回は一話からの続きとなります。
この辺もうちょいスムーズにつけられないものかと思索中