八十四話・キハン炎上
早朝、一平は喧騒の中に目覚めた。
キャンプ地の辺り一面に、驚くほどに多量の白く柔らかい餅状の物体が、半透明の皮膜の上に無造作に重ねられ、あるいは木々に引っ掛けられ、食欲をそそる仄かな匂いを放っている。
「これ等は如何なることなのでしょうか?」と、皆口々に尋ねた。
リリトが「御恵みよ!マンマあるいはモッチと言われる神人の聖なる食物。全ての食味感を併せ持ち、生食は元よりあらゆる調理方に適応する賞味期限なし完全滋養のスパーフード」と、説明する。
一平は指示した。
「贈り物を収穫し、明日からに備えよ」
出発に際し、チョンポ将軍が自ら百頭におよぶ乗馬と数十台の貨物燃料車、そして、一万丁に及ぶ狙撃銃と銃弾、防弾チョッキやヘルメット等の贈り物を携えて、一個師団による護衛を申し出た。
「集団長旅には備えが必要だ」
一平と共に面を並べて白馬に跨ったチョンポは「巡礼団の戦闘訓練と、これからの行程はお任せあれ。キハン縦断間のキャンプ場は全て手配しておいた」と、ご機嫌だ。
… … … …
キハン中央を南北に流れる大河ジャンセン辺の大温泉地チョドスムに到着する時、巡礼団は三万人に膨れ上がっていた。
チョドスムは火山爆発の余波として平地山間至る所に温泉が噴きあがり、一大奇観を呈していた。
林間の露天風呂にゆったりと弛緩する時、遠く巡礼者のざわめきと、吟遊詩人の歌と奏でる竪琴のリフレインが聴こえる。
テントに戻ると、リリトがボトルを抱えて待っていた。
「今宵はとって置きのカムイ・ミードをイッペイと飲みたいの」
「ムンボポ先生は?」
「解放されたビッグボーイは、チャーミングなキハン娘とルンルンよ」
リリトが醸し出すふんわりと心地良い陶酔、人間の男と竜の女は互いに心の動きを覗き見る。
幻覚の秘酒は忽ち一平を夢幻の世界に誘った。ベルベットのようなリリトの声がうっとりと包み込む。
灯火に浮かぶ蕩かすような魅惑の裸身、湧き上がる欲望の中に一瞬ヒロコの幻影を見たが、一平は気だるい快楽の深みに沈み込んで行く。
チョドスムから一ヶ月、チョウハク山一帯における火山活動とヌラヒョン残党の不穏な報告を受け、一行はヤンゴルモア国境越えを模索するため、ピョンヨ市の郊外に止まっていた。
早朝、一平のテントにチョンポ将軍が訪れ、「進路に当たる国境沿いのチョウハクにヌラヒョンの残党が蠢いているので、露払いに一掃する」と、告げた。
チョンポは精鋭の親衛隊一万と装甲機動部隊一万、ジャイロ空戦部隊二千の二万二千を率い、それに加えるに、巡礼団による狙撃部隊の編成と支援を要請した。
「これは巡礼団の戦いでもある」
だが、一平は要請を拒否し、チョンポの作戦とチョウハク山突破の巡礼進路に否定的な見解を述べた。
「……気の動きに不審な乱れがある」
一平は巡礼の進路をヌラヒョンの蠢く火山地区を回避し、キハン半島の基部にあたる東ヤンゴル湾のバホカクッソに向かう意を伝えた。
「気の動き?火山の噴火と、ヌラヒョンの雑兵に臆して進路を変えるって?それに、船も無しに、三万人の大人数が徒歩で湾を渡ろうってか?」
「天啓では」と、前置きして一平は言った。
「数千年に一度の惑星直列と年に一度の大引き潮が重なり、湾の端を横切る古代の大道が海中から現れると。我々はその道を渡り東西ヤンゴルモアの緩衝地域に上陸する」
チョンポは嘲笑する。
「海大道?あれは、形だけの道で、泥状歩行器無しには、膝まで沈む泥濘で、まともに歩けたもんじゃない!まして、運搬車両を含む大人数じゃ話にもならん」
一平は「将軍がチョウハク山へ安易に取り掛かれば凶と出ています。せめて、軍を入れるのは主力軍の到着を待ってから決断しても遅くは無いでしょう」と、進言した。
チョンポは面と向かった反対の軍事所見に、憤然と席を蹴る。
「素人の若僧が戯言を抜かすな!」
「拙速はことを仕損じます」
一平は譲らない。
「ヤバイ言うクソ根拠は?」
「信仰、予見と透視と天命。私の魂は常に神とダルマラーマにある」
「超能力?天命だと?いかがわしい御託など耳の糞にもならん。宗教かぶれのクズ人員等を当てにはしておらなんだが、アンタらはまぐれ当たりのチャガタイ戦で逆上せ上がっておる」
チョンポは肩を聳やかし、側らのリリトをねめつけ、ハイブーツを踏み鳴らしてテントを出て行った。
掃討のためにチョウハク山脈に向かうチョンポは怒りが収まらない。
(信仰?何が凶だ。臆病チキンの奇術師めが!)
神も仏もない唯物主義者を自任し、残虐非道を欲しいままにしてきたのが、一旦なりとも一平たちの愛と自由な思想にぐらついたのが腹立たしい。
(残党を皆殺しにした暁には、ゴンガのカルト集団、首を揃えて奴隷にしてやる。そして、あの高慢ちきな竜人女を拷問陵辱し、恩知らずのオカルト若造に我が恐ろしさを見せてくれん!)
チョンポはカラ発の主力部隊十一万が合流する前に掃討作戦を完了させ、勝利の美酒でキハン完全制圧を迎える予定だ。
チョンポはチョウハク山の手前のヌラヒョン支配区に広がるキョンセン平原台地に先鋒隊の野営を命じた。それは森に隠れているヌラヒョン全軍を奇襲攻撃に誘き出す撒き餌である。
案の定、夜半にヌラヒョン残党軍は凄まじい砲撃と共に起死回生を賭けた夜襲を四方から敢行した。
激しい攻撃に混乱気味の撤退ではあったが、チョンポは作戦通りに潜ませていた装甲機動部隊の凹部に残党軍を誘い込んだ。
一転、挟み込むように左右の機動部隊と上空からのジャイロコプター空戦隊が堰を切ったかに反撃する。
罠に嵌ったヌラヒョン軍は全軍を巻き込み、算を乱して逃走した。
だが、追撃のチョンポ軍は台地を越えて麓を見下ろした時、想像を絶する大軍の存在に凍りついた。
何と、山脈の彼方まで見渡す限りが国境を越えて侵攻して来た軍兵で犇めき合っていたのだ。
蝗の群れのように山も川も谷も埋め尽くし、大地から湧き溢れる大河のごとく台地を包み込む。
「ヤンゴルモア!マンシン兵だ!」
キハン兵は戦慄した。
対空ミサイルは瞬く間に、チョンポの誇る空挺部隊とジャイロコプター空戦隊を尽くに一掃した。
罠に嵌められたのはチョンポの方だった。
チョンポ・キハン軍は退却の命を聞くまでもなく、雪崩をうって壊走する。
インパイヨウ将軍率いる東部ヤンゴルモア・マンシン軍の一昼夜における追撃から、ほうほうの体で台地から逃げ出した時、チョンポ軍は親衛隊が百名余りと言う惨憺たる有様だった。
ヤンゴルモア侵攻の情報による相次ぐ逃亡で、四万弱に激減の主力軍と合流したチョンポは、追い立てられるように巡礼団に雪崩れ込んだ。
疲労困憊の敗軍の将は一平に跪く。
「キハン全軍の指揮権を委ねたい。どの面下げてと、思われるのは承知の上だが、貴方に縋るしかないのです」
一平は手を差し伸べた。
「侵略者共に、一泡吹かせましょう」
チョンポは涙と震えが止まらない。
「地を覆うヤンゴルモアは獰猛で残忍だ。彼等は屍を乗り越えて軍隊蟻のように全てを破壊して突き進む」