七十三話・理想郷に
フリンがライオン一行を宇宙船建築ドックに案内すると、ロキを見た一平は驚きに我を忘れた。
「パトさん!」
興奮を露に駆け寄る長身の若者に、アルケミストはたじろいだ。
寸でのところ、我に返った一平は「貴方の……友人、否、友人となる……一平です」と、しどろもどろに自己紹介した。
ロキは言わんとするのを理解し、「つまり、貴方は未来の私と親しいのね」と、持ち前の優雅さを取り戻した。
「曰く言い難いのですが……」
「OK!私にとって、次元変位の違和感は有りませんので」
以後、肝胆相照らす仲となったロキと一平は、腹蔵無く互いの人生を語り合うのだ。
「イッペイのような素敵な若者と恋愛関係でないのは実に残念だネ」
「パトさんと合わないのは、その一点だけなんです」
二人は和気藹々と、不思議な交遊を楽しんでいた。
「イッペイ、現代版ノアの箱船の管理運用はメカミが中心に引き継いでくれることになった」
「それは、他に興味が生じたって言うことですか?」
「パトリース!アランとケイコ、結婚、想像するだけでわくわくヨ」
ライオン一行の来訪に伴う変革はムセイオン大図書館大学院公国にとって未曾有の飛躍的発展をもたらした。
牧野と一平の癒しの業は無論のこと、ヱローミュの妖精改革と呼ぶべきかフィンドフォン的自然融合改革は、不毛の荒地であった公国の農業収穫を数十倍どころか百倍以上にに引き上げ、滋味豊かな農産物が溢れんばかりの豊穣の国土に変換する。
その上、繁茂するミュウタント大麻のバイオエネルギーは、風力、磁力、地熱、太陽光利用と相まって、有り余る無公害エネルギーをもたらした。
農作物の飛躍的増収に伴い、自然工業の伸びも著しく、目覚しい科学の発展がある。
生命力の賛歌!
トーラ地方特有の厳冬を除き、全土は春から秋まで濃密な樹草に覆われる。
溢れるような花々、蜜と果物の豊香に満たされ、全土に湧き出る清水と薬草木の浄化力は恐るべき放射能と化学生物汚染をも駆逐する。
そしてそれに連携する、リリトが齎した慈しみ合う愛の敷延は、公国全域に生き生きとした生命感と心地良い解放感を人々のみならず、自然遍く動植物にまで及ぼした。
更に、特筆すべきはシャールマニのゲオルグ、ニンマ、カギュ親子が指導する、非唯物的医療、つまり霊魂と肉体の関係を基にする経絡、ハアナ(アカシックセラピー)やホメオパシック医療の導入である。
その実践効力と根本思想は、宗教、哲学、芸術、科学の根底から覆る抜本的大変革を促した。
公国に溢れ出る才能の数は限りなく、人材の豊富さは瞠目すべきものだった。
百花繚乱、ルネッサンスを凌ぐスーパールネッサンス、ムセイオン大図書館大学院は正に知における大泉水と化す。
国境を接するヤンゴルモア、チャガタイ、キョウドフン、パネローマから借り受けた広大な不毛の租借地(トーラ領の数倍の広さ)も豊饒で濃密な緑地に変容し、近隣諸国にまで膨大な富をもたらした。
一平はエローミュに、荒野が劇的に豊饒の土地に変換する秘訣を尋ねた。
エローミュは誇らしげに語る。
「一人一人が樹を植え、鎮守の杜を作る。植物には妖精が住んでいるの。妖精は異次元の精霊で、生命体惑星と霊的に繋がっているわ。だから、妖精の住む森林は雨を呼び、命の水を齎して豊かな動植物が謳歌する。やがて、その気が豊饒の土地への呼び水となるの。
そして、豊饒の山野は精神的にも、文化的にも、物質的にも、もちろん経済的にも豊かさを醸成する」
牧野が頷く。「ガイアにおけるデンマルクのビヨルン・バルガスも、不毛の荒地に毎日樹を植え続けて、敗戦で疲弊していた祖国を蘇らしたと聞いとる」
「全ての生き物には精霊が在り、動物には守護霊・背後霊、植物には妖精、惑星には星霊、呼び方は夫々だけど元は一つの宇宙霊。生きると言うことは物質に宇宙の分霊が宿ることなの」
バキが感嘆する。
「当に理想郷!嘗て探し求めた全てが此処(ムセイオン・アーカシャ大図書館大学院公国)に在る。天地遍く融和し、愛が全てに満ちる。夢が踊り、魂が躍動する。働く喜び、知の喜び、肉体の歓喜、公民の全ては希望に満ち、驚くほど豊かに、全てが解放されている。そして、この地上の天国が、奴隷あるいはモグッパ等の下支え無しに、喜びの中に成し遂げられている」
「だが、それは両刃の剣。豊かで有れば有るほど、貧するものには垂涎の的となる。嘗てのヨミシャセが貪られたように、飢えた山犬共が簒奪を窺っている。取り分け、国境を接するヤンゴルモア北部同盟とチャガタイの動向を警戒せねばならない」と、キサンが水をさす。
「チャガタイとは不可侵条約を協定しているのでは?」
一平が首を傾げた。
「ヨミシャセは先の大戦で不可侵条約を結んでいたチャガタイに、劣勢になるや、背後から襲われて止めを刺された。現実主義者にとって、概ね条約とは便宜的な誤魔化しに過ぎない」
「最近は友愛政策とやらで、大らかなヨミシャセは近隣諸国に富と国土を献上し続けているようやが」
「トーラが平和・幇間ボケのヨミシャセと異なるのは、世界一を自他共に認める諜報部がある」
「弱い兎なりに俊敏な逃げ足とデッカイ耳を持っとる言うことやな」
「でも、所詮は獲物。強い牙を持たなければ、何時かは喰われてしまいます。結局はヨミシャセと大差ないでしょう」と、一平は楽観論を一蹴し、兵学と戦略に関しての日ごろの思いと薀蓄を披露するのだった。
一平はテラ版の剣道のソルドルウに嵌り込み、日々武道の研鑽に明け暮れていたが、キサンより降って湧いたような申し込みがあった。
それは、一平の兵学の深さに感銘したキサンから、トーラの抜本的軍事再編の正式な要請だった。
「机上の論です」一平は断る。
「枉げてお願いする。ムセイオンの科学技術は他に類を見ない程なんだが、こと軍事になると空っきし。それに、これは何にも柵の無い君にしか出来ない。トーラ総軍団長のマギャポ上級将軍には了解済みなので協力して進めて欲しい」
「トーラ兵の精強さは一騎当千と云われてますが……」
「傭兵のような個人能力としては卓越しているが、組織としては私兵主体で話にならない。ヤンゴルモアの侵攻の際、脆弱さは証明されている」
兵法オタクの一平としては、軍民一体化構想を実践する好機として、引き受けることを了承した。
かくして、トーラ国挙げての全面支援の下、図らずも一平は軍事指導者としての才能を発揮し、ムセイオンの精神性と科学力を生かした国民皆兵の強力な防衛神軍を創り上げるのだ。
牧野・鬼三たちは、今だ利害意識に呪縛されて泥沼に足掻く世界の現状に、起死回生の打開策が必要であるとの認識で一致していた。
新ダルマラーマの牧野は決意を発した。
「大洗濯が迫るにつけ、このまま熟柿が自然に落ちるまで待つ余裕はない。ムセイオン図書館大学院公国の素晴らしい現況をモデルケースとして、速やかに全世界へ敷衍させねばならん。
国力の充実と、日々に衰弱するフリンが体力に鑑み、人類生存を賭けて乾坤一擲の大勝負に打って出る!」
「具体的には?」
「流れを作るのや。強引ではあるが、弥勒の賛同者を雪だるま式に募りながら、ヨミシャセを手始めにキハン、ヤンゴルモア、ラッサからインディラスタン、ギリシャ回りにエルサレムまで巡礼行脚し、合流し、戒壇を祭って神人を迎える」
「大ワニの……大巡礼だな」フリンが頷いた。
「大ワニ?」
キサンが首を傾げた。
「出口王仁三郎。日本の二十世紀における精神界の巨人だ。朝鮮から満州を経てギリシャからエルサレムまでの行進と戒壇設立をドンキホーテのように夢見て……失敗した。
だが今度は、……人類生存のために何が何でも成し遂げねばなんねえ。それには、公国が一丸となって各国の垣根を外すべく、働きかけねば……」フリンは大きく喘いだ。
「それには先ず、足元の公国内から。ヤンゴルモアとチャガタイの息がかかった唯物主義者が今だ蠢いている」と、キサンが釘を刺した。
… … … …
ロキとガイア一行は決起を促すがため、新ダルマラーマ初の枢機卿会議に臨む。
ダルマラーマ・コウキ・ライオンは神界のテラ大清掃計画による人類の危機を訴えた。
「現状を考慮するに、放射能汚染、疫病、化学汚染、公害、飢餓、そして、人間自体の退廃が顕著で、さしもの神さんも堪忍袋の緒が切れようとしてる。テラにおける我々人類の存亡はひとえに我々にかかっている。神人の支援を蔑ろにして、このまま反自然、反融合、反宇宙則の輩が跳梁跋扈するならば、早晩に神の鉄槌が降り、混血竜人に取って代わられるだろう」
そして、更に訴える。
「危急存亡のおり、人類存続の為には融和派も非融和派もクソもない!今こそ、世界の思想的リーダーたらんとするムセイオン大図書館大学院としては、人類の罪を負って殉教したミロクを掲げ、一致団結して行動せねばならない」
枢機卿の重鎮で、文化人類学教授としても名を馳せるバクロドン卿が進み出て、思いがけなくもダルマラーマ法主に論陣を張った。
「ダルマラーマとヒカリイトに物申す。ムセイオンは世界の政争を他所に、アレキサンドリア以来、常に知の集積所であり、知恵の殿堂たらんとして来た。我々が幾多の危機的状況(焚書や宗教弾圧)を乗り越えれたのも、只管に政争から距離を置き、自らを律して来たからである。
然るに昨今の図書館大学院を省みると、軽佻浮薄極まり、歯止め無い自由と根拠の無いオカルトや独断専行による非民主的な風潮が蔓延っている。
非現実的な人類滅亡の幻想より、これ等の方こそが大図書館大学院の根幹を揺るがす憂うるべき問題であろう」
車椅子に在る前ダルマラーマのフリンが発言した。
「バクロドン卿、……現状の図書館大学院公国を見るに、平和の中、嘗てこれほど豊かで愛に満ち、これほど伸びやかに解放され、宗教、哲学、科学、芸術、文化が進展し、安寧な幸せを享受したことがあっただろうか?しかも、……ヒカリイトとササキ・イッペイの尽力で高度な軍事防衛力すら備えるに至った」
バクロドンは反論する。
「確かに、自然融合農法や愛の敷衍は嘗て無い豊かさをもたらし、公民を賦活させ、シャールマニの心霊体医療は驚くべき医学の発展をもたらした。
しかし一方、妖精なる怪しげな幻想に迷わせ、公国全土が卑猥で不道徳な雰囲気に支配されるようになり、科学的唯物思想をぶち壊し、オカルトとまやかしをもって大学院の知性を根底から揺さぶってもいる。そして、強力な軍の存在は{備えあるから憂いが生じる}と、言う我らが非暴力主義に相反する危険思想に他ならない。
貴方がたは神の審判なる幻想を煽り、四千年のムセイオンを危機に晒そうとしている」
「怪力乱神を語らず言うか、昔の私やったら一コロや」
牧野は感心したように小声で耳打ちした。
キサンが立ち上がった。
「現実を直視されたい!卿は神人と共に我らが、嘗て公国のど真ん中に降り立ったのをお忘れか?ヤンゴルモアの凄まじい簒奪のため、崩壊寸前に疲弊していたムセイオンを立て直したダルマラーマ・ラモンとミロク・ユズキの行った幾多の業績と奇跡も幻影と言い切るのか?
唯物主義、民主主義、個人主義、排他主義、非暴力無抵抗主義が絶対と崇め奉るのこそ、亡びのヨミシャセがそうであったように現実逃避と言わざるを得ない。そして、今は経過や憶測でなく現れた結果を見る時であろう。
世界が滅びればムセイオン図書館大学院も無いし、院が無ければ唯物もカルトも糞も無い!」
バクロドンが言い返す。
「最後の審判の類を前提とするのは如何なものか。一連の出来事を、貴君達は奇跡や業績と信じ、我等は幻影と言わずとも、偶然の結果と解釈している。従って、永遠の平行線とも思えるこの谷間を埋めるには互いに得心の行くまで時間をかけるべきで、軽々に結論を下すものではない。拙速は公国の団結を揺るがし、恐るべき事態を招くであろう」
ガイア一行が目論んだ決起の起爆となるはずであった枢機卿会議は、団結どころか出口の無い袋小路に迷い込んだ感がある。
会議が終了すると、バクロドンはキサンを呼び止めて「貴君等が如何なる手段でギラジミール卿等を亡き者にしたのかは知らぬが、もし我等の身に一旦ことあらば、同志と大国チャガタイ、強いては光の家・竜人グループは決して黙ってはいないだろう」と、告げた。