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六十七話

   

 深夜、一平は寝所のバルコニーに抜け出、椅子に靠れてぼんやりと辺りを眺めていた。

 仄かな月明かり、ぼんぼりのように蓮の花が湖沼に浮かんでいる。

 敷地周りをうるさく付き纏うドードー鳥は静かな眠りについていた。


 頬に触れる温かな微風、ココ椰子の葉音を縫って聞こえる清かな虫の音に夜香木の香りが夢幻の陶酔を奏でる。

 夢現の狭間に思い出が走馬灯のように浮かんでは消えて行く。

 この地には気だるく死のような寛ぎがある。


           

           … …     … …


 しじまを貫く叫び声とノッカーを激しく叩く音。

 「大変です!ライオン殿が突然の発作で倒れ、昏睡状態になってます!」


 牧野の寝所には、総督夫妻を始め邸宅中が集まって大騒ぎになっていた。ベッドではゲオルクに介抱を受ける素裸の牧野が、目を剥いたまま痙攣を繰り返している。


 ヒロコが「……意識が無いの」と、言った。


 痙攣が止んで一段落すると、手当てをしていたゲオルクが告げた。

 「総督夫人によると、突然だったそうです。一応の応急処置を施しましたが……」

 「夫人によるとって?」


 「……同衾していたの」

 蒼ざめたエローミュが傍らから蚊の鳴くような小声で答えた。


 彼女によると、牧野は快楽の絶頂に突如全身に痙攣が走り、腹上で昏倒したとのこと。


 一平が病状の見通しを尋ねると、ゲオルクは沈痛な面持ちで首を振った。

 「脳波が停止して、ウマ(中央脈間内)の意識(存在の中核)とルン(風)に変動が起き、霊魂の緒が切れています。器質的には全く異常が認められ無いので、このまま植物人間、或いは臓器としてなら生き続けられますが……」


 「詰まり、死んでる、と言うこと?」ヒロコの声が震える。


 シャルマーニは一呼吸置き、「招魂法グイカウォンなら、何とかなるような気もするんですが……」と、自信無げに言った。


 「グイカウォンって?」

 「霊界に彷徨う魂を探し出して、自ずからに取り込んで抜け殻なっている肉体に還元する方法」

 「貴男には出来ないんですか?」


 「我には力不足です。ニライ・カーネルのリリト神官女王がこの法の一人者ですので、早急に連絡をとりましょう」

 「あのリリト?」

 「女王を御存知でしたか」

 「パートナーのハーセム執政官を知っていると言うのが正しいのですが」


 すると、エローミュが「リリトは私の姉なの」と、告げた。


 「リリトは少女時代を此処で過ごしたの。彼女は色情狂ニンフォマニアで、麻薬中毒ジャンキーのべりアルと駆け落ちしたのよ」


 ヒロコが「その素敵な魔女に縋るしかないんだ」と、呟いた。

 「で、それでも駄目な場合は?」

 一平は簡単には諦めるわけにはいかない。


 「その場合は現状の肉体を破棄し、細胞からクローン再生を試みるしかありません」

 「そうなると……?」

 「赤ちゃんからやり直し。高速度成長機にかけても数年を要しますし、帰魂の度合いにもよりますが、記憶の方も完璧に再現とはいかなくなります」


 一平とヒロコを残して全員が立ち去ると、其処には恐るべき静寂が在った。

 ライオンの肉体は、昏睡状態で静かに呼吸をしている。


 重苦しい沈黙を破るように一平がヒロコに語りかけた。

 「腹上死なんて洒落にもならない。……目覚めたら、思い切りお灸を据えてやりましょう」

 「このままお祖父様が回復しなかったら……」

 「七十代から四十代になり、今度はクローンにより赤ちゃんからやり直すか……」

 「クローンは本人と言い難いわ」


 行き違えとは言え、こんな時に頼りになりそうなパトリース、玲、バキ老師は遥かなる世界に行ってしまっている。そして、最も頼れるはずの牧野がこの様だ。


 憔悴のヒロコは部屋に戻り、一平が明朝まで昏睡の牧野に付き添うことになった。


 傍らのソファーに横たわり瀕死の牧野を見ていると、次第に言い知れない不安が湧き起こる。

 (もし意識を取り戻さなかったら、此処に居る存在自体が何の意味を持つのだろう?一連の奇跡は単なる偶然だったのか?)


 一平は怖ろしい思いに捕らわれた。

 それは、伊豆の立花屋敷に籠もって見た白昼夢が今だ続いていて、それ以後の出来事全てが幻想ではないかとの疑いだ。

 美田村の特訓から始まって、恵子との出会い、冒険への旅、何もかもが出来過ぎの感がして来る。




 明け方、朝霧を縫って一陣の風が窓から吹きぬけた時、一平は気配を感じ目覚めた。


 書記用机にモルモネが止まっている。


 「イッペイ!グイカウォンに先立ち、これから鸚鵡オウムの法を行う!」

 「オウムの法?」

 「万が一の場合、精神ステージがまだまだの一平がライオンの肩代わりは荷が重い。我々ヤハタがピノマントとの精神の入れ替えの為に行う儀式の高度な技術なんだな」


 一平の顔が引き攣る。

 「僕が使命の任を代わりに負うなんて、無理過ぎて考えたくもない」


 「お前がやらずに誰がやる!」

 叱咤するモルモネは、何時ものオチャらけた鸚鵡でなく獲物を狙う猛禽のようだ。


 一平はイヤサカの紅勾玉ネックレスを牧野から外し、装着し、宝杖(神聖ヴァジュラ)とヤハタの賢者石(水晶髑髏)を前に置く。

 そして、バンダナを外して、呼吸を整え、両掌を髑髏の額に置き、結跏趺坐に入った。


 頭頂部にモルモネが止まる。

 「開く蓮華の花を観想せよ!」


 やがて、頭上から電流のように根源意識(阿頼耶識)が流れ込んで来た。

 一平はピノマントのように脳がジャックされる恐怖に慄き、精神を集中するのが難しくなっている。


 モルモネが叱咤した。

 「全てを受け入れよ!」

 瞬間、一平は自らの自我が吹き飛んで行くのを感じる。

 水晶頭骸の強烈な吸引が一平をアカシックレコードに誘い込み始めたのだ。


 小半時、突如滝が落ちてくるかの轟音と共に奔流の如き凄まじい知識の流入!見開く額中央の眼、頂点に達した感情が暴発して跳ね上がり、尾骶骨から電流のような衝撃が猛烈な勢いで噴きあがった。

 二重三重の眩い光輪が凄まじい勢いでフラッシュし、自分が光の輪に包まれて、肉体の外に抜け出た感覚。

 意識が急速に途轍もなく拡大する。

 突如、轟音と共に煌く流星が全身を貫いた。

 魂の奥底から潮騒の如く霊声が湧き起こる。

 (ダールラハアマ・ムング、ダールラハアマ・ムング)


 寄せては返す波のように、激情が押し寄せては引いて行く。

 一平は光の海の中に浸っていた。


 至福の喜びが満ち、意識は果てしない宇宙と一体化している。


 明るい一筋の途、蜃気楼のように揺らめき浮かぶ広大な河に向かって、牧野の陽炎が蛍のように群がる光と共に歩むのが見て取れた。


 一平は迸るマントラを繰り返し繰り返し復唱する。

 「ダールラハアマ・ムング!ダールラハアマ・ムング!」


 寝室にはアーチ型の窓から銀月の光が淡い影を落とし、牧野の抜け殻が微かな息音を刻んでいた。


             … …      … …


 一平が小鳥の囀りに目覚めると、モルモネの姿は無く、既に入室していたエローミュとヒロコがベッドの傍らで密やかに会話を交わしている。


 一平に目を合わせたヒロコが「一平さん、交代するわ」と、言った。


 「見て!」

 エローミュが声を上げた。

 牧野の唇が微かに呟くように動いている。


 急遽呼ばれて検診するゲオルクは唖然とした。


 「信じられない!玉の緒が回復し、魂が軌道修正されている!今は限りなく深く眠っている状態としか……」



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