五十九話・妖樹魔界
機上となった一行は間もなく、ニライ・カーネル盆地の突端から広く緩やかに上るダイダーネン丘に到達した。
「此処からニライ・カーネルまでの制空権はイーラムが保持しており、通行には彼等の許可が必要です」
竜騎団に伴われた一行は霧に煙る朝日を正面に隆起山脈の山の辺まで広大な縦形に展開される大船形クレーター都市を見下ろした。
高い壁塀に囲まれたニライ・カーネル市の前、蝶形の左右に広がるイーラム円柱都市。
薄汚れた灰色の居住区に無数の蠢くものが見て取れる。
「イーラムは闇の都市であり、夕方に目覚め、朝に眠る」
ハーセムは旅行ガイドのように話す。
ダイダーネン丘の対極、聳え立つ黄金のオベリスクを指差した。
「神の言葉を受けるヤハーシロ。真奥の本殿には神の命を伝える聖櫃が収めてある。
春の大月祭には全世界のみならず、宇宙規模で百万を超える種々雑多なヒュウマノイドの巡礼者が集合し、本殿前の広場を埋め尽くします」
「ザ・神殿や」
「そして、都市前に広がるイーラム市は、魔樹ベドロベアを中心に、堕神人、奇形児、遺棄された失敗実験体、逃亡犯罪者、邪悪なバルデラスや妖怪等の魑魅魍魎の支配する暗黒の無法都市として恐れられています」
カドモスが話に割って入った。
「政治情報員として名高いハーセム殿に折り入っての頼みがある」
「私に頼み?」
「我が軍団は戦闘集団であり、政治的な駆け引きには空っきし。しかしながら、ご存知のように現況は極めて複雑な政治的渦中にあり、これを乗り切るのには政治的経験と知識が必要」
「……?」
「つまり、我が軍団ニライカーネル入場の暁には、我々にとって厄介な政治的駆け引きを、貴殿の経験と豊かな知識に委ねたい」
ハーセムは驚きを露に問う。「協力するのは吝かではないが、卿と同様に議会に背いた私が関与するのは、ことを面倒にするのでは?」
「毒食らわば皿まで」カドモスは笑った。
… … … …
血相を変えた伝令がカドモスに走りより、耳打ちする。
席を外したカドモスはザルダーヒコと深刻な面持ちで話し合っている。俄かに兵士の動きが慌しくなった。
「如何ないしてん?」
「神官女王リリトが竜騎団及びライオン一行のイーラム通過及びニライカーネルへの立ち入り拒否を通告して来た。ニライ・カーネルごとき、軍事的には屁みたいなもんだが、……遮るイーラムが厄介だ」
「弥勒の伝道と言えば、イーラムはフリーパスのはず」と、バキが首を傾げた。
「それが、ニライカーネルがイーラムへの伝達拒否ときた。我等はあらゆる通信を試みてはいるが、糠に釘。イーラムは外界と拒絶された社会で、ニライカーネルからの指令以外の情報を遮断している。我々はイーラムにとって無法な侵入者としか受け取られない」
イーラムの上空に不気味な黒点が出現し、積乱雲を巻き込むように次第に巨大な渦巻きと化して行く。
「これは、一体何なんですか?」
「禁忌の、人工ブラックホール渦!空飛ぶものは全て吸い込まれてしまう」
カドモスは命令を下した。
「諸君!既に、状況は戦闘状態だ。これよりイーラムを正面から徒歩で突破し、ニライカーネルのスターゲート洞窟まで至る。全員、急ぎ補助力鎧を装備せよ!」
ザルダーヒコが一行にパワー補助ブーツを配布した。
「一緒に行軍しますので、装着して下さい」
大音声が響く。
「整列!」
カドモスは告げた。
「神官女王リリトに緊急の事情を説明したところ、サーデモ人民議会の許可を取れの、人質やら高額な通行許可料の要求やらを吹っかけて引き伸ばしを画策しおった。女狐には、きついお仕置きをせねばならん」
「女狐?」
「美貌と奔放さでニライカーネルの先王を篭絡し、その後釜に居座った娼婦上がりの魔女。それが、人を操る力がある。色狂いさせたり、時には死人をも生き返らせる」
「前進!」
竜騎団は重装と盾に身を固め、真ん中に牧野一行を包み込む隊列を作ってニライ・カーネルに向かって進軍する。六台の軽量戦車が両端を挟むように付添う。
ザルダーヒコが一行に「歩調の速度に合わせて進んで!」と、指示した。
スーパーシールドを頭上に張り、盾を並べ、長く輝く電磁破壊槍を構えるのは巨大な甲虫を連想させる。
「一平君、古代ギリシャの重装歩兵陣形や!」
「ファランクス?」
「歴史が……入り組んどる」
一平が隣を歩むザルダーヒコに尋ねた。
「上から攻撃を受けたら?」
「シールドは完璧に外気を遮断し、核爆撃、有毒光線は元より知りうる限りの攻撃に耐えられる。有機金属盾は如何なるレーザーや砲撃の衝撃も吸収し、電磁破壊槍は狙撃光線銃も兼ね、あらゆる金属・鉱石を腐肉のように突き通し原子まで分解する」
「当に矛盾や」牧野が笑った。
カドモスが呼びかける。
「べドロベアよ、サーデモ竜騎団のイーラム通行を請う!」
イーラムからは何らの応答なく、立ち並ぶ円柱の間、耐え難い湿気を縫って稲妻が間断なく通っていた。
ニライ・カーネルまでの歩行距離は約三キロ。
「まかり通る!」
竜騎隊は忽然と湧き起こった妖怪群を掻き分けるように、蝶の括れにあたる真正面の百間道路を気勢を上げて進軍する。
すると、俄かに掻き曇った暗黒の世界に凄まじい風雨が荒れ狂った。降り注ぐ血飛沫、バラバラ腐食死体がファランクスの壁にぶち当たる。
空中を無数の食魂鬼が身も凍る雄叫びを上げて徘徊した。
カドモスが怒鳴った。
「我が竜騎団には、腐れどものまやかしが通用しないのを知らしめよ!」
隙間なく地を這う百足と毒蜘蛛に蛭、雨のように降り注ぐ肉食ゴキブリ、吸血蝙蝠そして、一人一人の心の弱点を衝く幻が浮かんでは消える。
ファランクスは行軍を続けた。
何時しか、悩まし続けた幻影と騒音は消え去り、辺りは竜騎隊内の通信音と行軍の足音のみがイーラムに木霊する。
ニライカーネルの巨大門柱まで数百と迫った時、突如として哀しみに誘うソプラノが、浪々と地の底から湧き上がった。
竜騎団はニライ・カーネルを目前にイーラムの恐るべき罠に気づかされる。
「前進しても、門柱との距離が縮まらない!」
「進軍停止!完全防御体勢のままで持場を保持せよ!」
カドモスからの伝令がダイダーネン丘に待機する機甲飛隊に飛んだ。
「灼熱の硫黄(焼夷弾)を嵐の如く、イーラム全土を火の海と化せ!」
忽ち、辺り一面に凄まじい炎が燃え上がる。
嵐のように降り注ぐ焼夷弾はイーラム全土を包み込み、灼熱の地獄をもたらすのか?
否!噴煙の過ぎ去る時、全ての攻撃を嘲笑うかに悠然と無傷のイーラムが歌声と共に再び出現したのだ。
誘いのソプラノは益々増幅し、耳を聾せんばかりに響き渡る。