五話
昼のカフェ・デジャヴは、昨夜の雰囲気とは様相をがらりと変えて、明るく道路側にフルオープンになっていた。
紅葉の街路樹と道行く人の流れを側に、客は室内から流れるシャンソンとカフェを楽しんでいる。
カウンターで用件を告げると、昨夜歌っていたマジック・パフォーマンスの外国人男性が奥から顔を出した。
一平を見ると、驚いたように見詰めている。
「イッペイ……?」
「はい、竹原先生が、こちらでと」
男は一風変わったイントネーションで、
「ケイコはスポーツジムの帰りになるワ。だからカフェを飲みながら待っていてネ」と、街路沿いのテーブルに導いた。
「こんなに背が高かったかナ?二メートル?」
「まさか、八十八です」
「確かに、ユウマに似ている」
「ユウマ?」
「恵子ママの亡くなった子供」
そして、「私は未来のアナタと親しいのヨ」と、意味不明な言葉を発した。
「イッペイは剣士ネ?」
「剣道をやってます」
「私も剣の道に励んだことがありますノ」
武道オタクの瞳が輝く。
「剣道をですか?それとも、フェンシングとか?」
「私は色んなマーシャルアーツを齧りましたが、特にソウ・ジュッツ言う日本剣道の変化形武術は我ながら結構イケるんですのヨ」
「剣道の変化形って、コムド(韓国剣道)みたいなものですか?」
「コムドやテコンドウのようなスポーツ化じゃなくて、実戦武道へ引き戻った武術ネ。軽量防具で、打突の有効表示は全てエレクトリックに表示される競技ルール」
「それは何処の国で?」
男が「ドラゴンワールド」と、ウインクする。
(マジッシャンの冗談?)
街路から呼ぶ声があった。
髪を一つに纏め、ポロシャツに洗いざらしのジーンズ、上に男物らしいジャケットでスニーカーを履いた竹原恵子がショルダーザックを肩に下げて居た。
恵子はパトリースと抱擁し、フランス語で何やら話してからテーブルに同席する。
パトリースは一平へ物有りげに目配せして中に入って行く。
「怪しいわね」
首を傾げて後姿を追っていたが、恵子は声を潜めた。
「パトリースはゲイなのよ」
一平は昨夜と違う雰囲気に、戸惑っている。
「昼間もローブ(ドレス)を着なくちゃいけない?」恵子は微笑んだ。
一平は深々と頭を下げ、
「この度は、ご迷惑をかけました」と、来る途中、路上で求めた薔薇の花束を差し出した。
「有難う。気を使わなくても良いのに」恵子は香りを嗅いだ。
「貴方は紅い薔薇の花言葉、知っている?」
「そう言うのは疎いんで」
「恋心よ」
一平は見る見る顔を赤らめる。
「ウソ、適当に言ったの」クスクス笑いながら、恵子はザックから袱紗に包んだ一平の物入れを取り出し、テーブルに置いた。
一平は無造作に後ろポケットに納める。
「上着に入れたほうが良いんじゃない?」
「大丈夫。同じヘマは二度としないんで」
年配の女性から久しぶりに受ける気遣いと注意が一平には懐かしくも心地よい。
「オカマさんに借りていらしたの?」
「はい。散々馬鹿にされましたが」
「親しいのね」
「剣道部だけでなく、プライベートにも親しいんです」
「プライベートにも?」恵子がくすりと笑った。
一平は慌てて手を振った。
「ルームメイトはオカマ紛いでオカマではありません。生兵法クラブ言うオタクな同好会の仲間でもあるんです」
「生兵法クラブ……?」
「古今東西における戦略を検証し、シミュレートする同好会なんです。
戦争、あるいはスポーツに至るまで、適当この上なく戦いと言う戦いをネタに熱く論ずるんです」
「部外者も参加できるのかしら?」恵子は会話を楽しんでいる。
「それはもう!以前に母を連れていったことがありました」
「ママンってどんな人だったの?」恵子が尋ねた途端に一平の目頭は熱くなり、目が潤み始めた。
「僕にとって理想の女性像でした」
そう言ってから、一平は、感情の高まりを抑えるように、
「それが……何処か先生と似ているんです」と、付け加えた。
母を亡くしたばかりの息子と、子供を亡くしている母親は、会ったばかりとは思えないほどに親密に談笑している。
パトリースが間を縫って、「育ち盛りのアマンはお腹がペコペコのはずヨ」
と、さり気なく告げていく。
「パトリースさんって、外人でも色が違うと言うか、ちっとばかし普通じゃ無いっすね」
恵子は声を潜める。「ブルーブラッドらしいわ」
「ブルーブラッド?」
「高貴なお血筋ですって」
ランチを取るため、近くにオープンした自然食のベジタリアン・レストランへ案内したが、臨時休業になっていた。
「残念だわ。ヘルシーの上に美味しいリストランテって、中々無いのよ」
急遽、青山にある彼女のアトリエで簡単な手料理を取る事に決まり、タクシーを拾った。
アトリエは駅から歩いて十分ぐらい、閑静な住宅街の蔦が這う瀟洒なビルの一室に在った。
打ちっ放しのモルタル壁に囲まれ、広いワンフロアの中に居住空間が衝立で部屋風に簡単に仕切られていた。
「ホントにパスタだけよ。そこのワインクーラーから適当な白を出してくれる? グラスは其処」
壁面に埋め込んである電動ワインクーラーは、優に五百本は保存できそうだ。
一平は白ワインを一本引き出した。
「これは、えーと、…コルトン・チャルレ……?」
「シャルルマーニュね。アーモンドっぽい香りが素敵よ」
料理が出来上がるまで、一平はアトリエを探索する。
室内には、大きな天球儀と称するアンティーク物を真ん中に、大小様々のキャンバスが天井から壁、床そしてイーゼルに吊り下げられたり立て掛けられていた。
キャンバスに描かれている作品の完成度は夫々だったが、何れも鮮やかで、生き生きとしており、素晴らしい感性が画面の中で踊っていた。
特に製作中の、咲き乱れる藤の花に飛び交う熊ん蜂(マルハナ蜂)の群れは圧巻で、爽やかな春風に蜂の羽音と花の香りが画面の中から漂って来るようだ。
「スゲー!」一平は感嘆した。
エプロンを巻いた恵子が「如何したの?」と、キッチンから顔を出した。
「絵にチョー感動っす!見ていると、武原恵子先生の講義を受けたくなっちゃう」
「ワーオ。残念ながら美大の講義は実技じゃないのよ。私のは造形心理学なの」
「造形心理?」
「創造と精神の関連性についての理論。人を作品に惹きつけるための構成技術と言ったところかな。
絵の実技なら個人的にノンタックスで教えてあげても良いわよう」
一平は「畏れ多いっす」と、手を振った。
「面白いわよ。描くのはオーケストラの作曲と指揮者、推敲する小説家にも似た作業なの。メインテーマを押し出すためのバック・グラウンドを創るのが素敵なの」
一平は壁の中央に六号ぐらいの画風が異なるシルク・スクリーンの人物画に目を止める。
青い水晶髑髏を抱くようにして微笑む少女?少年?
「この絵は!」
恵子は調理の手を止めて
「お化けでも見つけた?」と、一平に近づき肩へ手を掛けた。
「それは、手元に残された唯一のパパの絵なの」
「それが、童児言う人に、あんまり似ているんで」
「俊英の秀作と言われている『マイトレーヤ(弥勒)と五色の天人たち』って知って・・いないわよね?」
「・・・ ・・・」
「南相馬に伝わる昔物語りからの一説らしいわ。この絵は『マイトレーヤと五色』からの、マイトレーヤのみの抜粋なのかも。何れにしろ、実在のモデルがいたことは確かよ」
「じゃあ、童児さんがこの絵のモデルで無いことは確かですね」
熱心に絵を見る一平に秘密めいたように「ね、手を見て」と、囁く。
「六本指だ!」
「古代ではピタゴラスがそうだって」
恵子は一平をマジマジと見て、
「君にも似ているような感じがしないでもないわ」と、首を傾げた。
「僕と童児さんは似ているって、言われてました」
「その方は、伊豆に居らっしゃるの?」
「数ヶ月まえに亡くなりました」
「それは、・・君のママンの死と関連があるのかしら?」
一平は吃驚したように、恵子を見つめ「どうして?」と質すと、恵子は「何となく」と、答えた。
「いけない!パスタが茹っちゃう」恵子は慌てて厨房に戻った。
部屋の隅にある机の上に、バイクに乗った少年の写真が立ててあった。
その少年は髪と瞳の色が淡い以外、一平に良く似ている。