五十二話・黄泉のダンジョン
眩い太陽と乾いた風を後に、暗く湿った洞窟を歩む時、一行は誰も無口で、靴音だけが響いていた。
「竜の世界には、後どのぐらいですか?」進むこと一時、沈黙を破るように一平が尋ねた。
「このペースなら、六十時間後ぐらいには」と、老師が告げる。
「で、そこからテラまでは?」
「竜国からテラとガイアは等距離感覚。トンネルを経て行く陸路と、船や航空機で行く海路があるが、海路口の方は神人の自治区にあり、アクセスが難しい。
ただ、陸路も、テラへの出発口・ニライカーネルが反人間グループ国の影響が強い竜人連合のディルムンにあること」
「反人間の国やて?」
「現人類を滅ぼし、代わりに竜人ミックスヒュウマノイドを立てようとするサーデモ国等」
「ミックスヒュウマノイドって?」
「ミックスは青人に類別され、一見は人間や竜人と区別がない」バキはパトリースに顎を杓った。
パトリースが胸に手を当て「竜人ミックスヒュウマノイドのスペシャル・ヴァージョンとして次元の谷間を流離っておりますデス」と、自らのミックスヒュウマノイドを告白した。
「それって、恵子ママは知っているんですか?」
「理解しているかは別としてネ」
パトリースは片目を瞑った。
休憩を入れ、洞窟の可視道路を歩むこと十数時間、敷石脇の側溝を温清水が音を立てて流れている。
「もう直ぐサンドゥ湖だ」トミスが呟いた。
「サンドゥ?」
「洞窟湖からヨミデス・ユーテンジュ国の出口に広がる湾湖。ユーテンジュの大司祭である女王エンマシアの支配領域になる」
光を帯びた濃霧に突入する。
漸う手探りで通り抜けると、行く手を阻む暗がりに先の見えない広大な水が在った。
(騒がしい……)
道路の延長上に広い桟橋が続き、河小屋の淡い照明の下に、前後の舳先が反りあがった椅子付二十人乗りぐらいの櫂舟が数艘舫っている。
モグッパの群れが、舟を乗り降りし、慌しく動き回っていた。
「三十匹はいるぜ」
玲の不安そうな声にトミスが言った。
「彼らは人間に友好的なユーテンジュのモグッパよ」
天井から声が響いた。
「サンドゥの渡しに来る者たちは誰ぞ!」
バキは両手を広げる。「我らはテラ復活ミッションのホカ・バキ。渡テラのためヨミデス・ユーテンジュを経由通行する!」
すると、舟の側に淡い光が二体浮かび上がり、黒い薄絹を纏った長身の美女と、護るように寄り添う雄大な白獅子が形をなした。
「女王のお出まし」
濃紺の長い髪、透けるような蒼い肌、均整のとれた肢体。
モグッパは全員跪いている。
「ホログラフィー?」
「いや、実体やな。それにしても、別嬪や」
光を帯びた女王が告げる。
「我はユーテンジュ女王エンマシア。ラオダイ・ライオンと勇士たちを心から歓迎します。敬意を込めて、我が王都スイーピラのタカ・カムニャ宮へ案内を」
「女王陛下直々に畏れ入ります」
女王は「ロキ、リョウーゼン・クロイット博士、ジェルマン伯爵、それともマジッシャン・パトリースと呼んで良いのかしら?」と、パトリースに手を差し出した。
「ご健勝、お喜び申し上げます」パトリースは跪き、手に額を乗せる。
「宮殿で、ご無沙汰の素敵な言い訳をじっくりと、お聞きしたいわ」
舳先に白獅子を従えてエンマシアが立ち、前後左右の櫂を持つのは六人の屈強なモグッパだ。
出舟すると、前方に巨大な水飛沫が上がり、銀鱗をくねらせてズルズルと水面下に沈む何かを見た。
エンマシアは両手を差し出すようにして浪々と歌う。
澄み切った声が空洞全体に響き渡った。
「歌で磁場をコントロールするのヨ」
舟は薄暗い洞窟を抜け、大羊歯と鱗木の谷に囲まれた明るい緑のトンネルに漕ぎ出でた。
色とりどりの花々と草の香り、湖底には、水中花が白い絨緞のように敷き詰められている。
眼前に広がるフィヨルドの山間、鏡のような湖面には漕ぐ音のみがあった。
濃密な空気、そして淡い桃色の雲が空全体を覆っていて太陽を思わせる光源が滲んでいる。
パトリースが立ち上がって、芝居がかった仕草で声を上げた。
「闇の世界から、羊歯と鱗木に包まれた魂の秘境へ。果物に埋もれ、乳と蜜の溢れ出るパラダイス。ようこそ!ユーテンジュに」
陰鬱な地下トンネルから外世界の湖上に抜け、心地よい微風に浸っている。
「地下世界とは思えない」一平は感嘆した。
パトリースが笑った。
「地下なんかじゃないヨ。説明は難しいが、此処は地球から遥か彼方の白鳥座の惑星なノ」
舳先に立つ黒衣の女王が漕ぐのを緩めるよう指示した。
人差し指を口に当て、一方の手で湖底を指差す。獅子が唸っている。
視線を降ろすと、水面下に舟の優に二倍はあろうか、雄大な薄墨色の影が忍び寄っていた。
水生巨獣は悠然と長い首と尾を湖底にくねらせ、足鰭で梅花藻の花園を掻き分けるように泳ぎ去った。
舟は漕ぎ手の掛け声賑やかに、フィヨルドの急斜面へ家々が貼りつくように建てられている閑村に入港する。
一行は手漕ぎ舟から高速電磁舟に乗り換えるのだ。
港には巨大蝙蝠を思わせる光を帯びた怪鳥(?)に騎乗した護衛兵が待機していた。
「大きいわ。鳥?身体はライオンみたい」
「ガリッポム。獅子と飛行竜のキマイラなのヨ。光っているのは防護用のシールドなノ」
数匹のガリッポム騎士に護られた電磁舟は、高速で心地よく波風を切って山間を抜け、広大な湖水に出た。
飛ぶが如く一時、目にも鮮やかな南国風の美しい港湾が水平線の彼方から出現した。
王都スイーピラ、入り組んだ水路に照り映える広大な白い町並みとココナツ椰子と羊歯の林、荘厳華麗なタカ・カムニャ宮殿が水上に浮かぶが如く聳え建つ。
郊外の彼方には山のような三角錐の構築物が霞むように数基点在している。
「白く大きいのが命の宮。青く光を帯びているのが美しの宮、他、天文、麗し、繁殖、錬金、陶酔の宮」
バキ翁の説明によると、命の宮は生命賦活の施設で、美しの宮は獣的な肉体付属品を取り除く施設とある。
「ピラミッドは墳墓じゃないんだ」
牧野が割り込む。
「一平君、元来ピラミッドは墓やない。エジプトの大ピラミッドの解釈なんかは全くの噴飯ものや」
「大ピラミッドってクフ王のですか?」
「あれほど壮大にして精緻な建築物は、あの時代のエジプト人に造れない」
「それ以前の方が建築技術が高かったと言うことですか?」
「技術進歩が右上がりに移行するようになるのは人類史におけるホンの一瞬と言っても良い。時代の淀みに文化の泡沫は浮かんでは消え、絶え間なく繰り返されとるんや」