五十一話・オアシスの夢
速足でラピスの門を通り抜けると、光源不明の薄明かりの下、敷石が続いている。
吹き抜けた激情から醒めやらぬ一平をヒロコが冷やかす。
「理恵の熱情には参ったわね」
「ありゃあ、突風だぜ!」玲が背中を叩いた。
十重二十重に交差するトンネルの分岐路。
一行は休み無く数時間歩き続けて、夜光虫が光を放つ広い石筍の広場で休息をとった。
携帯機器を見ていたバキが告げる。
「進行方向約十キロ先にモグッパらしき多数の生命反応がある。アトラス山の麓に私の魔法学院があるので、そこへ寄り道し、遣り過ごそう」
「アトラスって?」
「北アフリカ。モロッコのマラケシュ」
「もう、何でも有りっすね」一平は呆れたように笑った。
すると老師が「そうそう、その前に渡さねば」と、蒼い水晶ネックレスとイヤリングを網袋から取り出し、ヒロコ、イッペイとレイの三人に装着を促した。
「竜界で製作されたアースル語基盤の通訳機で、言語中枢を刺激しジャックする精密機器ヨ。ネックレスとイヤリングをセットにして装着すれば、脳波を通し、ヒュウマノイド大凡とのコミュニケーションが可能になる。我等は言葉に不自由しないが、イッペイとレイ、ヒロコには必要だ」
「違和感なく、良い感じだわ」
「使っているうち、脳が順応して、ネックレス無しでも会話がOKになる」
「中々お洒落やな。私も貰えんかな?」
「ノン!ライオンは最高性能の紅水晶を既に着けている」
従道に外れること丸二日、幾度か途は三叉路に突き当たったがバキとトミスは嘗て知ったる庭を歩むがごとく突き進んだ。
・・・・・・・
トンネルの外は目を刺す眩い光の世界だった。
「ウソ!信じられないわ!」
「何処でもドアかよ。ホントに着いちゃったぜ!」
涼やかな風が吹く丘、一行は眼前に広がる砂漠と、輝くオアシスのパノラマに呆然と立ち尽くす。
棗椰子林に囲まれたライトブルーのオアシス、透明な光に照り映える白い風車と大理石の偉構。
バキは膝を屈めた。
「我等が魔法学院にようこそ」
鐘が鳴り響き、洞窟の入り口に駆け寄る白いジュラバ(北アフリカの民族服)の群れ。
バキは「学院の生徒とスタッフたち」と、紹介した。
「フランス語?言葉が解る!」
「それに話せる!」玲が唸った。
副学院長のアブラハム翁が一平に「マダム・マラケシュがお待ちです」と、そっと耳打ちした。
「マダム・マラケシュ?」
「マダム・ローゼンクロイツ。学院にて四ヶ月前からジェルマン・ローゼンクロイツ伯爵と対で、美術、音楽、占い、錬金術と魔術等を教えています」
ヒロコが、我に返ったように「今、何月何日かしら?」と、尋ねた。
「基督暦なら、12月20日ですが」
「12月ですって?洞窟に入ったのが8月25日なのよ!」
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迷路のように入り組んだ白亜の殿堂。
一平は花々が咲き、オレンジがたわわに実ったパティオに導かれた。
回廊を吹き抜ける微風は爽やかで、パティオの中央に噴きあがる泉水の側に、金糸に縁取りした純白の民族衣を纏った貴婦人が長い影を落としていた。
二人は彫像のように、見つめ合ったまま対峙している。
静寂を破る一瞬の風が咲き乱れた花弁を散らすと、色鮮やかな赤風琴鳥が一斉に飛び立った。
恵子と一平は凍結の時が解けたように走り寄り、抱きあった。
広いパティオ、二人は手を組んで歩む。
「最後の愛の交換は最高だったわ」
「ホント、超エキサイティングでした」
恵子が立ち止まって一平を見た。
「……あの朝帰りの日、既にモロッコ移住を決めていたの」
「じゃあ、青山に戻ることは……」
恵子は首を振った。
「あれから四ヶ月、……私たち、結婚したの」
「四ヶ月?私たち?結婚?」
「相手はパトリース。私はマダム・ジェルマンよ」
一平は呆然となったが、自らに言い聞かせるように言った。
「……おめでとうって、言わなきゃね」
一平は此処一週間における驚天動地の出来事を話し、そして、恵子の四ヶ月に渡る夢のような物語を聞いた。
「パトさんは?」
「今、フェズの旧市街に居るわ」
「フェズ?」
「迷宮都市。此方と半々に暮らしているの。学院では時空マスターあるいは伯爵って呼ばれ、魔術と科学を教えているわ」
「ママも教えているの?」
「音楽、美術と占星術など。基本的な生活は東京と変わらないわ」
学院ロビーに牧野を見るや、恵子は衣をひらめかせ、声を上げて牧野の胸に飛び込んだ。
恵子を交えた話は果てるともなく、一平と玲が割り振られた二人部屋に退いた時には、既に夜半を回っていた。
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ミナレットから流れてくるコーランの調べ、オアシスの目覚めは穏やかで心地よかった。冬とは言え、椰子の葉を透して半円の窓から差し込む北アフリカの朝光は、眼に染むように鮮やかだ。
「お目覚めかい?」
窓際の椅子に座った玲が身動ぎもせずに窓からオアシスの光景を眺めていた。
「全然眠れんかった」
玲の顔に憔悴の影が見える。
一平は立ち上がって玲の肩を背後から押さえた。
玲は振り向きかけたが、何かが一平の手を通して全身に流れ込んで来るのを感じた。
暫しの沈黙、玲は心の中に湧き起こる開放感に目を剥いた。
「……俺に何をしたん?」
「最近頓に自分が自分じゃ無くなる」一平は他人事のように答えた。
深い湖底まで見える清冽な泉水、果樹と棗椰子に包まれたオアシス、行き交う人々のさざめき。
全てが夢のように過ぎて行く。
フェズから帰ったパトリースは相変わらず明るく社交的で活力に溢れている。そして、錬金術師を謳っている牧野とパトリースは初対面から意気投合し、急遽パトリースも異世界へ同行することになった。
パトリースは一平を見るや、「結婚のこと、ゴメン」と、謝った。
「此方こそ。納まるべきところに納まったような気がします」
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一行は急遽パトリースを加え、出発することになった。
玲は学院から贈られた特殊ジュラバ(北アフリカの民族服)が気に入って、着たり脱いだりを繰り返している。
「見た目はドレッシーだが、メチャ軽くて動き易いぜ!」
「バイオ・カシミヤを防湿ナノコーティングしたもので、暑さに冷却し寒さに発熱する。汚れ難く伸縮性もあり、竜界でもテラでも使えるようにオールシーズン全天候仕様で、なまじの鎧より強靭で防弾機能もある優れものよ。元来ジュラバは上からの着脱用なのだが、前に開くよう工夫してある」
パトリースが自慢げに付け加える。
「この特殊カシミヤ羊の種を、テラからこの地に移植繁殖させたのは、何を隠そう私なのヨ」
「え!じゃあ、パトさんも、向こうの世界に行ったことがあるってこと?」
「時空を駆ける錬金術師等と、私が呼ばれているのを聞いてなかった?」
「ホラ込み夢想家のマジッシャンとばかり思っていました」
「それは、それは!法螺吹き男爵とは、光栄の至りだわヨ」
恵子は一平に囁いた。
「帰ったら、もう一度思い切り愛し合いたいわ」