四十二話、怨念の地獄
帰ると、早々にウカ・シャデックから夜伽の命が下った。
「何もかも投げ捨てて逃げ出した方がよろしいのでは?スワヒは離脱してハンカと関係を断ったとのことですよ」と、ネッキンは不安げだ。
「自ら自身で、茶番の幕を引くの」
「尊師のシャラ様に対する執着を考えると、簡単には行かないと思いますが?」
「薬物中毒から脱し、天涯孤独の私には恐れるものは無いわ」
その夜、ハンカ教会からの離脱を告げるシャラに、ウカ・シャデックはたっぷり媚薬物を使い、秘技の限りを尽くして攻め立てる。
シャラは、過去との決別の代価として、執念のシャデックに氷の人形と化して冷然と耐え通した。
夜のしじま、シャデックが野豚の吼え声のように泣き叫ぶ。
「シャラ!愛しのシャラ!我が最愛の同志にして、愛娘のようなシャラよ。
憐れな老人を捨てないで!お願いだから、老いさらばえたウカを置いて行かないでくれ!」
弛みきった裸の老教主は、薬物の興奮も露に跪いて懇願した。
エンキとの心躍る逢瀬、弥勒支援公演等に明け暮れる楽しさ、それはシャラの人生にとって、嘗てない最高に幸せな日々となった。
ハンカ教会からの公演依頼と招待状が届けられた。
ウカ・シャデック八十歳の誕生祝いとある。
晩秋迫る夕暮れ、ハンカ差し回しのリムジンからシャラとネッキンは降り立った。
一年振りに見るシャデックの山荘は一幅の名画の如く夕焼けに佇んでいた。
会場は充満する伽羅の薫煙と、間断なく湧き上がるナム・アゲラーの響き。
中央に一段高く円形のプラットホームがスポットライトに浮き上がり、それを取り囲むように客全員が黒の正装に眼マスクを装着していた。
接待する女性は全員一糸纏わぬ全裸だ。
「これを付けるように」
案内されたテーブルの上に眼仮面が二つ置いてあった。
「出席者は全て男性だわ。それに、着衣している女性は私たちだけみたい」
耳打ちするネッキンの声は震えている。
「ジャン・イールが御好みだった卑猥パーティだわ」
「卑猥パーティ?」
「下劣な獣のパーティよ」
舞台の壁の一角が回転し、トップレスに透け透けの布を腰に一枚纏っただけの少女たちが、声を上げながら踊りだす。
嘲笑と冷やかしの歓声と口笛の中、少女たちはコミックなりズムに合わせ卑猥な腰振りダンスを続ける。
「喜ばせ組よ」
「喜ばせ組?」
「女は快楽の道具にすぎないの。私も幼い時からジャン・イール総統と幹部の慰み者だった。総統と義兄弟だったウカは八十にして下劣な本性を現し始めたんだわ」
一転、七色のプリズムに照らし出された舞台、腰布一つの男女が登場した。
黒曜石もかくやと思われる漆黒の贅肉一つなく鍛え上げられた黒色人男性と、見事なプラチナ・ブロンドを靡かせ、艶やかな白磁の肌を上気させる白色人女性が演じるセクシーダンス。
ハイビートからドップラップに移行するや、舞台は暗転し、マジックライトに浮かぶ白黒男女は腰布を取り去り、彫像を思わせる見事な肉体を誇示する。
観客は腰をグラインドさせて挑発する脂がのった白い女体に溜息を漏らし、黒光りした野性味溢れる男性の迫力にどよめくのだった。
曲が終わりライトも消えると、闇を切り裂く鞭の音が鳴った。
スポットライトに浮かび上がる一匹の仮装猫人間。
耳と尻尾を付け、裸身に猫模様のペインテングを施した女が鞭を打ち鳴らす。
もう一つのスポットに照らされたステージの上には中年の大柄な美女が猿轡を咬まされて椅子に縛り付けられていた。
シャラは声を上げた。
「オルマヤ中央放送局の看板キャスター、ヤルカス夫人だわ!」
小太りのピエロが紙を広げて読み上げる。
「オキソ・ヤルカス!汝の罪を告発する。
一、ハンカ教会をカルト呼ばわりし、謂れない中傷せし罪。
一、偉大なる統一原理ハンカ教会長ウカ・シャデック尊師の名誉を著しく傷つけ、ベルバルト平和賞受賞を妨げた罪。
一、オルマヤ中央放送局を通じ、反ハンカ、反キハンを煽り、キハンを核攻撃にさらし、盟友ジャン・イ―ル総統を爆死せしめた罪。
その罪、万死に値するが、シャデック尊師生誕八十歳の恩赦に鑑み。恥刑、鞭刑の後、竜神への実験生体を宣告する。ナム・アゲラー」
ヤルカス夫人は猿轡を外され、縛めを解かれた。
そして、椅子から立ち上がったオキソは命ぜられるまま、飲み物を乾し、恐怖に憑かれたように辺りを見回し、フラフラと歩き出す。
しかし忽ち、誇り高き貴婦人は押さえつけられ、一糸纏わぬ裸に衣服を剥ぎ取られた。
「何をするのう」
夫人の抗議の声は空しく、観客の興奮を煽り立てる。
「薬が効いているんだわ」
会場を切り裂く一撃。
邪悪な猫が強烈な鞭をオルマヤの囚人に打ちつけた。
燃え上がる夢幻の照明演出に、二撃三撃とリズムを取るように鞭が鳴る。
絹を裂く悲鳴、酔った観客の共笑。
気を失うと水がかけられ、蘇生すると鞭打ちが始まる。
祝いの宴は凄惨な様相を帯び、それがまた観客に、なお一層の興奮を掻き立てた。
裸体が椅子の上に崩れ落ちた時、狂気の猫女は逸りたつ雄犬を会場に引き入れ、甲高い笑い声を上げて哀れな獲物に導く。
シルバーメタリックを纏った竜人(魔族)マスクがステージに駆け上がった。
ナム・アゲラーの声明の中、統一原理ハンカ教会名誉会長、ウカ・シャデックが歩み寄り、竜神マスクと握手し、抱擁した。
「諸君、めでたきこの日、わがハンカは偉大なる光の家教団と聖なる誓約を交わしたことを報告する。我らは竜神に尚一層協力し、弥勒と図書館大学院及び奴らの崇める輩に戦いを挑む事となった。思い上がりの奴等に我等が力を見せてくれん!」
と、シャデックが宣言する。
そして、苦痛と快楽に呻くヤルカス夫人を指した。
「見よ!我らに敵対する者の浅ましい姿を!」
「シャラ様、竜神マスクじゃなく、素顔みたいです!」
「モノホンの竜だわ」シャラの声は震える。
急遽立ち上がろうとするシャラたちは、背後にいる男に抑えられた。
「尊師から、この場を動かないようにと」
スポットライトの中、竜人を側にウカ・シャデックは語り続ける。
「我はヨミシャセの国主であり、大統領であるのは元より、世界精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である」
シャデックは芝居がかった身振りで、手を広げた。
「我等は、宇宙の覇者たらんとする竜神とオルマヤの光の家教団(竜神教)及びバキ財団を通して手を結んだ。この栄えある日、我が宇宙の友人にその友情の証として、舞台のヤルカス夫人、そして、それと共に極上の贈り物を捧げたい。音楽の天才グループにして、我らの裏切り者!」
シャデックが会場の入り口を指し示すと、打ち鳴らされるシンバル音と共に扉が開き、素っ裸に剥ぎ取られた数人の黒色人男女が鎖に数珠繋ぎにされ、鞭打たれながら、引き摺られるように入場する。
「スワヒ・ネグロだわ!何てこと!」ネッキンの声は悲鳴に近い。
スピーチを促された竜神は答礼する。
「ウカ・シャデック尊師とハンカの人々に聖なる提携をお祝いすると共に、素晴らしい贈り物に感謝する。
提携に際し、一言申し上げたい。人類は我ら竜人に人食いの中傷を浴びせてきたが、人間は我らの食域には入らない。誤解を生んだのは、我々の実験テーマである。それは、より優れた遺伝の混交体創造の試みのため、人間実験体を捕獲し続けてきたことにあった。
このパーティでは興味ある人間の生態を見せてくれ、しかも、その実験体(ヤルカス夫人)のみならず、優れた音楽グループ実験体を提供いただき感謝する。
我らからはバキ財団と光の家教団を通しての富と高度な科学知識を、ハンカからは地上活動の便宜と今後一層の有用な人間の供給あらんことを」
ウカ・シャデックは再び登壇する。
「記念すべきこの日、我は実に残念な報告をせねばならない。長い間苦楽を共にしてきた我らが同志、シャラ・ウトマヤーと代理人ネッキンが、我らと別の道を歩むことになった。
二人は忌むべきミロクの洗礼を受け、トーラ・ムセイオン図書館大学院グループと活動を共にしている」
足踏み音とブーイングの嵐。
抑えるように両手を広げたシャデックは、赤黒く上気した顔で窺うようにシャラを見た。
「ナム・アゲラー。我は業績を鑑み、一時の迷いを払拭し翻意することを期待して贈り物を……」
キャスターがシャラたちの前に移動して来た。どす黒く腫れ上がり三白眼を座らせてシャデックは「一杯のワインを!」と、二人に促す。
(薬入りだわ)
シャラとネッキンは見つめ合った。
催淫剤の効果はたちどころに現れ、体が火照って来るのを感じる。
(神よ、御護りください!)
キャスターの上には磨かれた銀製の蓋つき大皿が載っていた。
仮面のウエイターが、もったいぶった仕草で蓋をとった。
シャラは絶叫した。
何と皿の上には、エンキの生首が!
その額には怨とキハン文字で血塗られていた。
勝ち誇ったようにシャデックは叫ぶ。
「見るが良い!ミロクのインチキ預言者を。罰の当たった泥棒猫の惨めな末路を!」
口上も止まぬ瞬間、シャラはガードをすり抜け、手近のアイスピックを持ってシャデックへ襲いかかった。
「生涯の怨み!エンキの仇!」
しかし襲撃は、肩口を突き刺し、口角を切り裂いただけ。
頬を抑え、血塗れのハンカ教主は叫ぶ。
「恩知らずのこ奴らに、ヤルカス同様、鞭刑と、恥刑を与えよ!」
シャデックはガードマンたちに抑えつけられて無念に喘ぐシャラに近づき、憎々しげに言い放った。
「我は執念と怨念に生きるキハン。ヨミシャセのように人生を簡単に諦めたりはしないし、女も決して諦めない。戻らない限り、お前は世界中に恥をさらし続けることになる。
お前のクソ預言者は見事に色ボケして、簡単に偽のお前の声と映像に騙されノコノコと我らが罠にかかりおったぞ!」
シャラは嫉妬に膨れ上がった老醜に唾を飛ばした。
「薬中毒、腐れ不能のインチキ野郎!地獄に落ちろ!」
* * *
「伝説の……」
ヒロコの呟きはトンネルを抜ける音にかき消された。
電車のアナウンスが小高駅の到着を告げる。