三十九話・黄金のシャラ
ハンカ教会は、黄金の舞姫と謳われるシャラ・ウトヤマー(三十八歳)をエンキへ篭絡の刺客として差し向ける。
シャラはハンカ教主ウカ・シャデックの知る人ぞ知る愛人だ。
シャデックの夜伽に身を挺した日、シャラは入念に自らの肉体を洗い流す。
纏わり付く老醜と媚薬の臭いが、拭っても拭いきれない。
嘗て、キハンの故ジャン・イ―ル総統によって、喜ばせ組舞踊班の中からハンカ篭絡の政略的貢物としてウカ・シャデックに捧げられた美少女シャラ。
美貌と卓越した性技によって欲呆けの教主をキハンの意のままにするはずだったが、逆に海千山千のシャデックは常習性媚薬の性技で少女を幻惑し、逆に骨抜にしてしまう。
以後、シャラはハンカの逆スパイとしてシャデックのために心身を捧げてきたのだ。
シャラは富と力を背景に、美貌と黄金の肌、奇跡の肢体と魅惑の歌声を売りに、ドップラップなる音律世界を構築し、世界的なスターにのし上る。
煌くスターにして才智溢れる美貌の論客。
そしてその表の顔と裏腹な篭絡の娼婦だった。
湯上りのシャラに、バスタオルをかかげるネッキン(三十歳),寝食を共にするヨミシャセ人の女秘書だ。
「ミナカムイ(自治区)行きは準備万端。ムサシ都からの所要時間は飛行車で一時ですが、今日明日は重要な祭儀があるとのことで、世界中から様々な人々が集結しているようです。
エンキ(通称エンキの行者)とシャラさまの秘密会談は明後日に設定されています」
「かくして、罪作りをしなくちゃならないのね」
「お察しいたします」
「ウカの監視女が、空々しい」
シャラの投げ捨てるような言葉に、ネッキンは顔を紅潮させた。
「誓って、私が信頼し、尊敬して仕えるのはシャラ様だけです」
「なら、なぜ私を尊敬できるのか、聞きたいわ?」
「それは……シャラさまの心の気高さを知っているからです」
「心の気高さですって! 薬物を塗りたくった薬浸けの醜悪な性のモンスターのお情け欲しさに、末期地獄で罪を犯し続けるジャンキーにそんなものが有ると言うの?」
ネッキンは口を噤んだ。
「依頼してきたライブショーの段取りはOKなの?」
話が変わり、ネッキンは明るい表情になった。
「ヨミシャセ最高の演出と伴奏を提供するとのことです」
「明日はドップラップとキハン女の迫力を連中に見せてやるわ」
「皆、心を奪われるでしょう!」
「そして、その次の日が預言者エンキと差しの会談になるのね」
「ハンカの祝福がありますように。ナム・アゲラー」
一般車乗り入れ最終地点、飛行車から降り立ったシャラとネッキンはごった返す人込みと、高原の冷涼さに佇む。
ターミナル周辺は様々な仮設の店が所狭しと立ち並び、一大市場の様相を呈していた。
薄靄の中を行き交う人の群れは途切れることなく続いている。
人群れを掻き分けるように、口髭を蓄えた長身の青年がカートを引きながら声をかけて来た。
「シャラ御一行様ですね?」
「二人でも確かに御一行だわ」
「これからシェルター群落の指定宿舎に御案内します」
と、青年は用意してきた毛布を二人に打ち掛ける。
「下界と温度差があるので、驚かれたでしょう?」
「ホント、余ほどのことが無い限り、こんな所には来たくないわ」
「ところが、此処は世界中あるいは異世界に通じる奇跡の空間。きっと、シャラさんにはご満足いただけると思います」
「それは、請う御期待だわ!」シャラは美形の若者を興味有り気に見た。
ネッキンは落ち着かない。
「アクオスは如何したのかしら?出迎える約束だったのに」
「欠かせぬ用が出来たので、私が申し出て特別に代わりをさせてもらいました」
「貴方が、申し出て?」
「シャラさんの熱烈なファンなので」慇懃に若者は答える。
「私のファンとは嬉しいわ」シャラの声が弾んだ。
「申し訳ありませんが、少しばかり歩かねばなりません。荷物は宿舎に後ほど届けさせますので、お預かりします。運送部に置いて来ますので、今暫し此処でお待ち下さい」
ターミナルビル内の荷物置き場へと向かう若者にシャラは見入っている。
「タイプだわ。彼には皇のスパイスがある」
「スメラギ?」
「あの優雅さはスメラギよ、きっと」
道行は簡易に角材で舗装されており、景色の案内をしながら、青年は時折気遣うようにシャラたちに手を差し伸べる。
途中、リュウカムイ池に寄る。
白一色の眺望に、シャラとネッキンは感嘆の声を上げた。
「白綿の城と呼んでいます」
「パムッガライじゃなくって?フェニキア語よ」
シャラは何時にもなくご機嫌だった。
青年はガイドする。
「流水は高濃度の炭酸カルシウムが含まれている温泉です。高所に湧き出た温水が広い急斜面を流れ落ちながら白い炭酸カルシウムの結晶を岩肌と堆積物に付着させ、長い年月を経て、段々畑のように連なる石灰棚を作り出したらしいのです」
「入浴可能なの?」
「温泉ですから」
「ね、入っていかない?」
「今?……見物客が多すぎるような……」
若い案内人は目を白黒させる。
「此処は魔界の入り口で、その更に奥の森にあると言う梅花藻(水中花)の咲く泉には、竜族の住む水上集落が在ると言われています」
「竜族の集落?」
若者は微笑んだ。「竜神はヒュウマノイド型別系統の知的生命体と言われています。彼らの食域に人間も例外ではなく、特に好物として、お尻の蒼い女をさらって食べちゃうらしいです」
「怖いわ!私、食べられちゃうかも!」シャラは若者の腕に縋った。
「シャラさんは、お尻が蒼いのですか?」
「見せてあげましょうか?私たちキハンは子供の時、皆蒼いの。でも、大人の私はもっと危ないわよ。私の生尻を見たら、蒼尻マニアのロリコン竜神も我慢できなくなるわよう」
シャラは挑発するかにお尻を振った。
「貴方はヨミシャセのようだけど、訛りからするに、生粋じゃないわね?」
「彼方の異世界育ちなんです」
「抑揚が素敵」
「ナンブ訛りです」
「ナンブ……?」
辿り着いたVIP宿泊シェルターは、白樺林の中に点在する宿泊所群の中でも取り分け大きく、シェルターとは名ばかりの十数部屋を擁する用務員・フロント付きの優雅な山のホテルの佇まいである。
別れ際、シャラは若者を抱擁した。
「まだ、素敵な案内人さんの名前を聞いてなかったわ」
青年がシャラを見つめる。
「申し送れました。エンキと申します」
シャラは驚きの声を上げた。
「エンキですって!貴方ひょっとして、まさか、……あのエンキ?!」
「この度は、お世話になります」
シャラは血相を変えている。
「素知らぬ顔で、私達を観察していたのね」
「明後日の会談を楽しみにしております。今宵は弥勒顕現祭を心行くまでお楽しみ下さいますように」エンキはシャラの剣幕に退散した。
夜の帳が降りると、白樺林に点在する無数のテントに灯が燈り、驚くほどの群集が中央広場に集結し始める。
絶え間なく打ち鳴らされる大太鼓の響きや笛の音と共に、人々の歌声が潮騒のごとく耳を打つ。
中央台を取り囲むよう前席に、ラッサからのムセイオン大図書館大学院の教授連を始めとするスタッフ一同と、若きダルマラーマ法主が陣取り、更にそれらを取り巻くように様々なVIPが犇めいていた。
多彩な光線に彩られる中央台で、聴衆と一体化して繰り広げられる歌と踊り。
佳境にかかる時、満月を背景にして突如空中に白衣のローブを纏ったエンキが琵琶を抱えて出現した。
エンキは幾重のスポットライトの中、朗々と歌うように説教を始めた。
「主の来臨が迫っている。魂を解放せよ!祓い清め、愛の御子を迎えん。御子は、我ら迷える子羊たちを救いに導かれる……」
シャラは声を上げた。
「これは反ハンカ、反キハンだわ!」
「シャラ様!」ネッキンはシャラを抑えた。
それでなくとも、抜きん出たスタイルと美貌が故に、シャラは十分に目立っている。
突然、エンキは語るのを止め、撥を持った手を高々と掲げた。
そして、撥を弦が切れんばかりに打ち下ろし、大音声に告げた。
「時は来たり!顕現せよ!」
大太鼓の乱打!
「顕現せよ!」
エンキの叫びに群衆が唱和する。
「顕現せよ!」「顕現せよ!」
大合唱が頂点に達する時、天地を揺るがす轟音があった。
空が動く!
煌々とした満月が消え、目の当たりに途方も無く雄大な星の渦が展開する。
広場は大宇宙の星雲に浮かぶ孤島となって浮かんでいた。
雷鳴と電光の中に栄光の円盤城が星雲の彼方から出現する。
神の家は黄金色の天蓋の如く覆い、鳴り続ける聖音と共に虹色に発色し、底部にある三つの輝く球が回転するのが見て取れた。
やがて、その底部から一条の光線が中央台に注がれ、エンキがゆっくりと光の中を上昇して行く。
壮大な幻影が消えて全てが元に復すると、長身の逞しい若者が台に駆け上がった。
大図書館大学院リンポー法主、ダルマラーマ・ラモンだ。
「創造主は目の当たりに顕現し、行者エンキは携挙された。今宵は主を讃え、飲み、語り、歌い、踊り、解放し、来るべき弥勒を願い祭ろう!」
花火が打ち上げられ、再び笛太鼓と合奏音が鳴り響き、人々は歓声を上げた。