三十八話
牧野は車窓から、移り行く景色を懐かしそうに見ている。
「お祖父様、キハンに併合されてからのヨミシャセは如何なったのかしら?」
ヒロコがテラの世界に話を戻した。
「併合は悲惨な結果をもたらした。特にヨミシャセの象徴と言える禁足の聖なる山野、手付かずの神所・鎮守の杜は、開発の名の下に接収・開墾・破壊され、ヨミシャセたらしめている豊かな国土のエコロジーの意味合いを失ってしまった。
禊や畏れ・融合の文化から、反自然、嫉妬、怨念の階級社会と対決文化への変換。
国土は保水なき砂漠と化し、都市・河口堰等の建設ラッシュに豊穣の海は失われ、万物を抱擁する神々の文化は狭量な嫉みの文化となり画一化される。メディアの統制、相互情報公開禁止、密告と秘密警察の跋扈」
箍を外されたヨミシャセの国境法により、キハンとヤンゴルモアからの歯止めない人口の流入が続く。
世界の雛形を標榜していたヨミシャセは貧困と急増する犯罪に呻吟し、世界混乱の発信源と化した。
「財源と道徳的支柱を失ったテラ全体が苦渋のヨミシャセと化したんや。
富める者も貧しい者も、一時のために争って地球を奪う。大地も海も大気も疲れきり、汚れきっている。逃げ出す場所は何処にも存在しない」
「恐ろしい」一平は息を吐いた。
「大人口を抱えて混乱と貧困の極となったヤンゴルモアが、キハンを巻き込んで暴走する。
世界大恐慌の間隙に乗じて突如トーラに侵入し、ムセイオン大図書館大学院の領有を宣言したのや」
そのヤンゴルモアによる占有の理由が噴飯ものだった。
「地理的歴史的にトーラはヤンゴルモアに属しており、しかも其の上、世界ムセイオン大図書館大学院は従来ヨミシャセのものであり、ヨミシャセの文化はキハンの文化である。そして、キハンは昔からヤンゴルモアの属国であるからして、ヤンゴルモアは二重三重に大図書館大学院の権利を有する」と、三段論法ならぬ四段論法の詭弁を弄したのだ。
ヤンゴルモアの暴挙には止むに止まれぬ理由があった。
オルマヤとヤンゴルモアの貨幣対価交換の固定が合意された時から、ヤンゴルモアはここを先途と紙幣増刷の輪転機を回し続け、対応するオルマヤも増刷すると言う、インフレ一直線の増札競争となった。
そして、実態経済からかけ離れる増札のヤンゴルモアは、見せかけの金満立国を維持するため、数々の国際的な巨大イベントを催し続けた。
ヤンゴルモアは鮫の呼吸と同じで、泳ぎ続けなければ死んでしまう状態に成っていた。
その上、過剰貨幣の引き受け手だったヨミシャセの経済的崩壊である。
破産寸前のヤンゴルモアには何らかの行動が必要であった為、弱小軍事力のトーラが標的になったのだ。
しかし、それは、世界警察を自任する超大国オルマヤ連邦には到底許し難い暴挙だった。
領有宣言を聞くやいなや、オルマヤは決然と行動に踏み切る。
宇宙陸海空総動員、一気に膨大な火筒砲射(ミサイル?)をトーラのヤンゴルモア占領軍にぶち込み、ヤンゴルモア十数万の兵を進駐の平野ごと、尽く殲滅する。
そして、侵略者へ国際連合国軍の名をもって、大図書館大学院の撤退期限を切った。
拒否するならば、ヤンゴルモア共和国に全面総攻撃とある。
オルマヤの断固とした決意と圧倒的戦力を目の当たりに、ヤンゴルモアは撤退勧告を受諾した。
ヤンゴルモアは陳謝し、ひたすらな恭順を申し出る。それは恰も事態を沈静させたかに見えた。
それから三年後、屈辱の怨念は未曾有の恐るべき大惨事となる。
嘗ての奴隷供給地にして弱小の被進駐国・ハラセム人によって、周到に仕掛けられたキハン製の密造核爆弾が、何と!オルマヤの主要十二都市と原子力発電所で同時に爆発したのだ。
恐怖のテロル、直接被爆三千万人におよぶ凄まじい猛威とオルマヤ主要機能の壊滅的破壊。
「パンドラの箱は開かれたのや」
オルマヤは瀕死の恐竜がのたうつ様にハラセム、キハンはもとより、テロの黒幕と目されるヤンゴルモアへ核攻撃の報復を断行した。
ヤンゴルモアの断末魔の核反撃、チャガタイ、エウロパ、アフリカの紛争の勃発と激化。
歯止めを無くした核が世界各地に乱れ飛ぶ。
放射能は世界全体に吹き荒れ、人類は死滅の途を歩み始めていた。
誘発され、頻発する天災の凄まじさ。地震、洪水、嵐、旱魃、大雨大雪、噴火、津波、メタンハイドレード(天然含有ガスの異常排出)、まさに天地は裂け、世界は恐怖に鳴動する。
その大混乱期の折も折、ラッサの大図書館大学院の宇宙衛星アンテナは、創造の神なるものからの重大なメッセージを受け取る。
「人類が悔い改めなければ、テラ一掃の清浄化処置を施して、新たに地球再生を試みる」と。
「一掃の清浄化……?」
「ノアの洪水の類。宇宙ヒュウマノイド神にも夫々あって、竜界のサーデモなどは、猿人文化は高度宇宙意識体と共存するに価わず、宇宙の病原菌として殲滅し、新たな新人類(人類と竜神のスーパーミックス・ヒュウマノイド)に取り替えるべきとしていた。
図書館大学院は様々な予知的事象を踏まえ、テラの立替立て直しの切り札として皇孫をピックアップしておった」
「皇孫?」
「皇一族根絶やし処刑が施行される前に、皇の乳呑み児等は阿武隈川と四尾川に葦籠に入れて流された」
「ユズキさんたちはテラに渡ったんですか?」
「全て行った」牧野は遠くを見るように呟いた。
以後の話は、一旦テラに行ってからガイアに出戻ってきた麻耶による。
「ユズキに先行して羅門とカブキ(円気)先生が博士たちと共に渡り、ラッサの図書館大学院に潜り込む」
「それは……?」
「御子としてのユズキを受け入れる土壌を作り上げ、救世主の宣伝と教団の立ち上げや」
* * *
羅門は法主となり、大図書館大学院における頭脳集団と、トーラおよびその近隣の国々を纏め上げて、弥勒教とトーラ連合軍を創設する。
そして、エンキがヨミシャセを中心に縦横無尽の宣教活動を始めた。
閉塞された怨念の文化と排除の思想に辟易していたヨミシャセは、寛容で自由闊達な弥勒の教えに驚喜した。
ヨミシャセにおける爆発的な膨張ぶりに、統治者の統一原理ハンカ教会は弥勒運動を禁止するが、燃え上がった炎はヨミシャセからキハン、瀕死のオルマヤからチャガタイ、そして崩壊のヤンゴルモアと、世界全域へ津波のように拡大して行くのだった。