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三十一話・閑話(たいらの駅にて)

   

 復帰した修也にとって、ユズキが居ない道院は心の中にポッカリと穴が開いたように色褪せていた。

 そして三年目の春、彼等にとって天命の道標となる人が修学道院に来訪する。



 * * *



 特急が終点の平駅(現いわき駅)に到着。

 「続きは鈍行に乗り換えてからや」牧野は話を中断した。


 平駅からの各駅停車小高への繋ぎは約三十分の時間があり、構内のカフェで一服する。


 たいらは、日本最大面積の市であるいわき市の中心にあり、東北の玄関口が謳い文句だが、構内から望む駅界隈は何処か雑然としており、中継の場所的なイメージだ。


 牧野は窓から駅前辺りを眺めている。


 「朝食はどうされるんですか?」と、一平が尋ねた。

 「私は朝食の習慣が無いんで、パスや」


 「ヒロコさんは?」

 「ボクも毎朝、起きがけのヴェジタブル・ジュースだけですので」

 「それじゃあ、僕は朝食代わりに構内の蕎麦をちょっと引っ掛けて来ることにします」


 ヒロコは、スタンドに向かう一平の後姿を見つめている。


 「好青年やな」

 「ホント、クール」

 「お前を食事に誘ったんやないか?」

 「立ち食い蕎麦の?」

 祖父と孫娘は顔を見合わせて微笑んだ。


 仙台行きの鈍行に乗り込む前に、牧野は駅の購買部特産品コーナーに立ち寄って、多量のいわき名物蒸し雲丹缶を大悲山宛の宅急便にして購入した。

 「此処の蒸し雲丹は絶品。スコッチには、醤油を垂らした蒸し雲丹が最高や。尿酸値は高いんやが、リスクを押しても食べる価値がある。

 特に、この先の久ノ浜で食べた蒸し雲丹の貝焼きは舌が抜けるほど美味やった」


 「そこでは、今でもその貝焼きが食べれるんですか?」

 一平が話しに乗ると「そりゃあ、名物やからな」と、牧野は相好を崩した。


 「お祖父様、とっても嬉しそうですわ」

 「歳をとり、全てが淡くなっていく代わりに食欲だけが強くなっていく」


 一平が言葉を挟む。

 「僕は食欲とエンゲル係数なら負けないっす」


 「グレート!可愛いヒロコ嬢の唯一の不満は菜食主義で食域が狭い所なんや」

 「あら、最近はルーズで、ヴェジタリアンと言うより、ヴァーガンですわ」

 「ヴァーガン?」

 「魚貝類や乳製品ならOKなの」


 一平は唸った。

 「僕の周りのアスリート仲間にも、カーボとか言って、パスタや菜食中心にしてるのが結構いるんですが、ベジタリアン運動ってのが、ちっとばかし解り難い」


 「私見ですが、類人猿の近縁である人間は歯の形でも証明されるように、基本的には菜食用に構成されているので、現代の諸々の病は肉食に負うところが大きいと思われます。

 ヴェジタリアン・ムーヴメントには健康以外にも強いモチヴェーションがあって、それは食習慣における社会的影響……」

 仄かに顔を紅潮させて話すヒロコに、一平は見入った。


 「……人口の増加に伴い、先進国を除き飢餓惑星と言ってもいい状態の地球で、肉食を止めると現在の二十倍以上を優に養うことが出来るようになるんです。それに、移動放牧が原因の広範な砂漠化現象と、それに伴う温暖化の……」


 ヒロコは一平の見つめる視線に、言葉を切った。

 「ごめんなさい。喋りすぎだわ」


 「たかが食事、されど食事や」牧野は屈託ない。


 * * *


 各駅停車の仙台行きに乗り込むと、乗客が疎らで閑散としていた。


 牧野はスコッチを遣りながら、中断した道院における思い出の続きに入る。

 一平が話を遮った。

 「すみません。その前に、修学道院で受けられた学習について、智学、識学、霊学、とか催眠学とか、チンプンカンプンなんで……」


 牧野は笑った。

 「智学は頭脳開発。識学は算数、理科、社会、語学などの教養学。霊学は所謂、霊的な知識と解釈。行学はそれらの実践行動。そして催眠学は自他催眠のテクニックと、それによって自らを知ることや」

 「頭脳開発って?」


 「智学は、本来人間に有る能力を解放する為の法やが、君は山岳宗教の孔雀王妙法、あるいは密教の虚空蔵求聞持法をご存知かな?」


 「その辺は、まるっきりです」一平は首を横に振った。


 「仏教を大別すると、顕教と密教がある。日本、チャイナ、コリアでは概ね顕教で、伝教大師・最澄の天台が代表する知識理論教。その集大成と言える法華経は、仏教の効能書き百貨店と言われるぐらい豪華絢爛や。後継者にも、日蓮や親鸞などの英才に恵まれて隆盛を極めることになる。

 それと対極なのが、弘法大師・空海に代表される密教で、阿含経(仏陀の言行録)を中心とする実践学や」


 牧野は話しを進める。

 「虚空蔵求聞持法は求聞持瞑想法とも言われ、密教の核を成す重要な修法やが、私達が道院で受けた智学そのものや。空海は幼少時、山の民や修験僧に触れ、それ等を修練し、頭脳を開発した」

 「頭脳未開発者としては、興味をそそりますが……」

 「脳を活性化する。マントラ連唱、速聴・速読法、算盤暗記、連想記憶などは智学の一環や」

 「ママが幼い頃、遊びながらボクを導いてくれたのが、そうだったわ」


 「美也子が加担しとるヨーダ能力開発児童スクールの創設者イスマエル・ベンジャミンは、その切っ掛けが、美也子の子育てがヒントと言っておった」



 「何故、日本では密教ではなく顕教のほうが隆盛したんですか?」一平は話を引き戻した。


 「空海が特殊すぎた。天賦の才と思春期までの能力開発訓練が、密教を窮めるために必要なんや」

 「最澄は違うんですか?」

 「彼は、名門の家柄で裕福であり、当時の最高学歴で群を抜いた成績を修め、向学心の高い真摯な努力家で弁もたった。

 その上、容姿端麗でもあり、人が望む全てを有していた秀才の中の秀才や」


 「でも、秀才に過ぎなかったのね」


 「その点、空海は地方の貧乏小役人と、山の民と思われる出生不明の女から生を受け、親が必死の根回しで入学させた大学もドロップアウトし、山野に入って修験道の放浪をしておる」


 牧野は一平を一瞥する。

 「誰もが、空海の尋常でない能力と溢れるような資金力に驚かされた。唐への渡航費用が国費でなく、途轍もない金額の私費留学であったのを見ても良く分かる」

 「資金は何処から……?」

 「山の民の知恵の賜物や」

 「山の民って、ミシャセやサンカみたいな?」


 「彼等から学んだものの中に鉱脈を探す地質・鉱山学、建築土木工学、言語学、催眠術等がある。

 例として、日本中の古い鉱区には空海の事跡が判で押したように存在するし、土木工学では今だに機能し続ける讃岐・満濃池などの人工堰が知られている。

 いろはにほへと、で知られる平仮名片仮名の定着化等。あるいは、他に絵画、彫刻、書、医学、数学、音楽、そして卓越した幻影師イリュージョニストとしての名声」


 「まるでダ・ヴィンチだわ」

 「レオと真魚(空海の幼名)は同じ根を持つ、時空を超えた兄弟みたいなもの」


 「空海がチャイナに渡った理由を知りたいわ」

 「理由は、各地の宗教・思想に染められていない純粋なインド仏教を学ぶこと。

 エピソードやが、国際都市・長安に入ってから三ヶ月も経たないうちに、漢語は元より、仏教の原語のサンスクリット語(梵語)とパーリー語をマスターしたのを皮切りに、片端から古今東西の言語、文字、文化を習得していった。

 そして、彼の向学心は仏教や道教だけでなく、ゾロアスター教、マニ教、キリスト教、古代エジプト学、インド・ギリシャ哲学等を習熟するまでに至った」


 「信じられない!」


 「そして何より、仏教の最高指導者であった恵果和尚が空海に会うやいきなり、灌頂壇(道を伝授し、権能を与える道場)に入ることを命じたことや」


 「それって?」

 「精神界最高峰の引継ぎ。恵果和尚の青竜寺でさえ、一千名以上の俊才が何十年も灌頂壇に入ろうと鎬を削っていた」


 「お祖父様、顕教と密教の相対的な関係を教えていただけないかしら?」

 「最澄は『顕教と密教を共に窮め、合一する事によって悟りを得る』と述べ、空海は『密教を窮めることにのみ仏陀となる』と断言している」


 「空海は顕教を認めていなかった……?」


 「寧ろ、道を曇らせるぐらいにしか考えていなかったのや」


 牧野は持論を述べる。

 「教団の繁栄と発展には、顕教のほうが理論だっており、分かりやすく世間にアピール出来るが、道を究めるのとは別問題や」


 「最澄の優秀な弟子たちは密教を学ばなかったのかしら?」

 「学びたかったのは、やまやまやったが、幼児期の智学(頭脳開発)と言う回り道がなかった」


 「識学と言うのは?」ヒロコは話を進めた。

 「大雑把には、教養学なんやが、一般とはかなり異なる。

 語学では神聖原語アースル・カタカムナから多国語まで。社会・歴史は荒唐無稽と思える悠久の彼方からの見解。算数は多面数学で、和算から西洋、インド式に至るまでの種々の算式や二から二十までの様々の進法。理科・科学は徹底した自然生活実践学」


 「アースル・カタカムナ?」

 「神人の言葉。テレパシーの言語化で、DNA語、原始ヘブライ語、あるいはアダム語とも言う。

 人類が当初に話していた唯一の言葉と文字、遺伝基本言語や。

 やがて、三つの原語バベルに別れるようになるのやが。それらを系統立てて、さらに現在の七ヶ国語とエスペラント、アイマラ、ラテン語を選択で加えた計十四種類の言葉に読み書きを覚える」


 「信じられない!それに、学ぶのが子供ときちゃ」

 「子供だからこそ可能なんや。頭脳開発と系統だっての教育システムのせいで、それ程でもなかったんよ」


 「霊学に付いてもお聞きしたいわ」

 「数霊、言霊、心霊等の解明と分析と事象の霊的解釈等、その他に禊祓い、託神(神憑り)、鎮魂帰神、脱魂法等の古神道法を学ぶ」


 一平は尋ねる。

 「先生は神を信じてるんですか?」

 「遍く存在する知的企画インテリジェント・デザインに感動する口だわな」

 「サムセィング・グレートですって。サイエンスの世界では、神と言う言葉はタブーですの」

 と、ヒロコが注釈する。


 「催眠学は?」ヒロコの声は弾んでいる。


 「修学道院を道院たらしめているキング・オブ・スタディや。

 催眠状態には意識層と無意識層の境界線が消失し、定められた無明のロックが外され、人が元来あるべき意識状態に戻るのや」


 「元来の意識状態?」

 「人は元来、共感覚を有する超能力者なのや。人間の脳は宇宙に対して、記憶の非局在性を持つ。

 つまりは宇宙全体が巨大なホログラフィーであり、脳はその一部と言う思考」


 牧野は話を進める。

 「催眠学は催眠術をかけたり、かけられたりしながら、様々の事象を体験するのや」

 「事象と言うのは?」


 牧野は、ざっと催眠術の成り立ちから、催眠退行に至るまで話した。

 一平にとっては、此れまでの話以上に驚くべき内容だった。


 「つまり、時代退行催眠と言うのは時代に遡って記憶を思い出させるわけですね?」

 「いや、精神がその時に行く」

 「行く?」

 「思い出すのではなく、時を越えて行くのや。催眠学は肉体と別に精神が存在するのを実際に実感出来る実証学や」


 牧野は手を打った。

 「大悲山でヒプノ(退行催眠)をやってみようや!人種、性別、貧富、美醜、階級などを超えた生まれ変わりによる実体験は、あらゆる偏見と差別を吹き飛ばす」


 次いでヒロコと一平は、修学道院における行学と呼ばれる奇妙で不思議な修業の数々を聞いた。



 電車は久ノ浜駅に滑り込んだ。

 間延びした駅名の連呼と共に、愈々もって不思議ワールドが現実味を帯びてくる。


 ヒロコは平駅で中断していた話の続きを促した。



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