二十七話・大銀杏の伝説・下
閃光と雷鳴が轟き、一際強い風が上空を舞った。
シャマイはギンゴットにコウタンとクーズ・夜ノ森軍の戦況を告げた。
「イサリ・コウタン軍は降伏しました。イサリ殿の首実検が行われるそうです」
言葉を打ち消すように女王は叫んだ。
「嘘よ!絶対に嘘!」
「イサリ殿は、コウタンとその家族の安全を引き換えに自刃され、首実検が行われます……」
女王は意識を失い崩れ落ちた。
… … … …
谷間は夥しい夜ノ森・クーズの軍兵に埋められている。
篝火の中、降伏の使者が白布を捲いた卒塔婆を掲げる数十名の弔い兵等と共に断首箱と棺を軍中に搬入した。
広場に備えられた壇上に斬首は開帳されるのだ。
スエツギが歓呼の中に手を振って登壇した。
「久しぶりに、憎っき色男を拝見しよう」
だが、スエツギは、開帳の実検首を見るや、驚愕の叫び。
「この首はイサリじゃねえ!」
その声を合図のように、喪服をかなぐり捨てたコウタン決死兵が、卒塔婆に偽した鞘から剣を抜いてスエツギへ突進する。
途端に湧き起こる周囲の森からの大喊声。
一斉に火矢とコウタンの火が降り注ぐ。
クーズは雪崩れ込むコウタンの突撃声と、血に飢えた凶獣群の吼え声に慄いた。
… … … …
ギンゴットの意識は戦場にあった。
雄叫びを上げるイサリと共に、敗走するスエツギとクーズを急追している。
「勝ったぞ!勝ったぞ!」
コウタン軍は津波のように敵を掃討して行く。
だが何と言う運命の悪戯!先頭を切って剣を振るうイサリが、クーズの狙い済ました逆襲の一矢に胸元を射抜かれ落馬するのだ。
霊体のギンゴットは、イサリの胸元を抉る矢面に身を挺して防ごうとするが、矢は幻体を通り抜けて突き刺さる。
幻想の中、落馬は幾度となく繰り返され、非情の矢は鎧を突き抜けてイサリの胸喉元に突き刺さった。
ギンゴットが血を吐く叫び!
「神よ、我が命に代えて、イサリの命を救いたまえ!」
* * *
ギンゴットは、シャマイ王子に見守られて寝具の上にいた。
「辛く悲しい夢を見ていたわ」女王は呆然と呟いた。
少年王子が女王の寝所を辞した時、雷雨が天上の桶をひっくり返したように降り始めた。
豪雨の中、激しく扉を叩く伝令にシャマイ王子は目覚めた。
戦況は一転して、クーズにとって悲惨な敗戦の状況にあり、コウタンもまたイサリが矢傷に倒れたとのことであった。
シャマイが事態を報告すべく、ギンゴットの寝室に駆けつけると、女王の影も形も無い。
等身大の銅版鏡が隠し扉になっており、微かな風が灯火を揺らしている。
「女王が居ない!馬を回せ!大銀杏の丘だ!」
闇の中、連続的に閃く閃光に照らし出されて、ギンゴットが大銀杏の周りに彷徨う亡霊のように浮かび上がった。
間近の雷撃に鐙を外した少年王子は巨木の麓にもんどりうって転げ落ちた。
シャマイは物ともせず、大銀杏のギンゴットに怒鳴った。
「落雷します!樹から離れて!此処は危険だ!」
「構わないで!」 全身ずぶ濡れの女王が叫び返す。
シャマイは樹の下から引きずり出そうと突進した。
しかしながら、小柄な少年の腕力、細身とは言え雄大な肉体を誇るギンゴットに、掴みかかっては振り解かれ、飛びかかっては弾き飛ばされる。
激しい揉み合いに、精根尽き果てた二人は大銀杏の根元に重なるように横たわっていた。
王子は息も絶え絶えに告げる。
「戦況が変わり、我々は風の谷から退却せねばなりません。陛下は凱旋するイサリ殿を迎えねば」
ギンゴットは首を振った。
「私はイサリの命と引き換えに、我が命を捧げるはん蔡の祈りを発した。此処で、私は魂となってイサリを迎える」
強烈な電光と耳を劈く爆音が大銀杏を雷撃した。
… … … …
暗雲が去り、戦場は満月が煌々と照り渡って真昼のように明るくなった。
夜の森・クーズ軍の散発的な抵抗も消え、コウタン軍による嵐のような掃討はイサリの落馬により、終焉を迎えようとしていた。
幕屋の中、イサリは矢毒の高熱と強度の痛みを伴いながらも意識を取り戻した。
医療長が告げる。
「矢は殿下の首にあった勾玉に妨げられて急所を外れていました。もし勾玉がなければ即死だったと思われます」
駆けつけたムサビ将軍は開口一番に尋ねた。
「指揮は取れるか?」
イサリが漸う頷くと、将軍は破顔一笑した。
「良かった!わしにはトミ・ハッタイトとの決戦は荷が重い」
「我等の……損失は?……クーズの状況は?」
「我らの損失は前後の戦いを合わせて百名弱。首領とスエツギは捕り逃がしたが、夜ノ森軍とクーズは壊滅状態だ」
ムサビはイサリに要請した。
「無理を承知で、直ぐにでも皆にイサリ殿下の無事を見せてやって欲しい。何かと小雀共が喧しいんでな」
熱と激痛に耐えながら幕屋を出ると、コウタン兵が一斉に歓呼の叫びを上げる。
白馬に騎乗したイサリは脂汗を流しながら、拡声器を片手にコウタンの布陣を走りぬけ、大音声で全軍に告げる。
「栄光ある勝利が迫っている!」
「ラウーリー(褒め称えよ)コウタン!ラウーリー不死身のイサリ!」
「死に時は明日!命を預けよ!」
「ラウーリー!ラウーリー!」
歓呼の叫びは山野に満ち、果てしなく続く。
幕屋に戻るや、息も絶え絶えに倒れこみ、手当てを受けながらムサビに指示する。
「トミ・ハッタイトに和睦の使者を……」
「諾!またしても仕掛けるか」
… … … …
「殿下!殿下!」
従者たちの声に目を開いたシャマイは、松明と月明かりの中、雨上がりに燻る無残に雷撃で引き裂かれた大銀杏を見た。
アラハーは痺れている体を起こした。
「女王は?」
「何処にも見当たりません」
… … … …
明け方、イサリは耐え難い喉元から肩口に抜ける激痛と胸苦しさに目覚めた。
そして、幕屋の隅に佇む人影にギョッとして体を起こす。
目を凝らして見るイサリは驚きの声を上げた。
「陛下!何故此処に?」
ギンゴットがイサリに近づき抱擁する。
イサリは苦痛が止み、全身に力が漲って来るのを感じた。
「良くぞ逃げ出して来られた」
ギンゴットは悲しげに首を振った。
「妹背よ、何故悲しげなのですか?」
問いに答えることなく、ギンゴットは寝具に腰掛けたイサリをそのまま制するように手で押さえて幕屋の外に消え去った。
イサリは追うように外に出る。
ギンゴットの姿はなく、穏やかな風がそよいでいた。
野鶏が朝を告げると、兵士たちのざわめきが風に乗り、慌しく動き始めるのが感じられる。
投薬と貼付薬の治療のために訪れた従軍医療士たちはイサリの戦傷の点検に驚嘆した。
「如何したこと!傷が治っているどころか痕さえありません」
迎撃の備えを整い終え、三度目の戦闘モードに突入かと思われた時、ティヤマトの伝令が現れ、スメルミコトによるトミの部族王暗殺と、神軍の支援によるハッタイト軍自壊によるテヤマト勝利を告げた。
「神軍の支援?」
「天の浮き船が現われ、吹き鳴らす法螺貝に導かれて光の力をトミの軍に放ったのです」
斥候からも、次々とティヤマトの勝利を報告して来る。スメル族は暗殺と、神の力をもって、形勢を逆転したと言うのだ。
眩い正午の太陽の下、イサリは白馬に跨り剣を天に翳し、高らかに勝利を宣言した。
「我らコウタン女王軍と盟友ティヤマトは神のご加護をもって勝利した。勝ち鬨を上げよ!」
天地を揺るがす勝ち鬨の叫び、イサリは大音声を上げた。
「我らが栄光に向かって、進軍する!」
… … … …
戦場遠く風の谷で、クーズとトミ・ハッタイトの敗報を受けたシャマイ王子は、直ちに守備兵の総員引き上げを命じた。
峠を越え、風の谷を返り見る時、王子は吹き降ろす風の中にギンゴットの囁きを聴いた。
「また会う時まで。ホーダバ、アラハー」