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二十五話・大銀杏の伝説・上

    

 直径三間もあろう銀杏の巨樹は氷河に削られた断崖の縁上に在った。

 過去の雷撃のせいもあって根元は複雑な瘤状で、一部がまるで背もたれ椅子のように座りやすくなっている。


 痛みが治まり、新緑の木陰にもたれていると、全身に微熱時特有の疲労感が広がり始めた。

 眼下の訓練風景が現実味のない蜃気楼のように見えてくる。

 銀杏の葉風に伴って、雨蛙と虫の音が気だるい微睡みに誘う。


 大樹の陰に微かな気配を感じ,修也は身を起こした。

 樹の裏に回ると、薄絹を纏う臈たけた女性が樹の太根に蹲っている。

 透けるように白い肌、真紅に染め上げられた長い髪は道院専属の外国語関係者であろうか。


 「如何したんですか?」 修也は声をかけた。


 女は身を起こし、深緑の瞳でまじまじと修也を見た。

 「貴方は?」

 「低学年生の牧野修也です」

 立ち上がり、瞬きもしないで逸らさず見つめる女性の視線に、修也はどぎまぎする。


 長身の女は屈むように近づいて、紅水晶勾玉のネックレスを認めると、張り裂けんばかりに目を見開いた。

 「火炎珠!様相を変えているけど、貴方はイサリね!」

 「いえ。僕は牧野修也で、イサリと言う人じゃありません!」


 女は修也の否定を気に留める様子もなく、大空に手を広げて叫んだ。

 「感謝します!最後の最後、イサリに会えるなんて!」


 息が止まるほど、女は少年を抱き締めた。

 修也は金縛りに身体を動かせない。


 辺りがフラッシュし、修也は突然巨大な記憶の渦に巻き込まれた。



 * * *



 イサリは三十三の村落を統括するコウタン部族連合の若き指導者だ。


 王都・風の谷の中央に鎮座する銀杏の丘の麓に建つ壮大な高床式の宮殿。

 イサリは、数日前に婚姻したコウタン女王(一年前に戦死した部族王の王妃)のギンゴットと同衾していた。


 「祝言を終えたばかりなのに、ティヤマトも出兵要請だなんて!コウタンの長である貴方が直接に出向く必要があるのかしら?」

 「我とて貴女を、一夜足りとて独り寝させたくはないが、ティヤマト・コウタン同盟にとっては部族存続を問われる正念場なのです」


 ギンゴットは若く逞しい胸に顔を寄せた。

 「凱旋したら、貴方の王位就任式だわ。あの腕白坊やがこんなにも逞しくなって、私を抱いているなんて夢のようだわ」


 「並み居る候補者の中から、最若年の我を選んでくれたのは感激の極みだった」

 「王位のためとは言え、イサリが後継の伴侶選択に名乗りを上げてくれるなんて、信じられなかったわ」

 「我が申し込んだのは王位でなく、幼い時から憧れていた貴女こそが欲しいものでした。

 しかし、誰しもが陛下は夜ノスエツギ候を選ぶと思っていた」


 ギンゴットは頭を振った。

 「スエツギは好きになれない。ダルシマ在位の時から彼は私へ色目を使っていた。それに、戦場でスエツギが臆病風に吹かれなければ王は死ぬことはなかったわ。……もし本当に私が欲しければ、貴方に剣を持って挑むべきよ」



 銀杏の丘、はん祭の野鹿を焼く幕屋の内、神輿を前にイサリは跪いている。


 大巫女ギンゴットの詔が降った。

 イサリはコウタン全軍に伝令召集をかけ、風の谷の王軍三千を率いて出陣する。



 ギンゴットは、身に着けている紅色の勾玉を若き夫の首に掛け「貴方と共に」と、告げた。


 コウタン、ティヤマトが合流の地は風の谷部落から二十里の行程、耶麻の海(猪苗代湖)の畔・翁澤である。


 各所のコウタン部族はイサリの出陣の命に従い次々と雪だるま式に本隊へ加わっていき、一昼夜後のコウタン支配地を抜ける時には三万五千を超えていた。

 コウタンの勇猛を誇る主力の重装長槍隊に加え、二千を超える騎馬、獰猛で名高い訓練狼群の夥しさ、コウタン族独特の伝統火気部隊、特殊工具隊の編成であり、行軍は悠揚迫らざる勢いだ。


 高揚した陣の中で引きも切らない斥候の報告を受けながら、イサリは漠然とした不安を覚えている。


 スエツギの夜ノ森部落連合軍三千が未だ合流せず、連絡文で一言【止むを得ぬ事情で二日遅れる。鬼生蛇の谷にて我らを待たれたし】と、あった。


 遅参通告に、若き指導者はスエツギの伝令へ申し渡した。

 「我らは鬼生蛇の谷にて一日だけ待つ。万難を排し参陣せよ。さもなくば、処罰避けがたし」


 初戦は夜ノ森軍抜きに行われた。

 鬼生蛇の谷に至る行程にクーズが護る唯一の砦・蒼石城があり、既に内応の凋落済みだった。

 戦闘が始まるやイサリはコウタンの火(精製した発火性の油とゼリー状の麻油脂の包み袋)を、大投擲機で間断なく城内に投げ込み、一気に粉砕した。


 コウタン軍は、噴煙を後に、河の流れのように鬼生蛇の谷に向かって進軍する。

 鬼生蛇の谷はヤマトの合流地点翁澤に向かう途中、白沢と西田の山並みに挟まれた平地であり、大人数が野営するのには格好の地だ。


 山間の霧の漂う狭山道に入り始めるや、トキが一斉に鳴き叫び、首に掛けられた炎紅勾玉が熱を帯びている。


 イサリは全軍に停止と戦闘配置の命令を下した。

 コウタンの誇る戦闘斥候を更に四方八方に発し、忙しなく次々と発令する。

 「法螺を鳴らし、陣鼓を打て!」


 斥候からもたらされた情報は戦慄すべき状況だった。

 野営予定地の鬼生蛇の谷を挟む南北の山には約一万づつのクーズ兵が取り囲むように潜んでおり、殲滅すべくコウタン軍の到着を待ち構えていると。

 その上、後方約十里の彼方には退路を断つかに、スエツギ夜の森部落連合と帯同するクーズの軍勢一万一千が迫っていた。


 イサリは直ちに戦闘斥候による敵の情報網の分断を指令し、コウタン軍を五手に分けた。

 南の白沢山を攻めるイサリ指揮の一万一千の主力と北の西田山を攻める六千の別働隊、そのまま鬼生蛇の谷に直進する囮とも言える二千の騎馬隊とこのまま待機する戦闘狼群、そして、後方から迫るスエツギ・クーズ連合の進軍を阻むための特殊斥候隊。


 濃霧の中、部隊は密やかに左右の森に消えて行く。

 鬼生蛇に半里と迫る時、旗を立て、中央道を行軍するのは戦闘狼群と騎馬隊を残すのみとなっていた。


 四百づつに編成された騎馬隊が次第に速度をあげ、大袈裟に法螺・太鼓を鳴らし、旗を振りながら隘路を走る。

 そして、鬼生蛇の谷に達するや喚声をあげ、両側の山に潜んでいるクーズに火矢と鳴り矢を射かけた。


 クーズは応ずるかに雨霰の矢を両側から射かけ、仕掛けてあった鉱山用兵器・雷丸を谷の至る所で連続的に爆発させた。

 崩れ立つコウタン軍へ、クーズは山降ろしに両側の山から包み込むように攻撃する。


 時は今!クーズの背部に満を持していたコウタン軍は、コウタンの火を一気に火炎の嵐にぶち込み、間髪を入れず雄叫びをあげて突撃した。


 突如、降って湧いた激烈な背部攻撃に、クーズは壊乱状態となった。

 南側は抵抗らしい抵抗も出来ず、算を乱して潰走する。


 「殺せ!殺せ!」

 全軍が叫び合唱し、息もつかせず追撃の手を緩めない。

 南の白沢山を下り、谷下の道路の方へ逃走するクーズは待ち構えていた戦闘獣の群に襲われる。


 「勝ったぞ!勝ったぞ!殺せ!殺せ!」


 兵士の合唱は狂熱的な音律を作り、喚声と盾を叩く音は山野に満ちた。

 そして、南の軍は奔流のように谷を越え、北の西田山まで一気に攻め上って敵を狭撃し、掃討したのだ。


 絵に描いたような勝利。

 夜ノ森のスエツギ軍とクーズの連合一万一千が噴煙さめやらぬ戦場に辿り着いた時、コウタン軍は既に武器収集を終えて、勝利の歌を唱和しながら狭山道入り口に万全の構えで待機していた。


 イサリは夜の森連合軍へ通告する。

 【卑法にも罠にかけんと謀ったクーズ軍は我らの力の前に既に殲滅された。

 貴軍は直ちに降伏して我らに合流せよ!しからずんば裏切り者の兵士のみならず、その一族郎党に至るまで誅殺あるのみ】


 折り返すように対峙する夜ノ森・クーズ連合軍より返書があった。

 それは勝利の余韻覚めやらぬコウタン部落軍に冷や水をかけた。


 【イサリ及びコウタン軍に告ぐ。明朝までに恭順せよ。

 降伏するならば、我が軍は状況を鑑み、一切のわだかまりを捨てて貴軍を友軍として迎える用意あり。

 我が盟友トミ・ハッタイトは翁澤にてティヤマトを打ち破り、なおかつ貴軍を挟撃すべく現在鬼生蛇の谷に進軍中である。

 また、我がスエツギ夜の森・スクナ(クーズ)連合軍は諸君の留守中に全コウタン部落を制圧せり。

 ギンゴット女王はじめ貴君たちの父母、妻子は自家薬籠中にある。

 抵抗するならば、人質全員の命は亡き者と覚悟されたし】


 見覚えのあるギンゴットの髪飾りが添えられている。


 盟友ティヤマトの敗北。

 スエツギの裏切りによるコウタン部落の制圧。

 そしてギンゴット女王が幽閉された情報は兵士たちの間に深刻な動揺をもたらした。



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