二十三話
焚き火を離れ、洞窟の周りを探索しているフリンに、修也は声をかけた。
「ユズキちゃんの話、如何思う?」
「事実は事実さ。この目で実際に化け物蟹を見たっぺよ」
「ところで、ライオン」フリンは焚き火で談笑しているユズキとラモンに顎を杓った。
「お前、ユズキを好きになってっぺ?言っとくけど、ユズキはまともじゃねえ。ガキが惚れるには重いよ」
フリンが口にしたのは衝撃的な事実だった。
「ユズキの指が六本あっぺ?弓月王はアミリウスなんだ」
「アミリウス?」
「人間が男と女に別れる前の種族だ。先祖帰りで稀に出現する」
「先祖帰りって?」
「人類創生時の型。六本指で、二成だ」
「フタナリ?」
聞き慣れない言葉の羅列に頭を捻った。
フリンは説明する。
「何も知らねんだな。ユズキは両性具有なんだ……」
葛久保の洞窟を出て、急勾配の森を抜けると、一面に開けた水境高原に到達する。
幾筋もの雪道は合流して広くなり、なだらかで踏み固められた街道となった。薄霧が地を這うように幾重にも棚引き、時折紫を帯びた濃霧が大河のように流れていく。
彼方此方にポツリポツリと高太石山行きと思われる騎馬の集団が見られる。
街道に合流していたグループから長身の青年が、歌舞伎のような錦糸のマントを翻して騾馬を寄せて来た。
「羅門!ラモンだえ?」
長髪をポニーテールに纏めた、一見したところ薄化粧をはっているように見える色白のゾクっとするような美形だ。
「おおう!妖しげと思っていたら、エンキ兄かあ」
「相変わらず口がへらねな。岩手の石鳥谷を出る際に、お前が優秀な新入生を引率して来るって聞いてたんで、楽しみだったんだえ」
大きな騾馬に長身、顔立ちも何処か似ている青年二人は互いの右手を組むようにガッチリと握手した。
須佐野円気は、入れ替えで道院の指導員を任命されたことを話した。
「じゃあ、兄貴と入れ替えで去るのは?」
「まんず、能力者の亀井三郎だから、荷が重い」
ラモンはくすりと笑った。
「その三郎先生と道院で合流する予定なんだ。
それにしても、兄貴が先生がや」
「格闘術教師を仰せつかっとる」
「格闘術だって?医専を卒業したんじゃなかった?それに、得意は音楽のほうだべ」
羅門はエンキが背負っている弦楽器を指差した。
「三日会わずば割目して見よってね。今や、実戦柔術・南部諸賞流の皆伝だ。
ま、今回は医務官も兼ねての御使命なんだがな。音楽は、妹の麻耶ともども南部琵琶に嵌ってる」と、引率してきたグループを指差した。
おかっぱ頭の少女が羅門の視線にペコリと頭を下げた。
円気は話を変えた。
「お前の甲子大国神社における闘争は一躍、羅門の名をミシャセ中に轟かした」
「いや、あれは、ここにいるオダイ・牧野修也に負うところ」
羅門が修也に顎をしゃくると、須佐野円気は芝居がかった大仰な仕草で声をかけた。
「まんず、ラ・オダイ少年とお会いできるとは光栄だ。人食いライオンを連れて夜間散歩したんだって?」
エンキは興味有り気にフリンとユズキを見た。
「君が秀才・竹の内沸林君かあ。柔道も強いんだってな」
そしてフリンが答える間もなく、ユズキに向かって、
「超えてるオーラと麗しさ、天使も花の妖精もかくあるべしか!
想念体アミリウスにして超天才って噂はかねがね」と、手を広げて大袈裟に挨拶する。
純白の聳え立つ高太石山麓の崖道を迂回するように騎行する。
白樺林の中から忽然と、風車群に囲まれた風神の谷村が出現した。
温泉の蒸気煙が立ち上っている集落の中央は、半分が氷河に削り取られた渓谷の上に一段と競りあがった高台になっている。
慟哭の丘と呼ばれるそこには、大きな木造校倉(修学道院)と白いサイデングの温泉療護病院が、巨大一本銀杏樹を取り囲むように、異国的な佇まいを見せていた。
突然、ユズキが怯えたように立ち止まった。
「深い悲しみ!怨念!」
すると、フリンまでが「大樹から発する力が……」等と、言い始める。
エンキが一行の異状に気づいた。
「如何したんだえ?」
羅門は困惑の態だ。
「ユズキは霊体質で、我々に感じないものを感じ、見えねえものが見える」
エンキは立ち往生している前に騾馬を進めて、妹の麻耶に叫んだ。
「姫っこ、弦を弾け!」
「はいな!」素早く麻耶は降馬し、エンキから琵琶を受け取って構える。
エンキは深呼吸するように両手を空に掲げる。
「天上天下の神と竜と精霊よ、魂の息吹あれ!」
切り裂くような鋭い大音声を発してから、やおら青光りした山刀を抜き放つ。
巧みに馬を操りながら少女の琵琶を伴奏に、朗々と歌いながら踊り始めた。
長身のしなやかな肢体・流れる髪と相まって、金糸に煌めく陣羽織風マント、山刀の風を切る躍動。
歌、音楽、刀と馬が、エンキが操る奇跡の線上に躍っている。
やがて、息を呑む人馬一体の剣舞を舞い終えて鞘に収刀するや、エンキは馬を降り、騎士風に恭しく手を広げてお辞儀をしてユズキの馬口を取った。
「南部超絶破邪の舞。邪気はすっかり御祓い申し上げたので御安心されい。これより、須佐野円気が露を払って先導いたす」
弩迫力な剣の舞に度胆を抜かれたユズキは「畏れ多いです」と、頷いた。
期せずして、見ていた周りから歓声と拍手が一斉に湧き起こった。
何時の間にか琵琶奏者の麻耶が、寄り添うようにユズキの側に馬を寄せている。
羅門はエンキに騾馬を寄せた。
「見事な剣舞、恐れ入った。南部藩の伝統芸なの?」
エンキは羅門の袖を引き、耳打ちする。
「俺は演出家で創作舞踊もやる。偉才には沢山の玉手箱があるんよ」
道院に入ると、門の受付所は黒山の人だかりで、新入道院生の引率、あるいは指導員らしきが羅門と円気を見つけては、挨拶に駆けつけるのだった。