二十一話・サンカの祭り
羅門兄が驢馬を引いて迎えに現れたのは、それから約一ヶ月後の早朝だった。
見送りは町中総出で, 実家の母や弟の麻八等親戚、七郎や俊英等のガキ仲間まで駆けつけた。
加奈子は身に着けていた紅玉石の勾玉ネックレスを外して修也の首に掛ける。
「これは、家宝のお守りなの。着ける者は全てと通じ合えるようになり、災難を祓ってくれるって」
万歳三唱を背に、二人は牧野屋敷を後にした。
一旦、外れ部落の井理家に立ち寄り、羅門用に大きな騾馬(驢馬と馬の混血)を調達。防寒の装いを新たに出発の準備を整える。
牧野修也の数奇な人生の旅は、大悲山の薬師堂石仏観音(通称大蛇神社)の参拝から始まった。
苔むす石段を登りきると、樹齢一千年を越える古代杉の二本の巨木が辺りを睥睨するかに聳えていた。
古色蒼然とした社の錠前を外し扉を開けると、数百年間の時を越えて淡く色を残す磨崖佛群が佇んでいた。
仰ぎ見る薬師堂石仏、阿弥陀堂石仏、観音堂千手観音仏、そしてその側に琵琶を弾く法師を巻くように一頭の大蛇(竜)が聞き惚れている。
そこには大悲山物語(大蛇と琵琶法師の出会いから、大蛇が妖女に化身し神矢に射殺されるまで)が克明に彫り描かれていた。
二頭の騎馬は大蛇神社の参道を通り抜けて山道を歩み、獣道に踏み込んで行く。
狭く薄暗い谷間を抜けると、自然の木々や岩等の地形に隠蔽されている舗道が忽然と現れた。
路面は細かい礫石で平坦に固められ、騎馬二頭が悠々と並走できる幅があった。自然の地形に沿うように岩壁を穿って造られている。
純白の霧氷に煌く木々の間から、目にも鮮やかなコバルト色の鳶沢沼が眼下に見える。
舗道は緩やかな坂道を降り、山林を抜けて、風車が乱立する草原の集落に続く。
何時の間にか、二頭は騒然とした祭りの中に入り込んでいた。
行きかう人々は色とりどりの祭り衣装を纏っており、村全体が極彩色に飾り付けられている。
色鮮やかなミシャセのテントが村を取り巻くように所狭しと張られていた。
犇めき合っている出店や呼び込み、大道芸、笛や太鼓、サンカ琵琶などが鳴り響き、大変な賑わいだ。
人群れの中を歩む二頭に、子供たちが集まって騒ぎ始める。
「ラモンがライオン小僧を連れてきた!ライオンだ!」
騒がしい子供たちを引き連れ、村の最奥に鎮座している神社の馬繋ぎに手綱を置いた。
境内は参拝者で溢れており、中央の広場には薪が見上げるほど高く積み上げられている。
人ごみを縫うように二人は参拝し、受付所の巫女嬢に来訪を伝えた。
本院の横を通り抜けると、表の喧騒が嘘のようにひっそりと奥の院が佇んでいる。
参道入り口の側に瀟洒な茅葺の控え家が在った。
玄関の硝子戸を開けると、達磨顔に満面の笑みを湛えた神主服の禰宜が板張りの広間に導き入れる。
修也と同年代と思われる少女と少年が慌てたように麻縄座布団から立ち上がり、目礼をした。
大柄で薄茶色の瞳が輝く少年は修也より一つ年長の竹内沸林、東日本小学校柔道チャンピオンにして、全日本小学部学力試験ナンバーワンの文武両道に卓越したスーパー少年である。
茨城の磯原から合流するために来ていた。
少年は修也と顔を合わせると、吃驚したように目を見張る。
修也も修也で、少年に旧知のような懐かしさを感じた。
短髪の少女(?)の方は長身で頭一つ小柄な修也より高かったが、やはり一つ年長で、当社宮司の一人っ子、秦野弓月王。中性的で、きらきらした瞳と透き通るような肌の白さが印象的だ。
ユズキは桃色の祭服に金の冠を戴いていており、祭りの最中から抜け出して来た装いである。
「ようこそ、神澤村に。この度はお世話になります。早春祭はこの月山神社とユズキが祭儀の中心となっていますので、十分にお相手が出来なく申し訳ありません。すぐ昼食を用意させますので」宮司は慇懃に話す。
「お構いなく。明日は責任をもって高太石山修学道院まで三人を送り届けますので御心配されないで下さい。それに、噂に高い早春祭を観るのが楽しみなんです」
「それは、良う御座いました。早春祭は我らにとって最も重要な祭儀ですので、ご堪能いただければ幸いです」
そして、挨拶も早々に宮司とユズキは祭儀のために退席するのだった。
食事を終えると、お祭り好きの羅門は居ても立ってもいられなくなり、連れ立って表に繰り出す。
祭りは佳境に入っていた。
爆竹と絶え間なく打ち上げられる花火の轟音。社を取り囲む群集はリズミカルに打ち鳴らされる太鼓の音に合わせて榊の小枝を振り回しながら踊っている。
大きな爆発音が鳴り響き、もうもうと噴煙が月山神社を包み込んだ時、突然社殿正面から煙を開くように金色衣を纏った八人の鬼に担がれた輿が出現した。
屈強な八人鬼は彩色化粧を施し、輿の上の椅子には黄金の冠を戴いたユズキが祭服を風に翻して座っている。
雅楽と笛太鼓、群集の盛り上がりの中、輿は村道をうねるように進み、村外れの不凍の天神沼に至った。
輿から降り立ったユズキは榊の小枝と五十鈴を手に、裸足で黒石に敷き詰められた寒風吹く沼原を歩み、岸辺に膝を折って祈る。
ざわめきは静まり、人々は固唾を呑んで見守っている。
ユズキは立ち上がり、水面上を静々と舞台を踏むかに歩む。
「キリストだ!」ラモンは驚きの声を上げた。
太陽の御子は沼の中の小島に上がり、鈴を振って鎮魂の舞を舞う。
雲間から一条の光が射し込み、木枯らしが笛のように吹きわたった。
天女の舞を収めると、ユズキは再び水面を滑るように歩んで戻る。
岸辺に着くや、着火された路面が轟音と凄まじい炎を上げて燃え始めた。
羅門は唸った。
「敷いてあるのは石炭だな。揮発油を染み込ませてる」
紅蓮の炎は静まり、一面が高熱の真っ赤なコークスとなり、近づくもの全てを焼き尽くしそうだ。
桃色の祭服を熱風に靡かせ、微かな青い光を帯びたユズキは素足のまま高熱の輝きを踏みしめて歩む。
観衆の中から悲鳴が上がった。
一瞬、祭儀の御子は立ち止まってその方向を見たが、何事も無いように渡りきった。
火渡りを終えてユズキが手を振ると、堰を切ったように喚声と足踏みが木霊する。
一斉に花火が打ち上げられ、笛太鼓が鳴り響いた。
「カールヤ(蘇えれ)ハッタイ―!カールヤバーベル!」
皆口々に、歓喜に叫び踊った。
喧騒は止むことなく、奥まった宿舎の寝所には夜半まで潮騒のごとく聞こえていた。
ユズキとフリンの加わった出立の朝、見送りは宮司と僅か数人とさり気ない。
防寒衣に身を固めたユズキの出立ちは、昨日の妖精を思わせる優美さと異なり、凛としたメルヘンの王子様の趣だった。