十八話・もう一人の自分の人生
抜けるように青い空の下、特急は水戸から平に向かって、日立海岸をひた走りに走っている。
真夏の田園は濃い緑を鮮明にし、眩く輝き始めた。
ヒロコが話を切り出した。
「お祖父様、康煕さんのドッペルゲンガーが良く分からないのですが……」
「分身と言ったところや」
「言葉の意味じゃなく、お祖父様と李山さんの関係ですの。ドッペルゲンガーには経験があるので、違和感はありません」
「君らはアメリカによる東京大空襲を知っとるかな?」牧野は唐突に尋ねた。
「爆撃があったのは知っていますが……」一平はヒロコを見る。
「あれは、市民のみをターゲットにした未曾有とも言える大虐殺やった。
阿鼻叫喚地獄。空から降り続ける焼夷弾は東京を灼熱の溶鉱炉と化し、触れるもの全てを徹底的に焼き焦がす。数十万の老若男女を問わず、犬も猫も樹木も生きるもの全てを焼き尽くした。
断末魔の叫びと夜空を満たすB17の轟音は今でも耳に残っとる。
燃え盛る炎の中、私は研究所のスタッフとも逸れてしまい、防空頭巾を被ったまま荒川の河川敷目指して無我夢中やった。
……その時や、方向感覚を見失ったように若者が羽織を頭から被って我々の行く方向と全くの逆方向に走り抜けようと突進して来た。
むざむざ炎が渦巻く灼熱の世界へ突入しようとしているのを見過ごすことは出来んと、体当たりに阻止したんや。
そして、羽織を外して若者が顔を現した時、一瞬時間が止まったように感じた。……それは私自身やった」
「それは……?」
「つまり、私であって私でない、もう一人の私自身と遭遇したのや。
私が河川敷の方向を示すと、彼は群集の混乱に巻き込まれ、流されるように行き去った。
河川敷に辿り着くと、其処は正に地獄絵そのものやった。累々と横たわる焼け焦げた死体、焼ける肉と腐敗臭が鼻を衝き、呻き、泣き叫ぶ声が辺り一面に満ちていた……」
「その出会ったのが、李山さんなのね」
「それが、その後ひょんなことから再び出会うことになる。
例のNHK・私の秘密の出演を見た康煕が緑の家を探り当てて訪ねてきたのや。で、更に吃驚なんやが、当時資金繰りに行き詰まっていた『緑の家』に驚くほどの高額の寄付を申し出たんや」
「それは、驚きっすね」
「とにかく、終日二人は合わせ鏡のように飽かずお互いに見入っていた。何とも驚いたことに、異なっているのは過去の経験だけ。でも、その人生の記憶ですら、やがては混同してきて互いに交叉し、共有するに至った。
以後、我々は、感応し合い、夢の中で入れ替わったりして、二つの人生を生きているような気がするようになった」
牧野は李山康煕から聞いた、そして彼自身となって経験したもう一つの人生を話した。
康煕は茨城県磯原に南関東方面軍所属李大尉(後の李山大佐)の長男として生まれる。
大尉は朝鮮王家の外戚に当たる出で、いずれは帝国陸軍もしくは日本帝国を背負って立つであろう陸軍士官学校きっての逸材と謳われていた。
その父が康煕の小学生時に奇妙な事件の渦中に巻き込まれることになった。
磯原天津教竹之内事件。
事件の概要は、茨城の磯原にある皇祖皇太神宮第六十六代管長竹内巨麿なる人物が南朝の天皇家から受け継がれた門外不出の超古代史、所謂、古史古伝と総称される古事記より古い文献・『竹内文書』を公開したことに端を発した事件だ。
神代文字で書かれた原本の成立年代は不明だが、五世紀半ば、武内宿禰の孫の平郡真鳥によって漢字仮名まじりへ書き改められたと言われている。
記述は天神に始まり、現天皇につながる神倭朝まで総計すると天文学的年数になる壮大なものだ。
永遠とも思える長寿、平和の中に統一されている人類世界、天の浮舟・鳥船・磐船と呼ばれる飛行船、多分に虚実入り混じった古代人のロマンチックで神話的なものが含まれていた。
古史古伝には『竹内文書』の他にもいくつか伝わっている。
『九鬼文書』、『宮下文書』、『上記』、『秀真伝』、『東日流外三郡誌』等だ。
これら古史古伝は『古事記』『日本書紀』に基づく国家神道の系譜(皇国史観)とは異質なものが多く、タブー化されていた皇室のルーツ問題に抵触する。
竹内文書が他の古史古伝と大きく異なったのは、文字資料と別に伝えられている神宝類で、興味を持って関与した多士多彩の人々だった。
軍官政財界、宗教、芸術家、地方の名士、歴史家に至るまで。そして、地元交友関係の著名な人物として李山中佐が浮かび上がった。
当局はその広範な影響力を鑑み、竹内巨麿を不敬罪で起訴し、九年の長きに亘る法廷の論争をおこなったのだ。
この裁判で、李山中佐に対しての数回にわたる事情聴取は、中佐の中に猛然と民族意識を引き起こす。
避けて通ることのできない自らのルーツである朝鮮民族の歴史。中佐は嘗て強大な言語も文字も民族も統一されている文化国家が鴨緑江以北の満州(中国東北部)から遼東半島全域にわたって存在していたのを知る。
特に注目したのは、漢字以前に用いられたと伝えられている神代文字の一つが、朝鮮李朝の世宗王が創意したと言われているハングル文字に酷似していたことだった。
中佐は近代日本の爆発的発展は世界一の識字率にあると見た。
そして、その驚異的な識字率の根本は表音文字の、カタ仮名、ひら仮名と、表意文字の漢字の併用にあると看破する。
中佐は民族興隆に不可欠な要因として、識字率を高めることに着目した。
漢文オンリー主義を排し、表音ハングル文字の一般普及を、重要なライフワークと位置づけたのだ。
ところが、ハングル普及の前には大きな障害が横たわっていた。朝鮮の支配層・両班の識字への特権意識と、長い中国支配による小中華思想に骨の髄まで浸っていたことだ。
当時、朝鮮では高級官僚の両班になるためには科挙のテストをパスしなければならないのだが、その学問と言えば唯一無二ひたすら漢字と漢文(特に儒教)を学ぶことであり、膨大な量のそれを生涯をかけて記憶するのである。
科挙の中の科挙国家、まさに本家を超えた中華思想。
文化、習慣、文字、纏足に至るまでの漢族文化に対する憧憬。
中華の小番頭化した朝鮮は、自らの大韓国の文化と歴史を文字と共に消し去り、自らを儒教国と称して中華思想をまるで自国文化のように受け売りしている状態になってしまっていた。朝鮮では便利で簡易なハングル等は日本の仮名同様の下品な文字と決めつけられていたのだ。
日本帝国による朝鮮のハングル文字習得・普及は、両班の漢字至高主義の抵抗にもかかわらず、日本語教育と平行して急務の文盲排除運動として強制的に施行される。
中佐は朝鮮出身の朴少尉等と共に東奔西走し、遂には平仮名・片仮名とハングル文字普及によって、文盲をほぼ完全に駆逐することとなった。
康煕少年は、磯原の竹内家(特に、幼馴染で一歳年上の竹内佛林)と密接に交流している影響もあって、次第に歴史に興味を持ち始める。
竹内フリンは磯原事件の当事者である教主の次男坊であり、一人息子の康煕にとって兄貴分と言える幼友達だった。喧嘩が強く、悪餓鬼どものボス的存在であり、その上、学力抜群、スポーツ万能、特に柔道の東日本優勝者である文武両道に卓越したフリン。
フリンは十歳時に、福島の阿武隈山中の神秘学院に入学との理由で、康煕の前から姿を消した。
その三年後の磯原事件時を契機に、パワーアップした天才児として帰郷し、強力な事件弁護の支援活動を始める。
タフな天才ネゴシェーター少年として注目を浴びていたが、康煕の前では相も変わらずの夢見る歴史好きの腕白小僧だった。
「不老不死の黄金の国・エルドラード、聖人の住む理想郷・アガルタやシャンバラ、大海に沈んだと伝えられるアトランティスやムー大陸、北方の彼方に在ると言うヒュペルボレアとトゥーレ、謎の桃源郷アルタイ、恐怖のドラゴンワールド、永遠のネーデルランド、そして幻の鏡の国と言われる相似の世界テラ」語るフリンの瞳はキラキラと輝く。
冒険物語や独特の歴史講釈を聞かせられているうちに、康煕は漠然と将来の志望を軍人から次第に歴史学者にシフトして行く。
「お前にそっくりなライオンって言うミイヤの小僧が福島の南相馬に居んだ。道院中、そ奴と常時一緒だったんで、お前に会った時も久しぶりって感じじゃなかった」
康煕が沸林を追うように旧制水戸第一中学に進学する頃、国際状況は風雲急を告げ、唐突な感じで大佐に昇進した父は副総督として台湾方面軍に転属することになる。
康煕が水戸に独り自炊のアパート住まいが始まると、フリンは当たり前のように生活管理人と称して入り浸りになる。
フリンは父の李山大佐を「親爺さん」と呼び、頻繁に連絡を取っており、その信頼は絶大だった。
大佐の信頼を良いことに、フリンは康煕を南相馬の鈴木・牧野家やサンカの一族に会わせたり、修業と称して山籠りに付き合わせたり、良いように連れ回す。
フリンが東京の大学に入学し、水戸から居なくなると、康煕はまるで傀儡子のいないマリオネットのように途方に暮れた。
翌年の正月、アパートに現れたフリンは李山大佐の推薦でベルリンの大学に留学することを告げる。
驚く康煕に、「志を追い求めることこそ、俺の人生だ」と、不退転の気持ちを述べた。
以後、ベルリンから度々近況を知らせる手紙の連絡があり、その内容はフリンらしく、多種多彩な人物交流と独特の歴史観が常に心躍る文に綴られている。
そして、フリンからの最後の手紙。それは驚天動地の内容だった。
ヒットラー総統肝入りのプロジェクトであるオペラツィオン・ドイッチェ・アルネンエルベ(目的は、超自然・最先端科学・宗教といった様々な側面を持つ遺物・秘物あるいは太古の叡智によって作られた装置等の徹底的な収集)の一環で、地球内部の伝説の世界への艦船による命懸けの探検とある。
内部への侵入口が高度飛行の探査によって、北極付近を移動中なのが発見されたと言うことで、急遽十三名の特別探検隊が編成されることとなった。
卓越した言語力と、東西古代歴史の造詣の深さを買われてのメンバー採用。
隊では最年少にして唯一の外国人であると、誇らしげに報告している。
「我が決意、伝説の地に到達せずんば、生きて会うことなく、その存在微塵も疑うことなし。帰ることあたわざれば、何時の日か、彼の地で会い見えん」と、手紙は結ばれており、興奮と並々ならぬ気負いを表していた。
以後、ドイツ政府からの報告。
「彼の地には到達し得たが、帰還中の嵐口に遭難し、帰れたのは緊急ボート二艘のうち一艘のみで他船は行方不明。生還者は乗員クルー一名のみ」
そして更に、康煕にとって大きな衝撃。
米英開戦が噂されている最中、開戦反対派陸軍の中心人物と目されていた父の李山が、台湾から中央の大本営に転属早々に他界したのだ。
李山大佐、享年五十歳。
死因は急性心不全である。台湾在住時に罹患したマラリアの後遺症と診断されたのだが、若くしてしかも、あまりにも急激な死は米英開戦派による謀殺の噂も飛び交っていた。
以後、日本は急速に米英開戦に傾いて行く。
心の支柱であった先輩親友の失踪に次いで、康煕の人生指針そのものと言える父の訃報、そして夫の後を追うような母の衰弱死は、トリプルパンチとなる衝撃だった。
それが故、己が無力さに嘆き、悲憤慷慨に疲れ果てて生きる希望も消え失せ、やがては、自暴自棄とも言える放蕩無頼な生活に埋没して行った。
日米開戦。命運を分けたミッドウエイ海戦の敗北。そして、あの東京大空襲。
火炎地獄の中に方向感覚を失って闇雲に走り回る康煕を抑えて、生への指示を与えてくれたのが己が分身・自分自身だったことは、改めて生きる意味を考えさせられた。
終戦を迎えると、康煕は帝国将軍の御曹司、戦勝国でも敗戦国でもない第三国人、失われた王族家、命知らずの無頼朝鮮人、等の特異なポジションを使い分けて、米軍や日本政府あるいはヤクザ等の裏社会に取り入り、遂には経済的に出色の成功を収めることとなる。
一方、荒んだ生活の癒しとして、かつてフリンが紹介してくれた小高の鈴木家を時折訪れ、息抜きの羽休めをしていた。
そして、偶々見たNHKテレビ番組『私の秘密』に、火炎地獄に出会った牧野修也を発見する。
驚くなかれ、その修也が七郎の幼馴染の親友であり、嘗てフリン兄が会わせたがっていたライオン少年だった。
牧野は、もう一つの人生・康煕の歩んできた行程を語り終え、大きく息を吐いた。
「全てが一炊の夢や」