十四話・大悲山伝説
手紙を読み終え、牧野は渡された分厚い書物を取り上げた。
「これは逸品や!」
本を捲り始めた。
スイッチが切り替わったかに本に集中する。
最早、ヒロコも一平も眼中にないようだ。
一平は側でにこやかに見守っているヒロコに話しかけた。
「うちの亀井がヒロコさんに宜しくと」
ヒロコが目を見開いた。
「理恵が?……余計なこと言ってませんでした?」
「ヒロコさんのことは、綺麗でカッコよく、超優秀な幼馴染って」
「理恵って、お喋りが欠点なんです」
「でも、さっぱりしているし、気さくで、話していると楽しくなる」
「そうなの。可愛いし、物怖じしないので、昔からすごくもてて、何時もボーイフレンドを沢山引き連れて闊歩していたんです」
「彼女はもてるって言うより、友達感覚のような気がしますが」
「それが、告白されたり、レターを貰ったり、大変だったんですよ」
「確かに、想ってる奴が居ることは居る」時田の顔が浮かぶ。
「彼女、そう言えば大悲山に来たいような話をしていました」
「理恵が?」
「戸田君が大悲山に来るのを話したせいかもしれない」一平は話の前後を変えている。
「戸田って?」
「剣道学生チャンピオンの戸田……」
「隼人君のこと?」
「彼を知っているんですか?」
「幼友達ですわ」
「話しの流れで、大悲山で一緒に稽古をやろうかって」
「じゃあ、理恵、絶対来るわ。隼人君を気に入っているし、それに何と言っても、佐々木さんは憧れの先輩ですもの」
本を捲り続けている牧野にヒロコは語りかける。
「お祖父さま、聞いています?隼人君から理恵まで大悲山に来ちゃいそう」
「賑やかになりそうやな」老人は捲る手を休まず答える。
一平は牧野の手元を見て、息を呑んだ。
ページを捲る速さが半端じゃない。
しかも、時々捲る手を止めては頷いている。読んで内容を吟味している様子だ。
既に分厚い本の残り僅かに取り掛かっていた。
唖然としている一平に、ヒロコは説明する。
「ちゃんと理解もしているんですよ」
「これで、内容を把握ってのは奇跡っすね」
古本を捲り終えた、牧野は笑った。
「こんなのに奇跡言うては遺憾」
「速読法……ですか?」
「幼いときの訓練の賜物や」
「昔、テレビで公開したことがあるんですって」得意げにヒロコが言った。
懐かしそうに牧野は話す。
「昭和三十年ごろ、NHKで『私の秘密』言う大人気の番組があってね。多少の自己顕示と、テレビ放送に興味があって出場したんや」
「どのように公開されたんですか?」
「スーパー記憶マン。局が用意した一冊の本を丸ごと一分間で完璧に暗記してみせる言う。
私が目を通した後に司会者が適当に開いた部分が何ページか告げてもらい正確に2ページぐらい大きな声で諳んじて見せたのや。
トリックやないのを証明するために手当たりしだいの本を、挙句の果てに観客の学生が持っていたドイツ語の本を原語のままドイツ語で二ページを諳んじた時には、受け過ぎやったな」
「それは……驚きます」
「でも、やり過ぎやった。反響が大きく、雑誌や新聞まで大きく取り上げたものやから、私の過去がバレてしまった」
「過去って?」
「戦犯容疑」
「戦犯?あの東京裁判のですか?」
「勝者による典型的な理不尽デタラメ報復裁判。終戦間際に私は気が狂ったと言うことにして、精神病院に逃れた。狂った真似は十八番やったから」
聞いてはいけないことを聞いてしまったような緊張が走る。
老人は楽しそうに話し始めた。
「当時、私は十代にして軍の科学技術の開発部を担当していたのでね。
……東京裁判による表向きのクソ罪状は精神破壊兵器、そして核兵器開発らしいんやけど、実際に使用した連中に残虐呼ばわりされ、糾弾されるのは真っ平やった」
「精神破壊兵器?」
「精神破壊どころか進歩兵器と言いたいぐらいや。まあ、冗談半分で始めた研究が採用されてね。目標物が50メートルぐらい離れたところまで実験は成功したんやが」牧野は自嘲気味にぼやいた。
「君はマリファナを体験したことがある?」
一平は頭を振った。
「いいえ、……知り合いにジャンキーが居ることは居ますが」
「大麻吸飲の酩酊状態になると著しく闘争意欲を削ぎ、一様に平和愛好家に変化してしまう。私は特殊な電気刺激で大麻の酩酊状脳波に変化させるのに成功した。そのパルスをある種の電波で遠距離の敵にぶつけると言うわけや。
成功した暁には全世界に敵味方を問わず無制限に発信すると言う妄想を抱いておった」
一平は老人の軽妙な語りに戸惑っている。
「それって……悪いことなんですか?」
「戦争遂行者にはね。ベトナムでは米軍が自軍の大麻使用に悩まされた」
「表向き、言うと、本当は何っだったんですか?」
「麻の応用研究。日本の石油不足を補うために亜炭、菜種、海草、松根油等々研究を重ねた結果、麻から細菌を利用して多量に上質なバイオ燃料を作るのを開発したんや。
肥料もなしに速成無尽蔵に繁茂する麻。人類にとって、ポスト石油として重要な意味を持つはずやった。
しかし、それは石油メジャーには無視できない問題を孕んでいる」
牧野は声を潜める。
「ここだけの話やが、その代替石油燃料研究で知り合った楢崎皐月なる天才と共同で古代支那の仙道を研究している時、瓢箪から駒みたいな偶然に、核分裂核融合を従来のシステムから見ると比較にならないぐらい簡単に、さほどの施設なしにやれる方法を見つけ出したんや。
だが、それによって起こるだろう人類の悲惨な事態を考えると、軍には報告できなかった。後に広島と長崎に核が使用された報告を聞いた時、結果を予想していただけに戦慄した」
「発表したら……?」
「世界のエネルギーシステムがドラスティックに変わる。何しろ核融合エネルギーの対消滅反応を利用すれば、たった五グラムの燃料で東京ドーム一杯分の湯を沸かせれるんや。……今でもまずいやろな。たいした設備もなしに、気軽に実験室や町工場で核を操作できるのが分かったら危険すぎる。
核分裂に常温核融合。コロンブスの卵みたいなもので、何れ誰かが気がついて発表するやろうがね」
「発想が古代支那からって言うのも・・・」
「今の核爆弾だって、元を言えばナチスが古代インドの叙事詩にヒントを得てるんで五十歩百歩や」
一平は話を進める。
「戦犯が発覚してから、如何されたんですか?」
「当時、負け犬自虐史観真っ只中の巷において戦犯は極悪犯人扱いだったから、それは大変やった。
大阪と東京に『緑の家』言う戦災孤児や米軍の占領混血児の養護施設が在った。そこに七っちゃんが関わっていたので、勤めていた教職を辞めて大阪支部の保護司として潜り込んだ」
「訓練の賜物と仰いましたけれど、それって、教育機関か何かですか?」
「それこそが今回の旅テーマなんや」
牧野はにっこりと微笑んだ。
「専攻が歴史と聞いているが、君はサンカを知っているかね?」
「いえ、専攻と言うのも恥ずかしいんで」
「漢字では山に住むと書く、瀬振りとか岳人、サンワとも呼ばれている。
一般に定義されているのは、山地や河原などを移動して、竹細工や狩猟などを生業としている人々となっている」
老紳士は楽しそうだ。
「一平君、彼等を知れば歴史の見方が根底から変わる。私は幸いなことに、幼い時から南相馬地方の特異性のお陰で彼等に接することができた」
牧野は特異な奥州相馬の概要を話した。
奥州相馬は、源頼朝の奥州征伐に転戦した軍功により相馬氏が奥州浮田国・行方群を拝領したのが縁で、その後元享三年に房総半島の流山からの国替えで移り住む。
その頃の国移りは大名が指定された領地を力で狩り取らなければならなかったのだが、相馬領では何らの抵抗なく、寧ろ積極的に占領者を受け入れた。
そのため、地侍や先住者が彼の地の経営に共同参加できる素地となり、他と異なる独特の風習が残ったと思われる。
相馬領の先住者は大蛇と、呼ばれ、生活、習慣、文化全てにわたって大和人と異なる人々だった。
しかし、当初は移封(国移り)がスムーズにソフトランディングが出来て、豊かさを享受しては見たものの、所詮相馬氏は農地主体の石高経済の枠でしか経営を考える事が出来なかった。
それがため、その豊かさの原点であった熊野海洋氏族の地侍達や、流通貿易を主とする大蛇を理解することが困難だった。特に、オロチには土地への従属を厳命したため、実質経済力の落ち込みだけではなく、壊滅的な混乱を与えた。
オロチは、地侍等と協力して、サボタージュ、陳情、デモ、逃散などを繰り返したとある。
「効果は?」
牧野は首を振った。
「一層の弾圧が行われた。そこで、一族は最後の手段に訴えようと計画するのや。
彼らがそれまで領内に作り上げていた治水のための河口堰や土手や疎水路を破壊し、農地を水浸しにする方法。それを、巨大台風の来る日に合わせて決行することになった。
追い詰められた彼らには、縛り付ける農地が駄目になれば流通経済にシフトターンするのではないか言う一縷の望みやったんやろう。
しかし、計画は失敗した。その辺は、大悲山の伝説として残されている」
「オロチたちは如何なったんですか?」
「一部が大悲山に立て篭もって自刃した以外は逃散した。寧ろ弾圧は一族に協力的だった地侍の方に厳しかったんやな」
一息入れてから、牧野は話を続ける。
「ところが、藩にとっては問題が生じた。元来、相馬藩は三万石と思われたのが実は六万石だったという話が【相馬二遍返し】の民謡にモデファイドされているが、実質は農業生産に海産物と流通産業によってあがる収益をプラスすると十八万石級言う信じられない豊かさやったんや。
それが、この事件後、急速に経済がダウンして文字通り二から三万石になってしまう。焦った藩は急遽、海洋地侍の代表として鈴木氏を船奉行に、そして、サンカ族折衝役として大悲山の乱の鎮圧に功績のあった牧野氏を登用する」
「それって、ボクたち牧野家の牧野ですの?」
「我等が牧野家は以後サンカ族の融和に尽力することになる」
「経済の回復は?」
「六から七万石位までは何とか。しかし、残念ながら既にサンカの拠点は他に移動してしまっていた。
そして、皮肉なことに幕末時に隠れ山人の二宮尊徳が、疲弊していた藩の経済立て直しに寄与することになる」
「サンカって、お母さんやお祖父様が言っていたミイヤのことなのかしら?」
「牧野家は代々彼らと、密接な関係を保ってきた。ミイヤは牧野家惣領をオダイ様と呼び、特別の敬意を表していたが、幼少時にひょんなことで私は彼らの中で生活する羽目になり、そこで特別の教育訓練を受ける事になった」
一平は恵子の寝物語を思い出した。
「ミイヤって、ミシャセ、ヒックソスあるいはハタイットとも言いませんか?」
牧野は目を見開いた。
「それを知っとるんは吃驚や。ミシャセは『異邦人』、ヒックソスは『光を齎す人』、ハタイットは『鉄の人』ミイヤは『竹細工作り』と言うような意味や」
「先生は竹原俊英画伯を存じていると思いますが?」
「おお、竹原の俊ちゃんは一つ年上で、幼い時に悪いことをし捲くった仲やが」
「画伯の娘で、やはり画家の恵子さんから、相馬地方のお祭りの思い出にミシャセのことを聞きました」
「ジョリ・レーヌ?……私がパリに居った時に電話で話したのが最後になる」
「お祖父様がパリに居た時言うと、七年前……?」
「で、どうして、レーヌちゃんと?」
「彼女がママをしている原宿のシャンソンカフェで紹介されました。偶々亡くなった僕の母と同年齢で、母の故郷が小高町の隣の浪江町でしたので」
「君のお母さんは同郷者やったんかあ」