十二話
アトリエに戻ると、まだ恵子は帰っていなかった。
風呂上り、バスローブのままカウチに寝転び、製作中の大作を眺めながら極冷えのアップルタイザーを飲んだ。
FMラジオから流れて来る祈りの歌が、その絵にフィットしている。
クーラーの適度に利いている涼しい部屋。
心地よい疲労感に程よいアルコール。睡魔が波のようにゆったりと押し寄せて来る。
* * *
砂漠の中、岩山の麓にオアシスの集落。
懇々と湧き出る清水は果てしなく、深い湖底に魚燐の群れがきらめいている。
取り囲む棗椰子の樹々と草原。
少年は白い衣装をそよがせながら蜜蜂と蝶の舞う花と緑の野を歩んでいた。
やがて、目にも鮮やかな夕日が地平線に沈み、祈りの歌が響く。
満天の星と月の光りに照らされ、葡萄棚の下で少年は葦笛を吹いた。
* * *
古時計が午前四時を刻む時、早朝の冷涼に目覚める。
何時の間にか、一平はバスローブのままカウチに寝込んでいた。
恵子はまだ帰っていない。
* * *
恵子が戻った時、既に六時を回っていた。
「愛しの一平!メチャメチャ君が好き。何時までも、何時までも、愛しているわ」
芝居がかった口調で恵子が叫ぶ。
賑やかな御帰還だ。
はしゃいで抱きついてキスの雨を降らすかと思えば、涙を浮かべ、
「二人の愛を追憶の彼方に消し去る時も……、思い出だけは心に輝き続けるの……」
と、日仏チャンポンに歌いながら踊りだす。
常軌を逸し、狂気じみている。
アルコールと恵子愛用アロマのローズが入り混じって匂った。
クーラーからワインを持ち出す。
「心蕩かすシャトウデケィムよ! アムールを包み込むメモリアル・アロマとブーケ。
運命に、乾杯!会って、愛して、別れ行く!」
アルゼンチン・タンゴが部屋一杯に響き渡った。
ワインを一気に呷り飲み、髪を振り解き、パートナーのない一人踊りを始める。
恵子は嬌声を上げ一平の手を引き、狂気のダンスに一平を引きずり込もうとする。
焦れたように、恵子が大きく喘いだ。
「見て(ルガルデ)!」瞳が濡れ、声が掠れている。
恵子はリズムに合わせ、一枚一枚服を脱ぎ始めた。
パンティを脱ぎ、最後にブラジャーを取って一平に投げつけ、ハイヒールだけになる。
唖然とする一平に、全裸の女は仰け反るようにして笑った。
腰をグラインドさせて脚を開き、あるいはターンしてヒップを突き出し、扇情的に煽る。
唇を舐め、流れる髪を両手で掻き上げては悶えるように乳房を揉み上げた。
ブラインドを透して朝の光に白く映る肉体の迫力に、一平は息を呑んだ。
「襲っておいで!ギャルソン(坊や)」
恵子はヒールを脱ぎ捨て、一平を尻目に嬌声を上げてシャワールームに走り去った。
狂暴で爆発的な欲情が駆け巡る。痛いほどの高まり。
瘧病のように震え、もどかしくローブを脱ぎ捨てるや、一平は咆哮を上げてシャワールームへ突入して行った。
ベッドに縺れ込み、二匹の獣は狂ったように貪り合い、明日が無いかに求め続ける。
次回は牧野博士との出会いへと進みます