十一話
畠山は一平にとって何でも相談できる兄貴のような存在だが、恵子と半同棲を始めてから、何とはなしに足が遠のいている。
宴会場から徒歩五分ぐらいのクラブ異空間には、東体大剣道部員と畠山が二次会の酒宴を上げていた。
ドアを開けて室内に入るや、畠山が大声で叫んだ。
「ヒーロー来場だ!ようこそチャンピオンに成り損ねた裏チャンプ!」
皆が歓声を上げ、拍手で迎えた。
見慣れた東体大のライバル達が座っている。
拍手に応えて一平は手を挙げた。
「優勝おめでとう御座います!ちっとばっか、挨拶に伺いました!」
一人一人と握手を交わし、畠山の隣に座ると一平は耳打ちした。
「大分飲んでいますんで直ぐに帰ります」
「いや、中々お前と話す機会がないんで。今日誘ったのは俺の近況を報告しようと思ってな」
畠山は立ち上がり、カウンターでバーテンに何か指示を与えているタンクトップの女性に手招きした。
「うちのマネージャー、戸倉みどり。この店は戸倉のお父さんが経営しとる。こっちは……」
紹介を遮るように、
「知っているわ。三年ぶりかしら?以前、先生に紹介していただいたわ……」
一平にとって忘れもしない。
悲嘆のどん底にあり、恵子と出会った日の酒食会である。
* * *
隣に座ったみどりに、一平はいきなり囁かれた。
「君って私の好み。今度遊ばない?」
そして、素知らぬ気にテーブル下の脚を絡めてきたのだ。
ギョッとする一平に、
「吃驚しないで、恥ずかしくなっちゃうやろ」と、ヒソヒソ声で話す。
戸倉みどりは一平と同じ一年生で十八歳だった。
「剣道って面白い?」
一平は触れている脚が気になり、答えもそぞろだ。
「みどりさんは剣道部じゃないの?」
「とりあえず、剣道部。最初は新体操だったの。でも規制が厳しすぎて、直ぐに諦めたわ」
「規制って?」
「酒、煙草どころか、食事制限もあるの。睡眠時間までありとあらゆる規制」
みどりは声を潜めて言った。
「セックスまで禁止なのよう」
「どうして剣道部に?」
「畠山先生よ。結構、先生って人気あるの。ね、今度デートしよう。私、帰国子女のせいかステディがいないんよ」
みどりは密かに一平の手を握りしめて尋ねた。
「私を嫌い?」
一平は小声で答える。
「とんでもない、みどりさんは素敵だし……。でも今は、そんな心境になれない状況なんです」
みどりは気抜けするほどあっさりと脚を解いて、手を離した。
「残念やわ。でもその状況言うのが変わったら連絡してね。一平君なら即OKや」
その夜、些かハイテンションになった一平少年は酒食会の最後までみどりの側で飲み騒いだ。
* * *
三年の歳月はみどりを落ち着いたシックなレデイにさせていた。
畠山は照れくさそうに告げた。
「婚約したんだ。来季、結婚する。優雅な独身生活も年貢の納め時ってこと」
「おめでとうっす!メッチャ嬉しいっす」一平は大袈裟なジェスチャーで畠山を抱擁した。
みどりが席を外すと畠山は徐に切り出した。
「結婚式に、お前と竹原恵子ママも来て欲しいんだが、
お前とその何だ……ママは如何なんかな?……と、思ってな」
「ママは僕にとって母親代わりみたいな。ママにとっても僕は亡くなった息子の優馬君。言わば養子関係ってところです」
畠山はほっとしたように溜息をついた。
「すみません。状況を説明するのも何なんで」
「美田村の親爺がね、……結構心配しているのよ。
お前は先生の息子みたいなもんだから。俺も多少なりとも責任があるんでな」
畠山は話題を変えた。
「そう言えば親爺、今日はすごく喜んでおったなあ。何しろ、女子のゆりちゃんの優勝、母校のうちが優勝、それにお前の活躍だろ。
団体に男女個人とくれば、武錬館にとっても、親爺自身にも最良の日だった」
一平が言葉を継いだ。
「それに、その母校を優勝に導いたのが武錬館出身で大学後輩の純蔵監督っすからね」
「ちぃっと、出来すぎだら」
それから、畠山は急に思いだしたかに「そうそう、俺の送った電撃警棒受け取った?」と、尋ねた。
「いえ、どうして警棒を?」
「先生に、一平へ護身用の何かをって頼まれたのでな。だけど一体、お前は大悲山に何しに行くの?」
「それが、良く分かんないんです。先輩は大悲山をご存知なんですか?」
「学生時代、美田村の親爺のお供で二度ほど行ったことがある。あの頃、七郎先生も元気いっぱいで、直接稽古をつけてもらった。
それと、俺と先生の息子の広重君が、同年齢で当時、学生界きってのライバル関係でもあったんよ。何度か稽古する機会に恵まれたが、あれほど厳しい稽古をしたことがねえ。
大悲山行きは、剣道馬鹿だった俺には視野を広げると言う意味で素晴らしい経験だった……」
青春時代の思い出を、畠山は楽しそうに話した。
暫くして、クラブは騒然となった。
東体大の理事長と学長が取り巻きを連れて現れたのだ。
慌しさの中、応対に忙しい畠山に暇を告げ、バー異空間を退出する。
ビルの外までみどりが見送りに付いて来た。
「誘ったの、覚えている?あの時、好きな人と別れた直後やったの。純蔵さんは振り向いてもくれなかったし、誰かに受け止めて欲しかったの。結構本気モードだったのよ」
みどりはにっこり微笑み、握手を求めた。
「もう、遊んで上げないわ」
握手した手をみどりは離さない。
「一平君のことは亀井理恵から聞いていたわ。あの子、小中高も後輩で幼い時からの付き合いなんよ。
明後日、牧野先生と相馬に行くんやろ?」
一平は思いがけない話の展開に驚いた。
「じゃあ、みどりさんは牧野ヒロコさんを知ってる?」
「ゼッターランドのこと?」
「同行するらしいんです。理恵さんから聞いたんだけど」
「私と同様帰国子女、メチャ綺麗で、その上、天才やって。
それにしても、理恵と言い、君の周りには美人が多過ぎるわ」
ようやく、みどりは手を離した。