どうしてこうなった。(大会閑話)
結果を簡潔に述べるなら、フェリックスと二刀流の男は決着をつけることができなかった。睨み合う二人を見て、漁夫の利を得ようとした他のプレイヤーが数人襲い掛かってきて、乱戦になってしまったのだ。その際も男は素晴らしい反応を見せ、不意打ちにカウンターを叩き込んだ。
フェリックスは男の流れるような動きに感心していたが、その直後に別のプレイヤーが襲い掛かってきた。いつまでも男を目で追うわけにもいかず、彼は目の前の敵に集中する。相手はスキルで押してくるパターンだったので、技後硬直の隙を逃さずに剣を叩き込んだ。
そして観客がいない予選会場に静寂が訪れる。ほんの少し前まで参加者の怒声や悲鳴が響き渡っていたところとは思えない。五十人ほどいたはずのプレイヤーはいつしか消え去り、人がひしめき合って窮屈な印象を受けた闘技場が、突然その広さを主張し始めた。
そんな光景を呆然と見つめながら、フェリックスは闘技場の隅で立ち尽くしていた。未だ現状を理解できないまま、彼はゆっくりと周囲を見渡す。そこで自分以外にもう一人しか立っていないことに気づき、ようやく勝ち残ったことを理解した。
(何とか生き残れた……)
フェリックスは額に浮いた汗を手の甲で拭うと、肺の中の空気を盛大に吐ききった。緊張から呼吸が浅くなっていたのか、酸欠のときのような軽い眩暈に苛まれる。それを解消しようと精一杯空気を吸い込んで伸びをするが、鎧をまとった状態では、あまり解放感がなかった。決勝トーナメントが始まるまでインナーでのんびりしようかと、ぼんやり考えていたところ――
「お互い残っちまったみたいだな」
この場に残ったのは二人しかいないはずなので、恐らく自分に話しかけたのだろう――フェリックスは声のした方に振り返ると、そこにはあの二刀流の男の姿があった。とは言え、既に武装を解除しているため、今はただの男なのだが、フェリックスは気にすることはなかった。
「何とかね」
苦笑で返すフェリックスは自分の体力ゲージに目をやった。今までどんな戦闘でも三分の一(ウワサとは大げさな物で、半分を切ったことがない――ということになっているが、実際はそんなことはない)を切ったことがなかったのだが、この予選では五分の一――かなり危険な域まで体力を削られていた。
本当にギリギリだった――それを再確認すると、フェリックスはどうしても苦笑になってしまうのであった。
「まぁあんた――『不貫の盾』のフェリクスさんとは決着をつけておきたかったけどな」
フェリックスにつられてか、男も苦笑を漏らす。
「そうだな……決勝トーナメントで戦えたらいいな」
フェリックスも同感で、男との決着を望んでいた。こんな強者と一対一で納得がいくまで戦えると思うと、心が躍る。
トーナメントで再会することを誓って、この場を後にしよう――そう考えていたフェリックスは、次の男の言葉で絶句する。
「いや、俺はトーナメントには出ない。ここでリタイアする」
元々、決めていたことなのか、男の言葉には一切のよどみがない。その内容を理解するのに五秒ほどかけ、更に五秒ほど費やしてからフェリックスはようやく疑問を口にする。
「えーっと……何で?」
「目立ちたくないからな」
肩をすくめて、さも当然と言わんばかりの口調の男に、フェリックスは再び呆然と立ち尽くす羽目になった。フェリックスは男の言っていることが、まったく理解できなかった。
「目立ちたくないから……? せっかく勝ち残ったのに、勿体無くないか?」
「ああ、少し勿体無い感じもするけどな。これから先、もっと強い奴らと戦えると思ったら、確かに嬉しくはある――しかし、目立つこととは引き換えにできない。プレイスタイルを見れば分かるだろう?」
「プレイスタイル?」と復唱するフェリックスに、男は苦笑を漏らしながら続けて言う。
「二刀流ってだけで色々とあるんだよ……それに少し前、柄になく目立つことをやってしまったんだが、その際に色々とあってね……それを反省して、目立つ行為は控えるような方針にしたんだ」
フェリックスさんには悪いけどな――男は最後に付け加えた。
「いや……まぁ仕方ないとは思うけど――」
理由を聞いて理解はできる。しかし、どこか納得のいかない様子で、フェリックスは言いよどんだ。
「そういうことだ……また機会があったら勝負――今度こそ勝ち負け決めようぜ」
そう言い残して、ひらひらと手を振りながら男は去っていく。その後姿をフェリックスは名残惜しそうに見つめていた。名前を聞いておいたり、フレンドリストに登録するなどすればよかったのだが、気づいた頃には男の姿は見えなくなってしまった。
こうして、この予選を突破したのは男のリタイアによって、フェリックス一人となった。
*
闘技場のロビーにて。
緋色は空いているベンチに腰掛けたまま口を開く。
「どうしてこうなった……」
もう幾度目か分からない、その呟きを緋色はため息と共に吐き出した。順調に勝ち進んでいることは良い――ただ、その勝ち方が酷かった。
相手の前衛を引き受けている間に、レベッカが相手の後衛に光矢を放つ。相手はそれを防ぐために対魔法の防御壁を張るのだが、その隙にこあらん砲が飛んでくるのだ。ただの物理ダメージしか含まない鉄球は魔法壁を難なくすり抜けて、相手の後衛を一瞬にして薙ぎ払っていく。そうなれば残るは相手の前衛ただ一人で、皆降参してしまうのだ。
前衛として仕事をしていないわけではないのだが、緋色は自分の仕事の内容がどうしても薄く思えて仕方がなかった。意気込んで武具も新調してきたのに、これでは本当に大したことをせずに大会が終わってしまうような気がしていた。
「前衛、誰でも良かったじゃん……」
「ん、どうしたんですか?」
そんな緋色の静かな呟きを誰かが拾う。緋色が顔を上げると、同じく勝ち上がっているニャウン、スノウ、葵の三名がいた。先頭に立つニャウンは緋色の言葉を聞いたせいか、怪訝そうに首をかしげている。
「いや、何でもないよ」
横に首を振りながら、緋色は笑みで返す。しかし、その笑みがどこか疲れたものに見えるのは、ニャウンの気のせいではなかった。何か隠されていると思いつつも、まだ知り合ったばっかりで踏み込むほどの勇気が持てず、「そうですか」と静かに頷くだけだった。
「……お互い、あと一勝すれば決勝ですね」
「うん、そうだね」
既に準決勝まで勝ち進んでいた両チーム――しかし、それでも緋色の表情はどこか曇りが見えた。三人が機能した上で勝っていくニャウンたちと違い、あまりにも暴虐的に勝ち進んでいく我がチームを思うと、緋色の顔は自然と引きつるのだ。
僕、何もしてないから――緋色がうなだれると、ニャウンたちは目を合わせ、首を傾げる。
「ど、どうしたんですか? やっぱり何か――」
「ううん、何でもないよ」
この三人とは何度も練習し、こあらん砲のことは熟知している。だから話しても、無駄だと緋色は考えた。
そんな緋色を、ニャウンはじっと見つめる。
「――せんか?」
「え?」
ニャウンの小さな声を聞き逃して、緋色は顔を上げた。すると顔を髪と同等にまで真っ赤にさせたまま、ニャウンはもう一度口を動かす。
「次の試合終わったら、決勝まで時間が少しありますから……息抜きでもしませんか?」
ニャウンの顔は真っ赤なままであったが、目は真剣そのものだった。
「息抜きかぁ……うん、いいね!」
勢いよく立ち上がり、緋色はニャウンの前に手を――否、小指を差し出す。
「約束、お互い勝ち残ろう!」
「え、あ……はい!」
緋色とニャウンは指きりをする。ニャウンは離れていく緋色の小指を名残惜しげに見つめていたが、その後に葵やスノウとも指切りをしていくのを見て、少しがっかりした。
その少し前――緋色を少し離れたところから、絶対零度の視線で射抜く少女がいた。
もう言うまでもない――こあらんだ。
(あいつ……! 少し目を離したら、すぐこうだ!!)
歯を食いしばり、握りこんだ拳から小気味良い骨の鳴る音を響かせていた。目は怒りの色で燃え上がり、普段のお淑やかな様子など微塵も感じられない。
そんなこあらんを、一歩下がった位置で見つめるレベッカは自然と震えだす体を止めることができなかった。
(嫉妬って怖いわねぇ……)
あまりに緋色に近づかないようにしないと――レベッカは静かに頷いたが、それこそこあらんの逆鱗に触れそうな行為であることに気づいていない。
そんな時、こあらんがゆらりとレベッカの方に振り返る。相変わらず絶対零度を維持した視線に射抜かれて、レベッカの体はびくりと跳ねた。
「行きましょう……レベッカさん」
恐らく笑みなのだろう、たぶん、きっと――しかし、こあらんの表情を見て、レベッカの背筋は凍りついた。怒りを無理やり笑みの中に押し込んだかのような不自然な黒い笑みを見れば、誰しもが一度は「これは笑みですか?」と疑問を持つに違いない。
実際、レベッカは一瞬疑問に思ったが、それを口にする勇気はなかった。口を閉じたまま静かに頷くと、こあらんは黒い笑みを深くして緋色に向かって一歩目を踏み出した。こあらんは足を進めていくが、その足音は僅かで死神を思わせる。
そんな時に予期せぬ出来事が起きた。
「っな……!?」
こあらんがうめき声を漏らしたのを聞いて、レベッカも顔を上げる。すると、緋色がニャウンと指きりをしているところであった。
あら、懐かしい――そんな感傷は一瞬で消え去り、レベッカは恐る恐るこあらんに目をやる。静かにアイテムウィンドウを操作するこあらん。一体何が出てくるのか、と震えながら見つめるレベッカはただただ緋色の無事を願うことしかできなかった。
その間にも緋色はスノウや葵とも指きりをして、明るい笑みを浮かべている。そんなところに――
「あら、てがすべってしまいましたわー!」
鉄球に力が働き、速度を得る。普段は命中精度が低いはずなのだが、それは一直線に緋色の下へと飛んでいく。それに緋色が気づく様子はない。こあらんは周囲に聞こえる程度にしか、声を出しておらず、緋色まで届かなかったのだ。
しかし、その鉄球が緋色を捉えることはなかった。
「……む!」
純白の鎧の少女――スノウが剣を抜き、鉄球を側面を叩く。そうすることでコースを僅かに逸らし、緋色の顔の真横を鉄球が抜けていった。
剣を抜いたままの姿勢で、じっとこあらんを睨み付けるスノウ。そして、それに応えるように黒い笑みで絶対零度の視線を返すこあらん。二人の視線が交じり、ばちばちと火花を上げそうなほどヒートアップしているのは、鈍感な緋色でも理解できた。
(ど、どうしてこうなったー!)
スノウとこあらんの両者は決勝で戦う理由ができたと言わんばかりに、静かに睨み合う。
その頃、決勝トーナメントまで少し時間が空いたフェリックスが緋色たちを探していた。しばらく闘技場を歩き続けて、この光景に出くわした彼は呟く。
「何だ、これは……」
ちょっと前まで仲良く練習していたと聞く六名が、こんなにもピリピリとした空気の中で何をしているのだろうか、と疑問に思う。しかし、それはすぐに解消された。
(あー、そっか。お互い決勝まで上れば、敵だもんなぁ……)
確かにそうなのだが、彼ら――主にこあらんとスノウの動機はまったく違うところにある。
(どうして皆、レベッカさんと緋色さんの邪魔をするんですかー!? 続々と現れては、みぃぃぃぃぃんな緋色さんを誘惑します……もう、これは緋色さんに原因があると見て間違いないでしょう!? だからガツンと一発かましてあげるのがいいのです!)
うぎぎ、とこあらんが歯を食いしばる。それに対して、スノウは見下したかのような視線で迎える。
(嫉妬か……? ふん、みっともない)
普段から物静かなスノウはそれ以上は何も言わず――もとい考えなかった。ただ視線で示すのみ。しかし、それを見て、こあらんの怒りは一層燃え上がった。
(その見下した顔……決勝で歪めて差し上げますわ!)
(その曲がった性根……決勝で叩きなおしてくれる)
お互いに目を逸らし、一時休戦に入った。その間、ずっとニャウンと緋色は目に涙を浮かべ、身を寄せ合ってガタガタと震えていた。
そんな緋色をフェリックスとレベッカは静かに見つめて思う。
(何か、やっぱりと言うべきか……緋色ってモテるよなぁ)
(ひーって案外モテるわねー……)
事実とはかなり違うのだが、勘違いが勘違いを生み続ける連鎖を誰もが断ち切ることができなかった。