闘技大会そのいち。
クロウとリンスとは噴水前で別れ、四人は闘技大会の受付を目指す。
先頭を行く緋色はいつも通り楽しそうで、軽やかにステップを刻んでいく。それを後ろから苦笑で眺めているのはレベッカ――しかし、その視線はどこか優しげで温かく、まるで無邪気な子供を見守る母親のような眼差しであった。
そんな二人を見て、こあらんは小さくため息を漏らした。なるほど、二人の関係が発展しないわけだ――やれやれと肩を竦めながら首を緩やかに振る仕草は、普段のこあらんからは想像もつかないほど大人っぽい雰囲気をまとわせていた。レベッカは緋色を恋愛対象として見ていないし、緋色は緋色でそういった感情に疎そうに見える。これは骨が折れそうだ――そう思いながらも、こあらんの表情には僅かに笑みが浮かんでいた。困難だからこそ、二人をくっつける価値があるのだ。
そうやって密かに燃え上がるこあらんを、フェリックスは更に一歩引いたところから見つめていた。何だか妙な三角関係に発展していると勘違いした彼は口を固く閉ざして、静観を決め込んでいた。それと同時に緋色ばかり女性から好かれて羨ましいという思いも否定できず、三人に見つからないように苦笑を漏らした。
(何か緋色ばっかりモテるよなぁ……)
盛大な勘違いをして一人落ち込んでいるフェリックス――しかし、彼の災難はこの程度で終わることはなかった。むしろ、これから待ち受ける災難に、彼の心は折れる一歩前まで追い詰められることになる。『不貫の盾』のフェリックス――受付に向かって足を進めるほど、彼の心にヒビが入る瞬間は迫ってくるのであった。
そんなことは露知らず、緋色はどんどん進んでいく。とは言え、本人――フェリックスも自分を待ち受ける災難に気づけるはずもなく、三人の戦況を見守りながら、後に続いた。
そうこうしている内に、四人は会話らしい会話も無いまま、闘技場の受付に辿り着いた。盛大な勘違いから固く口を閉ざしていたフェリックス――実はこあらんとレベッカは、彼がまとうピリピリとした空気を読んだ上で気を遣い、一言も喋らなかったのだ。二人は一体何故フェリックスが不機嫌そうなのか理解できず、内心では首を傾げていた。しかし、それを尋ねるのも、はばかられるほどの張り詰めた空気に二人は終始無言で大会の概要に目を通す。
そこで二人はまるで雷に打たれたかのような衝撃を受けることになる。
「ん、どうしたの、二人とも?」
緋色は概要をさっと流し読みして気づいていないのか、レベッカとこあらんの驚愕に打ち震えている様を見て、純粋に尋ねた。しかし、その瞬間、二人から向けられる殺意すらはらんだ視線に緋色は一歩後ずさる。
なにこの空気怖い、と震える緋色は、フェリックスに視線で助けを求めようとした。しかし、フェリックスは概要から目を離すことができず、緋色の視線に気づかない。
フェリックスの視線を釘付けにし、こあらんとレベッカに衝撃をもたらしたもの――それは概要に記された、たった一文であった。
「レベル百以下の部……そして、レベル百一以上の部……」
呆然としたフェリックスがその一文を静かに読み上げた。それを聞いて、緋色もようやく理解に至る。
「え、ちょ……まさか、フェリックスのレベルって――」
ウィンドウを操作すれば、グループメンバーの項目で確認することができるのだが、緋色は思わず尋ねていた。しかし、愕然としたフェリックスに答える余裕はなく、ただただ静かにうなだれてしまった。
再び気まずく、重い空気が四人を包む。そうか、フェリックスが不機嫌だったのは、これが原因だったのか――そんな見当違いの答えを、こあらんとレベッカは導き出していた。
そんな気まずそうな三人の視線に気づき、フェリックスは不器用に顔を歪める。笑ったつもりなのだが、上手く動かない頬の筋肉。自分が今どんな顔をしているのかも分からないまま、フェリックスは言う。
「俺はソロで出るから、そっちはトリプルで出ればいいよ」
フェリックスは声を震わせないようにするだけで精一杯だった。恐らくツーペアに分かれて出場するだろうと考えていただけに、ショックは大きかった。
「じゃ、俺は受付行ってくるから」
三人に背を向けたフェリックスは、逃げるようにして受付に向かってしまう。しかし、その悲しげな背中を三人は黙って見つめることしかできなかった。
人ごみに紛れ、フェリックスの背中が見なくなっても、三人はしばらく黙ったまま立ち尽くした。やがて、レベッカが苦々しげな表情で口を開いた。
「行っちゃったね」
それに緋色とこあらんは静かに頷く。
「私が当日までにレベルを上げても良かったんですけど……」
もっともレベル百に近いこあらんは顔を引きつらせる。その案をもっと早く提示できなかったことを悔いているのであった。
それと同等にレベッカも罪悪感を抱いていた。こういうことになるなら、もっと事前に調べておくべきだった、と。
二人がそれぞれ反省している中、緋色はどうしたものかと頭を悩ませていた。この雰囲気をどうすれば払拭できるかと必死に考えるが、何をしても不謹慎な気がしてならない。緋色にしては珍しく空気を読み、彼も静かに二人の様子を伺っていた。
「もうフェリックスさんは受付を済ませちゃったでしょうか?」
「どうだろう……? メッセージを――って、ん?」
こあらんに答えている途中で、レベッカはメッセージの着信に気づいた。そのままメッセージウィンドウを開き、内容に目を通す。
「フェリックスから……もう受付済ませたから、当日までレベルアップしてくる、だってさ」
深いため息をつきながら、レベッカはメッセージの内容を読み上げた。恐らく不貞腐れて行ってしまったのだろう。そう思うとフェリックスのことが不憫でならなかったが、今更フォローに走っても仕方が無いような気がして諦めた。
レベッカが顔を上げると、こあらんと緋色も俯いていた。やはり、二人ともフェリックスのことが気になっているのだろう。そんな二人のことを想って、レベッカは口を開く。
「受付を済ませちゃったなら仕方ないよ。私たちも受付に行こう」
これ以上、沈んだ空気を広げないためにレベッカは努めて明るく言ったが、胸の奥底がちくりと痛んだ。ただのゲームとは言え、即座に罪悪感を拭い去ることは難しかった。今度、何かでフォローしよう――そう心に誓いながら三人は、無言でトリプルの部の受付へと足を進めた。
一方、その頃――
メッセージを打ち終えたフェリックスは、更に別の仲間にメッセージを送っていた。目的は一つ――レベルアップのためだ。効率良くボスを倒せるパーティを作り上げて、大会当日までできるかぎりのレベルアップを目指そうと試みたのだ。
しかし、大会間近のせいか、返ってくるメッセージの内容はあまり芳しい物ではなかった。そんな中でも何人かは付き合ってくれる友人を見つけ、パーティを編成することに成功した。これからダンジョンにこもってボスを乱獲する予定なのだが、そのための回復アイテムなどを一式買い揃える必要があった。その準備に向かうフェリックスの表情に曇りのようなものはない――むしろ、口の端は僅かに上がっており、どこか嬉しそうにも見えた。
最初は一人ぼっちになって少し不貞腐れそうになっていたフェリックスだが、よくよく考えると、デスペナを気にせずに高レベルのプレイヤーと戦える良い機会だと思い直したのであった。そうなるとフェリックスは俄然やる気になった。
『不貫の盾』と呼ばれるほどになった自分の力――それがどこまで通じるものなのか、確かめてみたい。しかし、そうなればレベルの差でごり押されるのは不本意なことだ。だから、大会までにランカーには届くかなくとも、できるだけレベルアップをして参加しよう――そう決めたのであった。
雑貨屋でアイテムを一通り揃え、漏れが無いか確認する。それを二度済ませて、フェリックスは雑貨屋を後にした。その足取りは強く、その顔には勇敢な笑みが浮かんでいた。
そんなフェリックスの心境を露知らず――
トリプルの部の受付に並ぶ三人の空気はやはり重かった。いつも元気でムードメーカーとなる緋色ですら、青いオーラをまとっている。それは何かのスキルが発動しているわけではなく、表情や姿勢――つまり立ち振る舞いが、重く暗いオーラを発していたのであった。
フェリックスとグループを組む際、当初の緋色は乗り気ではなかった。緋色は、落ち着いた雰囲気のフェリックスに苦手意識を覚えていたからだ。しかし、一度グループを組んで戦えば、印象も変わってくるもので、今ではかけがえのない仲間になっていた。それに前衛と役割が似通っているためか、お互い話も良く合った。その際に筋力と敏捷性で少し話が食い違うこともあったが、お互いにその特性を認め合い、決して否定しあうことはなかった。率直に一長一短を述べ、お互いがそれを参考にカバーして動く――たった二週間とは言え、そんな関係を築きつつあった仲間の離脱に緋色は落ち込まざるをえなかった。
そんな二人の様子を見てきたこあらんだから、緋色の落ち込み具合が気にかかった。レベッカはと言うと、テスト期間であまりログインできなかったためか、そういったところはあまり見ていない。だから、緋色の落ち込み具合に驚いていた。
そんな中、三人の受付の番がやってきた。代表としてレベッカが三人の名前を登録していく。その作業を、緋色はぼんやりと見つめていた。後ろから聞こえてくる会話は妙に騒がしく、緋色は珍しく少し苛立った。ちらりと振り返ると、三人の女性が並んでいたのだが、そのうちの一人に目がいく。派手な赤色の髪にくすんだ金色のパーカを羽織り、似つかわないアサルトライフルを肩に掛けている少女――彼女を見て、緋色は全力で目を逸らした。何故か関わってはいけないような気がしたのだ。さりげない動作で流れた冷や汗を拭い、緋色はレベッカの作業を再び眺めた。
ふと思うのは、もし自分ではなく、フェリックス、レベッカ、こあらんの三名だったら、どれほどバランスが良かっただろう、と言うことだ。このパーティの場合、後ろの二人を緋色が壁となり守らなければならない。しかし、それを考えると、緋色ではやはり非力だった。彼はそれを自覚しているために、どうしても「フェリックスだったら――」という思考を拭い去ることができなかった。
そうこうしている内に、レベッカが登録を済ませて、こあらんと緋色の下に戻ってきた。しかし、三人の間に会話はなく、重い空気が流れる。
そんな時、緋色は袖を引かれた。振り返ると、先ほどの赤い髪の少女が遠慮がちに緋色の袖をつまんでいる。
「あのー、さっき並んでたから、トリプルの参加ですよね?」
「え、あー……そうですけど」
緋色が答えると、少女は微笑みながら「良かった」と小さく息を吐いた。あまり関わりたくないタイプに見えたが、思っていたより怖い子ではないようだ――少女の様子を見ながら、緋色はそっと胸を撫で下ろしていた。
「で、どうしたの?」
幾分か気が楽になった緋色は尋ねた。
「え、えっとですね……一緒に三対三の練習をしませんか?」
「え?」
緋色はもちろん、レベッカやこあらんまできょとんとした様子で少女を見つめていた。あまりにも唐突なお誘いで、思考が停止していたのだ。
一体、何故――とレベッカやこあらんは考えるが、少女に見覚えがあるはずもなく、心当たりも無かった。
「何故、私たちと?」
レベッカが率直に尋ねると、少女は言葉に詰まり、頬を赤く染めた。それを見て、こあらんとレベッカは「あー……」と輝きを失った目で緋色を見つめた。
「まー私は問題ないですよー」
「うん、私も大丈夫だけどー」
棒読みの二人の言葉に薄ら寒いものを感じて、緋色は振り返ることができなかった。緋色はプレッシャーを背中で感じ、冷たい汗がだらだらと流れた。恐らく返答は自分に任せられている――しかし、それはどちらを選んでも、緋色にとっては良い方向に働くとは思えなかった。
緋色は必死に頭を回す――そこで思いついたのは二人の言葉を逆手に取る方法以外になかった。それはそれで後々辛いことになりそうだが、言い訳はできる。覚悟を決めると言うより、仕方ないといった様子で緋色は口を開いた。
「ふ、二人が構わないって言ってるし、いいんじゃないかな!」
緋色はできるかぎり微笑みながら言おうと努めたが、どうして顔が引きつる。背中から受けるプレッシャーが絶対零度の視線に変わっていることを感じ、緋色の体は自然と震えだした。
そんな緋色の心境を露知らず、目の前の少女は表情一変させて、微笑む。
「あ、ありがとうございます!」
「い、いえいえー」
そんな二人のやり取りを見て、プレッシャーの全てを放っていたこあらんは小さく舌打ちを漏らした。そんな彼女を見ていたレベッカは、緋色と同じく戦慄の冷や汗を流していた。
緋色はレベッカとこあらんの二人がプレッシャーを放っていると思っていたが、実際はこあらん一人だけであった。レベッカは青春だねーと悟りきった瞳で緋色を見つめていたのだが、その横のこあらんの変貌っぷりに思わず息を呑んだ。
髪の毛を逆立てそうなほどの気迫を放つこあらんを、レベッカは初めて見た。これが緋色に抱っこされて小さくなっていた少女なのだろうか、と疑問に思わざるをえない。
(まさか、こあらんも……?)
まだ激しく脈打つ胸を撫でながら、レベッカはちらりとこあらんを見た。そんなこあらんが、
(レベッカさんがいながら、何をやってるんですかー!)
と怒りに震えていたのは、誰も知る由は無い。