初パーティ戦。
こあらんのパーティ参加が決まって数時間後――ボス戦を終えて、ギルド宿舎に姿を現したフェリックスは目の前に広がる光景に、首を傾げることしかできなかった。
いつも通り飄々とした様子のレベッカに、見ない顔の少女、そして青を通り越して、限りなく黒に近いオーラをまとった緋色。一体、何があったのだろうか――そう思っても、尋ねることができなかった。それは緋色のそんな様子を見たのが初めてであったからだろう。あまりにも珍しい光景に、どう対処していいのか分からずにいたのだ。
「おかえり」
そんなフェリックスを見つけると、レベッカは普通に言った。
「あ、ああ……ただいま」
フェリックスは視線で緋色のあの状態は何、と問う。すると、レベッカは苦笑を漏らし、肩をすくめた。
「大したことじゃないよ」
「そう、なのか」
納得できやしないが、フェリックスはとりあえず頷いた。
「そうだ、こあらん。この人がフェリックス、私たちのパーティの最後のメンバーよ」
レベッカはこあらんと呼んだ少女にフェリックスのことを紹介した。その言葉に彼は顔をしかめた。どうしても解せない単語があったのだ。
「おい、パーティって何だ?」
「あれ、言ってなかったっけ?」
レベッカは軽く首を傾げる。しかし、フェリックスはそんな話を微塵も聞いた覚えはなかった。彼は緩々と首を横に振る。
「えっとね、こちらのこあらんさんはヒーラーで、これから一緒に狩りをするんだけど、あともう一人前衛が欲しくてね」
にこりと微笑むレベッカ――しかし、その笑みにただならぬプレッシャーを覚えて、フェリックスは慎重に言葉を探す。
「で、何で俺が?」
「だってフェリックスほど強い壁――いや、前衛って、なかなかいないじゃないの」
「今、壁って言ったよな! まぁ確かに壁だけどよ……」
前衛として火力が少し乏しいことにコンプレックスを抱いていたフェリックスは、嘆くように俯いてしまった。
「でも、そのお陰で『不貫の壁』という格好いい名前を手に入れたんじゃないの」
貫かれないけど、それは同時に相手を貫けないという意味でもあるんだけどなーとフェリックスは更に落ち込んだ。とは言え、相手の防御力がよっぽど高くないかぎりは、それを制するのはフェリックスだった。ただ、戦闘時間が長くなることは必至だが。
ただ、その防御力はこの世界においては大きな意味を持つ――死んで全てを失う可能性が極端に減るのだから。
そして、フェリックスがPKKギルド、天空の使者に入った経緯もそこにある。元々はソロで戦っていた。その時に、幾度となくPKに狙われたが、彼だけは必ず生還し、逆にPKを返り討ちにすることが多かった。そのせいで、数多くのPKに追われる羽目になり、大きなギルドに所属せざるを得ない状況にまでなってしまったのだ。お陰で、現在はPKからの追跡も落ち着き、平穏な日々を過ごすことができている。
だから、そんな不名誉な呼び名を与えられても、フェリックスは嬉しくなかった。実際、そのせいでPKから追われる羽目になったのだから。
「そんなこと言われてもなぁ……」
困ったようにフェリックスは頭を掻いた。
「でも、ひーは見てのとおり、前衛で戦うにはやや非力だし、フェリックスみたいな筋力型でどっしりと構えてくれるのが一人いてくれれば安定すると思うの」
「タゲ的な意味で?」
うん、と遠慮もなく頷くレベッカに、フェリックスは溜め込んだ息を全て吐いた。
「もうちょっとさ……オブラートに包んだ言い方できないかなぁ?」
顔を引きつらせているのはフェリックスだけでなかった。レベッカの隣にいるこあらんも僅かに口の端の筋肉が痙攣している。
「まぁいいけどさ、ボス戦も今日でグループ解散だったし」
「解散って……何かあったの?」
こあらんに女の子だと思われていたショックから、ようやく立ち直った緋色が尋ねた。
「ああ、主催者がPKされちまったらしい。まぁ今日はそれ以外のメンツでも、どうにか倒せたから良かったけど、ちょっと厳しかったから、これで終わりにしようってなったんだ」
「またPKですか……最近、多いですね」
フェリックスはレベッカの言葉に頷く。
「それも結構、強い――それこそランカー一歩手前レベルの人々が襲われているらしい……随分と強いPKが増えてきたもんだ」
「それにしても何故、強い人を狙うのでしょうか? PK側も大きなリスクを負うはずでしょう?」
こあらんが首を傾げた。それにフェリックスが答える。
「恐らくスリル感を求めてるとか、知名度にこだわってるとか……理由はそんなところだろう。強い奴とやれば、それだけスリル感も味わえるし、倒すことによって知名度も上がる」
こあらんは納得したように頷く。
「でも四人いれば、どんなPKが来ようとも問題ないよ」
緋色は元気よく言うが、レベッカは小さく首を横に振った。
「相手が一人だとは限らないのよ。最近は集団で襲い掛かるPKもいるらしいから……」
元々は少数派だったPKだが、最近は妙に数が増していることや、PKの頻度にやや危機感を覚えていた。
「警戒するに越したことはないですね」
こあらんの言葉に、レベッカとフェリックスは頷いた。しかし、相変わらず緊張感の欠片も見せない緋色は、ぼんやりと話を聞き流していた。
「まぁそんなことより、せっかく四人揃ったんだから、どこか行かない?」
「今からですか? 私は大丈夫ですけど……フェリックスとこあらんはどうですか?」
レベッカが尋ねると、フェリックスとこあらんは時刻を確認する。
「俺は大丈夫だけど」
「私も大丈夫です」
二人が頷くと、緋色は勢いよく席を立った。
「じゃあ、今から竜族を倒しに行こう!」
*
緋色を先頭にレベッカ、こあらんと続き、最後尾をフェリックスが追った。これはギルドの宿舎を出る前に決めた陣形だった。
「フェリックスとひーを前にして、私とこあらんが後ろに――」
「いや、待て」
基本的なパーティ戦術を立てている際、レベッカの言葉をフェリックスが遮った。
「後ろから不意打ちが来たら、対処がしづらくなる。この場合は前と後ろに一人ずつ配置するべきだ。その間にこあらんさんとレベッカが入る形がいい」
「確かに……」
レベッカも素直に頷き、それに従った。
「でも、どちらかをひーに任せなければならないとなると、やや非力さが不安なのよね」
続けて言ったレベッカに、緋色はびくりと肩を震わせた。
「うん、敏捷型ってのが少しネックだなぁ。緋色は相手の攻撃受けるようなスキル上げてるか?」
「い、いや……基本的に躱すようなスキルしか――」
緋色は嫌な汗をだらだらと流した。今日は厄日だ――そう思ったのは、彼の気のせいではない。
「うーん……これじゃ、もう一人前衛が欲しくなるな。受けれるタイプのを。緋色は遊撃って立ち居地がベストかな」
「むしろ、新しい前衛を補充したら、要らないんじゃないかな?」
「ちょ、レベッカ!?」
さらりと言うレベッカに、緋色は思わず目をむいた。
「そ、それじゃ何だか本末転倒な気がするんだけど!?」
「本末転倒って……元々の目的は何だったかしら?」
可愛らしくレベッカは首を傾げる。本当に分からないようにも見えるが、その心の底で密かに微笑んでいるのは彼女だけの秘密だ。
そんなことを露知らず、緋色は口をぱくぱくとさせて、がっくりと崩れ落ちてしまった。元々は僕のレベルアップを目的としたパーティ編成だったはずなのに……と小さく緋色は零したが、誰の耳にも届くことはなかった。
「それはともかく、ひーを入れて考えると前か後ろ、どちらかが手薄になってしまうのは避けられないのね……」
「僕はもはや足手まとい扱い……」
緋色のまとうオーラがどんどん重くなっていくが、レベッカはくすくすと笑いを漏らしているだけだった。
「冗談よ。でも、どちらかと言うなら、ひーは前かしら。後衛からの不意打ちに対しては、フェリックスにどっしりと構えてもらった方がいいでしょう?」
「むぅ……そうだね」
防御力不足なのは緋色も否定できなかったので、素直に従った。
「それに攻撃力を比べるなら、ひーの方が高いしね。きっと前の方が活きると思うわ」
「う、うん! そうだよね!」
褒められた途端、元気になる緋色――しかし、これすらもレベッカの思惑通りであることを彼は知らなかった。
そうして決まった陣形で、四人はダンジョンを進む。先ほどより格段に口数が減り、こあらんは周囲を満たす緊張感を肌で感じていた。軽いイメージだった緋色ですら、無言のプレッシャーをその背中から放ちながら、じっと闇を見据えている。
「静か、ですね」
「ええ、そうね」
こあらんが言うと、レベッカが振り返らずに答えた。
これなら、いくらか物音がした方がマシだ――そう思わざるをえない。不自然な静けさは安心よりも、逆に恐怖を与えてくることを実感しながら、こあらんはレベッカに続く。
「でもさ……いくらなんでもモンスターとの遭遇率が低すぎると思うんだけど」
先頭を行く緋色が言った。言われてみれば、ダンジョンの中腹まで進んだ割には、ほとんどモンスターと遭遇していない。それは誰かがモンスターを一掃していった後の安全な道を辿っているかのような錯覚に陥るほどだった。
時折、遭遇する敵は緋色が蹴散らし、四人は奥へと進んでいく。いつボスクラスのモンスターと遭遇しても、おかしくないほど深層にいながら、ダンジョンは不気味な静けさに包まれていた。ぬるい風が肌を撫で、震えを誘う。しかし、四人は陣形を崩すことなく、ただじっと闇の奥を見据えていた。
「……あれ?」
先頭の緋色が足を止めた。それに続いて、こあらん、レベッカが怪訝そうに緋色の背を見つめる。
「ひー、どうしたの?」
「音が聞こえる……何かと何かがぶつかり合うような音」
緋色の言葉に従って三人は耳を澄ますが、それらしき音を認識することはできない。しかし、少しずつ進む緋色の耳はやはり音を捉え続けていた。
「たぶん、僕だけが音の圏内に入ってるんだよ。皆も進めば聞こえるようになるよ」
そう言う緋色に続いて、三人も足を進める。
「あ、本当だ」
緋色のすぐ後ろまでやってきた、こあらんの耳が音を捉える。それに続いたレベッカ、フェリックスも音の正体を探ろうと、静かに耳を澄ませていた。
「おそらく、戦闘音……」
フェリックスが言うと、緋色は静かに頷く。その表情は、いつになく真剣みを帯びていた。
ダンジョンに入って、他の人と遭遇する――ただ、それだけのことなのに、四人の周囲を張り詰めた空気が包み込む。もし相手がPKだったら、戦闘は避けられないだろう。しかし、四人の意思は語らずとも、一つだった。
「進む?」
緋色にしては珍しく慎重で、三人に意見を問うた。
「様子だけ見てみましょう……大規模な戦闘中だったなら、こちらに気づくとは思えないですし」
レベッカが答え、こあらんとフェリックスも頷いた。
「なら、ここからは俺が先頭を代わろう。緋色、しんがりを頼む」
最後尾にいたフェリックスが緋色の下までやってきて、言った。
「分かった……けど、何で?」
「戦闘がPKによるものだったとき、すぐに逃げれるようにするためだ。逃げる際に陣形を再び組み直す時間が勿体無いからな」
なるほど――と緋色は頷いて、列の最後尾に回った。
「では、行くぞ……こあらんは俺から少し距離を置いてくれ。ヒールの届くギリギリの距離を保って欲しい」
「わ、分かりました」
確認を取ったフェリックスは闇の底を見つめ、慎重に一歩ずつ進んでいく。その背中から発される緊張感に気おされ、こあらんも息を呑んだ。レベッカは補助魔法を一通り確認し、再度四人にかけ直した上で、減った魔力を回復アイテムで補った。緋色もいつになく真剣な表情で周辺警戒を続けている。
金属と金属がぶつかり合うような音が近づいてくるにつれ、四人の緊張感も高まってゆく。額に浮いた汗を拭うこともせず、フェリックスは闇を見据え、足を進めた。そのフェリックスの視界に一瞬だが何かが映った。それは人――この世界ではモンスター同士の戦いがないために、戦闘が起きるならば、そこに人がいるのは必然なのだが、フェリックスの足は慎重にならざるを得なかった。
「誰かいる……一人、か?」
「一人?」
フェリックスの言葉に、レベッカは首を傾げた。
「このダンジョンに一人って……相当レベル高いんじゃないかしら?」
「または死を覚悟して、特攻したか――まぁ、それは無いと思うけどな。恐らく、かなり強い人だろう」
フェリックスは額の汗を拭って、緊張感をより高めた。
「ともかく、注意して進むぞ」
フェリックスは振り返らずに言った。それに三人も無言で頷き、彼の後を追う。音源は近い――響き渡る金属音に、最後尾の緋色も緊張で手のひらに汗を握っていた。それを服で拭い、刀の握り具合を再び確かめる。
「……マジかよ」
フェリックスが静かに言った。
「どうしたの?」
少し進むと大きな空間が広がっていた。そこで派手な戦闘を繰り広げるのは、巨大な影とそれに相対する一人の戦士――巨大な影が大きく動いた。その瞬間、戦士はそれを剣で受け止めたが、大きく仰け反った。しかし、即座に体勢を立て直し、影の追撃を躱した。戦士が距離を取ると、巨大な影はゆったりとした動きで足を進めた。その度に、ダンジョン内が僅かに揺れる。そして、その全貌をフェリックスの視界が捉えた。
重そうな胴体から伸びる長い首と四肢、その先端には鋭利な爪と牙が見えた。黒い鱗がびっしりと一面を覆う、その体からは羽のような物はない。恐らく、その巨体のせいか、空を飛ぶような竜ではないのだろう。そして重そうな体とは対照的に、軽やかに振るう尻尾は恐ろしく太く、何気ない一撃で倒されてしまうのではないかと冷や汗が流れた。
「ボスとソロで戦ってやがる……しかも、あれダークドラゴン――レベルは九十近かったはずだ」
レベル九十と言う言葉に、フェリックス以外の三名は息を呑んだ。パーティの中で一番レベルの高いフェリックスですら八十。しかし、彼の場合は強固な防御性能で、それなりに高いレベルとも戦うことができる。しかし、他の三名は一撃でもダメージを受ければ、即座に死を連想してしまうほどのレベル差だった。
「……どうする、引くか? さすがにアレは――」
「もう少し見てみようよ」
いつの間にか緋色がフェリックスの横に並び、戦闘を食い入るように見つめていた。その様子に小さく息を吐いて、フェリックスは肩を竦めた。
「分かった、後方警戒は俺がしとく。その代わり、いつでも逃げられるように身体強化だけは施しておけよ?」
「うん」
「分かりました」
レベッカとこあらんはフェリックスの言葉に答えたが、緋色はただ頷くだけだった。それほど、じっと巨大な竜と戦士の攻防を見つめていた。
戦士の体は一度も発光することはなかった――つまり、スキルを一切使っていないのだ。遠目から見ていた緋色はそれに気づいたとき、言い知れぬ戦慄を味わった。背筋を抜けていったはずの寒気は未だ彼の身から離れようとはしない。心臓の鼓動がやけに耳に障ったが、緋色はただ戦闘の行方を見守った。
「スキルを使わずに……ここまで戦えるなんて」
それは、天空の使者の創始者にして、元ギルドマスター――モノクロと初めて出会ったときに受けた衝撃と同等のものであった。モノクロもまたスキルを一切使わないどころか、一切スキルに振っていない稀有な人種だったのだ。しかし、その強さは尋常でなく、モノクロが引退するまでPKギルドが少なかったのは、PKが彼を恐れていたからだと噂されるほどだった。
そのせいか、初心者を狙って、PKする卑怯な者が現れた。当時ゲームを始めたばかりの緋色も襲われて、殺されそうになった。しかし、それを救ってくれたのがモノクロだったのだ。
嵐のように現れたモノクロは、その力を存分に発揮し、PKを一掃した。その姿はまさしく力の権化のようで、手にした巨大な剣――もはや、ただの鉄板と言っても通じるのではないかと思う、それを振り回して、薙ぎ払っていった。
「しばらく、うちのギルド来るかい?」
緋色を助けたモノクロは、戦闘時とはがらりと変わって人懐っこい笑みを浮かべた。そして緋色は、この人のようになりたい――そう思い、天空の使者で同じ時を過ごした。
しかし、今はギルドマスターをクロウに引き継ぎ、引退している。仕事の関係で、アメリカに行かなければならなくなった――ギルドのメンバーを全て集めて、モノクロはそう言った。やはり、誰もがそれを惜しんだが、最終的には「頑張って」と見送ったのであった。
その刹那、肌を焦がすかのような熱気に、緋色の意識は回想から抜け出した。見てみれば、竜が口から炎を吐き、撒き散らしていた。先ほどの戦士は――と緋色はその姿を探す。戦士はブレスの届かない位置まで避難し、竜の様子を伺っていた。
しかし――
「……え?」
緋色は思わず声を漏らした。戦士が膝を折って、地に伏せたのだ。途中は見逃したが、倒れるほどの被弾を見た覚えはない。一体何が――そう思いながらも、緋色の体は自然と動いていた。
「ひ、緋色さん!?」
「ひー!?」
こあらんとレベッカの呼ぶ声を聞きながら、緋色は地を蹴る。補助魔法で強化された緋色の体は、風の如き速さで戦士の下まで辿り着くことができた。
「大丈夫ですか?」
緋色が戦士の体を支えて、起こそうとする。黒い前髪を汗でべったりと額に貼り付けたまま、男は目を剥いた。
「な……お前」
男は驚愕で上手く言葉が紡げないのか、呆然と緋色の姿を見つめていた。
(思わず飛び出ちゃったけど、どうするかなぁ……)
ふと竜の方に視線をやると、やはりと言うべきか――竜のぎらつく双眸は、新たな侵入者の姿を捉えていた。それだけのことなのに、緋色は瞬時に「勝てない」と思わされた。
「レベルいくつだ?」
その身を起こしながら、男は尋ねた。
「僕は五十二になったところ……勝てる気がしないね」
「当たり前だ、さっさと逃げろ。俺が何とかする」
「そんなにフラフラなの――うわっと!?」
いつまでも話し続ける二人に業を煮やしたのか、竜の前足が横に薙がれた。それを飛び上がって躱す緋色と、剣で受け止めた男――しかし、その勢いは凄まじく、男の体は壁際まで押し切られる。宙で体勢を整えた緋色は上手く接地を決め、次の攻撃に備えた。再び前足が薙がれ、鋭利な爪が二人に襲い掛かるが、緋色は余裕で躱し続ける。何度も受け続けることができないと判断したのか、男も回避に徹した。
男が体勢を立て直したのを見て、緋色は地を蹴った。進む先には巨大な竜――いつまでも守勢に回っているばかりでは面白くない、と言わんばかりに緋色はその速度を緩めない。それを迎え撃たんと放たれる前足をワンステップで掻い潜り、緋色は竜の懐に潜り込んだ。刀で二回斬りつけ、即座に離脱。そこで緋色は再び冷や汗を流すことになる。
(硬すぎ……!)
刃は一切通る様子を見せなかった。下手をすれば、刀の方が先に折れるのではないかと心配を抱くほどの硬さだった。竜と言えば、硬い鱗に覆われているのが基本だが、それでも弱点はいくらかある。例えば眼球や口内、そして腹部あたりが有名どころだ。そのセオリーに従って、緋色は腹部を斬りつけたのだが、まるで金属同士がぶつかり合うような音を立てた。かすり傷すら負わず、まったく歯が立たなかったのだ。
「お前は退け!」
男の声が広場に響き渡るが、緋色はそれを無視した。
(腹部がダメなら、口内や眼球……口内はリスクが高すぎるから、眼球に絞ろう)
瞬時に判断した緋色は再び地を蹴る。その瞬間、竜は緋色に背を向けた。
(チャンス……? いや、違う!)
即座に否定して、緋色は大きく飛び退いた。すると目の前を太い尻尾が凄まじい速度で過ぎてゆく。あれを受けてたら死んでいた――その事実が緋色の脳裏を掠め、冷や汗が噴出した。
しかし、そこで諦めることなく、尻尾を振った勢いで硬直している竜に向かって、再び駆け出した。足を踏み台に胴体の上に着地する。その瞬間、僅かに竜の体が揺れたが、体勢を崩すほど出なかった。そこから再び胴体を蹴り、大きく跳躍する――竜の頭部に向かって。
「せいっ!」
一閃――竜の双眸に、緋色の横薙ぎが打ち込まれた。しかし、緋色の顔色は良くない。そのまま頭部を踏み台にして、遠くへと飛んだ。宙で身を捩り、上手く体勢を整えてから見事に着地を決める。しかし、高所からの落下に、体力が僅かに減るのを緋色は感じていた。
「眼球まで硬いって……弱点無いじゃないか!」
苛立った緋色が声を荒げた。
「違う、お前の火力が不足しすぎなんだ!」
ロングブレードを両手で構えた男が、前足を斬りつけながら言った。しかし、緋色の時のような金属のぶつかり合うような音は聞こえてこなかった。その代わりに、竜の絶叫が空間を満たした。緋色はそれに身が竦み、思わず耳を塞いだ。大きすぎる咆哮は、緋色の頭蓋に大きく響き、眩暈をもよおした。
「だから、さっさと退け!」
男は咆哮にも怯むことなく、更に竜の首に剣を振り下ろす。その速さは強化された緋色と並ぶほどで、次の瞬間には頭に一撃を放って離脱まで成し遂げていた。
しかし――
「……くっ」
男は着地で体勢を崩した。あれほどの動きができる男が、何故あの程度で体勢を崩すのか甚だ疑問であったが、その隙に緋色は竜の懐に潜り込み、また二太刀浴びせて離脱した。それを受けて、竜の狙い――ターゲットが緋色に移行する。
(そうだ、こっちに来い!)
何かしらの理由で体調の悪そうな男から、竜を引き離すことに成功した緋色――彼は広場を一杯まで利用して、竜の攻撃を躱し続けた。
「躱すだけなら楽なんだけどなぁ……」
皮一枚ですら斬ることのできない自分の攻撃力を悲観しながら、緋色はずっと躱し続けた。その一瞬の油断を見逃さなかったのか、竜の首が緋色の直前まで迫る。竜の頭から発される熱気に、緋色は顔を引きつらせた。
竜の長い首が膨れて何かが逆流してくる。恐らく、炎のブレスが吐き出されるのだろう。しかし、緋色の体は先ほどより重く、自由が利かなかった。
(ちょ、これはヤバイ! 躱せな――)
その刹那、轟音と同時に竜の首は真横に跳ねた。ブレスは緋色のすぐ横を焦がす。その熱だけで、体力が削られていくのを感じながらも、緋色は生きていた。
一体何が――と竜の頭を観察すると、その横っ面に鉄球がめり込んでいた。それだけで、緋色は何が起きたのか理解できた。
「氷槍!」
その次の瞬間には、別の魔法攻撃が竜に襲い掛かった。その二つの攻撃に対して、反撃を繰り出そうと竜は振り返った。しかし、その行く手を阻むかのように、一人の男が構えていた。
「一人で突っ走りすぎだ……こあらんとレベッカのところまで戻って回復と補助魔法をかけ直してもらえ」
竜の爪を剣で受け流したフェリックスは二、三度そのまま前足を斬りつける。しかし、火力が不足気味なのか、やはり鱗に弾かれるような音を響かせていた。
「助かったよ、フェリックス!」
その隙に、緋色は竜の横を抜けて、レベッカとこあらんの下に向かった。
「二人も助かった、ありが……ちょ、レベッカ! この体力だと死ぬ! 本当に死ぬから!」
顔を真っ赤にさせたレベッカが本を振り上げている姿を見て、緋色は戦慄の冷や汗を流した。竜と対峙しても、ここまでの汗は流さなかったのではないか――そんなことを思ったりもしたが、胸の内にそっと仕舞いこんだ。
「まったく……馬鹿ですか、あなたは」
ぶつぶつと文句を言いながらも、レベッカは緋色に補助魔法をかけ直していく。その横で苦笑を漏らしながら、こあらんは回復魔法を緋色に施した。
体力が満タンになり、補助魔法も全てかけ直したところで、緋色は再び竜の方に向き直った。しかし、その手をレベッカが引いた。
「油断はしないこと、あなたのレベルじゃ一撃で死んでしまうわ」
それに緋色は真剣に頷いた。本当は戦って欲しくない――しかし、レベッカは引き止めても無駄だと分かっていたのか、それを口にすることは無かった。
レベッカの手が緋色を解放した瞬間、彼は再び戦場に駆けていった。
「さて、私たちも頑張りましょう」
「は、はい!」
レベッカの言葉を受けて、こあらんの周りにあった四つの鉄球が再び宙に浮く。そしてレベッカも攻撃魔法の詠唱に入った。しかし、相手の弱点が読めないため、一体どの属性の魔法を放てばいいのかは分からなかった。レベッカは詠唱を終えると、その魔法をストックし、様子を伺う。近接の三人を巻き込んだりしては、大変なことになるので慎重にタイミングを見計らった。ベストは近接がピンチの際に放つことだが、三人もいるせいか前衛は余裕で戦闘を進めていた。正面でフェリックスが攻撃を受け、緋色ともう一人の男が代わる代わる攻撃を重ねていく。上手くいけば、このまま勝てるのではないかとさえ思えてしまう。しかし、男とは違い、緋色とフェリックスの攻撃は相変わらず金属がぶつかり合うような音を立てていた。
「……こあらん砲の出番ね」
「こ、こあらん砲?」
レベッカの言葉に、こあらんは一寸首を傾げる。しかし、すぐに理解したようで、周囲に浮いている鉄球に目をやった。
「い、いいんですか?」
「ええ、頭にがつんとやっておしまい!」
レベッカがびしっと竜を指した。それと同時にこあらんの周囲を浮いていた鉄球が二個、猛スピードで竜の頭部に向かっていく。それは鈍い音を立てて、竜の顔面を捉えた。
「ナイスショット! 次は私から……」
竜が怯んだ隙にレベッカはストックしておいた魔法を発動させる。
「光矢!」
ミノタウロス戦でも活躍した魔法――しかし、今回は以前と違った。何が違うかと言えば、レベッカの周りに浮かぶ光球の数で、それは十を超していた。それらが全て矢の形に変わり、竜に向かって疾駆する。それが頭や胴体に突き刺さり、ダンジョン全体を揺るがすような絶叫が竜の口から発された。
レベッカ、こあらん、緋色はそれに怯んだが、男とフェリックスはその隙に前足を斬りつける。すると、竜の爪にひびが入った。
「よし、前足を破壊した! ダウンするぞ!」
フェリックスの叫び声を、緋色は何とか聞き取れた。つまり、それはチャンス――緋色の体を赤いオーラが包み込み、そのまま地を蹴った。
前足を滑らしたかのように、地に這った竜は苦しそうに呻く。しかし、緋色はお構いなく、その顔に向かって連撃波を放った。両目に合計八発のヒットを確認した直後、ガラスが割れるような音が響き渡り、竜の双眸が消え去った。
「よっし、目も破壊っと!」
技後硬直から抜けた後も竜はダウンしたままで、緋色は易々と距離を取る。その瞬間、視界に映ったのは大きく跳躍した男の姿――剣を構えたまま重力に身を任せ、竜の頭に向かって加速していく。
「しっ!」
短く息を漏らして、男は剣を振りぬく。竜の頭が綺麗に二つに割れた瞬間、緋色の体をかつてないほどの光が包み込んだ。
「え、うわ……三つもレベル上がった!」
ステータスウィンドウを確認した緋色は思わず叫んだ。ほとんどダメージを与えていなかったとは言え、竜と緋色のレベル差は四十――それに加えてボスであることから、莫大な経験値を得た緋色は一気に五十四レベルまで上がっていた。
「部位破壊ボーナスもついてるんだろう。頭部の破壊はボーナス高かったと思うし」
フェリックスが説明を加えた。彼は削られた体力をこあらんに回復してもらっているが、やはり半分を下回っていなかった。
「……とは言え、大半はあの人が体力削ってると思うんだが――」
フェリックスはその先を噤んだ。それなのにレベルアップしなかった男は一体どれほどの強者なのだろうか――フェリックスはじっと男の様子を観察していた。
(もし相手がPKだったら、俺たちに勝ち目があるだろうか?)
フェリックスが剣を抜いたままにしているのは、その警戒のためだった。あれほどの強者に、不意打ちされたら、このパーティは一溜まりもないだろう。しかし、男は広場の中央でじっと佇んでいた。
「……助かった、ありがとう」
男は背を向けたまま、静かに言った。そして、そのまま広場を去ろうとする。
「ち、ちょっと、ドロップアイテム忘れてますよ!?」
レベッカが慌てて引き止める。しかし、男は一瞥しただけで、そのまま去ってゆく。
「いい、お礼代わりだ。俺は既に四匹狩ってるしな」
その言葉に残された四人は絶句した。ただ、去ってゆく後姿を見送ることしかできなかった。しばらく沈黙が広場を満たしていたが、それを緋色が破る。
「あれを一人で四匹も?」
緋色は珍しく顔を引きつらせながら言った。
「それより消えちゃうと勿体無いから、ドロップアイテム回収しておいで」
「あ、うん、分かった」
レベッカの指示に従い、緋色はドロップアイテムを確認していく。大量の金貨といくらかの装備品を見ても、緋色では価値が分からない物ばかりだった。仕方なく三人の下まで戻り、アイテムウィンドウを見せることにした。
「何か良いの、ある?」
緋色が開示したウィンドウをまじまじと見つめる三人だったが、彼らの視点で一箇所に釘付けになっていた。
「何これ、見たことない……」
「うん……ユニークアイテムっぽいけど、見たことないわ」
こあらんの呟きに、レベッカが説明を加えた。
「つまり、かなりレアって可能性があるんじゃないか、これ?」
フェリックスが指差す先には、装備の一つ――クレイモアと名前の入った大剣だった。
「とは言え、僕らの中じゃ誰も使えないよね?」
緋色の言葉に三人は黙り込んだ。使えないからと言って、出回ってないものを市場に回すと、大損をする場合があるからだ。後に価値が分かり、莫大な値がついた装備品の例がいくらかあったので、やはり売ることは躊躇われた。
「これは、とりあえず保留にしておけばいいんじゃないかしら。その他のアイテムでも充分に黒字だし」
レベッカの提案にこあらんとフェリックスは頷いたが、緋色はどこか不満げな様子だった。
「狩りの資金を考えると、換金しておきたいんだけどなぁ……」
「ひー、何か言ったかしら?」
「ううん、何でも」
迂闊なことを言えば、脳天に本が振り下ろされかねない――そう思った緋色は、全力で首を横に振った。レベッカはその様子を訝しげに見つめていた。
「ひー。とりあえず、その剣だけ渡しなさい」
「えっ、いや、売ろうなんて考えてないよ、絶対に!」
「なら渡しても問題ないでしょう?」
にこりと微笑むレベッカ――しかし、その笑顔から薄ら寒いものを感じ取った緋色、今度は全力で首を縦に振った。
「素直でよろしい」
こして、緋色の『こっそりとクレイモアを売る計画』は頓挫したのであった。
*
ダンジョンを抜け、六時間ぶりの日差しに眩暈を覚えた。男はそれを堪えて、ゆったりとした足取りで歩き始めた。しかし、町とは正反対の方角に進んでいく男――しばらくして、彼は足を止めた。
ロスト ワールドは緑多き世界になっているが、荒野のような地域も僅かにあった。そこでは野生のモンスターも現れ、危険がつきまとう。しかし、男は構わずに進む。物陰から息を潜めて、彼を狙っているモンスターの存在に気づいても、彼は抜刀すらしない。
やがて、男は不穏な気配を覚えて、抜刀した。
「数を集めたか……厄介な――」
男が言い終わる前に、物陰からいくつもの狼が飛び出してきた。飢えているのか、その瞳は凶悪な光を宿している。
数は十二――冷静に見回して、男は剣を構えた。男の周りを囲んで、旋回しつづける狼たちは慎重にその輪を縮めていく。
来る――男がそう思ったと同時に、数匹の狼が飛び掛った。前後から挟まれては仕方ない、と諦めた男は前方の敵に集中した。二匹を一瞬にして斬り捨て、背後を振り返ろうとしたが、やはり遅く、鋭い痛みが背中を走り抜けた。しかし、レベルと防具のお陰か体力はほとんど減っていなかった。
男のレベルは百三十。それに対し、狼のレベルは三十程度だったので、この差だとクリティカルヒットを貰っても、男の体力は余裕だ。かすり傷程度のダメージを貰いながらも、男は狼の数を減らし続けた。そして最後の一匹を男が睨み付けると、逃げ去ってしまった。しかし、男は剣をしまわなかった。
「さすがのヴァンさんやね」
その声を聞いて、ヴァンと呼ばれた男はロングソードを構えなおした。その切先にいるのは、銀の鎧に身を包んだ男だった。フルフェイスなので顔は分からない。しかし、その放つ圧力感が勝てないとヴァンに告げていた。
「お前の指示通り、五匹討伐してきたぞ」
ヴァンは剣を下ろして、アイテムウィンドウからダークドラゴンのドロップアイテムを全て実体化させた。それを鎧の男に向けて放り投げる。
「ご苦労さん……って、あれ? 五匹やったら、一個足りなくない?」
男が首を傾げると、鎧がこすれて、がしゃりと音を立てた。
「最後の一匹はパーティに助けてもらった。そのお礼にドロップは置いてきた」
ヴァンの言葉に、鎧の男は唸る。しかし、最終的には納得したようで、実体化したアイテムを自分のウィンドウに片付けた。
「まぁいいか。それじゃ報酬は売れたら、いつものように送金しておくな」
それを聞き終わる前に、ヴァンは鎧の男に背を向けていた。
これ以上は関わるのも嫌だ――と言わんばかりに。