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正規軍。

 潮風でやや痛んだレンガの淡い色彩が町全体に広がる。それを上空から見下ろせば、一際目立つ黒い建造物があった。ギルド『天空の使者』の宿舎だ。

 ほんの少し前――PKと対立する以前――もっと言うならば緋色が殺される前までは、主に天空の使者のメンバーだけが出入りする場所だった。主にと言ったのは少なからずメンバーではない者も以前から出入りしていたからだ。こあらんなどが良い例だろう。今はレベッカ、フェリックスと行動を共にしているため、宿舎に戻ってくることは無い。

 現状では彼らを補うどころか、それ以上の戦力が集まりつつある。はっきり言ってクロウも驚きを隠せなかった。そのため少し余裕が出来たのか、レベッカ、フェリックス、こあらんの三人のことが気になってくる。

 あの三人は一体どうしているのだろうか――クロウは静かに考えていた。

 過去形だ。むしろ、クロウの願望を織り交ぜると、もう少し静かに考えていたかった。考えるだけで実際に何かが変わるわけではない。行動を起こさなければ、現状を打破することも出来ないし、音信不通になっている三人の安否すら確認できない。だから、そのためのアクションも考えているところだった。

 しかし、とクロウは眉間に寄ったシワをほぐすように目頭の周囲を揉んだ。

「何やねん、こいつら……」

 もはや頭を抱えたくなるぐらいに、頭痛が酷くなりつつあった。原因は彼の後ろに存在する。

「ほーらほらー、この辺りにいるんでしょう、華苗。大人しく出てきたらどうかしら? こちらには精度抜群なレーダー、花梨がいるんだからさ。手間取らせないでよねー」

 そんなことを言いながら、心底楽しそうな笑みを浮かべているリンス。隠れている華苗にプレッシャーを与えることが、楽しくて仕方が無いといった様子だ。その後ろでは、周囲をきょろきょろと見渡す花梨の姿があった。幼い顔立ちをより一層際立たせるのは、好奇の光に満ちた瞳だろう――実際、そのあたりはキャラクターメイクでの設定なので、好奇心があるのかどうかは分からないのだが。

 そんな瞳で花梨は周囲を見渡し、その視線が一点で止まる。じーっと花梨は見つめ続けた。そんな視線を、クロウは背中にひしひしと感じていた。

 冷たい汗が一筋だけ首を流れていった。これと言って後ろめたいことをしているわけではない。交易品の配送を護衛する仕事をサボって逃げ惑う華苗のことなど知らない。手助けなんてしていないし、している暇も無い。それらは事実で、ほんの少し前に必死の形相で華苗がクロウの横を駆け抜けていった。だから、クロウに後ろめたいことは無い。ただただ巻き込まれることを凄まじく危惧しているだけだった。

「ねえ、クロウ」

 そんな花梨の視線を辿り、リンスは言った。来たー! とクロウは内心で悲鳴を上げる。しかし、ある程度覚悟を済ませていたので、何くわぬ顔で振り返った。

「何や」

「華苗、知らない?」

「知らん」

 即答し、クロウはすぐさま仕事に戻る。しかし、集中は出来なかった。こつこつと床を叩く足音。後ろに近づく気配。背後から甘い香りが流れ込み、鼻腔をくすぐる。嫌な予感しかしない。それでもクロウはそ知らぬ顔で、冷や汗すらもコントロールしつくし、目の前の仕事に集中しようと試みる。

 しかし、それを中断させるかのように、クロウの首に何かが触れた。両側から首を包むようにして巻かれた両腕に力は篭っていない。後ろから抱きつかれた、そんな表現が相応しい。しかし、何故か逃げられない――そんな確信があり、クロウは思わず唾を飲み下した。そして耳や首にかかる吐息に、鳥肌を立てながらもクロウはじっと耐える。

「本当にい?」

「知らん。てか忙しいねん、邪魔すんな」

 首だけで振り返れば、すぐそこに綺麗なリンスの顔があった。ちょっぴり得した気分を味わい、少し名残惜しさも覚えながら、クロウはリンスを引き剥がす。

「ん、何してるの?」

「次の配送の配置を決めてる」

 正規軍――PKに対抗すべく作られたギルドの集合体。そこに加入するプレイヤーから事前にログインできる日程を聞きだし、町に物資を流してくれる商人の護衛を交代で行っていた。そのメンバー構成などは既に数週間先の分まで作り上げている。しかし、今日のように突然サボるプレイヤーがいたり、リアルの事情で顔を出せない者も少なくない。そのため日程が近づくと、どうしても微調整が必要になってくる。一人減って大丈夫か。メンバーの構成、バランスは問題ないか――目の前に広げられた資料を必死に見直しながら、クロウは試行錯誤していた。

「あー……そっか。確か、ニャウンちゃんが来れないんだっけ」

「ああ。かなりの戦力やから、ちぃっと難しいわ」

「ん、別に私が埋めてもいいけど」

「今日も華苗の代わり埋めたやろ。それに忘れんなよ? お前はもうフロージングレイピア持ってないんやからな」

 やんわりと戦力外通告をされ、リンスは眉をひそめた。しかし、それはクロウに向けられた感情ではない。むしろ、それは自分に向けられた感情だった。

 結局、自分の力ではない――闘技大会で勝ち進めたのも、恐らくフロージングレイピアという絶大な能力を誇るユニーク武器の力が大きかったのだろう。

 分かっているつもりだった。しかし、今受けているショックを考えると、恐らく忘れ去っていたのだろう。どこかで自分の力だと自惚れていたのだろう。それを認識してしまった瞬間、リンスの胸に去来したのは虚しさだった。あると思っていた物が幻で、ぽっかりと胸に穴が開いてしまったかのようだった。そこを埋めていたのは、単純な力だけではない。少なからず自尊心だってあった。

(……むしろ、その自尊心が許せないのよね)

 かりそめの力から築きあげた自尊心など持たぬほうが良かった。羞恥と悔しさが混ざり合い、どろどろになり、リンスの思考にへばり付く。それを無理に振り払うように、リンスは首を振った。未だ残る嫌な感情を少しだけ取り除けたような気がした。

「でも、まぁ、人手が足りなかったら言ってね。私、暇人だし」

「自分で言うか」

 そんなリンスに、クロウは苦笑を漏らす。

「もしくはぁ……今隠れている華苗に代わりを埋めてもらうとかぁ?」

「今日サボったやつに期待してへんわ」

 淡い笑みを消し、冷徹な光を瞳に宿すクロウは静かに言い切った。そんなクロウにリンスは淡い笑みを浮かべながら言う。

「まぁまぁ、とりあえず何事も無かったんだから」

「あってからでは遅い。もし、今日何か起こってたら、今みたいに笑って済ませれるか?」

「無理ね」

「やろ」

 笑みを消し、即答するリンスにクロウも静かに頷く。

「あいつには力がある。やから、突然来れんようになったら、その穴埋めする者にも力が必要や。誰でもできるってワケやない。ニャウンのように事前に連絡してくれるなら、少しは助かる。また、どうしても外せぬ用事ができてしもたなら、しゃーない。まぁやっぱりリアルを優先せなあかんしな。せやけど、あいつは――」

「寝てた、そうね」

「そうや。日頃、朝早く仕事に出て、夜遅く帰ってくる社会人の方々が、休日に時間の束縛を受けて護衛に出てきてくれてる、っちゅーのに。話に聞くところによると、あいつはお前と同じぐらい暇人やって聞いたぞ」

「うん、私がログインしてるときは大半いるね。下手すると私以上に暇人かも」

「そんなヤツが寝坊しました、って言っても誰も味方になるやつはおらん」

 相当ご立腹なのか、リンスと目を合わせることなく、クロウは机の上に広がった資料を乱雑にかき集めた。

「そんなんやったら期待せん方がマシや。おらん方がいいと言っても過言やない」

「何もそこまで――」

「言うで、俺は」

 所詮はゲームと思っているリンスに、クロウの気持ちを正確に汲み取ることは難しかった。恐らく、他のプレイヤーを心配しているんだろうと予想し、認めることが出来ても、それを理解することはできなかった。何も、そこまでする必要も気張ることも無いのではないか、と考えてしまうのだ。

「ともかく、次からはアイツ抜きで――」

 そのクロウの言葉を遮るように、奥の部屋から破砕音が響き渡った。その振動が建物を僅かに揺らす。一体何が――クロウとリンスは驚愕で目を大きく見開いて、音の方角を見つめていた。そして我に返ったかのように、二人は奥の扉に駆け寄った。

 そして二人は絶句する。開け放たれた扉の向こうにあったのは、淡い赤色だった。それを見て、クロウは僅かに頬を引きつらせながら口を開く。

「……俺も探すの手伝うわ」

「……ありがとう」

 修理費の請求――二人の心が今ひとつになった。


*


 湧き上がった、もやもやとした感情の大半は霧散していた。それは壁に向けて放った一撃と、ここまで駆けてくる間に、華苗の体内からゆっくりと抜けていった。

 自由気ままな戦闘狂、そんな自分にあの場は相応しくなかったのだろう。

 そんなことを考えながら、華苗は足を進める。数ヶ月前に訪れたときは露店で賑わっていた町並みも、今はPKが活発化しているせいか大人しい。数件並ぶ露店にも客はいなかった。

 ふうと一息吐いて、華苗は重い足を引きずるようにして歩く。行く先を迷うことはない。門を出てゆくだけだ。迷うなら、そこから先だ。なのに足は上手く進まない。

 何故だ、と華苗は自身に問いかけ、振り返ってみる。ほんの数週間の話だ。全てを思い返すのに、そう時間を必要とすることは無かった。そして導き出された結論は――

「……振り回されたなぁ」

「誰にですか?」

 独り言のつもりだったので、華苗は質問が飛んでくるとは思いもしなかった。びくりと肩を震わせて、振り返ると見慣れたピンクの髪が視界に映った。

「お前だよ」

「え、私ですかっ!?」

 無自覚って怖いな、と華苗は小さく息を吐く。

「お前以外に誰がいる。お前に出会って、俺の人生――って言ったら大げさだけどよ。とにかく、随分と予定が狂っちまった」

「何かご予定でも?」

「むしろ、予定が無いのが予定だった。予定があると言う事実だけで、俺はそれに縛られる。自由がいいんだ。だから、俺にこの場所は向かない。もし……まぁ、たとえの話だ。今回許されたとしても、また同じ事をやってしまう可能性は否定できない」

「ふーん……だから出て行くんですか?」

「そうだな」

 花梨は表情を変えない。彼女にしては珍しく静かで吸い込まれるような黒い大きな瞳で、じっと華苗を見つめていた。まるで、そんなこと分かっていたと言わんばかりで、華苗は少し苛立った。

「なら、何でそんなに辛そうなんですか?」

「辛そう?」

「ええ、いつもは私を振り切らんばかりに早く歩くのに、今はノロノロと歩いています。今こうして話せているのが、案外奇跡っぽくないですか?」

 並んで話す――確かに今までに無かった。速足で歩く華苗の後ろから、花梨が話しかけるのが常だった。しかし、今は違う。むしろ、華苗の歩く速度に、花梨が合わせてすらいる。

「本当にどうしたんですか?」

 花梨は華苗の前に出て、行き先を塞いだ。それに従い、華苗も足を止める。

「別に」

 しかし、それも一瞬のことで華苗は再び歩き始めた。花梨の心配そうな瞳から、強引に視線を逸らして行く先の大きな関所を見つめた。

「少し考え事をしてただけだ」

「そうですか」

 華苗が思ったよりも、花梨は大人しく引き下がった。いつもなら「何を?」と尋ねてきそうなので、適当にあしらう準備をしていたのが無駄に終わった。

 並んで歩く二人、ずっと先には門が見える。そこをくぐれば、ここでの関係は全て終わる。それでいい――そう自身に言い聞かせながら、華苗は足を進めた。

「――って、何でお前がついてくる」

「ん、お見送りでもしようかと」

「いらねえよ……って、お前、俺が出て行くの分かっていたのか?」

「それぐらいは分かりますよ。何か凄く馬鹿にしてませんか、私のこと?」

「されても仕方が無いと思えないか?」

「思いません! どこの誰が馬鹿にされることを前提にするんですかっ!?」

 言われてみると、確かに。華苗は静かに頷いた。自分のことは案外分からないものだ。

「なら色々と気をつけろ。お前は突っ込みどころ満載だからな」

「何ですか、その美味しそうなキャラは」

「確かに。突っ込みがいれば、恐らく活きつづけることができるな」

「だったら、華苗がいなくなったら困ります」

 その瞬間、しんと周囲が静まったように思えた。そして先ほどまで華苗を苛んだ正体不明の感情が一瞬にして霧散していくのを感じていた。その代わりに訪れたのは心地よい温かさ。慣れない感情に少しくすぐったさを覚え、頬が緩みそうになるのを華苗は堪える。

 ああ、そうか。

 華苗は小さく呟いた。

 振り回されたとは言え、自分は満たされていたのか。やはり、自分のことは案外分からないものだ。もはや華苗は苦笑を漏らすことしかできなかった。

 力を認められ、慕ってもらえる環境はいつしか華苗の心を満たしていたのだ。力を欲したのも、元々は別の何かを得るためだったのかもしれない。もしかすると華苗は自分の場所を確実に、そして堅くするために、自分への付加価値を高めようとして、がむしゃらに戦ってきたのかもしれない。その付加価値が『力』であり、その力を手に入れるために華苗は貪欲に戦い続けてきたのかもしれない。

 しかし、それは別の形で補われることになってしまった。力ではなく、もっと別の物を求められ、自分の場所を作られてしまった。必要とされてしまった。その想いが華苗の心を満たしていった。ひたすら、がむしゃらに走り続けて、乾ききった心に染み渡っていった。

 華苗は少し頬を緩めながらも、少し苦いような、それでいて恥ずかしがるような感情の入り混じった表情を隠すために下を向き、乱雑に後頭部を掻いた。こうもストレートに求められた経験が無いために、華苗はどう返せばいいのか分からなくなっていた。素直に嬉しいのだと思う。しかし、それを表に出すのが、少し恥ずかしいような。それでいて、あまりにも予想外なタイミングで満たされてしまったことに、少し腹立たしさを覚えながら次の言葉を探す。

 ただ、何を言えばいいのか分からない。「お前がそう言うのなら」って返すと、更に調子に乗らせかねない。「仕方ないな」ってのも、どこかツンデレを思わせる響きがあり、華苗は選択肢から消す。だからと言って、ツン全開でこのまま去ろうとするのも、どうかと思う。

(……うん、困ったな)

 華苗は何も言い出せず、ただ足を止めて地面を睨むように見つめ続ける。少し視線を上げれば、花梨の足元が見えた。しかし、それ以上視線を上げる勇気は出なかった。告白を受けた初心な少年がもじもじとして、返す言葉に困っている――そんな状況だった。

 ただ、そんな華苗でも絶対にやってはいけないこと――その選択肢を使ってしまえば、今後の自分に多大な影響を及ぼしかねない――だけは理解していた。

 「そ、そんなこと言ったって、俺はここに留まらないんだからな!」なんて言った日には、ツンデレキャラの定着間違いなしだ。それだけは避けたい。その行く先を想像しただけで嫌な汗が止まらなくなる。華苗は自らを落ち着けるべく、大きく息を吐いた。

「どうしたんですか、デレてもいいんですよ?」

「――っ!?」

 いつの間にか、華苗の顔を覗きこむような位置まで近づいていた花梨。それに気づくのが遅れた華苗の顔に驚愕が浮かぶ。

「何で分かるんだって顔してますけれど……顔緩んでますよ、何か気持ち悪いぐらいに」

「き、気持ち悪いって言うか……?」

 何だか全てを台無しにされた。そのせいか、華苗は思わず噴出してしまった。もう、どうでも良くなりつつあった。それに釣られてか、花梨も僅かに微笑む。

 花梨と出会って、まだ一ヶ月と経っていない。そんな短期間で、よくもまぁずかずかと踏み込んできて、連れ回されるどころか振り回され、挙句の果てに「いなくなったら困ります」と来た。しかし、それを断らせないぐらいに華苗の心は満たされていた。

「あー……もう好きにしろよ」

「はい、元よりそのつもりです」

 元気よく花梨が頷き、微笑む。それを見て、華苗も悪くないと思った。



*


 だからと言って、宿舎の修理代が消えることは無かった。宿舎に戻って、謝罪した華苗は所持金の大半をリンスとクロウに持っていかれ、それでも足りない分は護衛のシフトをたっぷりと入れて補うことになった。

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