闘技場にて。
闘技場。そのど真ん中に大の字が二つ。一人は満足そうな笑みで、片や真っ白に燃え尽き、澄んだ瞳で虚空を見つめていた。
前者は花梨、後者は華苗だった。闘技場に入って何時間が経つだろうか。時刻を確認すると既に三時間は経っていて、華苗は思わず苦い笑みを漏らした。
疲労感はある。三時間、ほぼ休憩なしで戦い続けたからだ。ただ、それは身体的なものではなく、精神的なものであった。三時間もずっと集中しているわけにもいかず、途中に雑な戦闘も何度かあった。
その度に華苗は休みを提案しようとした。しかし、花梨はそんな隙を与えずに、次々と戦闘を開始していく。そんな花梨が楽しそうで、華苗は中断させるのを躊躇ってしまったのだ。その結果が三時間となった。
はっきり言って後悔している。いくら戦闘が好きでも、これはやりすぎた。しばらく戦いたくないと思ってしまうほどに戦いすぎた。それ以上は何も考えられない。戦闘中、相手に失礼の無いよう、出来る限りの集中力を発揮していたため、華苗の脳内はドロドロに煮詰まり、回転が鈍くなっていた。
「……もう勘弁」
ぼそりと呟く華苗。それを聞いた花梨は身を起こし、目を大きく見開いて華苗を見た。
「えっ、もういいんですか?」
「もういいも何も三時間ぶっ続けは疲れた」
花梨の視線など意に介さず、華苗は大の字を維持したまま返した。
「ふーん、そうですかぁ」
どことなく名残惜しそうな視線が華苗に向けられるが、全身全霊で無視をする。下手に構えば、あと何時間戦わされるか分かったものではない。
華苗は自分のことを戦闘狂だとは思っていた。しかし、考えを改める必要があるかもしれない。
花梨の域まで行くと、戦闘をどれだけ重ねても苦痛に感じない。もはや、戦闘ジャンキー(中毒者)と言っても過言ではないだろう。
華苗が微動だにしないのを見て、花梨は諦めて再び闘技場の中央に寝そべった。まだまだ戦いたいと言わんばかりの花梨だったが、その顔は満ち足りて頬が緩んでいた。
そんな二人を観客席から見つめる影が二つ。一人は背もたれに身を預けて、ぼんやりと二人を見つめており、もう一人は椅子を二、三つと占領し、寝息を立てていた。
「……ほら、リンス。終わったよ」
戦闘が終わったようなので、それを最後まで見届けた涼子は隣で寝ているリンスの肩をゆすった。寝起きは悪くないので、リンスはすぐに目覚めて身を起こす。
「……うん、素晴らしい戦いだったね」
「あんたはほとんど寝てたけど」
「それでも充分だよ。って、あれからどれぐらい戦い続けてたの?」
「更に一時間、ほぼぶっ通しで」
「えぇー、合計三時間ぐらい? 若いねぇ」
リンスは顔を引きつらせ、もはや笑みすら浮かんでこなかった。
華苗を探しに行った花梨はなかなか帰ってこなかった。リンスは放っておいても大丈夫だと言った。しかし、一時間も帰ってこないとなると涼子は心配でならなかった。何かあったのではないだろうかと宿舎の中をうろうろと歩き回った。
そんな涼子を見ていられなくなったリンスは二人を捜しに出たのであった。今は露店も少ない、この町で長時間潰せる場所は少ない。飲食店か闘技場ぐらいのものだろう。その後者がずばり正解だったのだ。
その時点で既に一時間半ほど経っていた。リンスと涼子は闘技場の観客席に回り、最初の三十分ほどはリンスも真剣に二人の戦闘を見守っていた。しかし、華苗の集中力に波があり、あまり良いものとは思えなかった。そのためリンスはそのまま横になり、戦闘が終わるまで寝て過ごそうと決めたのだ。
「で、どうだった?」
「うーん、最後の方は雑だったかなぁと思う」
「でしょう。本当に何時間戦い続けてるんだか、飽きないものね」
リンスはぐんと背筋を伸ばす。そして椅子から腰を上げて、闘技場の方へと歩み寄る。
「二人とも気が済んだ?」
闘技場の真ん中で寝そべる二人に聞こえるよう、リンスは声を張った。戦闘が終わり、静かな闘技場に凛とした声が響く。そこでようやくリンスたちに気づいたのか、花梨と華苗は振り返った。しかし、その動作も緩慢でやはり二人とも疲れているのだろう。頭も回らないのか、花梨は不思議そうに首をかしげながら尋ねる。
「あれ、どうしたんですか? 二人揃って」
「あんたらの帰りが遅いから捜しに来たのよ」
「あ、すみません」
悪びれた様子も無く、花梨はえへへと笑みを漏らしながら頭を下げる。そんな花梨から華苗へとリンスは視線をやった。そしてリンスは無表情で言う。
「別に強制するつもりはないの。嫌なら何も言わずに出て行ってくれても構わないわ。ただ、こんなところまで無理やり連れてきちゃって、ごめんなさいね」
ほんの少し前までとは全く違うリンスの様子に、華苗は眉をひそめた。これが先ほどまでハイテンションで話していた女なのか、と疑問を抱かざるを得なかった。
「それだけ、じゃあね」
それだけ言い残して、リンスは闘技場に背を向ける。用事は済んだと言わんばかりに去っていくリンスの背中を、華苗は見つめることしかできなかった。華苗だけではない。その場にいた涼子と花梨ですら呆然と立ち尽くしていた。
一番早く我に返った涼子は、一度だけ花梨と華苗に目をやった。そして、気まずそうに顔を引きつらせながらも手を振ってから、リンスの後を追っていった。
そして闘技場に静寂が訪れる。取り残された花梨と華苗は、二人が去っていった出口をじっと見つめていた。そして、やがて華苗が呟く。
「全く……何なんだ、あいつは」
*
「ち、ちょっと、リンス。あの言い方は――」
「無いと思う? でも、強制したって仕方ないじゃないの」
宿舎への道のりをのんびり歩くリンス。それに追いつくことは容易かった。
涼子はリンスの横に並び、開口早々先ほどの発言をたしなめるつもりだったが、それをリンスに遮られた。
「確かに、ロストワールドは酷いことになってきてるよ。誰かが殺されても、もはや驚くこともないもの。それぐらいにPKが当然になりつつある。だから、私たちは戦うと決めた」
「だったら――」
「でもね、ここは所詮ゲームの世界よ? 死んだってやり直せる。そんな世界で無理強いするのも、どうかと思うんだ、私は」
リンスはぼんやりと空を見上げながら続けて言う。
「戦争とか言われてるけどさ、私にはそんな実感が無いんだと思う。一種のお祭り感覚なんだと思うんだ」
「お祭り?」
「うん、簡単に言えば、赤組と青組に分かれて、競い合いなさいって程度でしか考えられないの。キャラを失うっていうリスクは一見すると大きいようにも思えるけれど、それは他のゲームと比べたら、って話だもん。だから戦争って言葉は大げさに思えるの」
「……かもしれない、けど」
「けど?」
搾り出すように言う涼子に、リンスは耳を傾けた。俯いているので表情は読めない。ただ、声色から察するに、どこか納得がいっていないのだろう。
「何て言うかな……この世界をゲームだって割り切るのは、何だか悲しいよ」
「それは愛着とか?」
「それもあると思うし、ここで出会った人たちのことも蔑ろにされてるみたいでムカつく」
「うーん、そんなつもりはないんだけどなぁ。それは互いのゲームって言葉に対するイメージの相違じゃないかしら?」
「かもしれない、でもね」
涼子は顔を上げる。その瞳に迷いはなく、強い光が宿っていた。
「リンスがそうやってゲームだって割り切れるのは、この世界の死と現実の死が違うと考えているから?」
「それは……絶対的に違うでしょう」
「私はそう思わないな」
「へぇ、興味深い。聞かせてよ?」
「死んで肉体を失うってことは現実でもこの世界でも一緒でしょ? なら、この二つの大きな違いって何なのかな、って考えたら、その先の確実性だけだと思うんだ」
「確実性?」と問い返すリンスに、涼子は頷きながら続ける。
「死んだ後のことだよ。この世界で死んだら肉体は失う。けれど、私は全てを失うわけじゃない。記憶はそのままだし、現実世界は安泰だもん。だから、死んだ後の世界が確実に存在しているからこそ、安心してプレイすることができる」
「そう考えると現実では死後の世界なんてあるかどうか分からないもんね。つまり、二つの死の違いは死後の世界があるかどうかって違いだけって言いたいの?」
「そう」
「だとしたら、その違いを隔てる壁が大きいのよ」
「でも、現実でも死後の世界があるとすれば――」
「それは結局のところ仮定で止まるわ。誰かが死後の世界を実証しない限り。仮定である限り、あなたの言うような確実性は生まれないでしょう?」
「む、う……確かに」
再び俯き、発する言葉を失った涼子は肩を落とした。
「でも、何か……悲しいよ」
「別に蔑ろにしろって言っているわけじゃないのよ。ただ、気負うのはよしなさいって話。肩こるわよ?」
そんな涼子の肩を叩きながら、リンスは微笑む。
「せっかく現実では味わえないような世界にいるんだから、気を張っちゃダメ、楽しまないと。おまけにライフポイントだって一だけ残っていると考えればいいの。そうしたら大胆な行動だって取れちゃうし。最終的には楽しめたもの勝ちなのよ」
「……うん、そうだね」
町の中で一際目立つ黒い建造物――ギルドの宿舎が見える頃、二人は小さく笑った。
「さぁ、戦争ごっこを全力で楽しみましょう」
そうは言うものの、リンスに手を抜くつもりはない。遊びだからこそ、全力で取り組む。そうしなければ本当に楽しめないことを知っているからだ。
負けるつもりは一切無い。絶対に勝ってみせる――リンスは静かに誓う。
*
「……行っちゃったね」
闘技場に残された花梨は静かに呟いた。それに無言で華苗も頷く。その面持ちはどこか苦々しげだった。
「結局は強いお前にだけ用があったんだろう。俺はそのついでだったわけだ」
「そんなことないと思うけどなぁ、華苗ちん強いし」
「お前に言われてもお世辞にしか聞こえねえよ」
今日の華苗の戦績は十八戦五勝十三敗、圧倒的に負け越していた。手数が多く、両手の剣を次々と繰り出す様は、まるで嵐の如く。槍のリーチを活かして突き放すには、やや速度で差がありすぎた。花梨はすいと槍を躱すと、一瞬で華苗の懐へと潜り込む。それを何とか柄でやり過ごすも、そこからは花梨の連続攻撃を防ぐ以外、一切の行動が不可能になる。もはや武器のリーチの利点を活かすことですら難しいことであった。
完封――そんな言葉が華苗の脳裏を過ぎる。もしリンスと涼子がずっと戦闘を見ていたのならば、華苗の動きに魅力など一切感じることができなかっただろう。それをもっとも理解している華苗だからこそ、諦めるように深いため息を漏らした。
「だから今回の話は断ることにしておく。お前から言っておいてくれないか?」
「んー、何でそこまで頑ななんですか? それともこっちの陣営に入るのが嫌なんですか?」
「嫌、というわけではない。ただ束縛は嫌いだな、自由に振舞いたい。好きな時に戦い、好きな時に遊びたい。そう考えると、こんな大所帯に加わっていいものかどうか迷うんだ」
闘技場に再び寝そべり、天井を見つめながら華苗は呟くようにして言葉を吐いていく。それは偽らざる本音。体を動かしている間に心の中に立ち込めていたモヤが霧散し、現れたものであった。
それに対し、花梨は固まった。まるで予想外のことだと言わんばかりに、驚愕に打ち震え、目を大きく見開いている。
「束縛、されるんですか……!?」
「お前は馬鹿か!?」
遠慮の無い、華苗の突っ込みが炸裂した。
「ば、馬鹿とは失礼な!」
「でも、何にも考えてなかっただろ?」
華苗が尋ねると、花梨はついと視線を逸らした。分かりやすい子だ、と思わず苦笑が漏れる。
「でも今更断るなんて――」
「あなたも巻き込みます」
華苗の言葉を遮って、花梨がとんでもない事を言う。その表情は真顔を通り越して、焦りが見えていた。
「お、お前――」
「問答無用です。それに自由なのが二人いれば、色々と断りやすいじゃないですか?」
「……確かに」
「だから、これからもよろしく、華苗ちん」
「これからもよろしくと思うなら、華苗ちんはやめてくれ」
「んーなら、まずあだ名から――」
「普通に呼べ」
いつしか華苗の表情に、笑みが浮かび始めていた。こんな生活も悪くないかもしれない――そう考えた華苗は後日、正式に正規軍への参加が決まった。