ギルド宿舎にて。
「はぁい、そこまで」
突然の乱入者に、花梨と男は眉をひそめた。男の槍は柄の部分を手で受け流し、花梨が全力で振り下ろした二本の剣は、乱入者の剣によって受け止められていた。細い刀身に加え、片手で全力の一撃を受け止められたことに、花梨は動揺を隠し切れない。
しかし、直後には細い刀身に亀裂が入った。当然の結果と言えば間違いはない。レイピアは、その刀身のデザイン上の問題で、どうしても耐久力に欠けるからだ。そして四散していく武器のポリゴンを、花梨はじっと眺めていた。
「イタタ……あー、流石に安物じゃ壊れちゃうよねー」
今も堂々と花梨と男の間に立つ女性は、後頭部を掻きながら苦笑を漏らした。そんな女性を睨みつけながら、男は言う。
「貴様、何者だ。邪魔する気なら許さんぞ」
女性の喉に槍の先端を突きつけながら、男は低く唸るような声で警告する。しかし、女性はそんな矛先を見ても、呆れたように息を吐いて肩をすくめた。
「名を問う前に、名乗るのが常識でなくって?」
あくまでも余裕の態度を崩さない女性に対し、男も嫌悪を隠そうとしなかった。眉間にシワを寄せ、睨み付ける視線はそれだけでキルできそうなほどに鋭いものであった。
険悪な雰囲気に花梨は思わず息を呑んだ。周囲を満たす静寂が、逆に心臓に悪かった。冷や汗が吹き出し、首筋を伝う頃、男は静かに口を開いた。
「……華苗だ」
「私はリンス、よろしくね」
不機嫌そうに名乗った華苗という男に対し、リンスは柔らかな笑みで応じた。その笑みは同性から見ても魅力的なもので、花梨は先ほど受けたばかりのショックをすっかり忘れて見惚れてしまった。
「で、邪魔をするなら――」
「するよ」
そんな柔らかい空気も束の間、一瞬にして二人の間に亀裂が走る。最後まで言えなかった華苗は頬を引きつらせ、槍を握る手を震わせながら、リンスを見下ろす。
それに対し、場違いな微笑みを浮かべ続けるリンス――花梨はこの人が何を目的として乱入してきたのか、甚だ疑問だった。
そんな空気を何とかしようと、花梨はリンスに問いかける。
「えっと……リンスさんでしたっけ?」
「ん、そうだよー」
リンスは今にも槍を振るいそうな男に背を向け、花梨に向き直った。そして――
「君を探してたんだ! 名前何て言うの? って言うか、まさか二刀流!? 凄いなぁ、今までどれぐらい練習してきたの?」
リンスにがっちりと肩を掴まれ、質問攻めにされる花梨。どれから答えたものかと一寸思案しながらも、無難に名前から返していった。
「え、えっと花梨と申します。一応、二刀流と言うことで……練習は半年ぐらいでしょうか」
「は、半年で!? 凄いなぁ……ねぇ――」
「おい!」
完全に放置されていた槍使い華苗の怒りが、ついに頂点に達した。顔を真っ赤に染めた華苗は爆発寸前で、今にも槍を振り回しそうであった。
「あ、さっきの戦い、ちょっと見てたの。貴方も強いのね! ぜひ、うちのギルドに来ない?」
そんな華苗に飛びついて、リンスは微笑みかける。突然の勧誘に、華苗の思考はついに停止した。先ほどまで全身を満たしていた怒りは、一瞬で消え去り、もはや現状の理解すら億劫になるほどの疲労感だけが残った。
「……ちょっとリンス、もっとちゃんと説明すべき」
その場に加わったのは、眠そうな眼で三人を見つめる可憐な黒髪ロリ少女。意味が分からんと肩を竦める華苗に、既に思考を止めて首を傾げ続ける花梨、そしてやたらハイテンションなリンス。静かな草原には、リンスの声だけが響き渡っていた。
*
このまま放置しておけば、あの場は混沌と化していただろう。それをいち早く察知した涼子は、三人の下へと駆け寄り、仲裁に入った。
とは言え、簡単なことだ。とりあえず、ギルドの宿舎で落ち着いて話しませんか、と問いかけるだけだった。そのとき、あまりにもテンションの高いリンスには、手刀を脳天に打ち込んで黙らせた。
そして今に至る――
「なるほど……大体の話は理解しました」
突然、「君を探していた」と言われて困惑していた花梨は、ようやく事態を理解し、深く頷いた。それに対し、華苗はどこか複雑そうな表情で背もたれに身を預けている。
それは当然の反応だろう――プレイヤーキラーに属していた華苗は、まさか正規軍に誘われるとは思ってもみなかったからだ。
とは言え、答えを出すのは華苗自身だ。花梨は迷うことなく口を開く。
「ええ、私は構いませんよ。その代わりと言ったら何ですけれど、お願いがあるんです」
「ん、何かしら? できることなら検討させてもらうわ」
落ち着きを取り戻したリンスは、紅茶の入ったカップに口をつけた。
「えっと、師匠――あ、ケイって二刀流のプレイヤーを探してるんです。二刀流を私に教えてくれた方なんですけれど、気づいたらいなくなってまして」
「それぐらいならお安い御用よ。それじゃ、これからよろしくね」
リンスは花梨に向かって、ゆっくりと手を差し出す。花梨もそれを強く握り返した。
「よろしくお願いします」
そんな二人を華苗はじっと見つめていた。相変わらず眉間にシワを寄せたまま、難題にぶち当たったかのように腕を組んでいる。
華苗にとってはプレイヤー同士で戦えれば良いだけだ。とは言え、デスペナが無効化されている闘技場での戦闘はスリル感に欠ける。やはり、外で強者と緊張感の溢れる戦いを望んでいた。
しかし、華苗にとってはPK陣営だろうと正規軍だろうと、どちらでも構わなかったのだ。ただ戦えれば、それで良い。そんな華苗を悩ませるのは、たった一つの問題だけだ。
(恐らく、自由に戦えるとは思えないんだよな。それに俺がPKだったと知ったら、こいつらの反応はどうなることやら)
ここは無難に断っておくべきか――そんな答えに行き着きそうな華苗であったが、それを口に出すことは無かった。
「……少し考えさせてくれ」
「ええ、もちろん」
華苗の言葉に、リンスは優しく微笑みかける。それを見て、華苗は席を立った。そのまま三人に背を向けて出口へと向かってゆく。
「え、えっと、どこへ――」
その背中に向かって、やや焦りながら涼子が口を開いた。しかし、リンスが手を伸ばし、それを遮る。
「しーっ。いいのよ、ゆっくりと考えさせてあげましょう。私だって突然、全く反対の陣営からオファーを受ければ困惑するもの」
「え、分かってたの? 私は誰構わず誘っているだけかと」
「涼子、あなたは私のこと馬鹿にしてない?」
「うん、してる」
がっくりと肩を落とすリンスと、本当に驚いている様子の涼子。そんな二人と、去っていく華苗の後姿を交互に見やりながら、花梨は苦笑を漏らす。あっと言う間に見えなくなっていく華苗の背中がどうしても気になり、素直に笑うこともできなかったのだ。
そんな花梨の落ち着きの無い様子に、リンスは柔らかく微笑みながら言う。
「追ってもいいのよ? 剣を交わしたあなたなら、私たちよりも話が分かるかもしれないし」
「えーっと……なら、行ってきます!」
ほとんど迷うことなく、花梨は席を立つ。そして華苗の後を追うべく、駆けていった。
「いいの?」
そんな花梨の背中を静かに見送りながら、涼子は口を開いた。
「いいの、いいの。私たちが気にしたって仕方ないもん。彼らには彼らにしか分からないことだってあるし」
そう言って、リンスは既に冷めた紅茶を口に運んだ。
*
宿舎と違って、町は閑散としていた。人通りも少なく、町並み全体が古いせいか、まるで遺跡に迷い込んだかのように思えた。
荘厳さと神聖さ、そしてそこに居座る静寂――それらを無視して、花梨は駆ける。華苗の背中を見つけることは、そう難しいことではなかった。ぼんやりと空を見上げながら、町の中央に向かってゆく華苗の足取りに、明確な意思は宿っていなかった。
一歩ずつゆっくりと踏みしめるようにして歩く、華苗。その背中に向かって、ロケットのごとき突撃がぶち込まれる。
「待って、って……言ってるじゃないですかあああ!!」
「ごぶぁ!?」
花梨の全身全霊の突撃を受けて、華苗の体が本来曲がってはいけない方へと大きく反る。腰から背中にかけて熱が走り抜けた。過度な痛みは熱へと変換されるシステムが、ここで発動したようだ。つまり、それほどの威力を秘めた突撃だったのだ。
もし、これがPK禁止区域でなければ、体力をかなり削られたことだろう。それに冷や汗を流しつつも、同時にふつふつと湧き上がる怒りに身を任せて、華苗は振り返った。
「何しやがる!」
「何回呼んでも、反応しないからです!」
「だから、って限度があるだろうが!!」
振り返った華苗は、花梨の胸倉を掴みながら叫んだ。小柄で軽い花梨の体は華苗の力になす術なく、引き寄せられる。
間近で睨み合う二人。花梨はうーと低い声で唸っているし、華苗は眉を吊り上げてにらみ返している。
しかし、埒が明かないと判断したのか、華苗は小さくため息を漏らしながら、花梨を解放した。
「ったく……で、何なんだよ?」
「えーっと……あれ?」
華苗の言葉に花梨は首を傾げる。
「んーっと忘れました」
「あれだけのことやっておいて、忘れたってのか?」
「むしろ、そのせいで忘れたというべき?」
「何か、俺のせいに聞こえないか?」
「呼んで振り返らなかった華苗さんが悪いのです」
いつの間にか悪いのが自分になっていることに、華苗は疑問を抱いた。何か自分は悪いことでもしただろうか――そう考えると、事の発端は華苗たちが花梨を襲ったことにある。花梨の言葉を否定することもできず、華苗は黙り込んだ。
「大丈夫ですか?」
そんな華苗を見て、花梨は首を傾げた。華苗が一体何を考えているかなんて、花梨にも分からない。しかし、彼が何か悩んでいることだけは理解できている。
だから、花梨は尋ねた。華苗との会話はまだ少ないが、悪い人ではなさそうだと思う。たとえお節介だったとしても、悩む華苗を放っておくことはできなかった。師匠が自分を救ってくれたように、いつか自分も周りを救えるような人になりたい――花梨の瞳は、強い意思を感じられる光をきざしていた。
いつもなら「何でもない」と隠し通すつもりだった華苗も、花梨の気迫に圧されて揺らいだ。華苗は、自分より小さな少女に期待したのだ――この胸に抱える靄を晴らしてくれるような、そんな答えを出してくれることに。
「正直、戸惑っている」
ぽつりと零した華苗の言葉、花梨はそれを黙って聞く。
「俺みたいなのが、いきなり正規側に誘われて困惑しない方がおかしいだろう? 元々はお前らの敵だぜ、俺は」
「敵……? ああ、そういえば」
花梨は今まさに思い出したと言わんばかりの調子で言った。それに華苗は思わず苦笑を漏らす。自分の抱いていた期待が少しずつ崩れていくのを感じながら。
「……忘れてたのか?」
「ええ、すっかり」
悪びれた様子もなく、花梨は笑顔で返してくる。もはや期待の瓦解を止める事はできなかった。しかし、花梨はそんな華苗を気にすることなく言う。
「それと決着もまだでしたね」
「は?」
借りんが一体何の話をしているのか理解できず、華苗は面食らう。そんな華苗を見ても、花梨の笑みは深さを増す一方だった。
「だからー、私たち、まだ決着つけてないじゃないですか。確か、闘技場がありますから、そこで決着つけましょうよ」
花梨は華苗の腕を掴んで、ぐいぐいと引っ張っていく。この小さな体のどこに、これほどの力が眠っているのだろうか。華苗は少し疑問に思ったが、成すがままにされている。
ワールドマップの対人戦と違って、闘技場ではデスペナルティが無効化されている。そのため気軽に戦うことはできる。その反面、華苗のような対人に特化したプレイヤーたちは、そこにスリル感が生じないと言って、あまり好まれなかった。
結果として、闘技大会の前やイベントがない限り、闘技場に人は寄り付かなかった。そんなところへ花梨は行こうと言うのだ。華苗からすれば、はっきり言って魅力的な提案とは言いがたい。しかし、楽しそうにぐいぐいと引っ張っていく花梨を見て、断ることもできなかった。
(まぁ……ちょっとぐらい付き合ってもいいか)
華苗の頭をそんな考えが過ぎった。そして激しく後悔することになる。断っておけばよかった、と。
それから三時間、華苗はずっと花梨の相手を続けることになる。