危険な草原。
広がる草原を見渡せば、まだ先ほど出たばかりの町が見える。それほど町を出て、すぐの出来事だった。ピンクの髪の少女、花梨は見知らぬ四人のプレイヤーに囲まれていた。男が三、女が一。しかし、四人に共通することは、皆ニタニタと下卑た笑みを浮かべていることだろうか。それを見て、花梨は小さく息を吐きながら、尋ねる。
「……何か御用ですか?」
索敵スキルの高い花梨は、町を出た辺りから四人の気配に気づいていた。それでも、あえて無視をしていた。自ら攻撃を仕掛けるつもりはなかったからだ。
それでも襲ってくるなら仕方が無い――その程度の認識だった。
そう。
花梨は、最初から負けると言う認識が無かった。それほど自身の実力に――否、師匠の力を信じていた。
未だ余裕の態度を崩さない花梨に対し、四人の男女はそれぞれの武器を抜いた。槍が一人、両手剣が一人、メイスが二人。平均的なリーチより少し長い槍に、派手な装飾の割りに少し短めの両手剣。見た目の派手さが火力に繋がるわけではない。しかし、軽装な花梨の場合、一撃でも貰ってしまえば体力は危険域に達するだろう。
しかし、花梨はそんな二人に目もくれない。その二人の影に隠れるようにして、ニタニタと笑い続ける男女を、じっと見つめていた。
(メイスを持つ、後衛と思しき二人が厄介かな)
冷静に判断すると、花梨も剣を抜いた。背中にあった二本の剣を同時に。洋風の両刃の剣で、特に変わったところはない。むしろ、そのシンプルさが武器としての役割というものを感じさせた。
それを見て、四人は訝しむように眉をひそめた。しかし、その直後には再び口角を吊り上げた。
「お前、それの意味が分かって、やっているのか?」
ニタニタと笑い続けていた男が初めて口を開いた。一体、何のことを問われているのか分からない花梨は少しだけ首を傾げた。
それを見て、男は小さく息を漏らす。まるで花梨を嘲笑するかのように。
「まぁいい、行くぞ」
その男の一言で空気が一変する。四人は口角を吊り上げたまま、明確な殺意を放つ。
それに小さくため息をつきながら、花梨も両手の剣を握りなおした。しかし、剣を握った両手はだらりと下げたままで、構えようとはしない。自然体で脱力しきった花梨に、四人も一歩目を踏み込むことを戸惑った。そのまま、しばらくの間、にらみ合いが続く。
訪れる静寂の中で、花梨は緊張感を楽しんだ。それほどの余裕があった。いつ、誰が、同時に動こうと、花梨は負ける気がしなかった――この程度の人数なら。
こちらが一人で相手が複数いたとしても、相手が放てる攻撃回数には限りがある。剣で受け、受け切れない攻撃は身を捩り、躱せ。そして追撃が来る前に仕留めろ――師匠の言葉を反芻しながら、花梨は集中力を高めていった。視界に映る二人だけではなく、後ろの二人にも警戒が必要だった。圧倒的不利に思える現状であったが、高い索敵スキルがそのハンデを軽減する。
(……動く)
僅かに耳に届いた土を踏む音。その上に生える草が、その音を限りなく小さくするが、花梨は聞き逃さなかった。
その刹那、花梨の後方にいた男が、両手剣を振り上げながら地を蹴った。それと同時に、花梨も反転し、男に向けて一歩目を踏み出す。
お互いが動いたのは、ほぼ同時だった。花梨の反応に、男の顔は驚愕の色に染まる。しかし、それでも男は、花梨に向けて剣を振り下ろした。それでも花梨は更に一歩踏み込み、男の懐へと潜り込む。
今――そう小さく呟いた花梨は、だらりと下げていた剣を一瞬で跳ね上げた。しかし、それは雑な動きではない。精密な一撃が、男の両手剣の横をなぞり、本来は花梨を肩口から斬り裂いたであろう一撃を僅かにずらした。
軌道をずらされた男の両手剣は、地面に突き刺さる寸前で止まる。筋力ステータスが高いのか、振り下ろした勢いを力で強引にねじ伏せたのだ。剣は一寸だけ静止し、今度は花梨を上下に分断するように薙がれるだろう――しかし、花梨にとっては、その一寸だけで充分だった。隙ありと言わんばかりに、受け流したのとは逆の手に握る剣を振るった。その一撃に容赦は無い。相手だって容赦なく一撃を振るったのだから、手加減なんて必要ない――たとえ、それが相手を一撃でキルしてしまおうとも。
受け流したと同時に、花梨は既に一歩目を踏み込んでいた。そこから更に腰だけ捻り、上半身と下半身に捩れを作る。あとは体が元に戻ろうとする力に筋力を加えて、上半身の回転を一気に加速させた。そんな全身の力を振り絞って放たれた一撃だったにも関わらず、花梨の剣は綺麗に男の首へと吸い込まれた。
手首に感じる少しの抵抗――刃先が男の首へと到達したのだ。その抵抗に負けぬよう、花梨は細い腕に精一杯の力を込める。
「っああ!」
刹那、男の首が上下に分断された。しかし、ロストワールドは全年齢を対象としているので、血飛沫は舞わない。ただ、首が胴体から外れただけ。何度も見てきた命のやり取りだったが、そこには本当に命が存在するのかと疑問に思える光景だった。
男の体が透けていき、鮮明だった胴体にポリゴンが露出する。横に薙がれようとしていた両手剣は、花梨の胴体に届く寸前で止まっていた。それを見て、花梨の毛穴が一斉に開き、嫌な汗が吹き出した。あと、ほんの少しでも遅れていたら、花梨も無事では済まなかっただろう。
男のポリンゴンが目の前で消失する。その直後、思わず花梨は溜めていた息を吐いた。
「まだまだですね、私も」
師匠がいたら、花梨は間違いなく怒られていたであろう。何故、受け流した方の剣で、防ぎながら攻撃しないのか、と。
花梨の師匠の動きは攻防一体のバランスの良いスタイルだった。それに比べると、花梨は時折防御を捨ててまで攻撃に出ることもあった。両手で握る剣は、攻撃機会を格段に増やしてくれる。なのだから、攻撃しなければ勿体無い。暴風雨の如き、途切れることの無い連続攻撃で攻めれば、相手も攻勢には出れまい――そう考えているのだ。
ただ、それは彼女の師匠には一切通じなかった。それでも花梨は諦めることなく、自らのスタイルを貫く。攻撃は最大の防御だと言わんばかりに。
(師匠の言わんとしていることは分かっています……けど)
再びため息をつきながら、俯く花梨。しかし、残る三人は飛び込むことができない。僅かに見える花梨の口の端が、まるで笑っているかのようにつり上がっていたからだ。得体の知れない恐怖が三人の足を地面にやんわりと縫いつける。無視して飛び込むこともできただろう――しかし、長年プレイヤーキラーとして活動してきた彼らの勘が、踏み込むことを躊躇わせた。
「攻めなきゃ勿体無いじゃないですか」
その一言と同時に、花梨は顔を上げた。三人の予想は的中する。無邪気な笑みを浮かべた花梨の姿に、三人は思わず一歩後ずさる。得体の知れない冷気が背筋を抜け、自然と体が震えた。プレイヤーキラー――本来は捕食者である自分たちが獲物となった瞬間を、彼らは実感することになった。
*
町の南口、そこに佇む二人の少女はせわしなく辺りを見回していた。少し背の低い、黒髪ツインテールの少女、涼子は小さくため息をついて言う。
「もう町を出ちゃったんじゃないかな?」
「でも、聞いたところ、歩いて町を出たって言ってるし……」
「リンス……町を出たところまで探すつもりなの? このだだっ広い草原を?」
涼子は小さい体を精一杯使って、草原を示した。それを見て、リンスの顔も思わず引きつる。
「なら、町の周りを一周して……って、あれは何?」
その刹那、晴れ渡った草原に雷が落ちた。あまりにも不自然な光景に二人は眉をひそめ、その一点をじっと見つめた。しかし、それ以上の変化は無かった。風が草を揺らす音だけが耳に届く。雲は少しずつ流れていることから、時間は過ぎていることは分かった。
「行ってみる?」
「……そうね」
いつまで経っても変化はない。このままでは埒が明かないと、リンスと涼子は草原を進んだ。もちろん、既に武器は抜いている。リンスは一時凌ぎのレイピアを、涼子はグローブをはめていた。リンスの持つレイピアはフロージングレイピアのような透き通るような美しい青色ではなく、鉛の色であった。涼子のグローブはナックルパートの部分に、透明ながら凶悪な形状の突起が施されていた。それを何度か握り、装着感を確かめる。
「よくよく考えたら、町の外なんだからモンスターと誰かが戦ってても、当然のことよね」
「もう! 期待してるのに、それを壊すようなこと言わないでよ」
涼子の冷静な意見に、リンスは声を荒げる。しかし、そこに涼子を責めるような感情はない。長年の付き合いからか、お互い思ったことを隠すことなく言い合えるだけであった。
緩やかに上っていく草原を駆けていくと、金属同士がぶつかるような甲高い音が響き渡った。草原という場所では、あまりにも不自然なその音に、不謹慎だと理解しつつもリンスは高揚を抑えきれない。
「いるね」
「みたいね」
簡潔に返してくる涼子の表情に変化は無い。それとは対照的にリンスはどうしても笑みが零れてしまう。
そして、二人の視界に不自然な色が映った。
「いた!」
ピンク色の髪の少女だ。しかし、彼女だけではなく、周囲には三人のプレイヤーも存在した。その三人は常に少女を囲むようにして、攻撃を繰り出している。三対一であることが一目瞭然だった。ここから導き出される答えなど決まっている――リンスは笑みを消し、真顔で剣を構えた。
しかし――
「せえええいやあああ!!」
一閃、少女の両手に握られた剣が、槍を構えた男に襲い掛かる。体を回転させて、遠心力を最大限に活かした一撃が男の鎧に食い込んだ。その後を追うようにして、もう一方の剣が更に叩き込まれる。食い込んだ剣は押し込まれ、更に深く鎧に――否、恐らく体に到達しているだろう。
「く、そがあああ!!」
そんな少女の反撃に、男は吼えて槍を振るった。しかし、距離が近すぎて、刃の部分が少女を貫くことはなかった。槍の柄の部分が少女に迫る。少女はそれを手で受け止めながら、後ろに大きく飛んだ。
間合いを取って睨み合う二人――男の鎧には、未だ一本の剣が食い込んだままだ。深く突き刺さった剣は鎧に噛まれ、抜けなくなってしまったのであった。
「くそっ……ここまで熟練した二刀の使い手だとは思わなかったぜ。お前、名前は何て言う?」
男は額に大きな汗を浮かべたまま、少女に尋ねた。それに対し、少女は涼しげな表情で返す。
「花梨……って言っても知らないでしょう?」
「知らないな……だが、お前の名は忘れない。これだけの好敵手なんだ、忘れられるはずがないだろう」
男は汗も拭わずに、笑んだ。獰猛で好戦的な印象を受ける笑みだったが、先ほどまでの意地の悪そうな笑みよりは、格段にマシだ――それに釣られて、花梨も思わず微笑んだ。
「二人は邪魔すんな……まぁしたところで勝てないと思うがな」
男は振り返らずに、メイスを持った男女に言った。それを聞いて、呆れたと言わんばかりに二人は肩をすくめた。そして転移石を使ったのか、一瞬にして姿を消してしまった。
その気配を感じてか、男は静かに口を開く。
「ここまでの非礼を詫びる、すまなかった……その上で、改めて申しださせていただく。俺と最後まで戦ってくれ」
男は槍を構えずに、頭を下げた。
「うん、いいよ。なら、お互いベストコンディションでやろうよ。ほら」
そう言って、花梨はアイテムウィンドウを呼び出した。迷うことなく指を動かし、目当ての物を具現化させる。その手に握られていたのは赤い液体の入った小瓶。それを二つ取り出して、片方を男に投げやった。
「仕切りなおし」
「……いいのか?」
「もちろん、私だって負けるつもりないし」
「ありがたい……!」
赤い液体――体力を回復させるポーションを受け取った男は、一寸呆気に取られた。しかし、気を取り直すと、それを一気に飲み干して、鎧に突き刺さったままの剣を引き抜いた。それを無造作に花梨に投げやる。それを迷うことなく、空中でキャッチした花梨は微笑む。
「ありがとう」
「お互い様だろう」
そして、男は腰を低く落として槍を構える。それを合図と受け取ったのか、花梨も僅かに笑みを残したまま、両手の剣を握りなおした。
一瞬の静寂の後に、二人は再び交錯する。男の踏み込みの速さに対し、花梨の速さは矢の如き突進だった。男はその速さに目をむき、攻撃から守備に転じる。その刹那、横に構えた槍に凄まじい衝撃が走った。一瞬で数え切れないほどの手数が襲い掛かる。受けきれない――男は諦めて、更に一歩踏み込んだ。
「……っ!? やっぱり最高だぜ、お前ぇ!!」
花梨の剣が男の鎧に打ち込まれていくが、それでも獰猛な笑みを崩さない。心の底から楽しんでいるようで、守勢から攻勢へと転じるべく、槍を横に振るう。花梨は、それを両手に握った剣を交差させて受ける。しかし、あまりに重い一撃は花梨の体を持ち上げた。
受けたにも関わらず、花梨の体力は僅かに削られた。もし、直撃したら――そう考えると、嫌な汗が一斉に噴出した。浮いた体は後ろに流れ、バランスを崩しそうになる。しかし、上手く着地を決めた花梨は、再び距離を詰めようと地を蹴った。
(あ……しまっ――!?)
その直後、花梨は後悔した。男は矛先をこちらに向けたまま、腰を捻って溜めの動作に入っていた。突きが来る――しかし、それを理解したときには、花梨の足は既に地を蹴ってしまっていた。
自身の勢いに加えて、相手の突きの速さを加味した上で、槍を横から剣で叩く――そうすれば受け流すことも可能だ。
どれほど難易度の高いことか理解した上で、花梨は試みる。むしろ、それ以外に活路は無い。迷う暇は無かった。
花梨は吼える。そして男も吼える。お互い渾身の一撃が交錯する。