失われた平穏。
平和な世界――それは正規プレイヤーであるモノクロたちが、プレイヤーキラーたちを倒して勝ち取った。
結果、熟練のプレイヤーキラーは駆逐され、残ったのは技術的にもレベル的にも未熟なプレイヤーキラーのみだった。
しかし、彼らは正規プレイヤーに勝てないと踏んだのか、初心者や戦闘スキルの乏しい商人を狙うようになった。
それを見て、モノクロを筆頭とする正規プレイヤーたちは再び重い腰を上げることになる。
たとえ相手がプレイヤーキラーだとしても、正規プレイヤーたちはPKを好まなかった。彼らは心を痛めながらも、結局プレイヤーキラーと戦い、ロストワールドに再び平和をもたらした。商人は一人で町と町の間を行き来できるほどにまで治安は良くなり、初心者も安心してダンジョンへと赴いた。初心者や商人を守るために、ランカーが数多くのギルドを立ち上げ、集団で行動することによって、PKは格段に減ったのであった。
しかし、世界は一変する。
プレイヤーキラーの宣戦布告によって。
もはや、戦いは避けられないものになりつつあった。プレイヤーキラーによる被害は日に日に増していく。
結果、天空の使者など大手の正規ギルドを中心とした連合軍が再び生まれることになる。協力を余儀なくされたのだ。
しかし、PKは減らない。平和だと信じていた時間に、プレイヤーキラーは少しずつ力を溜め込んでいたのだ。プレイヤーキラーを討伐する――そう意気込んで出て行った正規プレイヤーたちが帰ってこないなど、日常茶飯事になりつつあった。
正規プレイヤーたちは慎重にならざるを得ない状況にまで追い込まれてしまった。そして、お互いが睨み合う状態となり、宣戦布告から一ヶ月足らずでロストワールドは緊張感と悲劇で満ちた世界へと変わり果てていた。
再びの戦乱――ロストワールドは冷戦時代へと突入した。
*
風が吹き、からからの木の葉を舞い上げた。茶色い木の葉が舞い上がる空は、どんよりと曇っている――ロストワールドは、まもなく冬を迎えようとしていた。
港町も活気を失い、交易品が並んだ商店街もひっそりとしている。それは季節だけの問題ではないだろう。
数ヶ月前、かの有名な行商人モグリがPKだったと言う衝撃的な情報が流れた。そして、それに続くようにして、プレイヤーキラーたちによる宣戦布告――今のぬるいロストワールドを改変すると彼らは言った。
(確かに、ぬるい世界ではあったけど……)
桃色の髪を冷たい風になびかせながら歩く少女は思う。目立った防具は簡素な胸当てだけで、背中にかけている二本の剣が一歩進むたびに、こすれ僅かに音を立てていた。
(……それでも悪い世界では無かったのに)
どの町にも漏れなく配布されたプレイヤーキラーの宣戦布告文章に目をやりながら、少女はため息をついた。整った顔立ちを歪め、憂鬱の色が見て取れた。
彼女の名は花梨。とある人を探して、港町まで足を運んできた。人が行き通う港町なら、何か情報を掴めるかもしれない――そう考えて、やってきたのだ。
しかし、思惑は完全に外れてしまった。プレイヤーキラーの宣戦布告により、以前のような活発な交易活動は見られなくなった。誰もがPKを恐れ、活動を自粛した結果であった。
一部の大きなギルドに属した商人だけが中心街で店を開いているだけで、そこに伸びる通りは静寂に包まれていた。ほんの一週間前までは、この周辺も商店で満たされ、掘り出し物を求めた客で賑わっていたのに――そう思うと、自然と二度目のため息が漏れた。
それでも閑散とした通りを花梨は行く。時折、出会う人には声をかけ、情報を集めてみた。しかし、彼女が師匠と呼び、親しんだ男の情報は、一切手に入らなかった。
三度ため息を漏らしながら、花梨は疲れを滲ませた顔で、天を仰いだ。ほとんど雲に覆われた灰色の空が、自分の行く先の過酷さを象徴しているようで、花梨は思わず首を振った。
(師匠……あなたはどこへ行ったのですか?)
*
港町のとある一角に黒い建物があった。赤いレンガで造られた町並みの中で、その建物だけが少し浮いている。
絶え間なく聞こえてくる足音は多く、たくさんの人が行き来している証拠だろう。実際に内部では、慌しく人が走り回っていた。
そんな中、椅子に腰をかけて、じっと佇む二人。リンスとクロウの姿があった。クロウは机に肘を乗せ、顔の前で両手を組んでいる。
「ずっと、そんな顔してたら不細工なんで?」
「……この状況で笑えとでも?」
クロウの言葉に、リンスは眉間に寄っていたシワを一層深く刻みながら返した。
「最初に緋色がやられて、椿も音信不通……そして、何とか生きてはいるものの、レベッカたちは不在。更に、あれから二週間でキルされたプレイヤーの数は把握しているだけでも三桁に届こうとしているのよ?」
あっと言う間の出来事だった。まるで水面下で着々と準備していたかのような、滑らかさで事は運ばれてゆく。プレイヤーキラーは緋色を殺した直後、全世界の正規プレイヤーに対して宣戦布告した。その結果、プレイヤーキラーやプレイヤー同士の対戦を好む者たちの大半は、自然とモグリの下へと集結することになった。
このままでは世界が覆される――その危機感を覚え、正規プレイヤーたちも即座に動きを見せた。しかし、プレイヤーキラーより圧倒的に多い正規プレイヤーたちをまとめることは難しく、被害は増える一方であった。
そんな状況にリンスは耐え切れなくなりつつあった。副マスターを任された立場として、皆を守っていかなければならない。しかし、事が思うように運ばなかった。
「上のモンが四六時中、しかめっ面してても状況が好転するわけやない。逆に悪い雰囲気をばら撒くだけで迷惑ここに極まる、や」
肩をすくめながらクロウは言った。
「……」
リンスは一瞬だけクロウを強く睨み付けた。しかし、相手の言うことが正しいと考えたのか、何度か深呼吸を繰り返して、眉間のシワを解いた。
「ごめんなさい」
「しゃーない、気持ちは分かる」
クロウは背もたれに身を預けながら、宿舎の天井を仰いだ。
「どうしたもんかなぁ……」
「もっと正規プレイヤー……特にソロのランカーの協力を仰がないとダメですね」
「そうやって動いて一週間が経つ……その間に、どれぐらいのランカーが殺された?」
「……約半数」
月に一度発表されるプレイヤーのレベルランキング。その上位百位に位置するプレイヤーの中には、ギルドに属さず、ソロでの活動を主にする者もいる。そういったプレイヤーの力を集結させて、プレイヤーキラー勢に対抗しようと考えていた。
しかし、それよりも早くプレイヤーキラーは動いていた。ソロのランカーを数で攻め、次々と殺していくのであった。
「それでも、私たちにできることは限られています。まだ生き残っている方に協力を仰ぐしか、活路は見出せません」
「まぁ、その通りやな」
深いため息を漏らしながら、クロウは苦い笑みを浮かべる。そんなクロウに釣られるようにして、リンスも大きく息を吐いた。
「なら、私は探してきます」
「一人で大丈夫か?」
席を立ち、今すぐにでも飛び出していきそうなリンスの背中に、クロウは尋ねた。すると、リンスは緩々と首を横に振った。
「大丈夫です、一人じゃないですから」
そう返すと、リンスは再びクロウに背を向けた。
背中にクロウの視線を感じながらも、リンスは足を止めない。そのまま宿舎の奥へと足を進めた。一歩ごとに床板はぎしりと鳴り、少し沈む。しかし、それに不安を感じることはなかった。むしろ、感じる余裕が無かった。
切羽詰った現状と自身の弱体化――それらがリンスを苛む。
ユニークアイテム、フロージングレイピアを失った今、リンスは知力補正が無くなり、上位の魔法スキルも同時に失った。あるのは多少の回復魔法、そして前衛としての最低限の筋力と敏捷性のみだ。
前衛を一人任されるには頼りなく、後衛で補助をするにもバリエーションが無い――そんな自分に何ができるだろうか? リンスは自問自答を繰り返した。
(ともかく、町中を駆けずり回って、まだ協力を要請できていないプレイヤーやギルドを探すしか……今の私では戦力になれないから)
悔しさと唇を同時に噛み締めながら、リンスは更に奥へと足を進める。時折すれ違うギルドの面々の表情も硬く、忙しそうに走り回っていた。
彼らは前衛に立って戦うことができる――しかし、今の自分は違う。その歯がゆさを堪えて、リンスは進み続ける。
(今できることを成そう)
そして、とある部屋の前でリンスは足を止めた。そこで一息吐いて、扉をノックする。即座に返事が来て、慌しい音が響いてきた。
「リンスよ。今、大丈夫?」
「あーい、ちょっと待ってねん」
そして扉が開かれ、リンスより頭一つ分小さい女の子が顔を覗かせた。黒い髪をツインテールにしており、可愛らしい少女だった。
「どうしたの?」
「これから町に出るんだけど、一緒してくれたら助かるな、って」
「ん、もっと早く言ってほしかったなぁ……まぁ今は暇してるから、いいけどさ」
少女は唇を尖らせながらも、部屋から出てきた。既に出かける準備はできているようで、部屋に鍵をかけると、そのままリンスの横に並んだ。
「ごめんね。皆、忙しそうだから、涼子ぐらいにしか頼めなくてさ」
「つまり、私は暇してそうって言いたいのかな?」
じろりと向けられる涼子の視線に、リンスは苦笑を漏らす。しかし、涼子もそれ以上は追及せずに、そっとため息をつくだけだった。
「またソロプレイヤーの勧誘?」
「うん、今の私にはそれぐらいしかすることもないし」
リンスがそう返すと、涼子は気まずそうに顔を引きつらせた。モグリとの対戦でフロージングレイピアを壊されたリンスは、戦力としてなりたたないことを気に病んでいたからだ。
今では随分と立ち直ってきてはいるものの、それでも先ほどの自虐的な物言いが、リンスの鬱々とした感情を示していた。
「あー……まぁ確かに。まだ良い武器は見つからないの?」
「物の流れが、ほとんど止まってるからね。最近、品揃えが変わった店なんて、ほとんど見受けないよ」
憂鬱そうにリンスは肩をすくめた。ほんの少し前まで、露店で埋め尽くされていた通りを何往復したことか。しかし、今は並ぶ店すらまばらで、そこに何度も訪れるリンスは並ぶ商品すら覚えつつあった。
「ダメで元々だけど、帰りに寄ってみたら?」
「うん、そのつもり」
そして二人はギルドの宿舎を出て、町の中心へと向かった。数ヶ月前まで商人で賑わっていた通りは一変し、静まり返っている。時折、他のプレイヤーを見かけたが、大抵は既に協力関係を結んだプレイヤーだった。何度も何度も町に出ているせいか、一人ひとりの顔や名前、そして得意武器など、ほとんどの情報を知り尽くしていた。
「この情勢じゃ、わざわざ危険を冒してまで、新しい町に行こうってプレイヤーもいないんじゃないの?」
涼子も町を行く人に目を向けるが、新しく勧誘できるような人は見つからない。
「そうね……ともかく、少しでも話を聞いてみましょう」
二人は仕方なく、周辺にいるプレイヤーに声をかけて、情報を集めることにした。しかし、これと言った情報は集まらなかった。
情報を集め始めて三十分、話しかけた人数も二桁になっていた。それだけ町を歩き回っても、何一つ情報を得られないことにリンスは焦りを覚え始めていた。
ここ数週間、戦闘要員にもなれないリンスは必死に町中を駆け回り、仲間を集めた。しかし、最近はなかなか成果を出すことができなくなっていた。このままでは自分の存在意義が消える――そんな焦りがじわじわとリンスの内面を蝕んでいく。
「焦っても仕方ないでしょ」
そんなリンスの内心を見抜いたかのように、涼子が口を開いた。見抜いたと言うよりは、リンスの表情を見れば一目瞭然だった。下唇を噛み、自然と眉間にシワが寄っていたのだ。
「ここまで、あんたは充分やったじゃないの。もっと肩の力を抜きなさいな」
「でも――」
「でももへったくれもない、そんな顔されている方が迷惑極まりない」
びしりと言われ、リンスは思わず周囲を見渡した。すぐ近くに窓ガラスを見つけると、そこに映っている自分の顔を覗き込んだ。しかし、指摘されてからでは表情も変わるので、自分が一体どんな顔をしていたのかは分からなかった。
「眉間にずーっとシワ寄せて怖い顔してた、せっかくの美人さんが台無し。それに周りも不快」
「……ごめん」
リンスは大きく息を吐きながら、眉間を指でほぐした。むしろ、涼子に言ってもらえなければ気づかなかっただろう。
「ありがとう」
そのことに素直に感謝の言葉を述べ、リンスは再び足を進めた。それに涼子も続く。
「いえいえ、どういたしまして」
にこりと微笑む涼子は非常に魅力的だった。それに、ささくれ立った心地を癒され、リンスも思わず笑みが漏れた。
「もう少し、いいかしら?」
「もちろん」
涼子の即答に、リンスも頷いた。そして二人は静かな町を歩き続ける。たとえ結果が生まれなかろうとも、じっとしていることなどできなかった。
それから、更にどれほど歩いただろうか。ずっと同じ町中を歩き続けることは、もはや無意味に思えた。それでも二人は足を止めない。少しでも何かを、と求めるリンスの瞳に諦める気配は一切見えなかった。
そして、その想いは結果となる。
「……本当ですかっ!?」
偶然であったギルドのメンバーと情報交換を行っていたリンスは目をむいた。そんなリンスの様子に相手の青年は顔を引きつらせながらも答える。
「は、はい、先ほどピンク色の髪の少女が町を出た、って目撃情報が……あまり見ない子だったそうです」
「それはどれぐらい前の話? あとは、どっち方面に行ったか分かる?」
リンスは興奮のあまり青年に詰め寄ってしまった。それでも、マシンガンのごとく質問攻めにすることだけは何とか我慢した。必要だと思う情報だけを収集していく。
「ほんの少し前、だと僕が話を聞いたときは言っていたので……恐らく十分ぐらい前かと。それと南口から出て行ったそうです」
「分かった、ありがとう。君はこのまま町中の巡回をお願い。涼子、走るわよ」
「ほい、了解」
魔法による身体強化の術すら失ったリンスは、全力で町を駆けていく。今まで歩き続けていたと言うのに、表情から疲れが消え去っていた。
「……そんなに期待しない方がいいんじゃないの?」
そんなリンスの横顔を見ながら、涼子は冷静な意見を述べる。
「既に所属しているプレイヤーだったら、落胆も大きいわよ?」
「それなら、それでいいの」
リンスは笑みを零しながら返した。冷静であろうと努めていたが、腹の底から湧き上がる高揚を抑えることができていない。
「でもピンクの髪って今まで見たことないじゃないの」
「ただ、染色しただけかも」
「……うーん、それは否定できないけどさー」
涼子は、リンスより遥かに冷静な判断を下していた。それを聞いて、リンスも落ち着きを取り戻しつつあったが、どうしても希望を捨て切れなかった。
「まぁ行ってみれば分かるでしょう」
「そうね」
涼子に促され、リンスは前を見据えた。このペースで走り続ければ、間もなく南口が見えてくる。間に合って――そう強く願いながら、リンスは寂れた通りを駆け抜けていった。