光の下で起きる悲劇。
「本当に私たち必要だった?」
ダンジョンの最下層、ボスの部屋から帰還しながらリンスは口を開いた。その、すぐ後ろに続くレベッカが唇を噛みながら答える。
「ごめん……今更だけど、ちょっと焦ったと思う」
レベッカは物理攻撃が効かないのを見て――主に絶対的な信頼を置いていた、こあらん砲が一切のダメージを与えられないところを見て、取り乱してしまったことを反省する。
「んー、いやいや気にすることないよ。皆、無事だったし」
がっくりと肩を落とすレベッカに、リンスは笑みを向ける。しかし、どことなく苦さの混じった笑みだった。
合計十人の団体となり、道を遮るモンスターは緋色やフェリックス、椿によって一瞬で葬られていく。現れてくるのは全て中ボスクラスの敵だったはずなのだが、もはや雑魚と変わらない扱いだった。
そんな中、団体の先陣を切る緋色の動きは、やたらと激しさが目立った。いつになく雑な動きで、モンスターに特攻しては攻撃スキルを放ち続けた。今は椿やフェリックスのフォローがあるから、気にせず戦っているのかもしれない。しかし、どこか荒れた雰囲気をまとう緋色の背中を、レベッカは黙って見つめていた。
やがて、出会う敵のランクも下がり、地上が近づいてきた。再び現れたミノタウロスを秒単位で倒してのけ、ようやく最初のホールに戻ってきた。地上に続く階段を見上げると、今まで周囲を照らしていた松明のような赤い光でなく、真っ白な輝きが差し込んでくる。それを眩しそうに手で遮りながら、レベッカたちは階段を上っていく。
随分と長い間、闇に浸かっていた気がする。ほんの数時間前まで浴びていたはずの太陽の光がとても懐かしく、思わず目じりに涙が溜まるレベッカだった。ダンジョンを抜けた解放感からか、ため息を漏らし、ぐっと背伸びをするメンバーの姿も目立った。
しかし、相変わらず緋色の様子がおかしい。地上に出ても、いつものようにはしゃぐことはなかった。じっと佇む後姿からは、何を堪えているような印象すら受ける。一体どうしてしまったのか――レベッカが緋色の肩を叩こうとした、その時だった。
「ねぇ、何なの、これは?」
緩みに緩みきっていたメンバーは、一斉に声の方に振り返った。そこには麦わら帽子を目深にかぶり、マントで身をおおった青髪の男が佇んでいた。
「私は……緋色くんたちの四人に討伐を頼んだよね? これはどういうことなんかな?」
モグリが顔を上げると、ぞっとするほどの冷たさをはらんだ視線がメンバーを貫く。その視線にリンスですら一瞬足がすくんだ。
本能的に感じるのは、この男はヤバイということだった。右手でレイピアを柄を握りながら、リンスはモグリを睨み付けた。
「あなたが――」
「すみません」
リンスの言葉を遮って、緋色が頭を下げた。
「僕らの力だけでは無理だったので、救助を頼みました。僕らの力が未熟でした、本当にすみません」
己の非力さを噛み締め、緋色は頭を下げ続けた。そんな緋色を相変わらず冷たい眼差しで、モグリは見下ろす。
しばらく無言で、天空の使者のメンバーを見つめていたモグリは小さくため息を吐いた。
「まぁ……ええわ」
モグリの言葉を聞いて、メンバーの肩の力は抜けた。ひとまず悪い方向には進まないだろうと安心したのだ。
「代わりに死をもって償え」
不意に湧き立つ殺意に、緋色たちの反応が遅れる。モグリはマントの下から剣を抜き、一瞬で緋色との距離を詰めた。
「え?」
緋色の胸にモグリの剣が突きたてられる。緋色は、それを呆然と見下ろす。どうしてこうなったのか分からないと言うように、不自然に引きつった笑みを浮かべながら。
「元々、行商人なんて柄じゃないねん。はっきり言って偽るのも飽きてきてたから」
「何を……?」
「あら、まだ喋れるとは……体力残ってるん? 案外しぶといね」
モグリが突き刺した剣を柄を振るたびに、緋色の僅かに残った体力がじりじりと減っていく。それでも緋色は動けなかった。自分の体力が凄い勢いで減っていくのを感じておきながら、彼は一切身動きが取れなかった。胸に走る灼熱だけが唯一働きかける感覚で、それ以外の感覚は一切消えていた。
足が動けば、逃げることもできただろう。腕が動けば、抵抗できただろう。しかし、緋色の四肢の感覚は一向に帰ってくる気配を見せない。ただ呆然と胸に突きたてられた剣とモグリの顔を見やることしかできなかった。
「どうして……?」
それが辛うじて紡ぎだした緋色の最後の言葉だった。その直後、緋色のポリゴンに亀裂が入る。それを見て、モグリは不気味に口の端を吊り上げた。
「お、や、す、み」
暗い輝きを宿すモグリの瞳を最後に、緋色の視界は暗転した。それと同時に緋色の四肢の感覚が戻ってきた。強く握りこんでいた手はじっとりと汗で濡れ、全身が酷く硬直している。目の前には黒いバックに白い文字で『You Dead』と表示されている。先ほどまでと違い、横たわった体勢であることを理解した緋色は、ゆっくりとヘッドギアを脱いだ。
「死んだ……?」
汗のせいで何度か手を滑らしながらヘッドギアを脱ぐと、先ほどまで広がっていた青い空は、もうどこにもなかった。そこは現実の緋色の部屋で、白く狭い天井があるだけだった。
「う、あ……」
それ以上は声にならなかった。目じりから溢れてくる涙を止めることもできず、ただただ枕を濡らすばかりだった。
*
「転移石を使って町へ飛べ!」
緋色のポリゴンが消失した直後、椿は叫んだ。自分はギルドの副マスターだ、何としてもメンバーを逃がさなければならない――椿は冷や汗を流しながらも、ボウガンを構えた。
しかし、モグリは狙われていると言うのに不気味な笑みを浮かべたまま、ゆったりとした足取りで残るメンバーに迫る。
レベッカはその姿をただ呆然と見つめていた。先ほどまで緋色がいた場所を悠々と過ぎ去り、こちらに近づいてくるモグリの姿を。
そんなレベッカの袖を、こあらんは無意識に握り締めていた。迫り来る恐怖に身がすくみ、唾を飲み下す音で喉が鳴った。
そんな二人を庇うようにして、フェリックスが前に立つ。
「二人は早く逃げろ」
剣を抜き、盾を構える。しかし、手の震えはどうしても止まない。それでもフェリックスはモグリの前に立った。これ以上、犠牲を増やしてなるものか、と。
よくよく考えれば、相手は一人だ。なのに誰一人、モグリに攻撃をしかけることができない。
先ほど緋色をほぼ一撃で葬り去ったことを思うと、容易に飛び込めなかった。フェリックスも盾をしっかりと構えて、完全に受けに回っていた。
しかし、そんなモグリに向かって、風のように舞いながら飛びかかる者がいた。飛び込む勢いに任せて、リンスは手にしたレイピアを容赦なく連続で突く。しかし、モグリはそれを距離を取って躱す。
「あなた……絶対に許さない!」
更に一歩踏み込んでリンスはレイピアを振るうが、今度はモグリのマントに阻まれる。否、マントではない。レイピアがマントに触れた瞬間に響き渡った音は、まるで金属同士がぶつかるものだった。まだ何かを隠し持っている――それに気づき、リンスは大きく退き、モグリから距離を取った。
「良い判断やね」
モグリはにやりと笑うと、マントを脱ぎ去った。現れたのは暗い灰色の鎧で、見たこともない物だった。両手に剣と盾を持っている立ち姿は様になっており、ただの行商人ではないと一瞬で理解できる。
「それにしても、君のレイピアもかなりのレアモンやと思うんやけど……まぁええわ、殺してから遺品として残ることを願うわ」
明らかな殺意と共にモグリが剣を構える。しかし、彼は言動とは反対に大きく後ろに退いた。その刹那、先ほどまでモグリがいた場所に複数の矢が刺さる。
「他の者は、皆逃がしたわ。これで思う存分戦える」
リンスは後ろから聞こえる声にびくりと肩を震わせた。もう既に、メンバー全員が退避していると考えていたからだ。
「何で、あなたも逃げなかったのかしら?」
リンスが尋ねると、椿とフェリックスは同時に答える。
「同じ副マスターとして逃げるわけにはいかないでしょう?」
「俺も緋色の仇を取れなきゃ帰れないね」
リンスの横に並んだのは、フェリックスだった。これで三対一となり、それも天空の使者でも強い三名が残った。それでもモグリは笑みを崩さない。剣と盾を構えなおし、彼は口を開く。
「ええよ、全員でかかっておいで。まとめて相手したるわ」
その言葉を合図にフェリックスとリンスはモグリに飛び掛った。しかし、二人の剣はモグリの剣と盾で受け止められる。しかし、それを上回る速度でリンスは連続してレイピアを振るい続けた。胴体を狙って放ちながら、時折足元に向けてレイピアを薙いだ。しかし、鎧姿の見た目とは相反して、モグリは軽やかなステップを刻み、それを躱す。
しかし、その隙を逃すまい、とフェリックスが距離を詰め、盾をしっかりと構えて突進した。それをモグリは盾で受け止めて、更に後ろに退く。お互い盾を突き合ったまま、睨み合う。
「悪くないけど、まだまだ対人戦は未熟だね」
盾で見えない角度から剣を振り上げながら、モグリは笑みを深くした。その剣はフェリックスの側頭部に向かってくるが、それを体捌きで何とか躱す。しかし、緋色のような敏捷性のないフェリックスの頬は剣によって深く切り裂かれた。
「ぐっ……!」
うめき声を漏らしながら、フェリックスは思わず後ずさった。しかし、その刹那、しまったと後悔する。追撃を放たんと目の前に迫るモグリ――無理な体勢で攻撃を躱したフェリックスは、次の攻撃を受けることもままならない。何とか盾を目の前に引き寄せて一撃目を防いだとしても、続く攻撃を防ぎきれないことは明白だった。
これは死ぬ――そんな思いが頭を過ぎった。しかし、モグリの放った追撃はフェリックスを捉えることはなかった。その隙に、更に距離を取り、そこでフェリックスは何が起きたのかを理解する。
リンスのレイピアが折れていた。刺すことに特化した細い刀身は、その性質上、側面からの衝撃に弱くなる。それを少しでも和らげるために、柔軟性に富ませ、衝撃を緩和するのだが、今回は耐え切れない衝撃だったらしい。
それを見て、モグリは残念そうに肩を落とす。
「あー、勿体ないなぁ……こんな奴を庇って、武器を壊すとか」
「仲間を守れたなら本望よ」
握っていた柄が砕け、レイピアが跡形も無く消えていく。完全に武器を失ったリンスだが、それでもモグリを睨みつける。
「まぁええわ。これで心置きなく殺せるし」
そう言ってモグリは、武器を持たないリンスに剣を振り上げた。それを見て、リンスは顔を歪めるが、どうすることもできない。一度、二度攻撃を躱したところで、いつかはやられてしまう。相手はそれほどの強者だった。認めたくはないが、フェリックスと二人で攻撃しても、かすり傷一つ負わせることができなかったのだ。
その圧倒的な差に、リンスは既に絶望を覚えていた――こいつには絶対に勝てない、と。
しかし、モグリは剣を振るうことなく、盾を構えた。そこに光の矢が連続して叩き込まれる。それを受け、モグリは体を僅かに仰け反らせながら舌打ちを漏らした。
「リンス、フェリックス、二人は引け!」
遠くからボウガンを構える椿が叫んだ。その間も椿は次々と矢を放ち続ける。
「あなたはどうするの!?」
モグリから距離を取りながら、リンスは叫び返す。
「私の敏捷性なら逃げ切れる! だから二人はさっさと転移石で逃げて!」
つまり、それはこの場に椿一人を残して、逃げることになる。リンスはそんなことはできない、と首を横に振った。
「武器なしで何ができる!? 邪魔だから二人とも、さっさと逃げろ!」
苛立ちを隠そうとせず椿は吼えた。しかし、そう言われてしまえば反論はできない。リンスは口惜しそうに奥歯を噛み締めながらも、アイテム欄から転移石を具現化させた。
「絶対、帰ってくるのよ……死んだりしたら許さないからね!」
「もちろん!」
椿はリンスに笑みで返し、モグリを強く睨み付けた。そして再び絶え間なく、矢を放っていく。その隙にリンスはフェリックスの下に駆け寄る。
「本当に椿さんを一人置いていくんですか!?」
信じられないと言わんばかりに、フェリックスは目を大きく見開き、リンスを見つめていた。しかし、いつまでもこの場にいるわけにはいかない。このままでは椿の足を引っ張ることになってしまいかねない。
「大丈夫、椿を信じましょう!」
「で、でも!」
「椿の邪魔になるのよ! いいから、すぐに飛んで!」
フェリックスの胸倉を掴みながら、リンスは転移石を差し出した。フェリックスはしばらく驚愕で固まっていたが、やがて手をのろのろと動かし、転移石を受け取る。
リンスは再びアイテムウィンドウを操作し、もう一つ転移石を具現化させる。そして椿の方をもう一度だけ見てから、転移石を発動させた。
「また後でね!」
眩い光がフェリックスとリンスを包み込み、二人の姿が一瞬にして消え去った。それを確認して、椿は小さく息を吐いた。表情もどことなく緩み、矢を放つ手が一瞬緩んだ。
その瞬間をモグリは見逃さなかった。剣と盾で矢を全弾叩き落していたモグリは、強く地を蹴り、椿との距離を詰める。一瞬にして半分になってしまった間合い――しかし、椿は焦ることはなかった。椿は矢を装てんすることを諦めて、ボウガンを大きく振りかぶった。そして、目前まで迫るモグリに向かって振り下ろす。
「え? うおう!?」
突然の近接攻撃にモグリは機敏な反応を見せ、何とか盾で防いだ。しかし、その威力は予想以上に強く、モグリの体勢を大きく崩した。その隙に椿はもう一度ボウガンを横に薙ぐ。それすらも何とか防ぐモグリだったが、大きく後ろに仰け反り、体勢を立て直すことにかなりの時間を費やした。
そして再び椿を視界に捉える頃には、矢の装てんを済ませた状態でボウガンを構えていた。そんな椿を見て、モグリは心底楽しそうに微笑む。
「ええなぁ、殺すのが惜しいぐらいや」
「何、上から目線で私が死ぬって決め付けてるのよ」
それ以上、戯れ言を紡がせまい、と椿は矢を放つ。しかし、先ほどと同じで全てが剣と盾に阻まれた。
ここまで来ると、偶然で防いでるのではないと確信できる。椿はどうやっても勝てる気がしなかった。何とか隙をついて、転移石で逃げ切りたい――そう考えるが、相手がそんな隙を見せるとも思えなかった。
とは言え、このまま矢を放ち続けることもできない。今回は救助が目的だったので、そこまで大量の矢を準備してこなかったのだ。
このままではジリ貧になる――しかし、打開策は見えない。もう一撃を覚悟して、転移石を使ってみるかとも考えるが、転移前に攻撃を受ければ移動がキャンセルされてしまう。
もはや八方塞になりつつあった。それでも椿の瞳は強い光を宿していた。その色は絶対に諦めないと言う強い意志を感じさせる。空いた手で矢の残りを確認しながら、モグリを睨みつけている。
(何とかしてみせる)
何度も自分に言い聞かせながら椿は矢を放ち続ける。例え、その全てが弾き返されると分かっていても椿は攻撃を続ける。最後まで諦めずに。
しかし、結果は呆気ないものだった。
「……つまらん」
モグリはそう呟くと、矢を弾き返しながら前進を開始した。矢に向かってくるなど自殺行為にも見えたが、それでもモグリは全てを防ぎきっている。
(こ、こいつ……!)
モグリが一歩進むたびに、椿は一歩後ずさる。距離は変わらない。なのに、椿は凄まじい勢いで追い詰められていった。
そして、ついにその時はやってきた。次の矢を取ろうと矢籠に手を伸ばすが、空を切るばかりだった。矢が切れた――最悪の事態に、椿の背筋を戦慄と伴う震えが駆け抜けた。
「終わりやな」
一瞬で距離を詰めたモグリは椿を押し倒し、喉に剣の切っ先をぴたりとつけた。もはや唾を飲み込むことですら躊躇われる。ほんの少しでも動けば、喉に剣が突き刺さるだろう。
「いい目や、それでこそ殺し甲斐がある」
下卑た笑みを浮かべながら、モグリは椿の肩を踏みつけた。強くモグリを睨み付けていた椿の顔が一瞬苦痛でゆがむ。
「助けてくださいって懇願したら――」
「断る」
モグリの言葉を最後まで聞くことなく、椿は即答した。それを聞いて、モグリは呆れたようにため息をついた。
「そうか、なら死ね」
ゆっくりと振り上げられる剣。しかし、肩を踏まれ、身動きの取れない椿は、それを躱すことすらままならない。ただ静かに死を受け入れることしかできなかった。
そして迫ってくる刃に対し、椿は静かに目を閉じた。