急ぐ救助組と立ち上がる四人。
一体どれほどの時間が経ったのだろうか。レベッカは小さく息を吐きながら、ちらりと後ろを振り返った。闇に踊る赤い輝きが自分たちを探しているのだと思うと、体が震え上がる。しかし、巨人は四人に気づくことなく、部屋をゆっくりと闊歩するだけだった。
「……ごめん」
消え入りそうなほどか細い声が、レベッカの耳に届いた。
「僕が……行こうなんて言ったから」
そこでようやく緋色の言葉だと理解したレベッカは静かに首を横に振った。
「ううん、違うわ。私だって――」
「レベッカは最初から止めていた」
慰めなど要らないと言わんばかりに、緋色はきっぱりと言った。それを聞いて、レベッカはそれ以上の言葉を並べることができなくなった。
「……ごめん」
闇の中にぽつりと緋色の言葉が、もう一度吐き出される。
「もういいから……」
闇の中、レベッカは自分の顔を手で覆いながら返した。そんな返ししかできない自分を恥じた。何が一番の年長者だ、と。
「ログアウトすれば、すぐそこには光溢れる日常があるのにね」
肩から力を抜いた緋色は瓦礫に背を預けながら言った。僅かに瓦礫が崩れる音が響いたが、それは巨人の闊歩によってかき消された。
「ダンジョンでログアウトしたら、キャラはここに残るのよ?」
「分かってる」
緊急回避的なログアウト――ダンジョン内で思わぬ強敵やPKに出会ったりしたときに、逃げるためにログアウトすること――を防ぐために、ダンジョン内でのログアウトには、いくらかの制限がある。例えば、ダンジョン内でログアウトするとキャラクターだけがダンジョンに残ってしまう、などだ。よって、本当に緊急事態――現実のその身に何かが差し迫る状態で無ければ、大半のプレイヤーは無理をしてでも、ダンジョンを抜けようとする。デスペナルティの大きすぎる、この世界ではそれが当然だった。
しかし、一切の光の無い世界は人の心を蝕む。普段明るい緋色がそんなことを口走ったのも、闇に侵食されつつあったからだ。
「気にするな、すぐに助けがくる」
そんな中、落ち着いた声色でフェリックスが言った。彼も緋色と同じく瓦礫に身を預けているが、随分とリラックスしていた。
「今まで一度も、こんなことにならなかった方が不思議だったのさ」
ふと思い返すと、緋色とパーティを組んでから、こういった災難に巻き込まれることはぴたりと無くなった。それまではダンジョンに閉じ込められることもあったし、遭難したこともあった。その度にたくさんの人に助けられてきたし、またフェリックスが助ける側に回ったこともあった。
つまり、ロスト ワールドではこのようなことは日常茶飯事なのだ。それに慣れているフェリックスは目をつぶって、じっと助けが来るのを待っていた。
「でも――」
「くどい」
それでも何か言おうとする緋色を遮るように、フェリックスの語調が強まった。
「お前が悪いわけじゃない。これぐらいは当然のことなんだ、気にするな」
有無を言わせない口調に、緋色も黙り込んだ。
「……俺なんか、一人で生き残れると思い上がってた頃の話だけどな。一人突っ走って、その度にモノクロさんに助けられて、毎度怒られたよ」
小さく笑いを漏らしながらフェリックスは、言葉を紡ぐ。
「……フェリックスが?」
「ああ、だから緋色より遥かにたくさんの人を巻き込んでるんだぜ? それでも、あの人は嫌な顔一つせず、俺らを救ってくれた……心配するな、天空の使者はそういうギルドだ……ほらな」
フェリックスはメッセージの着信音を聞きながら、微笑んだ。暗くてウィンドウを見ることはできないが、予想はつく。フェリックスは適当に文字を打って、返信した。生存を示すだけで充分だからだ。
「もうすぐ来るぜ、助けが」
*
リンスと椿は思惑通り、ダンジョンの入り口で数人のギルドメンバーと合流することに成功した。合計六名のメンバーは砂漠の中にぽっかりと空いた洞穴を覗き込む。そのとき、メッセージの着信音が鳴り響き、リンスはウィンドウを操作した。
「まだ生きてるみたいね」
先ほど送ったメッセージに対する返信が来ていた。本文は意味不明な文字の羅列であったが、恐らく手元が見えない状態なのだろう。ともかく、返信が来たことに意味があった。
「さっさと助けちゃいましょう」
椿はボウガンを肩に担ぎながら、ダンジョンへと踏み込んでいく。他のメンバーも躊躇いなく階段を下りていった。
「あ、ちょっと椿! あなた後衛なんだから、ちゃんと後ろに――」
しかし、先頭を行く椿は振り返らずに、どんどん進んでいく。仕方ない、と小さく呟いて、リンスは階段を駆け下りた。椿の前に回りこむようにして、リンスは先頭を確保する。
「……」
そんなリンスの背中を見つて、椿は小さくため息をついた。
「どうして、こうも良い人ばかりなのかしら」
「ん、何か言った?」
「何でもない」
振り返るリンスに、緩々と首を横に振って見せながら椿は答えた。
「早く行きましょう」
「ええ、もちろん」
リンスは腰に下げられたレイピアを静かに抜いた。それと同時に椿もボウガンを構える。いつの間に現れたのか、目の前には巨大な斧を手にしたミノタウロスの姿があった。
しかし――
「邪魔」
リンスが放った一言と同時に、ミノタウロスの両手は氷塊の中に閉じ込められていた。高速詠唱で氷を出現させたリンスはミノタウロスからの攻撃を未然に防ぐ。それと同時に弱点属性を突き、ミノタウロスの体力を確実に削っていく。
自由に動かない腕に苛立ったのか、ミノタウロスが吼えた。そこを狙い澄まして、椿は矢を放つ。放たれた矢は合計三本。それらはミノタウロスの手元の氷塊を貫き、砕いた。ごとりと斧が落ち、一際甲高いミノタウロスの叫び声が上がった。
「うるさい」
いつの間にか距離を詰めていたリンスは、顔をしかめながらレイピアを構えた。それを迷うことなく、ミノタウロスの胸に突き立てる。その刹那、ミノタウロスの動きが完全に止まった。
「今は貴方如きを相手にしている場合じゃないの」
リンスはミノタウロスからレイピアを抜き、あっさりと横を通り過ぎた。直後、ミノタウロスのポリゴンが砕け、ドロップアイテムが現れる。しかし、それに目も暮れず、リンスは奥へと進んでいく。
「さっさと行きましょう」
リンスは肩にかかった髪を後ろに払いながら言った。そして救援組は現れる中ボスたちを葬りながら、最下層へ向かって駆けていった。
「それにしても……」
通路の奥に現れたダークドラゴンを見やりながらリンスは言う。
「フェリックスたちが救助要請を出すって、相手はどれぐらい強いのかしら?」
「確かに……もっとメンバーを集めるべきだったかしら?」
椿もダークドラゴンをちらりと見やって、唸った。今更だが、このダンジョンに出てくる敵が中ボスクラス以上ばかりであることに気づき、眉をひそめた。
「ともかく、目の前を遮る敵は倒していくのみ」
たんと軽やかに地を蹴り、リンスは一歩前に出る。通常詠唱で光矢を十ほど生成しながら、レイピアを構えた。そのまま身の回りに浮かせた光矢を放つことなく、そのままドラゴンに向かって疾走する。
「ふっ!」
ドラゴンの懐に入ると、リンスは強く息を吐いてレイピアを突き立てた。そのまま連続で突き刺し、確実にドラゴンの体力を削っていく。それで出来た傷口にトドメと言わんかりに、ここまでキープしておいた光矢をねじ込んだ。普段は、その厚い表皮のお陰で魔法耐性が高いドラゴンでも、傷口に魔法を叩き込まれると、話は別らしい。ドラゴンは甲高い悲鳴を上げて、大きく仰け反った。
その隙を逃すまいと椿がボウガンを向ける。ドラゴンの周囲を旋回しながら、手早いリロードで手数を稼いでいく。他の後衛も次々と援護射撃を放った。その威力に押され、ドラゴンはぐらりと体を揺らしながら、後ろに下がった。
「リンス、どいて」
乱戦の中でも、凛とした椿の声はよく響く。リンスは指示通り、ドラゴンから距離を取った。そこに放たれるのは一筋の光――ボウガンで放ったとは思えないレーザーのような光がドラゴンを貫く。それは光属性を強化した魔法矢だった。それが三本一直線に並んで放たれたことで、レーザーのように見えたのだ。
ただ椿の攻撃は、それだけで済まなかった。後衛の中でも一撃の火力が低めのボウガンだが、椿はそれを手数で補う。並ならぬ修練を重ね、素晴らしいリロードの速さを手に入れることに成功した。
今も尚、椿の攻撃は止まることを知らない。アサルトライフルに比べれば、もちろん連射性は劣るが、弓やボウガンの利点は魔法を付加できることにある。弱点を突くことで、一撃のダメージを引き上げることができるのだ。
「相変わらず凄いわねぇ……」
ダンジョンを震わせながら、ドラゴンが地に伏せた。それと同時にポリゴンが割れ、全身を霧散させてしまった。それを確認して、椿も小さく息を吐いた。
「そんなに奮発して大丈夫なの?」
リンスが尋ねると、椿は肩をすくめた。
「お互い様でしょう? リンスだって高速詠唱を使ってるし」
「まぁねぇ……皆は大丈夫?」
リンスの呼びかけに、ギルドのメンバーは静かに頷いた。それを確認すると、リンスはレイピアを鞘に納める。そして彼女を先頭に救助組は、中ボスを軽やかに葬り去りながら奥へ奥へと進んでいった。
*
一方、闇の中でじっと息を潜め、待つ四人も動き始める。
「私が光矢で明かりを確保します。その隙にこあらんは鉄球を一個ぶちかましてください。緋色は次に身を隠せそうな場所を探して、フェリックスはいざと言うときの前衛で」
「分かりました」
「了解」
「任せろ」
闇の中で見えないが、四人は静かに頷いた。ここに来て、レベッカは冷静な思考を取り戻しつつあった。実際に緋色の斬撃が効いていないところは見たが、物理攻撃全般が効かないとは思えない。そこで活路を見出すために、色々な攻撃を試してみようと考えたのだ。
「いくよ……三、二、一、ゴー!」
再び三十ほどの光矢を生成したことにより、周囲の闇が薄らいだ。その瞬間、立ち上がったこあらんは巨人の後姿を睨みつける。
「いけえええええええ!!」
放つ鉄球は一つ。しかし、あれだけ的が大きければ外す心配は無い。こあらんは出力全開で鉄球を放った。どすり、と鈍い音が部屋の中に響く。それを聞いて、レベッカは思わず舌打ちを漏らした。
「ダメ、効いてないわ!」
「みんな、こっち!」
何事も無かったかのように振り返る巨人に向けて、光矢を放ちながら三人は緋色の下に飛び込んだ。全ての光矢を巨人の頭に着弾させると、再び部屋は闇に覆われ、四人は身を隠すことに成功した。
「ちーっとも、効いてる様子無いわね……」
乾いた笑い声を漏らしながら、レベッカは呟いた。
「……ですね。物理がダメとなると魔法攻撃しか通らないのでしょうか?」
やや悔しそうなこあらんの声だが、事実をしっかり受け止めている。今まで猛威を振るい、敵無しだった鉄球だけに信頼していたのだろう。
「だとすると、火力になるのはレベッカだけか」
からりと瓦礫が崩れる音が僅かに聞こえた。この巨人相手では一切役に立てないと悟ったフェリックスは、脱力して瓦礫に身を預けた。
「でもね、赤い目を目標に一発目の魔法を打ったとしても、次は隠れ場所を探すために光矢を作らなければならない……その間、時間稼げる?」
一発目の魔法を放った後の硬直時間。それから、すぐに高速詠唱で光矢を生成したとしても、恐らく十秒近く無防備な時間が生じる。その時間が稼げなければ、巨人の太い腕がレベッカに襲い掛かってしまう。その間を何とか残る三名が時間を稼がなければならないのだが、誰一人答えることができなかった。
こあらん砲も赤く光る目をピンポイントで狙えたなら、時間稼ぎになっただろう。しかし、精度に不安を覚えるこあらんは、どうしても申し出る勇気が湧かなかった。
「……分かった、何とかしよう」
静寂を打ち破ったのはフェリックスだった。未知数の攻撃力に立ち向かうのは、やはり怖い。しかし、誰がどう見ても自分が何とかしなければならないメンバーなのだ。
「フェリックス、無理はしないでね?」
レベッカが心配そうに言った。
「ああ、分かっている。こあらんは念のため、回復魔法を準備しておいてくれ」
「分かりました」
フェリックスの言葉に、こあらんも神妙に頷いた。
「緋色は隠れ場の確保ね」
「……うん」
緋色は自分一人だけ、随分と楽な位置であることに罪悪感を覚えていた。だからと言って、あの巨人に特攻したところで結果は見えている。結局は与えられた仕事を全力でこなすしかない――そう考えたときのことだった。
部屋の中を轟音が満たす。一体何事かと、四人は音の方を見やった。すると、扉が少しずつ開かれ、僅かに光が差し込んできた。
「おーい、レベッカー! いるー?」
「り、リンス!? いるよー!」
「おー、生きてた生きてた! って何あれ……大きい!」
闇の中で声を交し合う二人だったが、リンスは部屋の内部にいる巨人を見つけて叫んだ。
「リンス、気をつけて! そいつ、物理攻撃が一切効かないの! こあらん砲ですら無意味だったわ!」
巨人の足音にかき消されないよう、レベッカは叫んだ。しかし、返ってきた答えは予想外のものだった。
「なら物理攻撃を効く状態にしてしまえばいいのよ」
さらりとリンスは言ってのけるが一体どうするつもりなのだろうか。レベッカが思考を巡らせている間に、リンスは行動に出ていた。
「とりあえず凍ればオッケー」
部屋に酷い冷気が舞い込んだ。まさか、とレベッカは瓦礫から身を乗り出して巨人の姿を見つめた。巨人は頭部から体にかけて、氷で包まれていた。巨人全体を氷で覆うことは、流石に厳しかったようだ。しかし、前衛としては凄まじい魔法攻撃力だと言わざるを得ない。
そして次の瞬間、リンスは大きく跳躍し、巨人の頭部に向けてレイピアを振るった。椿を含む後衛も、リンスに当てないよう胴体を狙って、一斉砲火する。しかし、それでも巨人は倒れなかった。
「タフねぇ……」
上手に着地を決めながら、リンスは小さくため息をついた。仕方ない、と小さく呟いて彼女は再び凍りついた巨人へ向かって疾走する。その身を赤いオーラが包み込み、レイピアを胸の前で構えた。
「刺突貫」
そう小さく呟くと同時に、リンスは巨人の赤い目のような部分に向かって飛ぶ。そして氷の上にふわりと着地すると、容赦なくレイピアを突き刺した。氷を易々と貫きながらも、その勢いは止まることを知らず、赤く光る目をも貫いた。
刹那、今までに無いほどの咆哮が部屋を満たし、大地を大きく揺るがせた。それが巨人の断末魔だと理解するのに、レベッカはやや時間を要した。まさか、こんなにあっさりと倒してしまうとは思いもせず、ただただ唖然とリンスたちを見つめることしかできなかった。
そんな呆然と立ち尽くすレベッカたちを見つけると、リンスは悪戯っぽく片目を閉じ、ブイサインを突き出しながら言う。
「楽勝!」
さすがソロの部、四位――レベッカたちはそう思い、苦笑を漏らすことしかできなかった。