vsサンドゴーレム。
更にダンジョンを進むにつれて、見たこともないような敵も現れた。恐らく、中ボスクラスの敵だろう。しかし、先頭の緋色は難なく相手の攻撃を躱し続ける。その隙にレベッカは魔法を、こあらんは鉄球を放ち、敵の体力を削ってゆく。そしてターゲットが、こあらんやレベッカの方に向くと、フェリックスが盾となり彼女たちを守り抜いた。そしてフリーになった緋色の連撃破が敵の背中を切り裂く――その流れで大体の敵を攻略することができた。また、ボスモンスターたちから貰える経験は膨大で、進むにつれて四人のレベルも上がっていった。
とは言え、レベッカの不安は拭い去られることは無かった。忘れようとしても、嫌な予感は胸の底で無視できない気味の悪さとなって残り続けた。奥に続く通路を見ていると、今すぐにでも引き返したい衝動に駆られる。今までにこんなことは無かった。だからこそ、この勘を無視できないのかもしれない。そんなことを考えながら、レベッカは小さくため息をついた。
「ねぇ、これ……」
先頭の緋色が通路の奥を指差す。そこは少し広いスペースが松明で照らされていた。何かのホールに見える、その奥には黒く巨大な門があった。門は見るからに重々しく、その奥を厳重に隔離するために作られたように見える。
緋色は周囲にモンスターがいないことを確認すると、その門に歩み寄った。
「この先に何かいるのかな?」
「そうでなければ、こんな大げさな門を置いてないだろう」
フェリックスが門にちらりと視線を投げかけて答えた。
「開けてみる?」
緋色は門に手を伸ばしながら言った。それにフェリックスとこあらんは頷く。しかし、レベッカだけは頷くことができなかった。僅かに残っていた気味の悪さが急に膨張し、胸一杯に広がったのだ。
「……嫌な予感がする」
レベッカは素直に言った。確信を持っているわけではないので、それ以上の言葉を見出すことはできなかった。
それに対し、苦笑を漏らしながら緋色は返す。
「レベッカは心配し過ぎだよ」
「大丈夫だ、いざとなったら俺が守る」
いつの間にか、レベッカの横に並んでいたフェリックスが力強く頷く。しかし、それでもレベッカは不安を拭い去ることができなかった。何かが胸の奥底から湧き上がってきて、体の震えが止まらなくなっていた。
そんなレベッカを見て、フェリックスは小さくため息を漏らす。
「こあらん、レベッカと二人で少し離れた位置にいてくれないか?」
「ええ、分かりました」
こあらんはレベッカの下に歩み寄った。すると、レベッカの顔が真っ青になっていることに気づき、思わず息を呑んだ。
「だ、大丈夫ですか?」
こあらんが尋ねても、レベッカは答えなかった。ただ静かに一度頷いただけだった。
「とりあえず……離れましょう」
そう言って、こあらんはレベッカの手を引いた。そして門から少し離れたところで、緋色とフェリックスの背中を見守った。二人が扉を押すと、ホール全体に軋むような轟音を響かせながら、ゆっくりと開かれていく。それと同時に心臓が早鐘を打つのを感じながらも、レベッカはじっと二人の様子を見つめていた。
そして扉が完全に開け放たれた。その奥に広がるのは今までに見たことがないほどの深い闇で、先が全く見通せない。そんな闇の中だと言うのに、緋色は顔を突っ込んで目を細めた。何でもいいから、少しでも情報を得るために。
「うわっぷ!」
しばらく闇に顔を突っ込んでいた緋色が突然奇声を上げて、闇から顔を引っ込めた。何事かとフェリックスも身構え、レベッカとこあらんもそれぞれ武器を構えた。
「どうした?」
フェリックスが尋ねると、緋色は目をこすり、唾を吐きながら答える。
「砂が……入った」
「……」
三人は黙って緋色を見つめた。レベッカはどこかほっとしたように息を吐いていたが、こあらんとフェリックスは紛らわしいと言わんばかりの冷たい視線を送りつけている。
しかし、その安堵も束の間――こあらんとレベッカはホールに起きた異常に目を見張った。
「ひー、フェリックス! 後ろ!」
相変わらず闇の奥底を見つめていた二人は、レベッカの声で振り返った。そこには先ほど流れ込んできた砂が風と共にホールの中央で渦巻いていた。
「一体、何が――」
フェリックスが注意深く、砂を観察していく。しかし、それは途中で遮られた。
「フェリックス、危ない!」
緋色がフェリックスの首根っこを掴み、扉から数メートル離れた。その刹那、扉から大量の砂が吐き出され、ホールには砂の山が生まれていた。それはもぞもぞと動き、やがて形を成していく。
それを的確に言い表すならば、砂でできた巨人だった。人を二、三人重ねても追いつかないほどの太さの腕が二本生まれ、それよりも更に太い足が大地に向かって伸びる。胴体と頭は一切の装飾が無く、一塊になっていた。その頂上付近に赤い輝きを灯す目のようなものが、ぎょろりと動いた。その目はやがて正面のこあらんとレベッカを捉える。まるで排除すべき敵を見つけたと言わんばかりに巨人が吼えた。しかし、二人は呆然と巨人を見つめ返すだけだった。
そんな二人に巨人は拳を振り上げる。その動きは緩慢なものだったが、その質量は確実に二人を破壊する力を持っているに違いない。そして限界まで振り上げられた拳が加速しながら、二人の下に向かう。
「レベッカ、こあらん!!」
二人を呼ぶ緋色の声は、巨人の拳が壁に衝突する音で完全にかき消されてしまった。ホール全体を揺るがすほどの威力に、先ほどまでの余裕は一切消え、緋色の頬を冷たい汗が流れた。
「いや、大丈夫だ」
すぐ横でフェリックスが冷静に言った。
「見ろ、二人の体力は減っていない。何とか躱したようだ」
フェリックスはグループウィンドウを可視化して、緋色に見せた。そこにはレベッカ、こあらん共に体力は満タンのままだった。それを見て、緋色は大きくため息をついた。ひとまず二人の無事が分かって、安堵したのだ。
しかし、状況は何一つ変わっていない。出口を遮られる形になった二人は、目の前で背中を晒す巨人を何とかしなければならなかった。
「……とりあえず戦ってみようか」
緋色はつま先で軽く地面を叩き、足の感覚を確かめながら刀を抜いた。そのまま一呼吸置いて、一気に跳躍する。そのまま巨人の足元に潜り込み、太刀を振った。
しかし――
「あ、あれ?」
するりと抜ける刀――そこには一切の抵抗が無く、斬れたのかでさえ疑問に思うほどであった。まさか――緋色は砂で出来た足を見つめながら、再び冷や汗を流す。それはゆっくりと持ち上がり、緋色の真上でぴたりと止まった。緋色は死に物狂いで横に飛び、足に潰されることだけは何とか避けた。そこから無理やり体勢を整え、緋色は巨人から距離を取った。
「フェリックス! こいつ物理攻撃効いてない!」
「おいおい、冗談じゃないぞ……!?」
緋色の攻撃でターゲットを変えたのか、巨人はゆっくりと緋色たちの方に振り返った。巨人が足を踏み鳴らす度にホール全体が揺れ、砂埃が立った。その埃から二つの影が飛び出してきた。
それに身構えた緋色だったが、その姿を視認して刀を下ろした。
「レベッカ、こあらん!」
「とりあえず奥に逃げましょう!」
「え?」
「いいから奥に!」
レベッカは緋色の首根っこを掴んで、そのままずるずると引きずっていく。フェリックスも一瞬呆気に取られながらも、闇の奥に飛び込んでいった。
「ちょ、奥に入って大丈夫なの!?」
「分からない!」
緋色が、こんなレベッカを見るのは初めてだった。完全に余裕を無くし、冷静な判断を下せてないように見える。
「でも……あれは恐らく視覚で敵を判断しています。ならば、見えないところに隠れれば、隙を見出すこともできるかもしれません!」
四人はがむしゃらに闇の中を駆けながら、頷いた。
「とりあえず、隠れれるところを探しましょう!」
「と、言っても真っ暗だけど――」
「あの発光している目を見るに、闇が役目を果たすかどうかは疑問です!」
レベッカはちらりと後ろを振り返る。ホールの光は随分と遠くなっているが、そこにはまだ巨人の姿があった。それを確認すると、レベッカは魔法の詠唱に入る。合計五本の光矢を手早く作り出し、前後左右と上に向けて放った。すると、光矢が闇を薄くし、荒れた部屋が視界に広がった。
「あそこ!」
レベッカが指差す先には瓦礫が高く詰まれていた。その奥に身を潜めたら、しばらくは見つからないだろう――そう考えて、四人は瓦礫の陰に飛び込んだ。それと同時に光矢が効力を失い、部屋は再び深い闇に染まった。誰一人言葉を発することなく、荒い息遣いと巨人の足音だけが響き渡る。
「ど、どうするの? これから……」
僅かに震えの混じった声で緋色が尋ねた。しかし、誰一人答えることができない。息が整うと、部屋を闊歩する巨人の足音だけが響き、四人の精神を蝕んでいった。
「……救援のメッセージを飛ばすか、もしくは隙をついて逃げ出すか」
そう言うが、こうも真っ暗な部屋ではウィンドウの操作もままならないし、逃げる道ですら見出すことができない――つまり、もう一度光を使う必要が生じるのであった。背中に感じる瓦礫を頼りに、緋色は辺りの様子を伺った。闇の中に浮かぶ赤い光。それはぎょろりと左右に動き回り、侵入者を必死に探しているように見えた。その奥にホールから明かりが差し込んでいるが、その光は最後の希望のようであった。しかし、それが果てしなく遠いものに感じる。
しばらくすると赤い瞳が見えなくなった。巨人が背を向けたのだと分かると、緋色は安堵のため息を漏らした。しかし、その直後の行動で、再び息を呑むことになる。
部屋に響き渡る轟音――それが一体何の音なのか理解した頃には、希望の光は閉ざされようとしていた。
「なっ!? あいつ、扉を……!」
最後に一際大きな音を立てて、扉は完全に閉まった。そして部屋の中は完全なる闇の世界と化す。巨人の行動に四人は絶句し、ただただ闇の中で呆然とするしかなかった。
これで隙をついて逃げるという手段は無くなった。勝ち目の無い戦いを挑むか、救援を待つか。
「光を使うわ……」
しばらくして、レベッカが静かに口を開いた。真っ暗なのでその表情は読めないが、声は震えていなかった。
「今から光矢を放ちます。その隙にフェリックスはメッセージを作成して送ってください。その間、もし見つかったら緋色は巨人の注意を引きつけてください。こあらんは緋色のフォローを」
「分かった」
「了解」
「分かりました」
四人は闇の中で静かに頷くと、レベッカは詠唱を始めた。そして最多の光矢を生み出していく。辺りは急速に明るくなり、フェリックスは急いでメッセージを打つ。宛先はギルドメンバー全員にして、位置情報を添付して、そのまま一斉送信した。「助けて」と簡潔なメッセージと共に。
「送信できた!」
フェリックスが叫ぶと、レベッカは立ち上がり、巨人を睨みつけた。
「光矢!」
合計三十発を超える光矢が巨人に襲い掛かった。しかし、それは倒すためではない。集中的に目を狙い、視界を奪うことさえ出来ればよかった。
「早く移動しましょう!」
こあらんが叫んだ。光矢の明かりが止む前に、四人は別の物陰に飛び込み、再び身を潜めた。そして再び闇が訪れる。しかし、それと同時に静寂が訪れることは無かった。部屋を揺るがすほどの咆哮に四人は顔をしかめ、両手で耳を塞いだ。とてつもない恐怖が怒涛のごとく押し寄せ、四人を蝕んだ。しかし、どうすることもできない。ただただ、じっと救助を待つことしかできない。
*
「あら、何かしら?」
リンスはギルドの本部で頬杖をつきながら、のんびりとお茶をしていた。そこにメッセージの着信を告げる音が鳴り響き、片手でウィンドウを操作していく。その内容を読んで、リンスは眉をひそめた。
「どうかしたの?」
正面でカップを手にした椿が尋ねた。
「フェリックスからの救助要請……恐らくレベッカたちの四人パーティかしら?」
椿はカップを置き、しばらく考え込む。
「すぐ動くべき?」
「恐らく……凄く余裕のない文章ですもの」
リンスはウィンドウを見せながら言った。そこには「助けt」とあった。恐らく「助けて」と打つつもりだったのだろう。それを見ると、椿はゆっくりと席を立った。
「早く行こう」
「ええ、そうね……恐らくギルドメンバーに一斉送信してあるから、現地で他の仲間とも合流できるでしょうし、行きましょう」
二人は飲みかけのお茶をそのままにして、転移石に向かって駆け出した。