新ダンジョンへ。
大会から数日後、緋色、レベッカ、こあらん、フェリックスの四人はいつも通り、ギルド宿舎の一室を陣取り、ゆったりと過ごしていた。未だギルドに所属していないこあらんだが、もはやギルドの一員のような扱いで、完全に馴染んでいる。そのためか、他のメンバーも彼女がいることに対して、何ら疑問を抱くことはなかった。むしろ、気軽に挨拶するほどになっており、もはや所属していないという形だけのことだった。先ほど廊下ですれ違ったギルドマスタークロウとも何気なく挨拶をして、極普通に世間話をしていた。
そんなこあらんは頬杖をつきながら、ぼんやりと緋色やレベッカの様子を見つめている。もはや我が家と言わんばかりのリラックス具合だった。こあらんの視線の先では忙しなく行ったり来たりを繰り返す緋色――彼が落ち着いていないのは、いつものことのようにも感じる。しかし、今日はより一層酷かった。ただ、その表情に笑みが零れている辺りから悪いことではないのだろう。
実際、緋色が待ち焦がれているのは、モグリからの返信だった。打ち上げの日に持ちかけられた依頼について、緋色は話した。すると、誰一人反対するものはいなかった。
「うん、いいんじゃないかしら? いい腕試しになると思うし」
レベッカは腕を組み、少し考えながら言った。
「ただ、ダンジョン内の平均レベルが分からないのが少し辛くはないか? 現状ではランカーたちでは少し物足りないレベルという情報しかないんだが……」
フェリックスだけが不満――と言うより不安そうに眉をひそめた。
「なら対ランカーでも引けを取らなかった、あなたを盾に撤退すればいいんじゃないかしら?」
「ちょ! 盾って……」
思わず苦笑を漏らすフェリックスだが、それが自身の仕事であることを自覚しているのか、彼は静かに頷いてみせる。しかし、そこに恐怖のような感情はなく、自分に与えられた役割を全うするという強い決意が見て取れた。決勝トーナメントは初戦で負けたとは言え、ランカー相手に最後まで倒れなかったことが彼に自信を与えたのだろう。
「いざとなったら全力で守りに徹すればいいか」
フェリックスは自分に言い聞かすように、小さく呟いた。それ以降は彼も反対することなく、緋色の説明を静かに聞いていた。
「まぁ何事も経験やろ。ただ無理だけはすんなよ?」
クロウの念押しに四人は頷き、そして彼らはモグリの依頼を受けることにした。
その件を早速伝えようと、緋色はモグリにメッセージを送った。それから、おおよそ二十分ほどが経った。しかし、モグリからメッセージは返ってこない。そのせいで今すぐにでも飛び出したい衝動に駆られている緋色は、うろうろと部屋を歩き回っているのだ。
「ちょっと緋色……落ち着いたら?」
現在、モグリがログインしていない可能性について、ほんの五分前に説いたばかりなのに、相変わらず落ち着きを見せない緋色――そんな彼に、レベッカは呆れたように小さく息を吐いた。
「うーん……でも、楽しみじゃない?」
緋色は前屈し、「よっ」と一言吐くと、今度は逆立ちでうろうろと歩き始めた。何とも落ち着きのない彼の様子に、他の三名は思わず苦笑を漏らす。緋色はそのままうろうろし続けたが、やがて疲れてきたのか、そのまま手で地面を強く押し、足から綺麗に着地を決めた。
「うーん、遅いなぁ……」
時計を確認すると、メッセージを送ってから三十分ほどが経っていた。こうなってくると、本当に相手がログインしていないことを考慮しなければならない。そう思うと、今すぐにでも飛び出したい緋色は不満そうに唇を尖らせた。こちらの都合で返事を待ってもらったのに随分と身勝手であることとは、緋色も理解している。しかし、だからと言って、この高揚は止められないし、止めるつもりもなかった。
そんな時だった――
「あ、来た」
緋色は目を爛々と輝かせて、ウィンドウを操作していく。そして、しらばく嬉しそうにウィンドウを見やったあとに彼はガッツポーズを決めた。
「『すぐに出発できるのであれば、案内します』だってさ! すぐ行けるよね!?」
「私は大丈夫だけど、こあらんとフェリックスは?」
今にも飛び出していきそうな緋色をなだめながら、レベッカは二人に尋ねた。
「問題ない」
「私も同じくです」
そんな二人の答えを聞いて、緋色は飛び跳ねた。時折、宙で回転やら捻りを加えて、体全体から嬉々としたオーラを発散している。
「噴水前で待ち合わせだってさ、行こう!」
それだけ言うと、緋色は扉を勢いよく開いて、一瞬で宿舎から姿を消してしまった。そんな後姿を呆然と見つめていた、残る三人もしばらくして我に返る。
「……私たちも行きましょうか」
レベッカの一言に、一同苦笑で頷いた。
*
三人が噴水前に着くと、緋色は不満そうに唇を尖らせていた。
「遅いってばー……」
「これでも充分急ぎました」
そんなレベッカの一言で、緋色は渋々といった様子で口をつぐんだ。彼の後ろで青い髪の男――モグリは優しい微笑みで三人を迎える。
「お待ちしておりました。この度は、本当にありがとうございます」
そうやって深々と頭を下げるモグリに、レベッカは緩々と首を横に振った。
「いえいえ、こちらとしても良い経験になりますから」
「そう言っていただけると助かります」
紳士を思わせる彼の言動に、レベッカは思わず感心した。こういった当然の対応が珍しく感じるのは、一体どこの誰のせいだろう――と、じろりと緋色を見やった。
そんなジト目を向けられた緋色は相変わらず楽しそうだが、ほんの一寸だけ首を傾げた。しかし、それでもやはり楽しみが上回っているのか、あまりに気にしている様子はない。
(マイペースというか、何というか……そこがいいところでもあるんだけど……)
悟ったような澄み渡った色の瞳でレベッカは小さく息を吐いた。悟る、と言うよりは諦めと言った方が正しいのかもしれない。今まで緋色に何度も振り回されてきたレベッカとしては、既に諦められるぐらいには多大な時間を共にしていた。
そんなレベッカの思いなど、露知らず緋色は高揚をその身から滲ませている。
「皆さんご準備は――」
「大丈夫ですよ!」
モグリが言い終わる前に緋色は元気よく即答する。そんな緋色を見て、悟ったレベッカ以外は皆苦笑どころか、顔を引きつらせつつあった。そんな周囲を見て、レベッカは何気ない動作で緋色の頭に本の角を振り下ろした。
しかし、緋色は奇声を上げながらも、それを躱す。
「うおう!? ちょ、それ本当に痛いんだって!」
初めて空振ったことにレベッカは衝撃を受け、まじまじと緋色を見つめていた。今までに、こんな機敏な反応は見たことがなかった。大会のときはニャウンとの一騎打ちに集中していたために、彼の動きまで把握するに至らなかった。そのため、彼女が緋色の超人的な反応を見るのは、これが初めてだったのだ。
その衝撃から立ち直ったレベッカはこほんと咳払いをしながら、本を持ち直す。そして改めて向けるレベッカの冷たい視線が緋色を射抜く。
「まぁ……ひーは、もう少し落ち着きなさい」
「……はい」
その視線に身震いしながら、緋色は素直に頷いた。今更――本当に今更だが、はしゃぎすぎだったことを反省する。
「ではモグリさん、よろしくお願いします」
「え、ええ、こちらこそ……」
そんな緋色とレベッカのやり取りを見ていたモグリは、顔を引きつらせながらも、案内のために足を進めた。
緋色一向は拠点としている港町リースの転移石を利用し、別の町へと移動する。そこからは徒歩でダンジョンへと向かった。とは言え、レベッカの補助魔法で移動速度を強化しているために、徒歩並の労力で、ランニングぐらいのペースは簡単に出ていた。時折、モンスターを見かけたが、その時は少しだけペースアップして、逃げ切った。
「あと、どれぐらいでダンジョンに着きますか?」
モグリ、緋色の後に続くレベッカが尋ねた。既に二十分近く走り続けているのに、先頭のモグリは進む一切ペースを緩めようとしない。そこまで速いペースではないので、それに続くこあらんやフェリックスも余裕だったが、それなりに距離があるなら、乗り物を利用するのも悪い手ではない――そう考えていたからだ。
「もう間もなく、ですよ。あと五分もかかりません」
モグリはゆるりと振り返って応じた。
「それに乗り物はお金がかかりますから」
その些細な一言で、レベッカは根っからの商人だなぁ、と思わず感心してしまった。
「ところで武具と防具は何をお望みですか?」
再び前を向いたモグリは、相変わらず足を進めながら尋ねた。
「僕は軽装備に刀があればいいです」
モグリはそれを復唱しながら、アイテムウィンドウを操作する。そのウィンドウに表示された武具を、緋色に見せながら尋ねる。
「こんなのはどうですか?」
「っぶ! こんなの貰っていいんですか!?」
そこに表示されていたのは、緋色の所持金では絶対に手が届かないと断言できるような高価な武器だった。時折、商店を覗いては、こんな武器が欲しいなぁと思っていた緋色は、今それを目の前に突きつけられて心が大きく揺らぐ。こんな物を貰っていいのか、と思う反面、やはり使ってみたい、とも思うのであった。
「ええ、ギブ アンド テイクですよ。私は貴方たちからドロップアイテムを頂く――その代わりに私は精一杯のサポートをさせていただきます」
モグリは柔らかに微笑む。結局、緋色はその申し出に甘えることにし、武器と防具を受け取った。甘える、と言うよりは誘惑に負けたと言うべきか。
「ありがとうございます……!」
「いえいえ、頑張ってくださいね」
その後もモグリはレベッカやこあらん、フェリックスと順番に武具の相談をしながら、ダンジョンへと進んでいく。
「私は鉄製のハードカバーさえあれば……」
そんなレベッカの言葉に緋色は心底肝を冷やした。しかし、モグリが苦笑混じりで「無いですね」と答えるのを聞いて、頬を流れる冷や汗を密かに拭った。
それが無いと知ったレベッカはがっかりとした様子で、「なら、いいです」と武具を何も受け取らなかった。
「本当にいいんですか?」
モグリは申し訳なさそうに言うが、レベッカはやんわりと微笑んで応じる。身内と他人で随分と対応が違うなぁと思いながらも、緋色は口をつぐんだ。
「ええ、大丈夫です」
「一応、新ダンジョンですから気をつけてくださいね?」
「分かっています、いざとなったら緋色を盾に――」
「レベッカ、防具ぐらい受け取ろう」
珍しく緋色が真面目に突っ込んだが、彼女は何も受け取らなかった。
「私は鉄球があったら――」
「無いです」
どうして、こうも特殊な物ばっかり欲しがるんだ、こいつらは――そう内心で突っ込むも、モグリはそれを一切外に出すことなく、柔らかな口調で即答した。しかし、モグリの口調にどこか刺々しさが混じった気配を感じて、こあらんは静かに後ろに下がった。
「じゃあ、いいです……」
「そ、そうですか……お力になれず、申し訳ない」
「い、いえいえ、お気持ちだけで充分です」
続いてフェリックスがモグリの横に並ぶ。
「俺は鎧、盾、片手剣が欲しいですね」
「ほうほう……なら、こんなのはどうですか?」
レベッカとこあらんを経て、やっと真面目なフェリックスがやってきたことにモグリはやや嬉しそうにウィンドウを操作しながら、装備を見せていく。それを見て、フェリックスも無言で頷く。
「充分ですね、ありがとうございます」
「いえいえ、頑張ってくださいね」
「あ、そうだ。あと良かったら普段着も――」
「ふ、普段着ですか?」
モグリの満足そうな笑みが再び引きつった。
「いつも鎧だと気疲れするんですよね……だから、いつもはインナーなんですが、レベッカに毎度怒られるので……あ、安いやつで構わないので」
「なら、それぐらい自分で買いなさい」
レベッカにぴしゃりと言われて、フェリックスは肩をすくめた。モグリもそれを聞いて安堵する。普段着のような、どこにでも売ってある物は揃えるつもりもなく、今来ているマントと麦わら帽子ぐらいだったからだ。どこまでも提供できない物を頼んでくる、このメンバーを見て、モグリはわざとやっているのではないかと疑ってしまった。
「もうすぐですから、少し辛抱願います」
町を出て、しばらく草原を駆け抜けた後に見えてきた砂漠――地平線の向こうに真っ青な空が見えるほど、何も無い世界だった。空を見上げれば僅かに雲が流れている。しかし、その動きも緩やかで、ほとんど風が無かった。そこに堂々と輝き続ける太陽の光を真っ白な砂が反射し、砂漠は酷い熱気で包まれていた。
ゲームの世界なので実際に熱で死んでしまうことはないのだが、やはり暑い。それに地を蹴ると砂に足が呑まれるせいか、早くダンジョンに向かいたいという気持ちに反して、進むペースは落ちた。
しかし、砂漠に入って一分もしない内に、緋色たちはダンジョンの入り口に辿り着くことができた。
「ここです」
モグリが指差す先には、ぽっかりと地面に穴が開いていた。よくよく覗き込めば、そこから階段が伸びていて、ダンジョンに進むことができるようになっている。それをまじまじと見つめた後に、四人は装備を整えた。フェリックスと緋色は装備一式を入れ替え、その間にこあらんとレベッカは回復アイテムの整理を進めた。
「よし、行こう!」
「あ、ひー! 待ちなさい!」
緋色が勢いよく階段を駆け下りていくのを見て、レベッカは叫んだ。彼女はダンジョンの入り口とモグリを何度も見やりながら困ったように、その場に立ち尽くした。
「何してるのー早く行こうよー!」
「私のことはお気になさらずとも大丈夫ですよ」
モグリはやんわりと微笑み、レベッカの視線に応じた。
「す、すみません。では、また後ほど」
そう言うとレベッカ、こあらん、フェリックスもダンジョンへと進んでいった。
「……毎度のごとく、反吐が出そうだ」
砂漠に立ち尽くすモグリに、憎しみに満ち満ちた声が届いた。
「いつものことやったら、君もそろそろ慣れたら?」
その声にモグリは応じる。口調もがらりと変わり、言葉に冷ややかな響きがあった。彼がゆっくりと振り返ると、いつの間に現れたのかヴァンの姿があった。
「それに僕はウソついてへんし、ランカーでは物足りないって点ではな。ランカーではないけど、ヴァン――君もそうやったやろ?」
表面的な笑みでモグリは言った。しかし、その瞳は冷たい光をきざしている。それにヴァンは答えなかった。ただただ蔑むような視線を向ける。それだけのことしか出来なかった。
「それにこっちは武器まで提供してるんやで? まぁそれで後々文句言われても困るわー、こっちとしては武器与えただけで、何の収入も無いんやから――」
そこでモグリは大きく息を吐いて、笑みを深くした。その笑みは初めて感情と言うものを見せた。ただ、それは欲望に満ち満ちた暗い笑みだったが。
「せめて、僕らのエンターテイメントぐらいにはなってほしいもんやで」
「一緒にするな」
「はは、相変わらずやね、君は」
それだけ言って、モグリはヴァンから視線を逸らし、ダンジョンの入り口を見つめた。
「まぁ精々足掻いて、最後には死んでくれ」
奥に住まうレベル百三十相当のボス、巨大なサンドゴーレム――フェリックスでも一人では、かなり厳しいレベルの相手だ。それに四人が押しつぶされる光景を思い浮かべながら、モグリは冷ややかな笑みを浮かべた。