日常
〇 第1章 日常
ギィィ…
古めかしい音とともに扉が開く。
雨風に晒されて錆びた鉄扉というのは、どこでも同じ音がするらしい。
俺は無機質な扉の冷たさを感じながら扉を開けた。
扉の向こうは屋上だった。
灰色のコンクリートで塗り固められた高い高い庭。
空中庭園なんて洒落たものではないが、なぜか安心する場所だった。
そこには、いつもアイツがいる。
今日も例外ではなかったらしい。
俺が一歩踏み出すと、花壇の端に座っているアイツは俺に気づいた。
「なんだ……来たのか……」
ぶっきらぼうなアイツ。
「わざわざ僕なんかのために時間を使うことなんてないのに」
ニヤリと笑ってそんなことをいう。
「別に……暇だったからな」
「暇だと僕に会いたくなるのかい? それじゃまるで、君が僕のことを気にかけているみたいだね。
決して許されることのない僕との禁断の恋でもしてみるかい?」
「誤解を招きそうなことを言うな。ここは俺のお気に入りなんだよ」
「だと思ったよ」
アイツは笑ったが、俺は笑えなかった。色々な意味で。
「今日は何があった?」
「別にぃ~」
「…………」
俺はアイツを睨む。まぁいつものことだ。
「知りたいの?」
「まぁな……」
アイツはいつも意味不明なことを言っては、俺を屋上に呼びつける。
しかも、それが俺の好奇心を駆り立てるものばかりなのだから性質が悪い。
「昨日ねぇ……九尾の狐を見たんだよ」
まるでそれが当たり前であるかのように語る。
「僕がイメージしてたような大きいやつじゃなくて小さかったよ。あれはきっと子狐だね。かわいかったなぁ」
相変わらずニヤニヤと語るアイツ。
九尾の狐といえば、不老の妖狐だったはずだが、どうやら子供から大人に成長するらしい。
「あれぇ?驚かないのかい?」
不思議そうに首を傾げる。しかしその不敵な笑みは崩れない。
「いつもそんな話ばかりだからな。もう慣れた」
「なぁんだ…つまんないの」
言葉とは裏腹にどこか楽しそうなアイツ。
「じゃあ、今日はおしまい。また明日だね」
そう言いながら、アイツは花壇の淵から立ち上がった。制服のスカートがひらりと舞う。
「ちょっと待て。俺にツッコミをさせろ」
「なにが?僕は忙しいんだよ?」
首を傾げてニヤニヤするアイツ。俺はつまらなそうに睨む。
「なんだよ、今日のキャラは?」
「あははっ。何が? 僕は僕じゃないか。昨日も今日も、そして明日もね」
「…………」
俺は無言でアイツをにらむ。
「もう、冗談だよ冗談。だからそんなに怖い顔しないでって」
「精神的にどうかしちまったのかと思ったよ」
「ひどいなぁ。こんな私でも、まだ知性も心もあるんだよ?」
けらけらと笑うアイツ。"心ここにあらず"ってことわざはこういう時に使うものだったか?
「それに私、中学時代は……」
「演劇部、だろ? 何度も聞かせるな」
「よくわかってるじゃない。巷じゃ演劇の姫って呼ばれてたんだから」
「それも昔から聞いてる。つーか自分でいうなよ……」
アイツは中学時代、演劇部のエースだった。俺も舞台を見たことがあるが、素人目にも上手いと思った。
高校でも演劇を続けると思っていたのだが、どういうわけかこの高校ではミステリー研究会を設立。
昔からオカルト好きだった俺は無条件入会させられた。
ところが、1年前のある事件がきっかけで会員は俺一人になり、解散してしまった。
こうして俺はまた平穏な一人の日々を取り戻したのだった。
「ん~? どうしたの? なんか疲れた顔してるけど?」
「別に。で、今日は何がどうなってよく分からんキャラを演じてたんだ? お姫様よ」
「実はね! 昨日本屋さんに行ったの。すっごく暇だったから隣町の本屋さん!
他の人が立ち読みしてる雑誌が面白そうだったから覗いたら、"今期は不思議系ボクっ娘が流行り!
男子はみんなドキドキしちゃう!"って書いてあってね。キミもそういうの好きかなぁって思ったから――」
「からかったのか」
「そうそう! 触れたいけど触れられない、幼馴染の美少女が可憐に演じるのを、
もどかしい気持ちで見てて欲しかったの! どうせ触れられないなら、
見た目と性格だけで個性出さなきゃだしね!」
やたらハイテンションなアイツ。まぁ一日のストレスが溜まっているのだろう。
「そうか……それじゃあ俺は帰る」
俺は鞄を掴み直してアイツに背を向ける。
「ええ~もう帰っちゃうの? まさか……何か用事があるの――!?」
「なんでそんなに驚いた顔で聞くんだよ!」
「だって、学校で一番暇な人間だと思ってたから……」
「…………」
ケラケラと笑うアイツに、俺は返す言葉が見つからなかった。
「別になんにもないんでしょ? だったらもう少しお話しようよ~。私も少しは暇なんだからさぁ」
「しょうがないだろ、寒いんだから」
「えっ? 全然寒くないよ?」
ケロッとした顔で答えるアイツ。だが今はもう11月だ。
「俺は寒いんだよ。お前と違って暑さも寒さも感じるんだからな」
「……それって私が鈍感ってこと?」
「もはや鈍感とかそういうレベルじゃないだろ?」
「ひっどーいっ! もしかして私のこと馬鹿にしてる?!」
「はいはい……」
俺は返事もほどほどにアイツから離れた。
「むーっ」
アイツのうなり声を背に、俺は屋上の鉄扉を抜けた。
ギィィ…
古めかしい音とともに鉄扉は閉まる。
誰もいない屋上を静寂が支配し、吹き抜ける北風が通り抜ける。
そして彼女は静かに去っていくのだった。