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第6話 石の壁の向こう側にあるもの



 崩れた石の建造物を前にして、俺はしばらくその場から動けなかった。


 いや、正確に言うと、動けなかったというより動きたい気持ちと動くなという本能が胸の中で綺麗に喧嘩していて、どちらへ体重をかけても靴底が不安定に滑りそうな、そんな嫌な膠着状態に陥っていたのだと思う。そりゃそうだ。ここまで数週間、目に入るものは木と草と岩と水と魔物と虫とときどきやたら綺麗な空くらいで、その中に「誰かがここで何かを作った」と確信できる人工物だけがぽつんと混ざっている状況は、単純に情報量が多すぎて脳が処理落ちするレベルだった。


 石積みだ。


 これはもう、どう見ても石積みである。


 ただの岩場じゃない。崩れた斜面でもない。自然の気まぐれにしては角が立ちすぎているし、面が整いすぎている。平たく削られた石が何段か重なった跡があり、その一部は崩れて地面へ転がり、別の部分では根の張った木が石の隙間をこじ開けるように伸びていた。新しいものではない。かなり古い。かなり古いのに、人工物としての形だけはまだ辛うじて残っている。その事実が妙に胸をざわつかせた。


「……いや、すご」


 やっと出た声がそれだった。


 もっとこう、劇的な一言があってもいい気はする。「文明だ!」とか「ついに来た!」とか、もう少し物語的なリアクションがあってもよさそうなのに、実際のところ口から漏れたのは、観光地で予想以上に景色が良かったときの大学生みたいな、だいぶ雑な感嘆だけだった。緊張しすぎると語彙って減るんだな。いや知ってたけど。


 とはいえ、いつまでも棒立ちしていても仕方がない。


 俺は斜面の少し下で一度しゃがみ込み、いつものように周囲の音を確認した。鳥の声。風で擦れる葉の音。遠くの沢の流れ。近くに大きな気配はない。少なくとも、いまこの瞬間にヌメワニが斜面を這い上がってくるとか、ゴブリンが建物の陰から顔を出してくるとか、そういうわかりやすいエンカウントの始まりは見えない。


 見えないだけで油断できないのがこの世界なのだけれど、それでも「調べるなら今だ」という感覚はあった。


 俺は棒槍を手にしたまま、崩れた石積みへ慎重に近づいた。


 近寄ってみると、違和感はさらに増した。


 石の大きさにある程度の統一感がある。全部が同じ寸法ではないし、加工精度も機械で切ったみたいに揃っているわけではない。けれど横長の石材と、少し小さめの楔みたいな石が交互に使われている箇所があり、ただ積み上げただけではなく荷重を分散させる意識みたいなものが感じられる。石の表面には風化の跡があり、苔も厚い。にもかかわらず、角の一部はまだしっかり直線を保っている。硬い石を選んでいるのか、加工技術がそれなりに高かったのか、その両方かもしれない。


「これ、誰かが適当に積んだレベルじゃないな……」


 思わず独り言が出る。


 俺のセーフハウスまわりに置いてある石なんて、せいぜい焚き火を囲うか魚罠の壁へ使うか、その程度だ。目的はあっても構造物と呼べるほどのものではない。目の前にあるこれは違う。崩れていなければちゃんと壁だったのだろうし、壁があるということはそこに空間があったということだ。空間があるということは、人が使う、あるいは何かを収納する、守る、通す、そういう機能があったはずである。


 斜面の上側へ回り込んで全体を見ようとすると、建造物の立地が少しずつわかってきた。


 そこは湖から北西へ伸びる尾根と、北側の沢筋へ下る斜面のちょうど境目に近い場所だった。完全な尾根上ではない。かといって沢の底でもない。尾根から少し下がった肩のような地形で、南東側は緩やかに開けて湖方面を見渡せる一方、北側は木々の間から沢へつながる谷筋が落ちている。風通しは悪くない。背後を山に預け、前方の視界がそれなりに取れる。しかも少し下れば水があり、さらに尾根づたいに移動すれば別の地形へも出やすい。


「……あ、これ、わりといい場所じゃないか」


 人が何かを建てる場所として考えた場合、かなり納得感がある。


 水場が遠すぎない。完全に湿地でもない。見張りにも向く。斜面の途中だから、下から一気に襲われにくい。湖方面からも沢方面からも、ある程度の動きは見える。もちろん本格的な砦や城を建てるには心もとないだろうし、畑を広げるには地形が狭い。けれど見張り台、山道の中継地点、小規模な祠、峠の番所、そういう用途なら十分ありえる気がした。


 俺はその発想へ行き着いた瞬間、自分でも少し興奮した。


 つまりこれは、ただの「誰かが昔ここにいた」ではなく、「誰かがここを通る、もしくは監視する必要があった」という可能性を示しているかもしれないのだ。道があった。人の流れがあった。拠点と拠点を結ぶ何かがあった。そこまで読み取るのは飛躍かもしれないけれど、完全な秘境の真ん中に理由なく石造りの建物がひとつだけ生えるとは考えにくい。


「うわ、もしかして、これかなり当たりでは……?」


 思考が少し前のめりになる。


 いや、落ち着け。こういうときに期待だけ先走ると、あとで痛い目を見る。俺は興奮を抑えるためにいったん深呼吸し、建造物の周囲をぐるりと回って観察を始めた。


 全体像は、完全な長方形ではなさそうだった。


 崩落が激しく、正確な輪郭は見えない。けれど地面の盛り上がりと散乱した石材の分布を見る限り、斜面へ沿うように横長の構造を持ち、山側の壁が厚く、谷側が少し開いていた可能性がある。入口らしき切れ目もある。南東、つまり湖側へ向いた面の中央あたりに石の配置が途切れている箇所があり、その前には比較的平らな地面が残っていた。


 扉の跡だろうか。


 そう思って近づく。


 石材の一部には、丸くえぐれたような穴がある。自然の割れ目にも見えるが、位置が壁の端へ寄りすぎている。もしここに木の扉がはまっていたなら、蝶番や軸を受けるための窪みだった可能性もある。もちろん俺は石造建築の専門家ではない。会社でも建設部門にいたわけじゃない。知識は全部、テレビや漫画やゲームで見た雑なイメージ頼みだ。それでも完全な自然物とは違う規則性があることだけははっきりわかった。


 入口らしき場所の内側へ足を踏み入れる。


 床はほとんど土に埋もれている。石畳のようなものがあった気配はあるが、落ち葉と苔と土で覆われ、ところどころ木の根が割り込んでいた。天井はもうない。建物というより、壁の残骸がコの字に残った空間に近い。広さは、そうだな、畳で言えば六畳から八畳くらいだろうか。現代の感覚だと狭いワンルームだ。宿泊施設にしたらレビュー欄で「採光は悪くないですが、屋根がありません」と書かれるタイプの部屋である。いや、レビュー以前の問題だな。宿泊以前にただの遺跡なんだけど。


 空間の奥、山側の壁際には、崩れていない石積みが少し高く残っていた。腰の高さくらいだろうか。棚か、台か、あるいはただ壁が厚いだけか。近寄って表面を見てみると、そこだけ苔のつき方が少し薄い。最近動かされた感じはない。けれど、雨水が直接当たりにくい形なので風化が遅いのかもしれない。


 俺は棒槍で周囲をつつき、安全を確認しながらその台状の部分へしゃがみ込んだ。


 細かい破片が散っている。石片。土。枯れ葉。獣の糞ではなさそうだ。巣穴の気配もない。蛇とかスライムとか、そのへんが潜んでいたら嫌すぎるので、棒槍で念入りに探るが、何も出ない。


 少し安心した俺は、指先で表面の土を払った。


 硬い感触がある。


 石かと思ってさらにこすると、土の下から平たい板状のものが見えた。色は灰褐色。石より少し軽そうに見える。木……いや、木にしては腐っていない。陶器? 近いかもしれない。


「……え、何これ」


 慎重に周囲をどける。


 出てきたのは、割れた皿みたいなものだった。


 完全な円形ではない。端が欠けており、半分近くしか残っていない。厚みは薄すぎず厚すぎず、表面はざらっとしていて、焼いた土を思わせる質感があった。陶器だ。たぶん。つまりこれは、自然界が偶然つくるものではない。誰かが土を成形し、火で焼き、器にしたものだ。


「食器だ……」


 思わず見入ってしまう。


 食器がある。


 器がある。


 つまりここには、食うという行為を俺みたいに葉っぱの上へ置いて齧るだけではなく、器へ盛って行う文化があったのだ。いや、当たり前なんだけど。文明があるならそりゃ器くらいあるんだけど。実際に目の前へ出てくると、妙な衝撃がある。陶器の皿なんて単なる日常の風景の一部に過ぎなかったのに、異世界の山奥で割れた皿の欠片一枚見つけただけで、胸の奥がじんわり熱くなるなんて思わないだろ普通。


「めっちゃ文明じゃん……」


 語彙がまた減る。


 俺は皿の欠片を光へ透かすように持ち上げた。表面には簡単な線模様が入っている。飾りか、滑り止めかはわからない。色の層もわずかにあり、単色ではない。これを作った誰かがいる。焼いた窯がある。土を練った場所がある。食器を使う食卓がある。そこまで想像が一気に広がって、ちょっとくらくらした。


 落ち着け。


 これは遺跡だ。いま目の前に文明人が飛び出してくるわけではない。器一枚で村が見つかったことにはならない。頭ではわかっている。わかっているのに、心は勝手に祭りを始めそうになる。


 俺は皿の欠片を脇へ置き、さらに周囲を探った。


 同じような小片がいくつか出てくる。完全な形のものはない。どれも割れている。焼き物の破片と、黒く煤けた石が混じっている。煤? 火を使った跡か。そう思って床面をよく見ると、奥の壁際の一角だけ土の色が少し違うのを発見した。…黒いな。灰が混ざったような色だ。


 かまど……の跡だろうか。


 あるいは屋内で火を焚いた場所かもしれない。もしそうなら、ここは見張り台というより、ちゃんと滞在するための小屋に近い。番人の詰所、旅人の休憩所、峠道の宿、いろいろ想像はできる。どれも確証はないが、少なくとも「屋根のある空間で火を使い、器を使って何かを食っていた人がいた」という推定まではできそうだった。


 そこでふと、俺は入口側の外へ視線を向けた。


 平らな地面がある。


 いや、ただ平らというだけではない。石と土の混じる地面が、建物の前から緩やかに斜面へ伸び、その先で森へ消えている。自然の獣道にしては幅がある。人が一人歩くには十分、二人並ぶには少し狭いくらいの幅が、木々の間へ細く続いているのだ。これまで草に埋もれた斜面の一部にしか見えていなかったせいで気づきにくかったが、建物の前面から見ると線として認識しやすい。


「……これ、道じゃないか?」


 胸がどきりとする。


 もちろん森の中には獣道もある。ぴょこ角やゴブリンが繰り返し通れば、それなりの踏み跡はできるだろう。だが、この線は少し違う気がした。真っ直ぐすぎるのだ。斜面の傾斜を読むようにゆるく曲がり、無理のない角度で樹間を抜けている。獣道のような気まぐれな蛇行ではなく、「歩きやすさ」を意識して通された線に見える。


 俺は一度建物の外へ出て、その線をたどってみた。


 踏み跡というほどはっきりしているわけではない。長年使われていないのだろうし、落ち葉と草に覆われている。けれどよく見れば石がところどころ地面へ埋められ、斜面の崩れやすい部分を支えているようにも見える。さらに少し進むと、小さな段差に合わせて平たい石が二枚並んでいる場所まであった。


「うわ、うわ、これすごい……」


 つまりこれは、本当に道の可能性がある。


 獣道ではなく、人が通ることを前提にした通路。しかも建物へつながる形で残っている。人里と断言するにはまだ遠いけれど、「人がいた」「暮らしていた」「道を通っていた」という三つの点が、初めて線でつながり始めた気がした。


 俺は興奮を抑えきれず、そのまま道らしき線を少し先まで追いかけた。


 森の中へ十歩、二十歩、三十歩。線は細くなり、木の根と落ち葉に紛れながらも、確かに斜面の中腹をたどっていく。尾根へ向かうのではなく、湖を見下ろす南東側へ降りるでもなく、斜面に沿って東寄りへ伸びているようだった。


 そこで俺は足を止めた。


 いや、待て待て待て。


 こういうのが一番危ない。手掛かりを見つけて嬉しくなると、そのままずるずる奥まで行きたくなる。わかる。すごくわかる。俺だって行きたい。今すぐ全部たどって、人里でも街道でも村でも城でも見つけたい。だけど、それを無計画にやると大抵ろくなことにならないんだ。時間。日差し。帰路。食料。水。魔物。全部の条件を忘れて「手掛かりだー!」で突っ走った結果、森の中で日が暮れる未来が鮮明すぎる。


「落ち着け、山田勘太郎」


 自分のフルネームを呼ぶときは、だいたいろくでもないことをしそうになっているときだ。


「今日は調査。冒険じゃない。道があるのはわかった。建物も見つけた。文明もあった。ここで全部取りに行くな。とりあえず帰れ」


 …自分で言いながらも、ものすごく名残惜しい気持ちもあった。


 だって道だぞ。遺跡だぞ。ついに文明の匂いだぞ。ここで理性が勝つの、社会人としては正しいのかもしれないけど、冒険者としてはだいぶつまらない気もする。いや俺冒険者じゃないんだけど。元社畜なんだけど。ここで無茶をしないからこそ、いままで生き残ってるんだけど。


 結局、俺は理性を選んだ。


 建物へ戻り、もう一度周囲を確認し、持ち帰れそうな情報と物を整理する。皿の欠片は証拠としてひとつだけ持って帰ることにした。全部持って行くのはさすがに気が引けるし、わりと重い。けれど欠片ひとつあれば、セーフハウスで改めて観察もできる。さらに入口前の地面で、加工された石の小片もひとつ拾った。直角に近い面が残っているやつだ。これも自然石との差を見る資料になる。


 建造物内部は見える範囲では危険生物の住処になっていないようだった。糞も少ない。巣材もない。スライムの痕もない。だが、これは昼だからかもしれないし、季節次第かもしれない。今後ここを拠点にするかどうかは慎重に考える必要がある。立地は良い。視界もある。道の起点として重要そうだ。けれど重要そうであるがゆえに、他の何者かも利用している可能性があるのも捨てきれなかった。


 つまりかなり魅力的で、かなり危険だということだ。


 異世界の発見ってだいたいそういう二択を迫ってくるよなと、ちょっとだけうんざりする気持ちもあった。綺麗な湖を見つけてもヌメワニがいるし、沢を見つけてもゴブリンがいるし、文明の痕跡を見つけてもたぶん何か出る。もう少しこう、純粋に喜ばせてくれてもいいのではないか。


 帰り道、俺は何度も振り返った。


 崩れた石の建物は、斜面と木々の間へ半分沈むようにしてたたずんでいる。遠目にはただの岩場に見えるかもしれない。近づいて初めて、その形の不自然さがわかる。つまりよく今まで見落としていたな、という話でもある。いや、活動範囲がそこまで届いていなかったのだから仕方ないのだけれど、世界は広いし、目の前にあっても見えていないものは普通にあるのだと、ちょっと社会人みたいな教訓まで添えてくるから困る。


 セーフハウスへ戻るまで、俺の頭はずっと忙しかった。


 道はどこへつながるのか。


 建物は何のためのものか。


 いまも人が使っているのか、完全な遺跡なのか。


 ゴブリンの生活圏と重なるのか。


 湖の北西側から東へ抜けるルートがあるなら、反対側に何があるのか。


 もし人里へつながるなら、どれくらいの距離なのか。


 考えることが一気に増えた。増えたけれど、それが嫌ではなかった。むしろ嬉しいくらいだ。これまでの探索は、自然の中へ少しずつ線を引く作業だった。そこへ初めて、「誰かが引いた線」が現れたのである。


 セーフハウスへ着くなり、俺は焚き火もそこそこに持ち帰った皿の欠片を光の下で見直した。


 やはり焼き物だ。断面に細かい粒が見える。土の中へ細かい砂でも混ぜているのかもしれない。表面は指でなぞるとざらりとするが、内側は少し滑らかだった。食品を盛るなら内側を磨くのは合理的だ。つまり雑な土器ではなく、使い勝手まで考えた器ということになる。文明度の尺度をどう置くかは知らないが、少なくとも「ただ生きるだけ」の段階ではない。


 加工石の小片も、自然石よりずっと面が整っていた。石材の種類は周辺の岩場にあるものと似ている気がする。ならこの近くで切り出したか、集めたか。遠くから運んできたならそれはそれで労力がすごい。あの建物、想像以上にちゃんとした施設だったのかもしれない。


 俺は焚き火の前へあぐらをかき、そこへ並べた二つの証拠を見ながら、今後の動きを考え始めた。


 短期的にやるべきことは明確だった。


 一つ、あの建造物までの安全ルートを確立すること。


 二つ、周辺の地形をもう少し広く把握すること。


 三つ、道の延びる方向を、日帰りできる範囲で追うこと。


 四つ、ゴブリンと遭遇した沢筋との位置関係を確認すること。


 五つ、建造物を仮の中継点として使えるか見極めること。


 やることが急に増えた。完全にプロジェクトが始まった感じだ。異世界文明調査プロジェクト。略してICP。いや略さなくていいな。誰も使わないし。


 会社で仕事が増えるときは、大抵「はい追加ね」「これもお願い」「あ、期限は変わらずで」という、誰かの都合だけが濃縮された形で降ってきたものだ。だけどいま増えているタスクは違う。納期も査定も上司の眉間のしわも存在しない代わりに、判断を間違えたら普通に死ぬという、労基もコンプラも泣いて逃げ出す仕様である。…ただ少なくとも、「なんでこれ俺がやるんだよ」という種類の苛立ちがないのも事実だった。


「……よし」


 焚き火へ薪を一本足しながら、俺は小さく呟いた。


 人里に繋がるヒントは、確実にあった。


 道らしきものがある。


 見張りか中継施設みたいな建造物がある。


 器がある。


 火を使った跡がある。


 つまり文明は存在する。少なくとも、俺がこの世界で最初の直立二足歩行・火の扱える知的生命体ってわけではなさそうだ。ここから先に何かがある可能性は高い。


 もちろん、その「何か」が親切な村とは限らない。ゴブリンの大規模拠点かもしれないし、崩れた遺跡群かもしれないし、もっと厄介な何かかもしれない。けれど手掛かりがあるというだけで、探索の意味はまるで変わる。闇雲に森を歩くのではなく、誰かが残した線を追えるのだ。


 それはとんでもなく大きい。


 火の向こうで、皿の欠片が赤く照らされる。


 たかが割れた器の破片一枚。数週間前の俺なら、そんなものにここまで心を動かされることはなかっただろう。けれど今はその一枚が「この世界には俺以外にも、食って、暮らして、物を作っていた誰かがいる」という証明にも見えた。


「明日、また行くか」


 そう言ってから、俺はすぐに首を振った。


「いや、明日は準備だな。焦るな俺」


 こういうところ、ほんとに社会人が抜けない。


 でも、たぶんそれでいい。


 焦って突っ込むよりちゃんと段取りを組んで、持ち物を見直して、日帰りできる範囲を確かめながら少しずつ進むほうが、結果的に遠くまで行ける。仕事でも山でも異世界でも、その理屈はあまり変わらないらしい。


 夜の森が静かに更けていく。


 水の音が遠くにあり、火は目の前で安定して燃えている。手元には人工物の証拠が二つ。頭の中には新しい地図が少し。人里へつながるかもしれない道が、ようやく一本見えた。


 それだけで、その夜の焚き火はいつもより少し明るく見えた。


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