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第二話 明日こそ晴れますように



 十五歳になった私は、エテド貴族学園に入学するとともに家を出て、三年間の寮生活を始めた。


 入学当初、伯爵家以上の子息令嬢がほとんどの学園生の中で、しがない子爵家出身の私はかなり浮いた存在だった。しかし皮肉なことにヘンドリックたちの会話についていけるよう勉強していたおかげで、授業に困らないだけの学力は身についており、ひたすら真面目に過ごしていれば自然と友人はできた。

 彼女たちと切磋琢磨して過ごした日々により、最終学年になる頃には成績優秀者として学園内でも名が挙がるようになり、充実した学園生活を過ごせていた。



 ◇



 最終学年となって早くも季節が一つ移ろい、日が落ちるのが随分と早くなったある日の放課後。入学当初から続けている図書室での自主勉強を終えたのは、いつもより早い時間だった。

 窓の外を見ると外は薄暗く、もう帰ろうかと片付けをしていたところで、教室に手袋を忘れていることに気づいた。その手袋は寮暮らしで長期休暇しか帰れない私を気遣い、母が手作りして送ってくれたものだ。迷うことすらなく、教室へと取りに戻ることにした。


 その途中、昼よりずっと冷える廊下を足早に歩いていると、自分のクラスではない教室から男子生徒たちの話し声が聞こえた。


「──にしても、今日は驚いたな。まさかアルフレッド様から声をかけられるなんて」

「ああ、入学してから初めて会話した」

「俺も」


 そこまでは、むしろ立ち聞きなんて申し訳ない、とあまり聞かないようにしていた。しかし次の瞬間、私は壁にはりつき、息を殺して中の会話に耳をすませていた。


「まさかなぁ。三年目にして初の会話が、プロの当て馬についてだなんて」

「お前もよく覚えていたな。一年の頃にちょっと話題になっていただけだろう?」

「あの頃にも一度、お世話になりたいと思ったんだよな……」


 プロの当て馬。

 その響きに、心臓が嫌な音を立てる。きゅっと胸元の服を握りしめた後、決定的な言葉が耳に届いた。


「それで、本当にヴィガノ嬢に婚約を申し込むのか?」

「……そりゃあ、プロの当て馬にあやかりたいのはやまやまだけど──」


 はっきりと聞き取れた自分の姓。ヴィガノは、この学園に一人しかいない。


 過去の嫌な記憶に鳥肌が立ち、身震いするのを堪えるために下唇を噛む。そうして堪えたところで教室内の生徒たちが動く気配がしたので、急いで隣の教室に逃げ込んだ。


 足音が通り過ぎ、そっと廊下を覗き込む。そこに誰もいないことを目視すれば、ようやく息を吐き出せた。


「……プロの当て馬、ねぇ」


 先ほどまで話していた男子生徒は、二人とも同学年だった。彼らが一年ということは、私も一年ということで。

 まさかあの変な呼び名のせいで、女子生徒から避けられていたりしたのだろうか?


 それともう一つ気になることは、彼らがその名を口にしたアルフレッドという生徒の存在だった。


 アルフレッド・フォルタン。


 銀白色の髪と琥珀色の瞳に端正な容姿をした、長身痩躯な公爵家嫡男。

 入学からこれまで学年首位を独走する才子であり、その聡明さは次期宰相候補と期待の声が上がるほど。おまけに剣を握らせても周りに見劣りすることなく扱える運動神経を持ち合わせ、学園では知名度も人気も高い。


 しかし彼には大きな難点があり、それは彼が他人に対して無関心である点だ。

 基本的に話しかけても一言しか返ってこず、授業中を除き会話が三往復以上することはない、とこれまたもっぱら有名な話だ。

 そのため密かに“無関心子息”と呼ばれていたり、誰にも靡かない高嶺の花として憧れられていたりする。


 そんな男が、話したこともない私の話題に深い関心を抱くとは思えなかった。


「たまたま気になっただけでしょうね」


 むしろあのアルフレッドが他人と話したなんて、明日は雪が降るかもしれない。

 自身の想像にフッと笑って、私は教室を出た。

 本来の目的であった手袋を見つけて装着し、大人しく帰宅の途につく。ヒュゥゥと吹いた風は冷たく、手袋をした手で耳たぶを掴む。


「明日は晴れますように」


 薄暗くなった夕方の空はどっちつかずで、やっぱり小さく笑うしかなかった。



 明けて翌日。晴れたり曇ったりの空模様に思わず苦笑した一日を無事に終え、何事もなかったことに安堵して帰路についていたところ。


 学園と寮の中間地点あたりで、やたらと目を引く男がいた。


 ただ立っているだけなのに品格を感じさせ、凛とした姿は白百合のごとく美しい。遠目からでも間違いなく、アルフレッドだと分かる出で立ちだ。

 こんなところで彼を見かけるのは初めてで、びっくりしすぎて足を止めた私に対し、彼はこちらに気づくと優雅な足取りで近寄ってきて目の前に立ちはだかる。


「…………」

「…………」


 両者無言の状況がしばし続き、私は恐る恐る右に一歩踏み出す。

 けれども通せんぼのようにアルフレッドも体をずらし、さらに左、右と続けても邪魔されたことで、観念した私は障害物と化した男を見上げた。


「私に何か御用ですか?」

「今から少し時間ある? 話がしたい」

「……ええ、大丈夫です」

「ありがとう。俺はアルフレッド・フォルタン。君と同学年だけど、俺のことは知ってる?」

「もちろんですわ」

「良かった。じゃあ早速本題なんだけど、ヴィガノ嬢、俺の婚約者になってくれないかな?」


 なんという直球。そして初会話にして、三往復した。


「ご冗談はおやめください」

「冗談じゃないよ」

「私たち、これまでお話ししたこともありませんのにおかしいですわ」

「顔と名前を知っているんだから、別に良くない?」


 良くない、と言い返そうとしたのを堪え、このまま彼のペースで話が進むことを避けるために、核心に迫る質問をぶつけることにした。


「いきなりこのようなお話をされるのは、私が『プロの当て馬』と呼ばれていたから、ですか?」

「……知ってたの。そうだよ。君がそう呼ばれていたから、というのは大きいかな」


 昨日、情報を得たにしてはあまりに潔すぎないか、この男。


「私にそのような役割を期待されるより、直接、お相手にお伝えする方がよろしいかと思いますが」

「そうしたいけど、家が家だし、絶対信じてもらえない」

「だからといって、子爵家の私があなたの婚約者などありえません。必ず何か裏があると探られます」

「あー……それは確かにね。でも、どうしてもお願いしたいんだ。だめかな?」


 お願いします、と頭を下げられ半歩後退る。ここまでされるとはさすがに想定しておらず、しかもアルフレッドからは一歩も引く気配が感じられない。

 こうなったら、焦るのは私の方だ。

 なにせ天下の公爵子息に頭を下げさせている。こんなところを誰かに見られでもしたら大変だし、その理由が表向きは婚約者を望まれてのことだから、なおさら厄介すぎる。

 頭をフル回転させ、ここをどう切り抜けるか考えた。


 ……この男が私を利用するのならば、私だって利用してやろう。


 そう決意して、まだ頭を下げ続けているアルフレッドへと一つの条件を提示した。


「私の願いを聞いてくださるなら、そのお話をお受けします」


 パッと顔を上げたアルフレッドは、一切笑うことなく真剣な表情で頷いた。


「何でもする。条件教えて」

「就職先の斡旋です」

「就職先?」

「女であり結婚の予定のない私には、なかなか男性のように自由に働き先を選べません。ですので公爵閣下の伝手を頼りたいのです」

「……そういうことね。分かった。両親に話してみる」

「それでは、これからよろしくお願いします」


 私も相手に利用価値を見いだしての関係ならば、元婚約者の時のようにはならない。そんな気持ちも含んで私が微笑むと、アルフレッドもうん、と頷いて口角を上げる。

 その笑みがあまりにも穏やかだったので、こんな表情を人前でもするのか、と意外に思ったところで、次に続いた彼の一言で完全に私の思考は停止した。


「じゃあ、今から俺たちは恋人同士ね」

「…………はい?」

「婚約者だと不自然だから、恋人にしよう。ということで、かしこまるのはなしね」

「え?」

「俺のことはアルフって呼んで。俺はリズって呼ぶから。よろしくね、リズ」


 戸惑っているうちにすべてが決まり、やっぱり穏やかに笑うアルフレッドに、引きつった笑みを返すことしかできなかった。



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