幕間 婚約者が笑うならすべて正解
舞踏会から帰ってきた時より幾分ぐったりとしたリズウェルを抱きとめ、俺は自室のソファに腰掛けた。もちろん隣にはリズウェルが座り、今しがた彼女の指にはめた婚約指輪を撫でながら、その横顔にキスをする。
するとどこか伺うような眼差しを向けられたので、どうしたの? と尋ねてみた。
「アルフはいつから私を知っていたの?」
その質問をされてやっと、自身の説明不足に気づく。その不安も取り除かなければ、きっと気も休まらないだろう。
俺はごめんね、と一言謝ってから薄手のブランケットを手繰り寄せてリズウェルを抱み込み、自身の昔話を始めた。
◇
いつだって周囲から向けられていたのは、公爵子息への期待や羨望に大人たちの思惑が混ざった複雑な視線だった。しかしそれらを正しく感じ取っていながらも、煩わしいとも嬉しいとも感じなかった。
ただ思っていたのは、皆他人に振り回されて大変そうだな、くらいである。
そんな俺の性格を見抜き、あえて婚約者を作らないという両親の選択は、本当に英断だったと思う。
「いいか、アルフレッド。お前が二十五歳になるまでは、お前自身が望まないかぎり、婚約者を作ることはしない。ただその代わり、公爵子息に婚約者がいないことを責められないよう、とにかく人に負けない人間でいなさい」
この言葉を免罪符に、俺は人間関係の構築より様々な知識を身につけることを選んだ。その過程で父親同士が仲の良かったレナートとも友人になったので、これ以上は必要ないかな、とすら思っていた。
そうして十五歳になり、エテド貴族学園に入学した。
この学園への入学を決めたのは、オレリー・マリユスがいたからだ。俺の教育係の娘であり、従兄弟の天敵である彼女は旧知の仲ではある。何か困った時に頼りにしようと目論んでの入学だった。
ただ、学園生活を送ったところで、俺は自分が変わることはないと思っていた。
大人しく卒業を待って、その時に望まれることをする。それが宰相ならその道を目指せばいいし、そうでないなら公爵家の当主として領民に尽くせばいい。
それが道理も外れておらず、公爵家としても恥とならない生き方だ。そんなふうに考えていた。
しかしそんな俺を変えたのが、リズウェルだった。
変えた、というより、勝手に変わっただけ、と言われそうではあるのだけど。間違いなく、きっかけはリズウェルである。
入学して二ヶ月が経ったある日の帰り際、学生証をなくしていることに気がついた。いつ、どこに落としたのかと記憶を探りながらも、考えるのは誰かに拾われていたら見返りを要求されそうで面倒くさいなぁ、ということ。
拾った相手からすれば俺に恩を売る明確な理由ができ、公爵家との繋がりを持つまたとないチャンスだ。貴族ならば、これを利用しない手はない。
しかしそうなるとやはり人と関わらなければならなくなるので、面倒この上ない。どうにか自力で見つけられないかと思案していれば、オレリーから呼び出しがかかった。
もしかして……と思いながら彼女の元を訪ねれば、あっさりと学生証を手渡される。
「……あれ。普通に返ってきた」
「届けてくれた生徒に感謝しなさい」
「お礼の希望は?」
「ない。それに、拾い主については誰かということを明かさない約束をしているから、詮索しないように」
「え、そんなことある?」
「ありますか、と言いなさい。ここでは教師と生徒。言葉遣いには気をつけること」
オレリーの注意に頷きながら、手元に返ってきた学生証を開く。何かメモでも挟まれていたりしないかと確認してみたが、何の変哲もない学生証だった。
「本当にお礼はいらないって? 俺一応、公爵家なんだけ……なんですけど」
「これ以上の詮索は禁止とする。君はさっさと帰って、落としたことに今まで気づかなかった体たらくな自分を反省すること」
有無を言わさぬ圧に押され、俺はしぶしぶ退室した。
しかし家に帰り着いてからも、気になるのは学生証を拾って届けた人物のこと。見返りを求められるのは面倒だが、拾ってもらった手前、お礼ぐらいは伝えなければと思う。
「……まぁ、一週間のうちに声をかけてくるかな」
そんな独り言を呟き、相手の出方を待った。
それから二週間が経過し、まだ拾い主の見当もついていない中、授業後に同じ学年の女子生徒──スクザ伯爵令嬢に声をかけられた。神妙な顔つきのスクザ嬢は二人きりで話がしたいと言って、了承すると人気のない廊下まで連れて来られた。
そこで声をひそめて話し始めたスクザ嬢から出たのは、思いもよらない言葉だった。
「アルフレッド様、最近、学生証をなくされましたでしょう?」
「うん。もしかして君が拾ってくれた人?」
「いえ……実は私、あなたの学生証を盗んだ者をこの目で見たのです」
「盗んだ? 拾ったんじゃなくて?」
「リズウェル・ヴィガノという子爵家出身の女子生徒はご存知ですか?」
名前を聞いて、挨拶すらしたことのない同級生を思い浮かべていると、スクザ嬢が前のめりでまくしたてた。
「ヴィガノ様は一部の男子生徒の間で、“プロの当て馬”として名が通っているそうです。そんな彼女があなたの学生証を持っていました。ということは……ただ拾っただけだなんて、考えられません」
「……そうかな?」
「それに彼女、子爵家でありながら学年順位が十番以内ということで怪しまれてもいます。教師か、それに近い関係者と裏で繋がりがあり、試験内容を事前に知っていた可能性があると噂されているのです」
続いた話の滑稽さに、呆れを通り越してヴィガノ嬢に同情した。
どちらも聞いたことのない噂話だが、大前提として、この学園にはオレリーという教育者の仮面を被った鬼がいる。あの人がいるのに、盗みも不正もバレずに済むはずがない。
きっとスクザ嬢はオレリーの恐ろしさを知らず、ヴィガノ嬢の家柄だけで判断しているのだろう。学年順位は間違いなくヴィガノ嬢の実力であり、俺の学生証も親切心から拾ってくれただろうに。
こちらが小さくため息をついたことにも気づかない相手はまだまだヒートアップして話し続けるが、その内容は右から左へとすり抜けていく。このままここにいるのも時間の無駄だと思い、もう帰ると言おうとしたところで、興奮気味のスクザ嬢が『子爵家が入学してできたこと自体がおかしい』と口にした。その口調には怒りすら滲んでいたが、あまりにもお門違いだ。
「大体、子爵家の出身で入学早々七位なんて信じられませんわ!」
「君が信じられなくても、それは事実だよ」
「え?」
「マリユス先生がいる限り、この学園での不正はありえない。だからあの結果は、ヴィガノ嬢の実力だよ」
まさか俺から反論されるとは思っていなかったのか、目の前の相手は勢いを落とした。しかし、まだ何か言いたげだったので次の発言を遮るように一歩踏み込んで、ずいっと顔を寄せる。
すると上手く勘違いしたのか、頬を赤く染め、上目遣いとやらで俺を見上げてきた。
たったこれだけのことでこんな目をしてくるのだから、スクザ嬢の思惑なんて透けて見えるようなものだった。
「ところで、こうやって色々と教えてくれるのはありがたいけど、君はこの二週間、一体何をしていたの?」
「え……っと、私はその……なんとお伝えすべきか悩んでいて……」
「窃盗だと思われる場面を目撃してから二週間、悩んでいたってこと? その間に親や先生に相談しようとは思わなかった? それこそ噂通り、窃盗や不正を目論むような人間だったとしたら、時間をおけばおくほど証拠隠滅をはかるとは思わなかったの?」
質問を重ねる内にスクザ嬢の顔色がなくなっていくが、同情はしない。自身が撒いた種だ。責任はしっかり持ってもらわないと。
「噂に対する根拠は調べたりした? もしもそれが嘘の情報だった場合、君は彼女や自分の印象がどうなるかまで考えた?」
「私は、ただ……」
「君のおかげで学生証を拾ってくれた恩人が分かったから、これ以上問い詰めることはしないよ。でも俺に近づきたいのなら、もっと足元を固めてからこないとね。とは言っても、根拠のない噂を嬉々として話すような品性のない人間とは関わるなと言われているから、二度と話しかけないで。それとヴィガノ嬢のことについても、二度と口にしないでね」
それだけ言って、俺はその場をあとにした。
◇
ふう、と一息つき、腕の中で大人しく話を聞いてくれていたリズウェルに一つキスを贈る。
「拾ってくれたのがリズだって分かった後でも、やっぱり話しかけてはこないし、なんなら目も合わないから逆に俺の方が気になっちゃって」
「学生証を拾ったこと、今の今まで忘れていたわ」
「そうだと思った。その俺への興味の無さが、逆に俺の興味を引いたんだよ。あとはやっぱり、リズの人柄に惹かれたな。当て馬の話も調べたけど潔白だったし、結果で周りを認めさせるところはすごくかっこいいと思った」
じっと顔を覗き込めば、リズウェルは照れくさそうにはにかむ。頬に少しずつ朱がさすのは、次なる俺の言葉を期待する彼女の気持ちの表れに思えて、しっかりとその手を握り込んだ。
「こんなふうに他人に興味を持ったのは初めてで、そのまま自然とリズのことを好きになってた」
「……嬉しいわ。私なんて偏見で避けていたのに」
「それは仕方ないよ。それに、俺以外の男とも話さないのは俺にとって都合が良かったしね」
「そう受け取ってくれるとありがたいわ」
「在学中はリズの邪魔をしないようにしようと思って、話しかけずにいたんだ。でも卒業したらどんな手を使っても囲い込むつもりではいたから」
……ん? と呟いたリズウェルの額にキスをする。
それから顎、頬、瞼をたどって、触れるだけのキスを唇へと落とした。
「馬鹿な男たちに想像の中でもリズを婚約者にされたくなくて、ちょっと計画が早まっちゃった。本当に、リズが俺を好きになってくれて、こうやって卒業前に婚約できて良かったよ。舞踏会で皆の前で宣言した後、なんか安心感がすごかったから」
「……色々気になるところがあった気はするけど、私もあなたを好きになったから良しとするわね」
「そのぐらいリズを愛してるってことだよ。もうどこにも逃さないからね。リズも俺だけを愛してね」
ちょっと困ったように眉を寄せながらも、俺の気持ちに応えるように唇を合わせてくる最愛の婚約者。
他人に無関心だった、俺の唯一。
その重さにリズウェルはきっとまだ気づいてはいないけれど、彼女が幸せだと笑うのなら俺の愛情は何にも間違っていないと思えた。




