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第十一話 きっとこんなに浮かれる日はない



 会場に戻ってすぐ、ダン、と行く手を阻んだのはマリユス先生の長い足。腕を組んで壁に足をかけて姿は、劇場のワンシーンのようで私は思わず黄色い悲鳴を上げてしまった。


「アルフレッド、貴様、私との約束を忘れたか?」

「忘れてない。ちゃんと話はしたから、足降ろして」

「ほう。それじゃあヴィガノさんに確認しても良いと?」

「良い……けど、口説かないでよ。俺の婚約者なんだから」

「貴様らの不語彙なさを私のせいにするな」

「分かったから。口調口調」


 二人のやりとりを黙って見ていたが、アルフレッドとの会話を終えて足を降ろしたマリユス先生は、私の目の前に立つとすい、と白く細い指で私の顎をすくった。


「ヴィガノさん、突然連れ去られて、大丈夫だった?」

「は、はい。大丈夫でした」

「そう? 少し顔が赤いね。熱はない?」


 ぴとっと額同士がくっつき、大丈夫そうだね、と先生は微笑む。その距離、ほぼゼロ。目前に、麗しのマリユス先生。

 優しい眼差しも温かな言葉も、そのすべてが……


「す、素敵……!」

「ちょっとやめてって言ってるでしょ」


 さっとアルフレッドの手が伸びてくると、すかさず顔を離すマリユス先生。この二人、かなり息ぴったりだ。説明を求めて見上げると、私の視線に気づいた彼はげんなりとした様子で口を開いた。


「この人の母親が俺の教育係なの。あとこの人、俺の周りでは初恋キラーって呼ばれててね。年上の従兄弟とかその友人たちがかなり警戒してて、俺はそれを聞いて育ったから」

「そうなの……でも、マリユス先生になら初恋を捧げてしまうでしょうね。仕方ないわ」

「納得しないで」

「それで、約束というのは?」

「リズの邪魔しないってこと。俺がまとわりついて成績を落とすようなことがあれば、容赦なく叩き潰すって言われてたんだよね」

「先生、そんなにも私のことを……?」

「いつもひたむきに学ぶあなたのことを応援しないはずがないでしょう?」


 先生……! と感動していたら、マリユス先生が美しい微笑を浮かべて私の頭を撫でる。


「あなたを教職に誘おうと思っていたんだけど……どうやら先を越されたようね」

「やっぱり。怪しいと思ってたんだよね」


 アルフレッドが横槍を入れようが、先生はまったく気にかけず、私だけをまっすぐに見つめている。


「アルフレッドに不満があればいつでも言っておいで。私はどんな時でも、あなたの味方だからね」

「はい……! 先生も、いつも優しくご指導いただき、ありがとうございます!」

「リズ、もう行くよ」


 先生が私を気にしてくれていたことと、優しすぎる言動にトキめきすぎて胸を押さえると、我慢ならないというようにアルフレッドに腕を引かれて先生とはお別れとなった。

 まだ話していたいくらいだが、踊りたいと言って戻ったのは私なので、文句を言わずについていく。


 皆が踊っているところまで辿り着くと、ここでいっか、とアルフレッドが姿勢を正す。私も背筋を伸ばして、彼の呼吸を聞く。


 次の曲はゆったりとした曲調で、つい先刻、目まぐるしく変わった状況と心情で踊るにはちょうど良かった。波に揺られるような心地でステップを踏んでいると、そういえば、とアルフレッドが新たな話題を振ってくる。


「去年までパートナーだった人は、さっき話に出てきた従兄弟の義弟の妹なんだよね」

「遠い親戚……になるのね」

「従兄弟の妻の妹の夫の妹。婚約者が隣国にいるから相手をしてやってくれって頼まれてなったけど、あんなふうに執着されるなら対応を考えないと」

「仕方ないわよ。アルフは憧れの君だもの」


 そう言った私に、アルフレッドは首を横に振る。


「ちゃんと断ったのに、あんなふうに同情を誘うやり方はだめだね。しかもリズを狙うなんて最悪」

「……ねぇ、アルフ」

「ん?」

「あなた、あの時、ずっとどこかから私を見てたの?」

「リズの友達と仲良くなってて良かった。すぐ呼びに来てくれたから」


 レナートの話が出た時の違和感が解決した。私が彼女たちに連いて行った際、恐らく友人の誰かがそれを見てアルフレッドに教えていたのだ。そして彼は私を探したか、後をついてきたかで……


「じゃあレナート様との話も、全部聞いていたのね?」

「うん。最後にレナートを睨んだら困った顔してたよ」

「それは困るでしょうね……」


 しれっと答えるアルフレッドだが、微塵も悪気はないらしい。彼はきっと、世間一般でいうと愛情の重い部類に入るだろう。他人には無関心と言われていたはずなのに、一体私の何が彼の琴線に触れたのか。

 そんな疑問が生まれつつも、普通の人なら怯えかねない彼の行動も、当て馬にされた過去を持つ私の場合は嬉しいと感じてしまうのだから、私たちは割れ鍋に綴じ蓋みたいに相性は良いのかもしれない。


「次からは堂々と出てきて」

「リズがこそこそと行動しなければ良いんだよ」

「こそこそしたつもりはないわ」

「俺に何も言わずレナートと二人きりになったことは、当分根に持つからね」


 冗談ではない口ぶりで言いきる恋人の機嫌は悪くなく、むしろ楽しそうに眼差しを柔らかくする一方だ。そこからは両者無言で、右に左に。通せんぼではなく、軽やかなステップを踏む。


 今この瞬間、私たちは確かに想い合う者同士で、アルフレッドのことを心から愛おしいと感じた。


「ねぇ、アルフ。私ね、こんなふうに男の人とダンスを踊ったことがないの。父とも踊っていないから、正真正銘、あなたが初めてだわ」

「またそうやって、俺の理性を弄ぶ」

「人を好きになると、こんなにも楽しく感じるんだなって実感してる」


 そこで曲が終わり、同じタイミングで立ち止まる。一呼吸おいてから、改めてお礼を伝えた。


「私を好きになってくれてありがとう。これからも改めてよろ──」


 しく、と言いかけていたところでぐい、と腰に置かれていた手で彼の方へと引き寄せられ、思いっきりキスをされた。突然の行動に驚いて目を見開いたのは私だけでなく、近くにいた生徒たちからは色々な声と拍手が上がる。


 それに目を細めたアルフレッドはゆったりとした動作で顔を離した後、真っ赤になっているだろう私を抱き寄せ、周囲へと向けて堂々と宣言した。


「リズウェル・ヴィガノはアルフレッド・フォルタンの愛する女性であり、婚約者だ。これから先、彼女のことを利用しようとする人間は、片っ端から潰していく。皆の知り合いにも伝えておいて。容赦する気は微塵もないから」


 その言葉に、息を潜めた生徒は何人かいただろう。言葉の真意が分からなかった人もいたと思う。


 けれど私にはちゃんと伝わった。その証拠に、目の奥がツンと痛む。

 幸せすぎて泣きたくなるなんて、どれほどに尊いことだろう。


「……ありがとう。大好き、アルフ」

「俺も大好き。だからさ……リズ」

「うん?」

「一緒に、マリユス先生に怒られようね」

「そうね。それがいいわね」


 生徒たちの後方、笑顔なのに凄まじい迫力のマリユス先生の元に、二人揃って謝りに行ったのはそのすぐ後。

 好き勝手してごめんなさい、と。止めなくてごめんなさい。

 マリユス先生は厳重注意に留めてくれて、舞踏会を楽しみなさい、と送り出された。


 それから私たちはまた一曲踊り、レナートやメアリたちに直接婚約者になったと報告をしたりして、最後の舞踏会を満喫した。



  ……その後。『正式な婚約の手続き』を公爵家でするというアルフレッドに連れ帰られた私は、到着して早々に公爵夫人におうち案内をされ、なんと既に用意されている私専用の部屋を披露された。


「リズちゃんとの相性を見て、専任の侍女は決めようと思うの。もう皆が立候補してきて大変なのよ〜」

「お、恐れ多い、です」

「遠慮しないで。私たちはもう家族なんだから。もちろん、リズちゃんのご両親も入れて、皆で家族よ」

「ありがとうございます! とても嬉しいです。両親にも……って、申し訳ございません! フォルタン公爵にご挨拶もせず……!」

「それがね、主人ったらリズちゃんのご両親に早くお話ししたいと言って、お昼に我が家を出発しちゃったのよ。もうそろそろ着いているんじゃないかしら」


 そう言って朗らかに笑う公爵夫人と、同意するように頷く侍女さんたち。ギギギと音が鳴りそうな動きで首を回すと、アルフレッドは満足気に笑っている。

 私は両親が驚きで倒れないか心配する傍らで、これからきっと何度もこのような公爵家の本気を見ることになるだろうから、早く慣れなければいけないのだな、と密かに思う。

 今日はその第一歩、と思って深呼吸したところで、そうだ、とアルフレッドが何かを思い出したように呟く。


「言い忘れてた。リズ、ここがリズの永久就職先だから、これからもよろしくね」


 と過去最高の笑顔で宣うアルフレッドの姿を見て、この男、私が就職先という条件を提示した時からこれを言おうと決めていたな、と悟った。しかし言い返す気力もないので、せめてもの反撃にデレデレと笑う頬をつまんだら、その手──左手を取られ薬指にダイヤモンドの指輪をはめられて、さすがに目眩がしてアルフレッドに抱きとめられた。


「……用意周到すぎて恐いわ。あなた、無関心子息じゃなかったの?」

「その他大勢にはね。好きな子には無関心ではいられないよ」


 見上げた瞳は獲物を狙う狩人のようで、彼に目をつけられた時点でそもそも私は逃げられなかったんだな、と諦めがついた。



浮かれているのはもちろんアルフレッドです。

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