VRMMOのフレンド申請を送ってきたのは、死んだはずの幼なじみだった
メールボックスを開いた瞬間、世界が止まった。
送信者: ユキ
ありがとう
一緒に冒険してくれて
コウイチと過ごした時間、ぜんぶ楽しかったよ
本当は、知ってた
私が何者なのか
私がどこから来たのか
私がいつか消えることも
でもね、コウイチ
あなたが笑ってくれたから
あなたが隣にいてくれたから
私は、生きられた
ありがとう
──また、どこかで
フレンドリストから、『ユキ』の名前は消えていた。
アップデート。データの初期化。システム異常の修正。
運営からの無機質な告知文が、俺の視界を覆う。
「……ああ」
声が、震えていた。
知っていた。覚悟していた。
それでも──
「また明日な、ユキ」
誰もいない王都の広場で、俺は空に向かって呟いた。
噴水の水音だけが、返事のように響いていた。
時間を、巻き戻そう。
四ヶ月前。あの日から。
ログイン画面の青白い光が、視界を満たす。
『エターナル・フロンティア』──剣と魔法の王道VRMMO。
神経接続型のフルダイブシステムにより、視覚、聴覚、触覚、嗅覚、すべてが仮想世界と同期する。
現実と見紛うほどの没入感。それがこのゲームの売りだ。
俺がこのゲームを始めて、三年。
「接続完了。ようこそ、冒険者コウイチ」
機械音声とともに、見慣れた王都の転送門前に降り立つ。
石畳の冷たい感触。遠くから聞こえる鍛冶屋の槌音。
行き交うNPCたちの喧騒、空気に混じる、パン屋から漂う香ばしい匂い。
何度体験しても、この没入感には驚かされる。
ステータス画面を開く。
職業は剣聖。攻撃特化の近接火力職。
ソロプレイヤーとして、俺は効率を追い求めてきた。
最適なビルド、最速のルート、最高のドロップ率。
すべて計算し尽くして、一人で回す。
他人とスケジュールを合わせる必要がない。
誰かと約束を作る必要もない。
それが、俺のスタイルだった。
今日の目的は『凍てつく尖塔』のソロ攻略。
先週のアップデートで追加された新ボスが落とす素材が、次のビルドに必要だった。
転送門に座標を入力しようとした、その時。
ピロン、という軽い通知音。
視界の端で、フレンド申請の通知が点滅した。
「……?」
普段なら即座に無視する。
ソロプレイヤーの俺にフレンド申請を送ってくる物好きは稀だし、大抵はギルドの勧誘か、レベリング代行業者の営業だ。
だが、その名前を見た瞬間──
フレンド申請
申請者: ユキ
メッセージ: 久しぶり!覚えてる?
──指が、止まった。
ユキ。
雪村優希。
その名前は、四年前に死んだ幼なじみのものだった。
心臓が、うるさい。
ドクン、ドクン、と。VRなのに、心拍が聞こえる気がする。
違う。同姓同名の他人だ。
世界中にどれだけのプレイヤーがいると思ってる。たまたま同じ名前なだけ。
そう、自分に言い聞かせた。
だが、指は勝手に動いていた。
承認ボタンを押す。
フレンド申請を承認しました
ユキがフレンドリストに追加されました
ユキ: わあ、ありがとう!今どこにいる?会える?
即座にメッセージが届く。
俺は、返信を打った。
コウイチ: 王都の噴水広場にいる
ユキ: じゃあ今から行くね!すぐそこだから!
待つこと、五分。
「あ、いたいた!コウイチ!」
明るい声とともに、一人の少女が駆けてきた。
見た目は十代後半。淡い金髪のショートカット。
白を基調とした初心者用のヒーラーローブ。
だが、俺が見ていたのは装備じゃない。
「久しぶり、だね。えへへ、覚えてる?」
その声。その笑い方。
小首をかしげる仕草。
その全部が、優希だった。
「……覚えてる」
絞り出すように答えると、彼女は嬉しそうに目を細めた。
「よかったあ。急にフレンド申請しちゃったから、びっくりしたでしょ?
私もね、コウイチを見つけた時、すっごくびっくりしたんだ」
見つけた…その言葉が、引っかかった。
俺は確かにこのゲームで『コウイチ』という名前を使っているが、現実の知り合いには誰にも教えていない。
本名をそのまま使ったのは、覚えやすいからという単純な理由だ。
「どうやって俺を?」
「んー、なんとなく、かな?この人だって、ピンときたの」
彼女は悪戯っぽく笑う。
その笑顔も、優希そのものだった。
同姓同名の他人。
優希を知る誰かの悪質ななりすまし。
あるいは──
「ねえ、コウイチ」
ユキは、俺の目を真っ直ぐ見つめた。
「私、このゲーム始めたばっかりでさ。よかったら、一緒に遊んでくれない?」
その問いかけに、俺は少しだけ迷った。
優希は四年前、病気で死んだ。
俺が高校三年の夏。八月十五日。
幼なじみで、家が隣同士で、いつも一緒にいた。
小学校の時、優希が膝を擦りむいて泣いていたのを、俺が保健室まで背負っていった。
中学校の時、優希が作った不味い弁当を、俺が全部食べた。
高校の時、優希が「大学も一緒に行こうね」と笑った。
そんな平凡な約束だってしていた。
でも全部、叶わなくなった。
だから俺は、誰とも約束を作らないようにしてきた。
なのに。
「……いいよ」
気づけば、そう答えていた。
彼女が優希じゃないなら、すぐにわかる。
彼女が優希なら──いや、そんなことはあり得ない。
「ほんと!? やったあ!」
ユキは飛び跳ねるように喜んだ。
その姿を見て、俺は胸の奥が軋むのを感じた。
あり得ない。あり得ないはずなのに。
この子は、俺の知っている優希にあまりにも似すぎている。
「コウイチ、次どこ行く?」
「レベル的には『苔むす古道』がちょうどいい。
経験値効率も悪くないし、ドロップも安定してる」
「効率かあ。コウイチらしいね」
ユキはくすくす笑う。
それから、俺たちは毎晩のようにログインするようになった。
最初は初心者向けのクエストを一緒にこなした。
護衛任務、採集依頼、討伐クエスト。
どれも簡単な内容だが、ユキは全てを新鮮そうに楽しんだ。
「わあ、この花キレイ! 摘んでいい?」
「それ、クエストアイテムじゃないぞ」
「でもキレイじゃん。ほら、コウイチも見て」
彼女は摘んだ花を、俺の目の前に差し出す。
淡い青色の花弁。ゲーム内の装飾用オブジェクトで、何の効果もない。
効率厨の俺には理解できない遊び方だ。
だが、不思議と嫌じゃなかった。
ユキのレベルが上がるにつれ、俺たちはより難しいダンジョンに挑戦するようになった。
『苔むす古道』深層部。
レベル30台後半のモンスターが徘徊する、中級者向けエリア。
「コウイチ、左から増援!」
「わかった。ユキ、ヒール頼む」
「任せて!《リジェネサークル》!」
ユキの杖が淡い緑の光を放つ。
俺の足元に魔法陣が展開され、継続的にHPが回復していく。
詠唱が短く、移動しながら使えるのが強みのスキルだ。
「ナイス。一気に削る──《刹那斬り》!」
剣聖専用スキル。
瞬間的に加速して、視界内の敵を一閃する範囲攻撃。
三体のゴブリンウォリアーのHPバーが、一気に削れた。
「《シャイニングブレイド》!」
追撃。光を纏った剣で、残りの敵を薙ぎ払う。
ユキの回復があるから、多少の被弾は気にしなくていい。
ソロでは絶対にできない攻め方だ。
「やった! クリア!」
「ああ、お疲れ」
「ねえねえ、今の連携、カッコよくなかった?私たち、息ぴったりだね!」
ユキは無邪気に笑う。
彼女と組むようになって、俺のプレイスタイルは大きく変わった。
ソロでは行けなかったダンジョンにも挑戦できるようになったし、効率だけを追わなくなった。
何より──楽しかった。
ただ、違和感もあった。
小さな、本当に小さな違和感。
「ユキ、そのスキル、どこで覚えたんだ?」
「え?んー、よくわかんないけど、使えたから使ったの」
「レベル的にはまだ習得できないはずなんだけど……」
「そうなの?でも使えてるよ?バグかな?」
「……まあ、いっか」
スキルの習得条件が曖昧なのは、このゲームではよくあることだ。
隠しクエストをクリアすると早期習得できたりする。
それに、ユキが使えるなら問題ない。
そう、自分に言い聞かせた。
季節は巡り、ゲーム内でも様々なイベントが開催された。
十月。ハロウィンイベント。
「じゃーん!どう、似合う?」
ユキがゾンビメイクのアバターに着替えて、俺を驚かそうとした。
「……うん、怖いな」
「嘘だ!全然怖がってないでしょ!」
「いや、マジで」
「もー!もっとリアクションしてよ!」
全然怖くなかったが、大げさに驚いたふりをしたら、ユキは嬉しそうだった。
十二月。クリスマスイベント。
限定ダンジョン『聖夜の迷宮』で手に入る珍しい装備品、『星降るペンダント』。
支援効果を強化するアクセサリーで、ヒーラーには最適だ。
俺は三日かけてソロで攻略し、それをユキにプレゼントした。
「え、いいの!? これ、すっごくレアなやつでしょ?」
「いや、これはユキのおかげで取れた。その感謝の気持ちだ」
「……ありがと。大事にする」
ユキは少し照れたように笑って、その場でペンダントを装備した。
彼女の胸元で、小さな星が煌めいていた。
「ねえ、コウイチ」
「ん?」
「ずっと一緒に、冒険しようね」
その言葉に、俺は何も答えられなかった。
ずっと一緒。
そんな約束、できるわけがない。
四年前に、思い知らされたから。
「……ああ」
それでも、頷いてしまった。
年末。ワールドボス討伐イベント。
サーバー全体で巨大なドラゴンを討伐する大規模レイドのイベントだ。
報酬がかなりおいしいので、俺たちも参加した。
「すごーい、人がいっぱい!」
「大規模レイドだからな。俺たちは後方支援でいこう」
「うん! 私、いっぱい回復するね!」
百人以上のプレイヤーが入り乱れる戦場。
ユキは必死にヒールを飛ばし続けた。
前衛のタンクに。中衛のアタッカーに。後衛の魔法使いに。
彼女のHPとMPのバーが、目まぐるしく上下する。
「ユキ、無理するな!MP切れたらマズい!」
「大丈夫!ポーションまだあるから!」
戦闘は一時間以上続いた。
最終的に、ドラゴンは討伐された。
参加報酬として、全員にレア装備と記念称号や素材が配布された。
「楽しかったあ。みんなで何かするのって、いいね」
ユキは疲れたように笑った。
「そうだな」
俺も、久しぶりにそう思えた。
違和感に気づいたのは、新年を迎えた頃だった。
「ユキ、ギルドの勧誘が来てるぞ。大手だし、入ってみたらどうだ」
「んー、いいや。私、コウイチと遊べればそれでいいもん」
「でも、俺がいない時間は暇だろ」
「大丈夫。コウイチがいない時は、ログインしないから」
その言葉に、俺は引っかかりを覚えた。
言われてみれば、ユキのログイン履歴は常に俺と重なっている。
俺がログインする十分前に、ユキがログイン。
俺がログアウトする五分後に、ユキがログアウト。
完璧に、シンクロしている。
「そういえば、ユキ。このゲームのフレンド、俺以外にいるのか?」
「ううん、コウイチだけ」
「マップの外とか、システム設定画面とか、見てみたことは?」
「ないよ。なんで?」
「いや……なんでもない」
普通のプレイヤーなら、もっと色々試すはずだ。
他のプレイヤーと交流したり、マップの端まで行ってみたり、設定をいじってみたり。
だが、ユキにはそれが全くない。
まるで、俺と一緒にいる時だけ世界が存在しているかのように。
「コウイチ? どうかした?」
「……なんでもない。次のダンジョン、行こうか」
「うん!」
その日から、俺は意識してユキを観察するようになった。
ユキはゲームのシステムに詳しくない。
UIの使い方も、スキルの組み合わせも、アイテムの効果も。
だが、俺の好みやクセは驚くほど理解している。
俺が疲れている時は、短めのクエストを提案する。
俺が挑戦したがっている時は、少し難しいダンジョンに誘う。
俺が黙っている時は、無理に話しかけず隣にいる。
まるで、俺の心を読んでいるみたいに。
いや……違う。
俺のことを、最初から知っているんだ。
ある夜、俺は試しに現実の話を振ってみた。
「ユキ、学校とか仕事とか、大丈夫なのか?ここんとこ毎晩ログインしてるだろ」
「え?んー、大丈夫だよ。心配してくれてありがと」
「最近は何やってるんだ?」
「……えっと」
ユキは困ったように首をかしげた。
「なんだろ。よくわかんないや。えへへ」
笑ってごまかす。
だがその笑顔は、どこか空虚だった。
「ユキ……お前、現実で何してる?」
「現実……?」
彼女は不思議そうに首を傾げた。
「うーん、よくわかんない。ここにいる時が、一番楽しいから」
「……そっか」
俺は、それ以上聞けなかった。
俺の小さな疑問は確信に近づいていた。
ユキは、現実に存在しない。
このゲームの中だけに存在する、誰かが──あるいは何かが、俺の記憶から生成した存在。
俺の知っている優希。
俺の望んでいた優希。
俺の理想の優希。
だからこそ、俺とだけ繋がっている。
俺以外との接点がない。
俺がいない世界には、存在しないのではないか。
「コウイチ? 顔色悪いよ?」
「……ありがとう、大丈夫」
嘘だった。
大丈夫なわけがない。
ユキが優希じゃないことは、最初からなんとなくわかっていた。
でも。
ユキは本物の優希じゃない。
だが、偽物でもない。
彼女は確かにここにいる。
俺と冒険して、笑って、楽しんで、生きている。
少なくとも、この世界では。
~視点が変わって、ユキ視点~
「……」
コウイチがログアウトした後、私は一人、王都の広場に立っていた。
周りのプレイヤーたちが、行き交う。
でも、誰も私に話しかけてこない。
話しかけようとすると、すり抜けてしまう。
まるで、私がここにいないみたいに。
「私は……」
知っている。
私が何者なのか、私がどこから来たのか。
私が、いつか消えること も。
でも、コウイチといる時だけは、忘れられる。
コウイチが笑ってくれる時だけは、私は生きている気がする。
「もう少しだけ……もう少しだけ、一緒にいたい」
誰もいない広場で、私は呟いた。
~
運営から大型アップデートの告知が届いたのは、二月の終わりだった。
~
エターナル・フロンティア 大型アップデート ver.3.0
三月十五日 実施予定
ワールドデータの再構築に伴い、一部のデータが初期化されます。
・一定期間アクティブでないアカウント
・システム異常が検出されたデータ
・不正利用が確認されたアカウント
詳細は公式サイトをご確認ください
~
公式サイトを確認した。
初期化対象の詳細が、記載されていた。
その中に、こんな一文があった。
『AI生成されたなど、不正なアカウントデータは、すべて削除されます』
なんとなくその言葉が、胸に突き刺さった。
ユキのアカウントが、どの項目に該当するかは分からない。
だが、嫌な予感がした。
「ねえコウイチ、アップデートってなあに?」
「ゲームが新しくなるんだ。マップが増えたり、システムが変わったりする」
「へえ。楽しみだね!」
ユキは無邪気に笑う。
俺は彼女に何も言えなかった。
お前は、消えるかもしれない。
そう言えなかった。
アップデート前夜。
「コウイチ、今日どこ行く?」
ユキはいつものように、俺の隣で笑っていた。
「……『苔むす古道』に行こう」
「え?あそこ、もうレベル的に楽勝じゃない?なにかやり残したことでもあるの?」
「ああ、そんなところかな。なんとなく、行きたいんだ」
『苔むす古道』。
俺たちが初めて一緒に攻略したダンジョン。
あの頃のユキはレベルが低くて、俺が必死で守りながら進んだ。
懐かしい、なんて感傷じゃない。
ここが俺たちの始まりの場所だから、最後もここがいいと思っただけだ。
ダンジョンの中を、二人で歩く。
最初と比べて、かなり強くなった。
敵は弱すぎて、ほとんど脅威にならない。
ただ、思い出を辿るように進む。
「コウイチ、覚えてる?ここで私、初めてヒールのタイミング合わせられたんだよね」
「ああ、覚えてる」
「あの時、コウイチが『ナイス』って言ってくれて、すっごく嬉しかったんだ」
「……そうだったな」
「ここの花、キレイだったんだよね。ほら、あの時も摘んだでしょ?」
「そうだな」
「今もキレイ…」
ユキは笑って、花を摘んだ。
その仕草を見て、俺は胸が締め付けられた。
ユキ。
お前は、自分が何者か知っているのか?
お前は、明日の自分がどうなるか、分かっているのか?
聞きたかった。でも、聞けなかった。
聞いたところで、何も変わらないから。
ダンジョンの最深部。
小さな泉がある場所で、ユキは足を止めた。
「ねえ、コウイチ」
「……ん?」
「ここ、楽しいね」
「ああ」
「ずっと一緒にいられたらいいのに」
その言葉に、俺は何も返せなかった。
ずっと一緒になんて、いられない。
それは俺が一番よく知っている。四年前に、思い知らされた。
「コウイチ?」
「……ユキ」
俺は、伝えなければならないことがあった。
明日、アップデートが来ること。
お前は、もしかしたら消えてしまうかもしれないこと。
お前が、本当は何者なのか。
だが、口を開いても言葉が出てこない。
ユキは不思議そうに首をかしげる。
その仕草が、優希そのもので。
「どうしたの? 変なコウイチ」
「……なあ、ユキ」
「うん?」
「お前、自分が何者か……知ってるのか?」
しばらく、沈黙が流れた。
泉の水音だけが、静かに響く。
「……うん」
ユキは、小さく頷いた。
「知ってる」
「いつから?」
「…もちろん、最初から」
彼女は、泉の水面を見つめた。
「私ね、コウイチの記憶から生まれたの。システムのバグか何かで。
コウイチが一番大切に思ってる人の記憶が、形になったんだと思う」
「…………」
「本当は、存在しちゃいけないんだよね。
私、きっとAIとか、システムが勝手に作ったデータだから。明日のアップデートで、多分消される」
「……知ってたのか」
「うん。でもね」
ユキは、俺を見た。
その目には、涙が浮かんでいた。
「コウイチと過ごした時間は、全部本物だったよ。
楽しかったのも、嬉しかったのも、全部本当。私の気持ちは、嘘じゃない」
「ユキ……」
「ありがとう、コウイチ。一緒にいてくれて」
彼女は、笑った。
泣きながら、笑っていた。
「私ね、幸せだったよ。コウイチと冒険できて、本当に幸せだった」
「……俺も」
俺の声が、震えていた。
「俺も、幸せだった」
ユキは、俺に歩み寄った。
そして、そっと抱きついた。
感覚がリアルで、ゲームなのにユキを抱きしめる感覚があった。
「ねえ、コウイチ」
「……ん」
「本物の優希ちゃんは、きっとこう言いたかったと思うんだ」
ユキは、俺の耳元で囁いた。
「『ありがとう、ずっと覚えててくれて』、って」
その言葉に、俺はもう耐えられなくなった。
四年間、ずっと我慢してきた感情が、堰を切ったように溢れ出した。
「……っ」
声にならない。
ただ、ユキを抱きしめることしかできなかった。
どれくらいそうしていただろう。
やがて、ユキが俺から離れた。
「もう、時間だね」
「……ああ」
システムから、強制ログアウトの警告が出ていた。
~
アップデート準備のため、まもなくサーバーを停止します
全プレイヤーは時間までにログアウトをお願いします
残り時間:05:00
~
あと五分。
「コウイチ」
「……ん」
「私、消えちゃうけど…後悔してないから」
ユキは、最後にもう一度笑った。
「……俺も」
「じゃあ、また明日ね」
彼女は、笑顔で手を振っていた。
「……ああ」
俺は、笑顔で返した。
返せた、と思う。
「また明日」
その言葉を、最後に。
ユキの姿が光に包まれて消えていく。
ログアウトのエフェクトだ。
見慣れた光景のはずなのに、今日だけは目が離せなかった。
光が完全に消えた後も、俺はしばらくその場に立ち尽くしていた。
~
残り時間: 00:00:30
~
システムが、俺を追い出そうとしている。
「……また明日な、ユキ」
誰もいないダンジョンで、俺は呟いた。
そして、ログアウトボタンを押した。
翌朝。
アップデート完了の通知を確認してから、俺はログインした。
王都の転送門前。見慣れた風景。
だが、何かが違う。
フレンドリストを開く。
『ユキ』の名前は、そこにはなかった。
知っていた。覚悟はしていた。
だけど、やっぱり、苦しくて、息が止まりそうになった。
「…………」
しばらく、何もできずに立ち尽くしていた。
周囲ではプレイヤーたちがアップデートの新機能を楽しんでいる。
新マップの話、新スキルの話、新クエストの話。
賑やかな声が耳に届く。
俺には、何も聞こえなかった。
「……メール、確認するか」
普段は通知を切っているから、確認することは少ない。
だが今日は、何故か確認したかった。
メールボックスを開く。
そこには未読メッセージが、一件。
差出人は『ユキ』。
送信日時は、昨夜の──ログアウト直前。
震える指で、メッセージを開く。
~
送信者: ユキ
件名: (件名なし)
ありがとう
一緒に冒険してくれて
コウイチと過ごした時間、ぜんぶ楽しかったよ
本当は、知ってた
私が何者なのか
私がどこから来たのか
私がいつか消えることも
でもね、コウイチ
あなたが笑ってくれたから
あなたが隣にいてくれたから
私は、生きられた
私はきっと、本物の優希ちゃんじゃない
優希ちゃんの代わりにもなれない
でも、コウイチが優希ちゃんを忘れないでいてくれたから
私は生まれることができた
だから、ありがとう
そして──
もう、大丈夫だよ
コウイチは、また誰かと約束していい
また誰かと、一緒に笑っていい
優希ちゃんも、私も
それを望んでるから
だから、前を向いて
また、誰かと「また明日」って言える日が来ますように
ずっと、ずっと
応援してる
──また、どこかで
ユキ
~
それだけだった。
俺は長い間、その画面を見つめていた。
王都の噴水広場で、俺は空を見上げた。
ゲームの中の空。プログラムで作られた青空。
だけど、今の俺には、この空がどこよりも美しく、優しく見えた。
「……ありがとう、ユキ」
呟いて、俺は歩き出した。
もう一度、ログインしよう。
明日も、明後日も。
ユキはもういない。
だけど、ユキと歩いたこの世界は、まだここにある。
『苔むす古道』の花は、まだ咲いているだろう。
『凍てつく尖塔』の雪は、まだ降っているだろう。
ユキと見た景色は、全部ここにある。
「……そうだな」
俺は、転送門に向かって歩き出した。
その時。
「あの、すみません」
背後から声がかけられた。
振り返ると、一人の女性プレイヤーが立っていた。
初心者らしい装備。おどおどとした様子。
「初めてこのゲームやるんですけど……
よかったら、一緒に狩りとか、してもらえませんか?」
その問いかけに、俺は少しだけ迷った。
また誰かと組む。
また誰かと約束する。
それは、怖いことだ。
いつか別れが来るかもしれない。
でも──
「……ああ、いいよ」
俺は、笑顔で答えた。
「俺、コウイチ。よろしく」
「わあ、ありがとうございます!私、リンっていいます!」
新しい出会い。新しい冒険。
ユキが望んでくれた、新しい一歩。
「じゃあ、初心者向けのダンジョンから行こうか」
「はい!お願いします!」
俺たちは、転送門に向かって歩き出した。
空が、青い。風が、心地いい。
そして──
「また明日な、ユキ」
心の中で、もう一度呟いた。
噴水の水音が、返事のように響いていた。
【終】




