第9話 記録されない会話
会話は、
記録されない。
録音機器も、
監視カメラも、
このモールには存在していない。
いや、
正確には――
必要がなくなった。
午後三時は、
もう再生されないからだ。
俺と彼女は、
同じ場所に立ったまま、
どれくらい経ったのか分からない。
長くはない。
短くもない。
「経過」という概念が、
薄れている。
彼女が、
ぽつりと言った。
「……私たち、
話してもいいんですよね」
「禁止はされてません」
声は、
ちゃんと響く。
だが、
遠くへは行かない。
反響しない。
この場所は、
溜めるだけで、
返さない。
彼女が、
少し考えてから言った。
「もし、
ここに来る前の私が、
今の私を見たら……
どう思うでしょうね」
「気づかないでしょう」
即答だった。
理由も、
ちゃんとある。
「今のあなたは、
何もしていないからです」
空中に、
文字が浮かぶ。
《登場人物の理性的な議論は、
必ず物理的な「雑音」によって
かき消される》
――だが。
雑音は、
発生しない。
この世界は、
議論を必要としない段階に
入っている。
制約が、
空振りする。
それは、
初めてのことだった。
彼女が、
目を見開く。
「……今、
消されませんでしたね」
「ええ」
制約が、
働かなかった。
正確には、
働く意味を失った。
俺は、
妙な安心を覚えた。
(……なら、
最後に、
どうでもいい話をしよう)
そう思った。
「昔、
よくこのモールに
来てたんですよ」
「誰と?」
「家族と」
彼女は、
それ以上聞かない。
聞けば、
物語が動いてしまう。
ここでは、
動かない方がいい。
空調が、
一瞬だけ動く。
ぬるい風。
懐かしい。
《異常な現象を解決した瞬間、
その現象はさらに
スケールアップして再発動する》
何も、
解決していない。
だが、
回想しかけた。
それだけで、
照明が少し暗くなる。
世界は、
思い出を嫌う。
彼女が、
小さく笑う。
「危なかったですね」
「ええ」
俺は、
無意識に腹をさすった。
空腹は、
正確に残っている。
この世界は、
必要最低限の人間性だけを、
保存している。
(……チャーシュー、
多めだったら、
嬉しかったな)
《状況が最も絶望的なとき、
主人公は必ず
「的外れな美食」について考える》
彼女は、
もう笑わなかった。
代わりに、
真面目な顔で言う。
「ねえ……
これ、
いつまで続くんでしょう」
「続きません」
断言した。
理由は、
はっきりしている。
「これは、
終わるための場所じゃない。
終わらせないための配置です」
空中に、
最後の文字が浮かぶ。
《これは、誰も生き残る必要のない話である。》
生き残る必要がないなら、
死ぬ必要もない。
終わる必要がないなら、
続く必要もない。
午後三時は、
物語から切り離された。
残ったのは、
二人分の呼吸と、
使われない出口だけ。
そして――
もう更新されない、
物語の場所。




